【完結】悪役令嬢のスローライフ

きゅちゃん

文字の大きさ
1 / 23

自由への第一歩

しおりを挟む
朝の光が寝室の窓から差し込み、エレノア・グランツェントの瞼を優しく照らした。彼女はゆっくりと目を開け、天蓋付きベッドの柔らかなシーツの中で伸びをする。

「今日も良い天気ね」

窓の外では、春の陽光が領地の広大な庭園を照らしていた。エレノアは深呼吸をし、かつての自分には考えられなかった穏やかな朝を幸せいっぱいに噛みしめた。

そう、かつての自分ー帝国最高学府であるロイヤル・アカデミーでは、彼女はエレノア・グランツェント子爵家の長女として、「金糸の蛇」と恐れられる存在だった。美しさと知性を兼ね備えながらも、その鋭い舌と計算高さで周囲を翻弄し、王太子の婚約者の座を狙う悪役令嬢として名を馳せていた。

しかし全ては変わった。ある日、前世の記憶が蘇ったのだ。自分が乙女ゲームの悪役令嬢であること、そしてこのままでは破滅エンドが待っていることを。

「婚約破棄からの国外追放か、はたまた死罪…どちらにせよ最低の結末だったわね」

エレノアは苦笑いを浮かべながらベッドから出て、窓辺に立った。

記憶が蘇った直後、彼女は必死に破滅回避の策を練った。王太子への猛アプローチやヒロインへの嫌がらせをやめ、静かに身を引こうとしたのだが、そこで気づいたのだ。

「王太子なんて、実際会ってみれば何の魅力もない人だったのね」

そして何より、アカデミーでの生活自体に疲れていた。常に誰かと競い合い、誰かを蹴落とし、誰かに蹴落とされる恐怖と隣り合わせの生活。それは前世でも同じだった。常にトップを目指し、疲弊していた人生。

「もういいわ。そんな人生」

決断は早かった。エレノアは両親に願い出て、家柄にふさわしい婚約者を見つける前に、先祖代々の領地である「銀風の谷」に移り住むことにしたのだ。辺境の小さな領地だが、豊かな自然に恵まれ、人々は穏やかに暮らしていた。

「レディ・エレノア、朝食の準備ができました」

ノックの音とともに、エレノアの侍女であるマリーの声が聞こえてきた。

「ありがとう、マリー。すぐに行くわ」

エレノアは簡素だが上質なワンピースに着替え、髪を軽くまとめると食堂へと向かった。かつては豪華な朝食と共に、その日の社交界の情報を侍女たちから集めるのが日課だったが、今は違う。

朝食はシンプルだが、領地で採れた新鮮な食材で作られたものばかり。エレノアは小さなパンを手に取り、窓の外を見やった。

「今日の予定は何かしら?」

「午前中は新しく始める養蜂場の視察です。午後からは村の子供たちへの読み聞かせを約束されていましたね」マリーが手帳を確認しながら答えた。

エレノアは満足げに頷いた。養蜂は彼女が領地に来て初めて取り組む新事業だった。前世で読んだ蜂蜜の効能について思い出し、この領地に適した新たな産業になると考えたのだ。

「それと、帝都からお手紙が届いています」

マリーが銀のトレイに載せた封筒を差し出した。エレノアはそれを手に取り、印章を確認すると小さく息を吐いた。

「ロイヤル・アカデミーからね…」

封を切ると、そこには王太子の婚約者が正式に決まったという知らせと、祝賀会への招待状が入っていた。新しい婚約者は、もちろん乙女ゲームのヒロインである。

「おめでとう、と言うべきかしら」エレノアは微笑んだ。もはや嫉妬の感情はなく、むしろ安堵感があった。自分の運命を自分で変えることができたのだから。

「返信はどうされますか?」

「丁重にお断りするわ。『お招きは光栄ながら、非才の身は領地の管理で忙しく、出席はかないません』と」

マリーが小さく笑った。「それが本当ですものね」

朝食を終えたエレノアは、執務室で簡単な書類に目を通した後、養蜂場の視察へと出発した。馬車ではなく、自ら馬を操り、領地の小道を進む。風が彼女の金色の髪を揺らし、頬を撫でていく。

