アホと魔女と変態と (異世界ニャンだフルlife)

影虎

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プロローグ 異世界へ

異世界へ 1

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 いつ死んだのか……。

 気付いた時には、闇に包まれていた。
 手も足も動かず、辺りを見回しても筋肉が動いている感覚がない。
 長い長い、トンネルに居るような気分だ。

 心が孤独に苛まれていく。
 誰もいない……。音も聞こえない……。
 どれ程の時間が経ったのだろう。

―――誰か! 誰か!
 最後に残った心の叫びが、闇の中に溶けていく。
 返ってくるものはない。
 わかっていても、叫ばずにはいられない。
 負けそうだから。心が軋むから。一人は、嫌だから!

 その時、一筋の光りが何処からともなく射してきた。
―――!
 僕は走り出した。
 何があるのかわからない。罠かもしれない。何もないかもしれない。結局辿り着いても、誰もいないかもしれない。
―――それでも!
 やがて、光りはうねりとなり、僕の周りを大きな天幕のように包み込んだ。
―――ッ!
 眩しさのあまり、片手で目を庇った。
「お疲れ様でした。大変な人生でしたね」
―――!!
 鳩尾に大きな氷柱が刺さったかのように、僕は動けなくなってしまった。
「そんなに驚かなくても……」

 恐る恐る僕は、後ろを振り返った。

 息を飲むというのは、こういうことをいうのだろう。
 そこには、僕より少し身長の低い半透明に光る絶世の美女が、目を伏せて微笑んでいた。
 金色に輝く髪は腰まで伸びており、しなやかな曲線を描く肢体には白いローブが緩やかに、かつ艶やかに羽織られていた。
 彼女を見ていると、ここが現世ではないという実感が今更ながら沸いてくる。
―――死因は、轢死ですか?

 最後の瞬間を思い出す。
 自転車で通勤の最中、塀から飛び降りてきた猫に驚いた僕は運転を誤り道路に転倒、丁度通りかかったトラックの下敷きになってしまった。
 あの時の運転手の顔は、今でも脳裏に焼き付いている。
 本当に申し訳ないことをしてしまった。
 僕なんかを轢いてしまったために、あの人のこれからの人生は辛いものになってしまう。
「死んでまで他人を思いやれるのに。自分にも、優しくなれませんか?」
―――思ってることが、分かるのですか?
「神ですからね」
 笑ってしまった。
 何が面白いとかは分からないが、彼女の淀みない答えが、極度の緊張で乾いていた心に潤いをもたらした。

 ひとしきり笑った僕は、彼女に顔を向けた。
―――これから僕は、どこに行くんですか?
「天国、だったら良かったんですけど……」
 先程までの笑顔が嘘のように、彼女の顔は沈んでしまった。
「本来なら、私の眷属があなたを迎えに来る予定だったんです。ですが、私の妹神ディーテが管轄する世界で、予期せぬことが起こってしまいまして」
 申し訳なさそうに顔を伏せて、彼女は唇を噛んだ。
―――何があったのか分かりませんが、僕でできることでしたら、何でも言ってください。
 女性のそんな顔を見せられて断れる男がいたら、僕に教えて欲しい。
「本当にすみません。本来なら私たち天界の者がやらなければいけないのですが……。肉体が滅びてしまった私達では、現世に顕現するために新しい肉体が必要になってしまいます。それでは間に合わないのです」
 前後の言葉から、何やらただならぬことがあったことは理解できた。
 そして僕は、何らかの形で選ばれたらしい。
「お察しいただいてありがとうございます。言葉の説明では長くなりますので、直接見せますね」
 彼女はそっと、僕のこめかみに両手を添えた。
―――!!

 その途端、脳裏に様々な映像が流れていった。

 厳かな庭園。光り輝く城。満点の星空。そして、地下に蠢く一体の獣。
 赤い双眸を闇の中でぎらつかせ、世界に呪詛の呻きを響かせる。

 その獣は、元々は神の眷属だった。
 数々の世界で起こる権力や金や闘争という欲にまみれた悪意は、本来であれば冥界へと行くはずであった。ところがある世界で起こった戦争が、その世界の理を歪めてしまった。人は死んでも冥界には逝かずに蘇り、不死の屍が跋扈し始めたのだ。その結果、冥界で浄化される筈の悪意がその世界に溜まり、やがて収まりきらなくなった悪意はその世界を消滅させ天界にも流れ込んできた。

 その時一早く気付いた一人の眷属が、悪意の波に立ち向かった。彼女は悪意の力をその身に溜め込むことで、天界を救ったのだ。
 しかしその代償は余りにも大きかった。
 悪意の力は彼女の体を蝕み、やがて災禍の獣と呼ばれるモノへと変貌させた。
 彼女は下界へと降り立ち、悪意の求める限り世界を蹂躙した。
 それを知った神々は下界に神の血を流し、二人の勇者を誕生させた。
 勇者たち姉妹は、力の限り災禍の獣と戦った。
神の力を受け継いだ二人だったが、相手も元は神の眷属である。地上における神の力と悪意に染まった神の力のぶつかり合いは、世界に多大な影響を及ぼした。大地は抉れ、月は欠け、数々の町や都市が巻き添えとなった。
 それでもやがて、決着の時は訪れた。
 災禍の獣の一撃を受けた姉は、その身を犠牲にして妹に自分の身体ごと災禍の獣に必殺の一撃を与えさせたのだ。姉は微笑みながら息絶え、妹は涙を流しながら災禍の獣の首をはねた。

 戦いは終わったが、それで災禍の獣の終わりではなかった。
 災禍の獣は曲がりなりにも神の眷属であるため、魂までは滅ぶことがない。そこで神々は彼女の魂を天界に幽閉した。
 二度と悪意を振るわないように。二度と、獣となる前の彼女の意思にそぐわない行動をさせないために。


