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簒奪女王
憎悪の向こう 3
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ベアトリスが私物のようにグラディスとランバンデッドを持っていってしまった事実が意味するのは、ノルドグレーン公国という制度の崩壊だった。
ベアトリスの行為はノルドグレーン公国憲章に照らせば違憲だが、彼女が公国民としての権利を剥奪されたことによって、ベアトリスが憲章に準じる義務もまた消滅している。
まだノルドグレーン公国民だった頃のベアトリスは――少なくともヴァルデマルなどよりは遥かに――ノルドグレーンの法制を尊重する立場をとり続けていた。だがヴァルデマルら「正統ローセンダールの密約」に加担した者たちが結託して、ベアトリスが制度を破壊するように仕向けたのだ。
この「制度」という幻想の崩壊が、ベアトリスを放逐した者たちの間に水面下での対立を生み出していた。彼らはみな、個々の財力、軍事力においてはベアトリスの後塵を拝していた者たちで、ヴァルデマルを除くと抜きん出た勢力は存在しない。またそのヴァルデマルも、広大な版図と国家の要職を得てはいるが、個人が保有する軍事力はそれほど強大なものではなかった。
「……この均衡の間で、ベアトリス・ローセンダールの次に仲間はずれにされるのは自分なんじゃないか、って猜疑心が涵養されいったわけだ。言うなれば県令のお偉いさん方は自分たちでルールを壊した後になって、そのルールに自分が守られてたことに気づいたわけさ」
「なんとも……情けない話だな。我がノルドグレーンの意思決定機関が、その程度の頭脳しか持ち合わせてない奴ばっかりだとは」
「まったくだ。俺たち並みに損得の計算ができれば、そんなへまはしないだろうに」
「しかしあんた、やけに政治に詳しいな」
「こうやって方々で、話を聞いて回ってるんだよ。損をしないためにな。それぞれの話は断片的なものでも、それをつなぎ合わせると見えてくる景色がある。情報ってのはそういう性質のもんだろう?」
「なるほど、確かに」
ラーゲルフェルトはこの話を、雪山の崩落になぞらえてラヴィン理論と名付け、労を惜しまず各地で吹聴して回っていた。これはいくつかの真実を含むだけに一定の説得力を持ち、都市間を移動することの多い行商人を通じてノルドグレーンじゅうに広がっていった。
それはむろん「正統ローセンダールの密約」に加担した県令たちの耳にも入る。これが、彼らがベアトリスを壊滅させる、グラディスへの侵攻を実行に移すにあたって、二の足を踏む要因となったのだった。
「しかし話を聞いてると……あれだな、ベアトリス・ローセンダールはあくまで自分を曲げなかったわけだ」
「まあ普通なら、最高議会の多数派に膝を折って、身の安全を図るところだろうな」
「そうせずにノルドグレーンをほっぽり出されて、それでも勢力を維持できてるってのは……こう……何か、ひとつの時代の変わり目って気がするな」
「かもしれんねえ。新しい時代を引っ張ってくるのは、いつだって若い奴と女さ」
「そこいくと、お偉いさんがジジイばかりの我がノルドグレーンなんてのは、衰退のとば口に立ってるってことかね?」
「かもしれんねえ……」
このラーゲルフェルトの「活躍」については、もちろんベアトリスにすべて報告されている。そうでなければ、彼女はヘルストランド城に腰を落ち着けてリードホルムの内政に注力している余裕などなかったことだろう。
そして五日前にグラディスから届いた報告書には、いくつかの驚くべき情報が付記されていた。不確定ではあるが――という前置きはされつつも、行方不明だったリードホルムの前宰相、シーグムンド・エイデシュテットがすでに死亡していたのだという。
ベアトリスの行為はノルドグレーン公国憲章に照らせば違憲だが、彼女が公国民としての権利を剥奪されたことによって、ベアトリスが憲章に準じる義務もまた消滅している。
まだノルドグレーン公国民だった頃のベアトリスは――少なくともヴァルデマルなどよりは遥かに――ノルドグレーンの法制を尊重する立場をとり続けていた。だがヴァルデマルら「正統ローセンダールの密約」に加担した者たちが結託して、ベアトリスが制度を破壊するように仕向けたのだ。
この「制度」という幻想の崩壊が、ベアトリスを放逐した者たちの間に水面下での対立を生み出していた。彼らはみな、個々の財力、軍事力においてはベアトリスの後塵を拝していた者たちで、ヴァルデマルを除くと抜きん出た勢力は存在しない。またそのヴァルデマルも、広大な版図と国家の要職を得てはいるが、個人が保有する軍事力はそれほど強大なものではなかった。
「……この均衡の間で、ベアトリス・ローセンダールの次に仲間はずれにされるのは自分なんじゃないか、って猜疑心が涵養されいったわけだ。言うなれば県令のお偉いさん方は自分たちでルールを壊した後になって、そのルールに自分が守られてたことに気づいたわけさ」
「なんとも……情けない話だな。我がノルドグレーンの意思決定機関が、その程度の頭脳しか持ち合わせてない奴ばっかりだとは」
「まったくだ。俺たち並みに損得の計算ができれば、そんなへまはしないだろうに」
「しかしあんた、やけに政治に詳しいな」
「こうやって方々で、話を聞いて回ってるんだよ。損をしないためにな。それぞれの話は断片的なものでも、それをつなぎ合わせると見えてくる景色がある。情報ってのはそういう性質のもんだろう?」
「なるほど、確かに」
ラーゲルフェルトはこの話を、雪山の崩落になぞらえてラヴィン理論と名付け、労を惜しまず各地で吹聴して回っていた。これはいくつかの真実を含むだけに一定の説得力を持ち、都市間を移動することの多い行商人を通じてノルドグレーンじゅうに広がっていった。
それはむろん「正統ローセンダールの密約」に加担した県令たちの耳にも入る。これが、彼らがベアトリスを壊滅させる、グラディスへの侵攻を実行に移すにあたって、二の足を踏む要因となったのだった。
「しかし話を聞いてると……あれだな、ベアトリス・ローセンダールはあくまで自分を曲げなかったわけだ」
「まあ普通なら、最高議会の多数派に膝を折って、身の安全を図るところだろうな」
「そうせずにノルドグレーンをほっぽり出されて、それでも勢力を維持できてるってのは……こう……何か、ひとつの時代の変わり目って気がするな」
「かもしれんねえ。新しい時代を引っ張ってくるのは、いつだって若い奴と女さ」
「そこいくと、お偉いさんがジジイばかりの我がノルドグレーンなんてのは、衰退のとば口に立ってるってことかね?」
「かもしれんねえ……」
このラーゲルフェルトの「活躍」については、もちろんベアトリスにすべて報告されている。そうでなければ、彼女はヘルストランド城に腰を落ち着けてリードホルムの内政に注力している余裕などなかったことだろう。
そして五日前にグラディスから届いた報告書には、いくつかの驚くべき情報が付記されていた。不確定ではあるが――という前置きはされつつも、行方不明だったリードホルムの前宰相、シーグムンド・エイデシュテットがすでに死亡していたのだという。
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