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第5章
第84話『お兄ちゃんの記憶!?』
しおりを挟むナマリは満足そうに口元を拭いながら、ニコニコと幸せそうに微笑んでいる。
「こんなに美味しいもの沢山食べたの久しぶりです。アオにい、ありがとう」
「いやいや……喜んでくれてよかったよ」
アオイは伝票を手に取った瞬間、思わず目を見開いた。
――うぐっ……
想像以上に膨れ上がった金額に、一瞬呼吸が止まりそうになる。テーブルに伝票を戻す手が、わずかに震えた。
「どうしたんですか?」
ナマリが心配そうに顔を覗き込む。
「だっ、大丈夫! ちょっとびっくりしただけで……」
無理やり笑顔を作りながらも、財布の中身が軽くなっていく未来を想像し、アオイの目尻はほんのり潤んだ。
会計を済ませると、二人は並んで店を出た。夕方の空気は心地よく冷たく、道を歩くたび、ナマリのスニーカーが軽快な音を立てる。
「アオにいとカフェに行けて、本当に楽しかったです」
ナマリはそう言って、嬉しそうに笑った。彼女の声は夜空に溶けるように柔らかかった。
「俺も楽しかったよ。ナマリーの食べっぷりには驚いたけど」
ナマリは一瞬ハッとした表情をすると、頬を指でつつきながら、恥ずかしそうに目を伏せた。
「すいません気をつけます……」
「全然! 沢山食べるのはいいことだよ」
二人は歩幅を合わせながら、ゆっくりと駅に向かって歩く。夕風にナマリの髪をふわりと揺らし、その横顔がどこか普段より大人びて見えた。
しばらく黙って歩いたあと、ナマリがぽつりと呟いた。
「ワタシ、男の人が苦手なんです……」
アオイは足を止めそうになったが、なんとか動きを崩さずに横を向いた。
「そうなの?」
「はい。でも……アオにいはもう大丈夫です」
ナマリは恥ずかしそうに笑う。アオイは不意を突かれて、顔がほんのり熱くなるのを感じた。
「そ、そっか……よかった……」
小っ恥ずかしくて、妙に口数が少なくなる。ナマリはそんなアオイの様子を気にするふうでもなく、続けた。
「昔からお兄ちゃんが欲しかったんです。小さい頃、隣の教会から聞こえてくる歌を真似して歌ってたら、近所のお兄さんがよく褒めてくれて……それがすごく嬉しかったです」
懐かしむように目を細めるナマリ。その声に、アオイも自然と歩調を緩めた。
「歌を褒められると、嬉しいもんね」
「はい。……アオにいも、最初のボイトレのとき、すごく褒めてくれたじゃないですか。あれ、すこぐ嬉しかったんです」
ナマリは立ち止まって、顔を上げた。目がきらきらしている。アオイは照れ臭くて、頬をかきながら微笑んだ。
「そっか……そんなに喜んでくれてたんだ」
ナマリもまた、安心したように微笑んだ。
駅に着くと、二人は並んで改札を通った。
改札を抜けた先で、アオイはふと足を止める。ナマリも、すぐに気づいて立ち止まった。
お互いの行き先は反対方向。
「じゃあまたね、ナマリー」
「はい、また」
ナマリが手を小さく振りながら、ホームまでの階段を登っていった。その小さな背中を見送りながら、アオイは静かに息を吐いた。
***
翌日、アオイは練習スタジオでミカンと"リバース"としての動画撮影をしていた。
「じゃあ、次は私のオリジナル曲『夏の青い思い出』を一緒に歌いましょう!」
「了解!」
ミカンがアコースティックギターを弾き始め、彼女の歌声がスタジオに広がる。アオイもそれに合わせて歌い出した。
ふと横を見ると、ミカンがまぶしいほど輝いて見えた。小柄な体で全力で歌う彼女の姿は、まるで夏の太陽のように眩しかった。
