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簒奪女王
後宮の使者 9
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王宮の炊殿、それもノア王の食事を作るエステルのもとに毒草を届ける――その目的は、むろんノア王の暗殺である。男はそこまでは知らされていなかったが、少なくともまともな仕事でないことには感づいていた。
リードホルムで広く信じられている俗説に、王家に反逆した者は苛烈な責苦を受けた末に処刑される――というものがある。これは時代によっては真実だったが、現王ノアの代になってからは、噂以上でも以下でもない。だがブリクストなどは、あえて噂を否定しないままにしていた。男はその噂がもたらす恐怖によって自暴自棄なまでに抵抗し、脱出を試みたのだった。
ブリクストはその夜、ことの顛末を報告するためノアの私室を訪れていた。暖炉の炎が揺らめく石造りの質素な部屋のベッドで、ノアは上体を起こして本を読んでいたようだ。ここはノアが即位前から住んでいる、ブリクストにとっても馴染み深い部屋だった。
「男は事実を知らぬまま仕事を受けたようですが……裏でマデレーネ・エルヴェスタム夫人が糸を引いていることは自明かと」
「事情を知らせず、か……こちらに確たる証拠を掴ませないためには、賢いやり方だな」
「まったく、なかなかの狡知です」
「連中なりによく練り込んだ計画ではあろうが……底も見えたな」
「はい。毒殺などという古典的な手段を執るあたり、やはり視野の狭い連中なのでしょう。国を混乱させた後のことはあまり考えていない」
「旧国王派が黙っているわけがないからな。それはともかく……これを嚆矢として、二の矢、三の矢があると思うか?」
「エルヴェスタム夫人次第、といったところでしょうか。彼女の監視を強めておきます」
「ああ。任せるよ」
ノアは膝の上に乗せていた本を閉じ、ベッドサイドのゴブレットからひとくち水を飲んだ。
「マデレーネ・エルヴェスタムといえば、ヴィルヘルム王の生前から、ノア様のご母堂やエヴェリーナ様への対抗意識を隠さなかった方だという話です。どうやら未だに根に持っているようですな」
「母は姉フリーダに似て表に出たがらない方だったが、いつの間にか敵はできているものらしい」
「不幸というのは、当人のあずかり知らぬところで勝手に育っているものですからな」
「それが今になって姿を現した、というわけか。どうも最近、エヴェリーナの子ラーシュが私への敵意をあらわにしているらしいが……それもマデレーネの影響かもしれないな。エヴェリーナとラーシュを切り離せば大丈夫だろうと思っていたのだが、どうやら当てが外れたらしい」
「気の毒なものですな。ラーシュは確か、まだ十五になったばかりだったかと……」
「ああ……おおかたマデレーネは、エヴェリーナの子たるラーシュを利用し、大后の子たる私に復讐したいのだろう。エヴェリーナが蟄居したからラーシュは無害かと思っていれば、今度はそれを使嗾する者が出てくる。……醜悪だな」
「はい……」
「私怨を口実にして、力ある者が力なき者を捨て駒のように使う……こんな醜悪なことが当たり前のように、連綿と続いてきたのがこの世界だ」
ノアはしばし黙ったあと、おのれの怒気を自嘲するように鼻で笑った。
「まあ、連中を軽蔑はするが軽視はしていない。せいぜい足をすくわれぬよう用心するよ」
「無論警備も強化しますが……連中もこれでは終わりではありますまい」
「任せるよ。汚れ仕事ばかり押し付けてしまうが……」
「お気になさいますな。ノア様は新しい治世にご専心ください」
ノアは一息ついて、仕事は終わったというように身体をベッドに横たえた。
「ところで……ベアトリス王妃には大事なかったのか?」
「はい。ご無事です」
そう答えたブリクストの顔は、彼にしてはめずらしい穏やかな笑顔だった。
リードホルムで広く信じられている俗説に、王家に反逆した者は苛烈な責苦を受けた末に処刑される――というものがある。これは時代によっては真実だったが、現王ノアの代になってからは、噂以上でも以下でもない。だがブリクストなどは、あえて噂を否定しないままにしていた。男はその噂がもたらす恐怖によって自暴自棄なまでに抵抗し、脱出を試みたのだった。
ブリクストはその夜、ことの顛末を報告するためノアの私室を訪れていた。暖炉の炎が揺らめく石造りの質素な部屋のベッドで、ノアは上体を起こして本を読んでいたようだ。ここはノアが即位前から住んでいる、ブリクストにとっても馴染み深い部屋だった。
「男は事実を知らぬまま仕事を受けたようですが……裏でマデレーネ・エルヴェスタム夫人が糸を引いていることは自明かと」
「事情を知らせず、か……こちらに確たる証拠を掴ませないためには、賢いやり方だな」
「まったく、なかなかの狡知です」
「連中なりによく練り込んだ計画ではあろうが……底も見えたな」
「はい。毒殺などという古典的な手段を執るあたり、やはり視野の狭い連中なのでしょう。国を混乱させた後のことはあまり考えていない」
「旧国王派が黙っているわけがないからな。それはともかく……これを嚆矢として、二の矢、三の矢があると思うか?」
「エルヴェスタム夫人次第、といったところでしょうか。彼女の監視を強めておきます」
「ああ。任せるよ」
ノアは膝の上に乗せていた本を閉じ、ベッドサイドのゴブレットからひとくち水を飲んだ。
「マデレーネ・エルヴェスタムといえば、ヴィルヘルム王の生前から、ノア様のご母堂やエヴェリーナ様への対抗意識を隠さなかった方だという話です。どうやら未だに根に持っているようですな」
「母は姉フリーダに似て表に出たがらない方だったが、いつの間にか敵はできているものらしい」
「不幸というのは、当人のあずかり知らぬところで勝手に育っているものですからな」
「それが今になって姿を現した、というわけか。どうも最近、エヴェリーナの子ラーシュが私への敵意をあらわにしているらしいが……それもマデレーネの影響かもしれないな。エヴェリーナとラーシュを切り離せば大丈夫だろうと思っていたのだが、どうやら当てが外れたらしい」
「気の毒なものですな。ラーシュは確か、まだ十五になったばかりだったかと……」
「ああ……おおかたマデレーネは、エヴェリーナの子たるラーシュを利用し、大后の子たる私に復讐したいのだろう。エヴェリーナが蟄居したからラーシュは無害かと思っていれば、今度はそれを使嗾する者が出てくる。……醜悪だな」
「はい……」
「私怨を口実にして、力ある者が力なき者を捨て駒のように使う……こんな醜悪なことが当たり前のように、連綿と続いてきたのがこの世界だ」
ノアはしばし黙ったあと、おのれの怒気を自嘲するように鼻で笑った。
「まあ、連中を軽蔑はするが軽視はしていない。せいぜい足をすくわれぬよう用心するよ」
「無論警備も強化しますが……連中もこれでは終わりではありますまい」
「任せるよ。汚れ仕事ばかり押し付けてしまうが……」
「お気になさいますな。ノア様は新しい治世にご専心ください」
ノアは一息ついて、仕事は終わったというように身体をベッドに横たえた。
「ところで……ベアトリス王妃には大事なかったのか?」
「はい。ご無事です」
そう答えたブリクストの顔は、彼にしてはめずらしい穏やかな笑顔だった。
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