「レディ・エレノア!」

養蜂場に到着すると、領民たちが温かく彼女を迎えた。かつては恐れられる存在だったエレノアだが、この領地に来てからは違った。真摯に領民と接し、彼らの生活向上のために奔走する彼女の姿に、人々は徐々に心を開いていった。

「順調なようね」エレノアは新しい巣箱を確認しながら言った。

「はい、お嬢様の計画通り、花畑も広げましたし、蜂たちも元気です」

養蜂家のおじいさんが誇らしげに説明する。エレノアは満足げに頷き、細部まで確認していった。

視察を終え、村の広場に向かうと、既に子供たちが彼女を待ちわびていた。

「エレノアお姉様!」

子供たちが駆け寄ってくる。アカデミー時代には考えられない光景だった。

エレノアは木陰に腰を下ろし、持ってきた絵本を開いた。それは彼女が前世で読んだ物語を、この世界向けに書き直したものだった。

「むかしむかし、自分の運命を変えようとした少女がいました…」

物語を聞く子供たちの瞳が輝いていた。エレノアは心の中で思う。

「これが私の求めていた人生スローライフ

日が傾き始めた頃、エレノアは領主の館に戻った。夕食後、彼女は書斎で一冊の日記を取り出した。

「悪役令嬢の新しい生き方、か…」

彼女はペンを走らせ始めた。このスローライフが何年続くか分からない。いつか帝都の影が再び彼女を訪れるかもしれない。でも今は、この瞬間を大切にしたい。

窓の外では、銀風の谷に夕日が沈み、優しい風が吹いていた。エレノア・グランツェントの新しい物語は、まだ始まったばかりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

ヒロイン? 玉の輿? 興味ありませんわ! お嬢様はお仕事がしたい様です。

彩世幻夜
ファンタジー
「働きもせずぐうたら三昧なんてつまんないわ!」 お嬢様はご不満の様です。 海に面した豊かな国。その港から船で一泊二日の距離にある少々大きな離島を領地に持つとある伯爵家。 名前こそ辺境伯だが、両親も現当主の祖父母夫妻も王都から戻って来ない。 使用人と領民しか居ない田舎の島ですくすく育った精霊姫に、『玉の輿』と羨まれる様な縁談が持ち込まれるが……。 王道中の王道の俺様王子様と地元民のイケメンと。そして隠された王子と。 乙女ゲームのヒロインとして生まれながら、その役を拒否するお嬢様が選ぶのは果たして誰だ? ※5/4完結しました。 新作 【あやかしたちのとまり木の日常】 連載開始しました

今度こそ幸せになります! 拍手の中身

斎木リコ
ファンタジー
『今度こそ幸せになります!』の拍手お礼にあげていた文の置き場になります。中身はお遊びなので、本編には関係ない場合があります。拍手が見られなかった・拍手はしなかった人向けです。手直し等はないのでご了承ください。タイトル、ひねりもなんにもなかったなあ……。 他サイトからのお引っ越しです。

悪役令嬢に転生したので、剣を執って戦い抜く

秋鷺 照
ファンタジー
 断罪イベント(?)のあった夜、シャルロッテは前世の記憶を取り戻し、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だと知った。  ゲームシナリオは絶賛進行中。自分の死まで残り約1か月。  シャルロッテは1つの結論を出す。それすなわち、「私が強くなれば良い」。  目指すのは、誰も死なないハッピーエンド。そのために、剣を執って戦い抜く。 ※なろうにも投稿しています

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

悪役令嬢だから知っているヒロインが幸せになれる条件【8/26完結】

音無砂月
ファンタジー
※ストーリーを全て書き上げた上で予約公開にしています。その為、タイトルには【完結】と入れさせていただいています。 1日1話更新します。 事故で死んで気が付いたら乙女ゲームの悪役令嬢リスティルに転生していた。 バッドエンドは何としてでも回避したいリスティルだけど、攻略対象者であるレオンはなぜかシスコンになっているし、ヒロインのメロディは自分の強運さを過信して傲慢になっているし。 なんだか、みんなゲームとキャラが違い過ぎ。こんなので本当にバッドエンドを回避できるのかしら。

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

処理中です...