62 / 102
Ⅴ 雨に濡れた日
波紋
しおりを挟む「姉ちゃーん?
俺の新しい歯ブラシ……」
滞在中の宿屋の隣室をノックしてみるも、姉からの返事はない。
「またラトさんの工房ッスか。
もう依頼は終わったって言うのに、ちょっと嫉妬ッス」
お姉ちゃん子のディガロは頬を膨らませたが、廊下からの視線に気付いて慌てて表情を戻した。
「ええと、たしか」
「セツハです」
無表情に少女が答える。
「そ、そうだ。
セツハさん、俺に何か御用ッスか?」
女性慣れしていないディガロは、視線を合わさずに訊ねた。
「領主様からの伝言です。
本日予定していた鷹狩りは、雨天のため中止にするとの事です」
「あぁ、そうッスよね。
この雨じゃあ鷹もタカくは飛べない、なんて」
「それでは、私はこれで失礼します」
セツハが立ち去った後。
「なんて無愛想な女ッス。
あら面白い、の一言も無しッスか!」
己のセンスのなさを棚にあげ、悪態をつくディガロだった。
その頃、食料の買い出しから戻ったネムネムは、昼食を共にしようとラトの工房の扉を開けた。
瞬間、押し出すような熱気に圧倒される。
煉瓦で組まれた高炉から泥々に融けた鉄を鋳型へと注ぎ込み、その変化をじっと見守るラトの表情には鬼気迫るものがあった。
どんな小さな部品も自分の拘りを元に型を作り、一から完璧に仕上げてゆく。
そこに一切の妥協は許さない。
当然その分コストも時間も掛かるが、物作りにおいて品質の向上を目指さないのは死んでいるのと同じ、と言うのが彼の持論だった。
全身から噴き出す珠のような汗を拭う事も忘れ、銃造りに没頭するラト。
何度も鍛練を繰り返し、数時間かけてようやく出来た一丁の銃を見て、彼は落胆した。
俺が造りたいのはこんな欠陥品じゃない。
「ラト……また駄目だったにゃ?」
ネムネムから遠慮がちに声を掛けられ、ラトは窶れた顔で頷いた。
森から戻った翌日から、もう五日間も不眠不休で作業を続けている。
とりつかれたように炉の前に立つラトは満身創痍だったが、一言も弱音を吐かなかった。
ここはラトの戦場なのだ。
どれだけ心配だとしても、門外漢の自分が手を貸す事は出来ない。
ネムネムに出来るのはラトを励まし、せめて美味しい食事を作って支える事だけだった。
しかし、今日中に完成させなければ聖鍛祭には間に合わない。
ラトの体力と精神は限界に達していた。
「……魔鉱石のストックがもう。
それに鉄が、鉄がないんだ」
初めて、悲観的な声が工房に洩れた。
彼の工房には魔鉱石を売った金で購入した、最上級の鉄鉱石が並んでいる。
「鉄ならそこにも、ここにもいっぱいあるにゃ」
「違う!
こんな屑鉄じゃ、魔鉱石のエネルギーには耐えられない!」
人が変わってしまったように声を荒げるラト。
「……怒鳴ってごめんな。
あとは素材だけなんだ。
もっと強くて、しなやかな鉄じゃないと駄目なんだよ」
「そんな鉄、今から探してる時間はないにゃよ。
……でも、これなら」
ネムネムは自分の愛剣を鞘から抜き放つと、ラトの前に差し出した。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる