上 下
3 / 247
山賊討伐

1 リードホルムの王子

しおりを挟む
「総員、整列せよ! 本作戦の総指揮官たる、ノア大公よりの訓示である」
 リードホルム王国の首都ヘルストランド、その一角にある軍事訓練場で、ささやかな壮行式が行われていた。出動する部隊の長ブリクストの宣言とともに壇上に登った男はノア・リードホルムといい、王国の第二王子だ。他の兵士たちと異なる壮麗な装いから、身分の違いは誰の目にも明らかだった。
「ラルセン山賊団――あくまで俗称ぞくしょうではあるが、皆も聞き及び、あるいは家族や友人の誰かの悩みの種になってもいることだろう。此度こたびの出征はこの山賊団の排除が目的だ」
 兵士たちの間に動揺のざわめきが広がる。居場所もわからぬ相手をどう排除するのだ――そう誰もが内心で困惑していた。静粛に、とブリクスト部隊長が一喝する。
「あるいは殲滅せんめつできぬまでも、その根城とするところを明らかにし、爾後じご奴らの跳梁ちょうりょうを許さぬ状況をこそ目指すべし。貴君らは我が国の誇る精鋭だが、たかが山賊と侮るな。奴らは手練てだれとの評判だ」
 続く言葉でざわめきは終息した。精鋭であるというノアの評は決して身贔屓みびいきではなく、彼らは王国内でも屈指の強者つわもの達だ。隊長の名を冠して”ブリクスト特別奇襲隊“と呼ばれ、戦闘技術以外にも斥候せっこうや情報戦、少数での潜入作戦など様々な訓練、教育を受けている。実力で彼らを上回る集団は、リードホルム王家直属の近衛兵のみだと言われていた。
 ノアの演説は続いているが、隊列後方の兵士たちには密談を始めたものがいた。
「ノア王子ってのは、剣の腕じゃブリクスト隊長にも引けを取らないそうじゃないか」
「ノルドグレーンに留学していらしたから、この国の悪習にも染まってない方だ」
「お飾りでも、ああいう人が出てくれるなら、やる気も出るもんだ」
「気楽なことを。王子の身になにかあってみろ。エイデシュテット宰相は俺らを全員処刑するぞ」
「どうかな。逆に喜んで褒美を出すんじゃねえか?」
「――以上だ。再びヘルストランドの土を踏む日まで、貴君らの息災であらんことを」
 ノアは幾度か兵たちと訓練を共にし、その際に見せた技量と、人柄の明快さから人気があった。一方、それと対になるような人物もリードホルム王家には存在する。
「最後に、アウグスティン大公より激励のお言葉である」
 ノアが降壇した後に姿を表したのはアウグスティン・リードホルム、ノアの実兄である第一王子だ。右腕を振るって、豪奢ごうしゃなクロークを翻す。
「皆、聞けい。ラルセン山岳地帯を根城にする山賊どもによって、我が国とノルドグレーン公国の交易は多大な損害を被っている」
「交易などとよく言えたものだ。貢物の間違いだろうに」
「いや、一部の連中だけは、何か貰っているのかもしれんぞ?」
 ノアの時とは雲行きの異なる密談が、後方で始まった。
「アウグスティン王子も威勢のいいことを言う割には、ノルドグレーン大公や使節には腰が低いそうだな」
夜郎自大やろうじだいも甚だしい。宗主国が聞いて呆れるわ」
「我が国はいつまで、ノルドグレーンの属国のような地位にあり続けるのだ? ヴィルヘルム王も不甲斐ないことだ」
「気をつけろ、聞こえたら生涯牢獄の主だぞ」
 年長の兵士が声を潜め、不敬な密談をいさめた。アウグスティンの大仰な演説は続いている。
「――また、カッセル王国との関係も不穏極まる中、ますます諸君らの力は国にとって重要なものとなっている。精強なるリードホルム兵士たちよ、猖獗しょうけつを極める山賊どもに、神聖なるリードホルムの威光を見せつけてやるのだ。諸君らの勇戦に期待する」
 ブリクスト部隊長が壇上に頭を下げる。兵たちは斉一に踵で石畳を踏み鳴らして直立し、胸先に剣を掲げた。