最近、"三浦ミカン"としての知名度は急上昇している。SNSでも話題になり、ファンも確実に増えている。そんな彼女が自分のファンだったことを、誇らしく思う。それと同時に、そんな彼女を見ていると、ほんの少しだけ羨ましさが胸を刺した。
ミカンがふとこちらに気づき、にこりと微笑む。その瞬間、また記憶の断片が流れ込んできた。
◇◇◇
――小さな女の子と手を繋ぎ、一緒に元気に歌う自分。
「お兄ちゃん歌上手だね! 歌手みたい!」
無邪気に笑う小さな女の子。顔は思い出せない――。
「じゃあなっちゃおうかな、歌手に。でも、キミも上手だよ」
「わーい! じゃあ一緒に歌手になろー!」
「よーし、じゃあいつか一緒にライブだー!」
「ライブだー!」
◇◇◇
「表見さん、大丈夫ですか?」
ミカンの声に我に返る。自分がボーッとしていたことに気づき、慌てて姿勢を正した。
「あっ、ごめん! 動画!」
「最後の方、切れちゃいましたね」
ミカンがクスクスと笑う。
「もっ、もう一度撮ろう!」
「はーい。次はボーッとしないでくださいね?」
「気をつけます……」
「冗談ですよ! さっ、気を取り直して!」
ミカンの明るい笑顔に救われるように、アオイは再び録画ボタンを押した。
――最近、ちょくちょく同じ記憶を思い出すなぁ……
そして撮影を無事に終え、二人はスタジオを後にした。出口で軽く手を振ると、自然と駅へ向かう流れになった。
歩いていると、ミカンの方から着信音が聞こえてきた。彼女が電話に出ると、少しかしこまった様子で話し出す。
「はい、ありがとうございます! ええ、はい、失礼します!」
電話を切ったミカンの顔が、瞬時にぱっと明るくなった。
「どうしたの?」
「わたし、三浦ミカンとして『Social New Sound』に出れることになりました!」
「ええ!? おっ、おめでとう!」
驚きと嬉しさが入り混じった声が自然と出る。
「ありがとうございます! これでアオイさんに追いつきましたね~」
「いやいや、ウララはデビュー前からの話題性が大きいから、俺の実力じゃないよ。本当におめでとう」
「そんなことないですよ。でも、ありがとうございます。よーしっ、このまま横浜ドームまでレッツゴー!」
「あはは……気が早い。でも、ミカンちゃんなら――」
その先の言葉を飲み込んだ。未来に対する漠然とした不安が喉を塞ぐ。
「『Social New Sound』絶対観てくださいね!」
「もちろん! 楽しみにしてるよ」
ミカンは嬉しそうに笑い、胸の前で拳をぎゅっと握った。
二人は電車に乗り、そのまま最寄り駅に着くと、改札前で軽く手を振り合い、それぞれの帰る方向へと別れた。
***
その日の夕方、アオイのスマホにシロから連絡が入った。
『今日の夜、ナマリちゃんとコラボするんですけど、アオイさんもどうですか?』
「ゲーマー二人とのコラボか……大丈夫かな」
一抹の不安を覚えつつも、VTuberとしてゲームの腕前は重要。経験を積むチャンスだと自分に言い聞かせ、参加を決めた。
今夜遊ぶゲームは『Bullet Blast』。BBと略される、世界で最も有名なFPSタイトルだ。
急いでソフトをダウンロードし、チュートリアルモードに飛び込む。
「えっと……ジャンプ、しゃがみ、リロードがこうで……うわ、速い!」
敵役のボットにあっさり撃ち抜かれ、コントローラーを握る手が汗ばむ。慣れない操作に悪戦苦闘しながらも、アオイは必死に指を動かし続けた。
「くっ……こんなに難しいのかよ……」
それでも、やるしかない。配信まであと数時間。アオイは集中力を高め、モニターの中の世界に没頭していった。
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