『悪役令嬢、愛が重くてごめんなさい?』

黒川ねこ

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第5章:王子と令嬢、そして未来の名前

第62話「未来の書類に、ひとつの名前を書く日」

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人生において、ただの紙切れが、
かけがえのない“未来の象徴”になることがある。

それは契約でもなく命令でもなく――
ふたりで刻む、最初の“公的な物語”。

***

王都・第一行政局。

薄く光の差す文官棟の奥、
重ねられた文書の束の中に、
ひときわ薄く、けれど厚みを持つ一枚の書類が置かれていた。

『未来関係届・王家補佐名簿提案用紙』
補佐対象者:王太子アレン=ヴァルフォード
提出署名者:______

この欄が埋められるとき、
それは“形式的な認可”ではなく――
王宮内における、正式な“準婚約”として記録される。

それは、ひとつの証だった。
「王子が、民間から“誰かひとり”を選んだ」という確かな痕跡。

***

セシリア=ロートベルクは、王宮の応接室で静かにペンを握っていた。

周囲には誰もいない。
立ち会いもなく、ただこの場には“彼女ひとり”。

それは、アレンの配慮だった。

「これは“僕が選んだ人”として、ではなく――
君が“自分で書きたいかどうか”を、見極める時間にしてほしい」

そう言って、彼は先に部屋を出ていた。

ペン先が、わずかに震える。
けれど、恐れはなかった。

この紙に書かれる名前は、
自分の存在が、“あの人の未来の一部になる”ということ。

それは名誉ではなく、責任。
憧れではなく、決意。

セシリアはゆっくりとペンを紙に落とす。

一文字、一文字――
彼女は、自分の名前を綴っていく。

**「セシリア=ロートベルク」**ではなく。
**「セシリア=ヴァルフォード」**でもなく。

ただ、そこに刻まれたのは、
ふたりが選んだ“新しい名前”。

「セシリア=リュミエール」

“王子の姓”ではなく、
“ふたりが出会った場所”の名。

「この学院で、わたしたちは“始まった”。
だったら未来の名は、ここに刻まれているべきだと思ったの」

かすかに笑って、彼女はペンを置いた。

そしてそのまま書類を封筒に収め、
そっと胸に抱く。

***

扉の外で待っていたアレンは、
封筒を受け取る手の感触から、すべてを悟った。

「……ありがとう、セシリア」

「こちらこそ、“書かせてくれて”ありがとう。
わたし、“与えられる名前”じゃなく、“一緒に考えた名前”を持てて――嬉しいの」

ふたりの間に風が吹いた。
どこかから届いた紙片が、ふたりの足元をくすぐる。

それはかつての“入学申請書”だった。
破れかけた紙に残された、まだ幼い筆跡。

『志望理由:ただ、生きてみたかったから』

それを書いたのが誰かは、もうわからない。
けれど――

今この場にいるふたりは、
もう“生きているだけ”では足りないほどに、誰かを愛していた。
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