 リードホルム王国は周囲を山岳に囲まれ、国土を東西に分けるように流れるニブロ川はガムラスタン湖へと続いている。夏の短い冷涼な土地だが、近隣諸国の文化はリードホルムを祖としており、濫觴らんしょうの地として神聖視されていた。
 その王都ヘルストランドを囲むこけむした城郭の内側、西門の一角で、ブリクスト特別奇襲隊の兵士たちに混じって向き合う、一組の高貴な装いの男女があった。男はノア・リードホルム、女はフリーダ・リードホルム、ノアの実姉である。
「ノア、どうしても行くのですね……あなたが行かずともよいのに」
「王家の者として、一度も戦場に立たぬというわけにはいきません。それに、ブリクストの隊は精強で知られた部隊。どうかご心配なく、姉上」
「幸運を。あなたの帰るまで祈り続けます」
 フリーダはノアの右手を両手のひらで包み、今にもさめざめと泣き出さんばかりだ。二人の様子は姉弟というより、今生の別れを惜しむ恋人たちのようでもある。
「フリーダ様もおかわいそうに。近々ノルドグレーンに行かねばならんとは」
「そうは言うが、現在斎姫さいきを務めているノルデンフェルト家のご令嬢のこともあるだろう。もう四年目だぞ」
「ヴィルヘルム陛下といいエイデシュテット宰相といい、守護斎姫などという屈辱的な地位を何と考えているのやら」
「聞けばノア王子の行啓ぎょうけいも、あのエイデシュテットが使嗾しそうしたそうではないか」
「あの白鼠は何かとアウグスティン王子の側に立ちたがるからな」
 ブリクスト特別奇襲隊の隊員は文字を読める者がほとんどで、これはリードホルムの教育水準からすると稀有けうな部類に入る。自然、市井を流れる情報や宮廷内の噂話に明るい者も多い。
 フリーダとの別れを済ませたノアのもとに、ブリクストが駆け寄った。
「ノア様、この城郭を出てからは、安全のためにあなたを若様と呼ぶようにします」
「心配性に過ぎないか、ブリクスト?」
「ノア様こそお立場をご自覚ください。王子よりは男爵家あたりの若様のほうが、命を狙われる恐れも減りましょう」
「まあ、任せるよ。けいの提案に間違いはないだろう」
「お聞き入れいただき感謝します。部下にも徹底させましょう」
 ブリクストは立ち止まり、感慨深げにノアを眺めた。
「……どうした?」
「毎日のように会っているので気付きませんでしたが、この四年で雰囲気が変わられましたな。背も髪もずいぶん伸びて」
「……四年間、ブリクスト隊長殿に鍛えられたからな。変わりもするさ」

 西方の新興国、ノルドグレーン公国はもともとリードホルム王国の属国であり、ノルドグレーン公はリードホルム王が任ずる臣下という地位だった。しかし、課税強化に端を発した二百年前の紛争ではノルドグレーンが勝利し、徴税や人事の自由を含むほぼ完全な自治権を認めさせた。この際、リードホルム側の面子を保つべく、名目上の宗主関係だけが残され現在に至っている。
 その後も成長を続け大国となったノルドグレーンの国力は圧倒的で、既に二倍の人口と三倍の経済力を持つと言われていた。

 みずから“福音の国”の異称を掲げ、国家間の力比べには勝利したノルドグレーン公国だが、にもかかわらず、神代しんだいから続くとうわわれるリードホルム文化に対する劣等感が、国内に底流していた。その原因の最たるものは、リードホルムにだけ“リーパー”と呼ばれる特殊能力者がしばしば生まれるということだ。
 リーパーの能力はさまざまで、獣よりも疾く動くもの、体躯たいくにそぐわぬ膂力りょりょくを持つもの、体の傷がまたたく間にえてゆくものなど、あらわれ方は人それぞれだ。
 生まれながらにリーパーの力を持っているものは少なく、多くは人生の途上で突然に能力が開花する。能力は親から子に受け継がれることなく、一世代限りで消え去る。また、力がありながら、その使い方を知ることなく生涯を終えるものもいるという。
 研究は地道に進められているものの、リーパーの誕生要因はリードホルムの土地そのものに起因すると、漠然と結論付けられているのが現状であった。
 形而下けいじかでの優越と、形而上の劣等意識――そのようなねじれた関係性の落とし子として生まれたのが、守護斎姫、ノルドグレーン神聖守護斎姫である。
 ノルドグレーン国民が溜飲を下げるため、祭事や式典を祝福するとして、リードホルムの身分の高い女性がその任に就く。
 名目どおりの地位であれば名誉ある役職だろうが、ここに両国の力関係が影を落としている。神聖な巫女として敬われるどころか不埒な扱いを受けることが多く、さながらリードホルムにとっての贖罪の山羊スケープゴートである。実情を知る女たちが着任をいとうのは、至極当然のことだった。
しおりを挟む

処理中です...