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日本編
第14話 迎撃前夜:―赤い脈動、広島より―
しおりを挟む明け方――研究室
エリシオンは顕微鏡の前で、夜通しデータを解析していた。
モニターには、新人類化した男のDNAコードが映し出されている。
通常の人間とは違う、“書き換えられた遺伝子領域”。
エリシオンは小さく呟いた。
「……折原様。あなたの体も、守らなければ。」
その声は、AIロボとは思えないほど静かで、どこか祈りにも似ていた。
そして、彼女は折原の名前が書かれたファイルを開いた。
“免疫強化計画:第二段階 対象:折原 兆一”
エリシオンの指先が、そのファイルにそっと触れた。
「……まだ早い。今は牛乳バフだけで十分です。
ですが――いずれ必要になります。」
朝日が差し込む頃、エリシオンはようやく立ち上がった。
折原もそろそろ起きる頃だろう。
食堂へ向かう前に、彼女はひとつだけ静止した。
「今日も、秩序を守らなければ。」
しかし、彼女の体に異変が起きていた。
「……この体、いつまで持つか……。急がなければ。」
エリシオンは胸の奥に走る微かなノイズを押し殺すように、
そっと胸元へ手を当てた。
白い研究室に、彼女のかすかな作動音だけが響く。
朝日が差し込み、床に長い影を落とす。
その光が、彼女の横顔を淡く照らした瞬間――
(……折原様のために。まだ倒れるわけにはいきません)
エリシオンは静かに目を閉じ、わずかに表情を整えた。
そして、まるで“感情”を引き出しにしまい込むように、
いつもの無機質な微笑みを作り上げる。
その時だった。
司令ルームの自動扉が、低い電子音を立てて開くと同時にエリシオンの回想は終わった。
「すまない。待たせたな、エリシオン。……みんな、揃ってるか?」
朝食を済ませた後、牛乳臭くなった体をシャワーで洗い流し、牛乳石鹸の甘い香りを纏った折原が姿を現す。
その声に、エリシオンは振り返り、
まるで何事もなかったかのように静かに一礼した。
「はい、折原様。作戦会議を開始できます」
彼女の瞳は、先ほどまでの不安を一切感じさせない。
だが――その奥底に宿る微かな揺らぎを、折原だけがまだ知らない。
司令ルームの中央で、エリシオンはホットミルクの湯気を静かに揺らしながら、ホログラムの前に立っていた。白いカップを持つ手は微動だにしない。
その隣では、ヴァリシオンがホットミルクココアを片手に、獣耳をピクピクさせ、腕を組んだまま赤い脈動を睨みつけている。
甘い香りがわずかに漂うが、彼女の表情は険しい。
折原が司令ルームに足を踏み入れた瞬間、
壁一面のホログラム地図には西日本の地形が立体表示され、
広島方面だけが異様な赤色で脈打っているのが確認できた。
「状況はどうだ?」
折原が問うと、エリシオンは指先を軽く動かし、ホログラムに新たな映像を展開した。
「広島県から、異常な数の熱源反応が湧き上がっています。ただし、強化型ではありません。初期進化段階の“群体型”が中心です。」
映し出された映像には、
地面を覆い尽くすように広がる黒い影――
無数のゾンビが、波のように押し寄せていた。
折原は腕を組み、眉をひそめる。 「数が多すぎるな。やつらはなぜ付近の城塞都市を攻めず、九州へ向かっているんだ?」
ヴァリシオンはホットミルクココアの入ったマグカップを握りしめ、低く呟いた。 「それはわかりません。群体型は、本来ここまで統率されません。まるで何かに導かれているような動きです。」
「この進行ルートは、偶然ではありません。彼らは“九州を選んでいる”のです」 エリシオンはホログラムの赤く光る一点を指差した。
「付近の城塞都市を攻めず、九州に向かっているということが不気味だな……。もしかして、先日の九州の制圧後に自軍の損傷で弱体化した隙に、やつらはここぞとばかりに攻めてきたのか?」
折原の問いに、エリシオンは静かに頷いた。
「その可能性があります。いずれにせよ、彼らは何かを“理解している”ように見えます」
ヴァリシオンが耳をピクピクさせながら、低く呟いた。
「……胸騒ぎがする。あの動き、ただの群体じゃない。まるで“誰かに押し出されている”みたいだ」
折原は息を呑んだ。
「まさか……あの、知的ゾンビの仕業か?」
エリシオンは一瞬だけ視線を伏せ、そして静かに答えた。 「……はい。その可能性が高いです」
折原はホログラムに表示されたタイムカウントを睨みつけ、声を絞り出した。 「あの軍団は九州まであと何時間で着くんだ?」
エリシオンが再び顔を上げ、静かな、だがどこか憂いを帯びた瞳で彼を見つめる。 「……最短で八時間。遅くとも十時間以内に九州へ到達します」
折原はホログラムに表示されたタイムリミットを二度見し、思わず絶句した。 「……八時間だと? 広島からここまで二百キロはある。時速二十キロ以上……フルマラソンの世界記録に近い速度を、一歩も緩めず走り続けているっていうのか」
エリシオンが静かに、だが重く頷く。 「はい。肉体のリミッターを完全に破棄し、文字通り細胞を焼き潰しながら進軍しています。ただの移動ではありません。これは九州に向けた『弾丸』の射出です」
折原は、AIの計算が正確なのは理解していた。
「迎え撃つ準備は間に合いそうか? 援軍は?」 折原がホログラムに映る各都市の防衛マークを指差しながら問う。
エリシオンは、最適解を導き出そうと演算を走らせながら答えた。