「その時の勇者が私です」
 自身の胸に手を当て、彼女は僕に微笑んだ。何故か少し悲しそうに見えたのは、気のせいなのだろうか。
「本来であれば、彼女は下界へ顕現することなどできない筈だったのです。私たち神の手を掻い潜るのは、並大抵のことではありませんから」
―――つまり、その災禍の獣が、また地上に?
「そうなのです。一体どうやって、何処の誰が彼女を顕現させたのか詳細は解っておりませんが、彼女がディーテの管轄している世界『ナトゥビア』に顕現してしまったのです」
―――!!
 あの映像を見る限り災禍の獣に勝つのは、たとえ現代日本で生きてきた彼にとっても容易ではないということだけは、簡単に想像がつく。それほどの理不尽さなのだ。

「そこで、あなたの出番です。私たち神の使徒として、勇者としてナトゥビアに降り立っていただけませんか?」
―――何故、僕なんですか?
 これは、もっともな疑問だと思う。平和に慣れきった現代社会の日本人にいきなり「異世界に行って戦え」と言われても、自衛隊員でもない限り本場の戦闘の感覚など持ち合わせていないのだ。だから僕なんかが向こうの世界に行っても、きっと使い物にならないだろう。
「大丈夫ですよ。あなたには私の血で、神の力の一部を与えますので」
―――力だけが、強さじゃないです。それに伴った心がなければ、それはただの暴力です。
「それを知っているあなただから選ばれたのです。殆どの人はきっと、私たちの力の一部でも与えられただけで己の力に自惚れてしまうでしょう。でもあなたは、あなたのこれまでの人生で力だけが全てではないということを学んでいます。そして、そこに必要なことも」
 サリアは僕を必要としてくれていた。
 僕は何も言葉が出てこなかった。
 自分の生きてきた道のりで、こんな風に必要とされたことがあっただろうか。

 思えば子供の頃から僕のまわりには、孤独が付きまとっていた。誰かに頼られるようなことは当然の如く皆無で、大人になってからも会社ではボッチだった。そんな地味な自分を疎ましく思う人はいても、まさか神に必要とされる日がくるとは考えたこともなかった。
「お願い、できますか?」
 どこまでも優しい声音だった。
 自分のこれまでの人生を否定することなく、受け入れることができる言葉。

 きっと僕は今、泣いていると思う。

―――分かりました。自分にどこまでできるか分かりませんが、やれるとこまでやってみます。
「ありがとうございます」
 申し訳なさそうな笑顔で彼女は頷いた。
 そして湿っぽくなった空気を一蹴するかのように彼女は両手を叩くと、姿勢を正してニッコリと微笑んだ。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はサリア。あなたの住む世界、地球を管轄する神の一柱です」
―――ご存知とは思いますが、僕は朝霞昂祐(あさかこうすけ)です。
「コウスケさん、でよろしいですね?」
―――はい。
 サリアの微笑みに、僕は小さく頷いた。
 それからサリアは一度大きく深呼吸すると、真剣な眼差しで僕を見つめた。
「先程も申し上げましたが、コウスケさんには災禍の獣を止めるため、神の使徒として地上に降りてもらいます。ただ、今のままではコウスケさんの肉体が滅びてしまっているので、地上に降りることができません。そこで」
 サリアはそこで言葉を区切ると、何処からともなく一冊の分厚い本を取り出した。
「こちらをご覧ください」
 僕はその本を受けとると、パラパラと適当にページをめくっていく。そこには犬や猫の挿し絵から鳥や蛇、はたまた地球では見たことのない耳が長く額に宝石の付いたフェレットのような動物などが描かれていた。それぞれの絵の横には成体になるまでの期間と、おおよその寿命が書かれている。
 なんとなく検討はつくが、僕は疑問の目でサリアを見つめると、彼女は苦笑して頬をかいた。
「災禍の獣も同様に地上に顕現しているのですが、人間としてコウスケさんが地上に降り立ち成体となってからでは、間に合わないのです」
 つまりそれは、人間として成体となるのと、災禍の獣が成体になるのでは、スピードが違うということだろうか。そして災禍の獣が成体となってしまえば、先程の映像のような圧倒的暴力で世界が蹂躙され、成体となっていない僕では歯が立たないということだろう。
「その通りです。そして災禍の獣が成体となる前に、成体となったコウスケさんが戦えば、必ず勝てます」
 僕に赤子の手を捻れ、と……。
 何かちょっと。
「気持ちは分かります。ですが、災禍の獣が成体となってしまえば、先程見てもらったような悲劇が繰り返されてしまいます」
 悲痛な面持ちでサリアは僕の目を見つめてくる。
 ハッキリ言って、心が痛む。
 災禍の獣が何故そうなってしまったか知ってしまった。そして赤子の内に倒してしまえとサリアは言うのだ。
 できるかできないかで言えば、できるのだろう。けど、やりたくない。赤子を殺すなんて、正気の沙汰じゃない。
 そんな僕の気持ちを察したのか、サリアは優しく僕の両肩に手を置いて正面から見据えてきた。
「お願いします、コウスケさん。彼女もまた、誰かに止めて貰わないと、彼女が悲しんでしまうのです」
―――!!
 災禍の獣となってしまった彼女を救うためと言えば聞こえはいいが、結局やることは変わらない。
 変わらないけど……。
 それが彼女のためになるのなら、私情は捨てよう。
 彼女も天界を守るため自分の身を顧みず、悪意の力をその身に受けたのだ。
 心は痛むけど……。

―――分かりました。
「ありがとう。コウスケさん」
僕の心が読めるサリアは、泣きそうな顔でゆっくりと頷いた。



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