「……最低限の迎撃態勢は整います。ただし、余裕はありません。本来なら十分な戦力がありますが、各要塞は城塞都市の別方向の脅威に備えているため、動かすことができません。それに今回の進行速度は、我々の想定を大きく超えています。」
折原は、かつて戦国シミュレーションゲームで味わった「援軍が間に合わない絶望感」を思い出した。
「AIのあるあるだな……。で、敵の状況とこないだの戦いから、戦闘AIロボの修復率と増産状況はどうだ?」
「軽装ロボの修復率は現在72%。増産ラインは稼働率38%です」 エリシオンはデータを更新し、厳しい数値を突きつける。
「九州制圧戦後に、アシッドライト対策として装甲コーティングの改良を進めていますが……十分な耐性はまだ確立できていません」
モニターには、アシッドライトの喉奥から溢れ出す『腐敗した強酸性の汚液(おえき)』が軽装ロボ軍団に向け、吐き出されているのが映し出された。
それが触れた箇所から無残に崩れ落ちるAIロボの無機質な姿が数体見られた。「敗北」の二文字が折原の脳裏によぎった。
「折原様、先ほどドローン偵察部隊の報告がありました。個体は弱いですが状態異常攻撃型です。やはり、腐食性体液を持つアシッドライトが混じっている可能性があります」
エリシオンはモニターのノイズを補正しながら続け、警告を発した。 「現時点では群体型の密度が高すぎます。九州に到達するのは時間の問題です」
折原は、AIの計算が正確なのは理解していた。
だが――戦場は数字だけでは動かない。
かつて戦国シミュレーションゲームで培った経験を思い出しながら、
AIのロジックが甘くなる“初動の読み”を自ら補おうとした。
ホログラムに手を伸ばし、広島から佐世保へ向かうルートをなぞる。
その指先は迷いなく動き、戦況の流れを描き出していく。
エリシオンが指先を滑らせると、ホログラムに新たなウィンドウが展開した。
そこには“出動可能な部隊一覧”が表示され、各ユニットの性能・稼働状況が色分けされたアイコンで示されていた。
軽装ロボ部隊:機動力A/装甲C/稼働可能機数:78(残存112・修復率72%)
城塞都市砲台:射程S/固定式/稼働率92%
折原は一覧を一瞥し、戦況が良くないと感じながらも、
即座に戦術を組み立てた。
「まずは前衛で足を止める。
軽装ロボ部隊を三段構えで配置しろ。
後衛は付近の城塞都市の長距離砲台を準備させる。」
三段構えでも、押し潰される可能性は高い。
それでも――砲台が射程に捉えるまでの時間を稼ぐには、これしかない。
「了解しました。」
エリシオンの瞳に、一瞬だけ数式の光が走った。
「現在の戦力配備と敵の推定密度を加味した場合――
この布陣での勝率は、このままでは58%です。しかし、九州制圧戦後に新たに開発された武器を使えば勝率は高まるはずです。」
「4割以上は負け筋か……上等だな。」と折原は小さく息を吐いた。
エリシオンの瞳が青く輝き、指令を即座に処理していく。
「ただし、まだ“本命”は出てきていません。これは広島のゾンビ軍団の“前座”です。油断は禁物です。この波を凌げば、次に何が来るかが見えてきます。」
折原はホログラムに目を走らせながら、ふと思い出した。
「……あれ? そういえばケイジとイエヤスはどこだ?」
ヴァリシオンはココアミルクを片手に、耳をピクリと動かした。
彼女はココアミルクのカップを置き、ふふんと鼻を鳴らした。
「三時間前、広島の空気が変わった瞬間に前線に送り出しておいたよ。あいつらなら、もう奴らの喉元を噛みちぎる準備をしてるはずさ」
「……助かったよ。俺の目が届かないところを、またヴァリシオン達が救ってくれたわけか」 本来なら軍律違反だ。だが、彼女たちが俺の休息を守りつつ、最善の布石を打ってくれた事実は揺るがない。その献身を、今の俺には叱ることなどできなかった。
ヴァリシオンのピンと立った獣耳が、一瞬だけピクリと反応し、すぐに申し訳なさそうにペタッと伏せられた。まるで、折原の優しい言葉に、彼女の内側にある“ヒト”の部分が顔を出したかのように。
「ケイジは“先に行って状況を整えておきます”と言ってました。
イエヤスは“初動の読み違いは命取り”だとか」
折原は額に手を当て、ケイジの自由奔放さに呆れつつも、「……自由か。俺も昔はあんな風に、しがらみなく生きたかったのかもな」深く息を吐いた。
「ふっ……あいつら、せっかちすぎるだろ。……だが、あの息の詰まるような『普通』の日々に比べりゃ、この賑やかな戦場も悪くない」
窓の外、遠くの空には戦火の予感があったが、折原の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
その笑みをかき消すように、司令ルームに真紅の警告灯が走り、低く重い警報音が鳴り響いた。 広島方面を示すホログラムが、まるで怒りに燃える心臓のように赤く脈動し、空気が一段と重くなる。
「来たか……」
折原は深く息を吸い込み、胸の奥に残るわずかな迷いを、冷徹な指揮官としての意識で押し潰した。 彼がコンソール(操作卓)に手を置いた瞬間、要塞の全システムが戦闘モードへと加速する。
「エリシオン、全軍に告げろ。——」
折原は一拍置き、静かに息を整えた。
胸の奥に残る「汚液へのトラウマ」を、石鹸の香りと指揮官の自覚で塗りつぶし、言い放つ。
「――迎撃戦を開始する。……前線拠点、竜王山に向かうぞ!」
その声は、司令ルームの空気を一瞬で変えるほどの重みを帯びていた。
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