異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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  その日はもう、授業は行われなかった。体育館に全校生徒が集められて、簡単な事情が説明されたあと、部活動も禁止され、下校が促された。学校側の説明に納得した生徒はいないだろう。
 凛可は美好と一緒に下校した。二人で共有している情報で多くの推論を交わす。でも、鞍部山のことは黙っていた。話せば鞍部山の正体がバレてしまう。まだ話していいものかわからない。
 早い時間に帰宅したため、凛可は母に理由を言わねばならなかった。
 凛可の話を聞いて、佳江は青ざめた顔をして震え声を出した。
「どうしてそんなことが起こるの? あなたの周りばっかりで……」
 それは凛可も気になっているところだが、それは口にせず、母親をなだめた。
「ただの偶然だと思うよ? こんなこと、自分では気をつけようもないし。わたし、すごい幸運期なのかも。びっくりするような事件に何度も出くわして、そのうえ無傷だもん」
「凛可……」
「これからも大丈夫よ」
 凛可は心配そうな母親に見送られて、二階の自室に上がっていった。
 制服を着替えて、ベッドに寝転ぶ。
 これまで自分の周りで起こったことをよく思い出し、できるだけ整理しておきたかった。鞍部山からより多くの情報を引き出すために。
 ぐるぐると記憶を探るうち、思案の一針が刺して、別なことが気になった。
 鞍部山はどんな服装が好みだろうか。一度気にすると、だんだん、そっちのほうが重要になってくる。
 凛可は立ち上がり、クローゼットを開いて、持ち服をいろいろ見比べる。スカートにするか、パンツにするか。上着はどうする?
  結局、約束の時間まで、服選びに費やすことになった。
 いつの間にか六時になってしまって、凛可は慌てて電話した。不機嫌そうな声の鞍部山が出た。少し話し合って、ハンバーガーショップで待ち合わせすることになった。凛可の家の近所だった。
 凛可は意気揚々と店へ向かう。
 脚の線がくっきり出るお気に入りのパンツに、白いコートで決めた。ブーツを履くのも久しぶりだった。このキュートな姿を見て、鞍部山はどう思うだろうか? そこは大事なポイントだった。
 早足で歩いて店に着くと、意外なことに鞍部山のほうが先に待っていた。さすがに裸じゃない。鞍部山はジーンズを履き、フードの付いた地味なジャンバーを着て立っていた。
 凛可はわずかに緊張しながら、鞍部山の前に胸を張って立った。
 鞍部山は、ニッと歯を見せて笑う。
「女の子のわりに、時間に正確だな。いいことだ」
 褒めるポイントが違う。凛可はそう思いつつも、白い息を吐きながら聞いた。
「やっぱり歩いてきたの?」
「ああ。免許は持ってるけど、車は持ってない。金がなくてね。自転車もない。そんな乗り物より走ったほうが速いって、知ってるだろ?」
「そうだね。じゃ、入ろっか? 寒いし」
 店内に入ると、鞍部山が奢ってくれるという。凛可はダブルハンバーガーセットを二人分注文した。品物を受け取り、二人用の席に腰を落ち着ける。
 この店は百席近くの広さがあり、店内は老若男女で混み合っていた。落ちついた雰囲気とは言いがたい。しかし、この店に来たのは鞍部山の提案だった。このような、ある程度混雑した場所の方が目立たなくていいらしい。
 凛可の前で、鞍部山がフライドポテトを口に運びながら言う。
「さて、何から話したもんかな?」
 凛可はハンバーガーの包みを開けながら訊いた。
「鞍部山くんさ、前に、次元接続体の人数は少ないって言ったよね。最初に会ったとき」
「ああ、事実だよ。そんなにたくさんいたら、この鳴田はもう崩壊してるだろ?」
「でも、いっぱいいるじゃない! わたしなんか、三日連続で次元接続体に会ってるし!」
 凛可はそう言って、ハンバーガーを頬張った。答えが長くなるものと予想して。
 鞍部山はトーンを落とした口調で話し始めた。
「まったく不思議なもんだよ。ここのところの立て続けは。ありえない。キミから見れば、毎日何回も、次元接続体が事件を起こしてるように感じるかもしれないな。でも言っておく。キミに会うまで、オレ自身がすら次元接続体に会ったことは、たった二回しかないんだ。毎日パトロールを欠かさないってのにさ」
「ふーん、ホントっぽいね」
「この数日のことに関しては、ただの偶然が重なっただけか、それとも次元接続体の数が急激に増えているのか、どっちかしか思いつかない。オレの貧弱な頭脳じゃ、そんなところだ」
 鞍部山はコーヒーを飲んで一息ついた。
 凛可はもう一つの大きな疑問を聞いてみた。
「あの水色と白の大きな車さ、アレに乗った人たちが、次元接続体対策班なんでしょ? 機動隊の人たち?」
 鞍部山は肯定した。
「そうだな、機動隊だ。機動隊の『次元接続体対策班』だよ。少なくとも、オレはそう聞いてる」
 凛可は腕を組んで眉根を寄せた。
「う~ん。機動隊の人ならきっと強いんだろうけどさー、いくらなんでも、超人と戦えるとは思えない。事件が重なってさ、鞍部山くんが居合わせないような時はどうしてるの?」
 鞍部山はハンバーガーをかじって、しばらく咀嚼してから答えた。
「いままでのところ、うまくいってる。たまたまそうなっているだけの可能性はあるさ。だけど、さっきも言ったように、次元接続体が事件を起こすこと自体が、珍しいことなんだよ。たとえばキミだって、ナイフを持って子供に切りつけることができる。それだけの能力はある。でも、そんなことしないだろう?」
 凛可は食べながら、うんうん頷いた。鞍部山が続ける。
「次元接続体だって、頭の中身は……、うーん、だいたい普通の人間と変わらない。騒動を起こしたがる人間は少ないさ。そういうわけで、事件が起こるのは稀だ。そして今までのところ、対策班が出張った先では、必ず他の次元接続体がいて、手助けしている……らしい。オレだけじゃないのさ、こんな真似をしてるのは」
「えっ、そんなの初耳!」
 凛可が乗り出してきたので、鞍部山は身を引きながら言う。 
「いや、師匠がいるって話したと思うけど。師匠だって次元接続体だ。オレの進むべき道を教えてくれた。それに師匠はどうも、公の機関といくらか繋がりがあるらしいんだ。それで、いまでもたまに連絡を取りあってる。会うことはほとんどないけど」
「そのししょーと鞍部山くんだけでなんとかしてるの?」
「いや、もしかしたらもっといるかもしれない。オレだってよくわからないんだよ」
「ふーん。ししょーってどんな人? イケメン?」
「見かけは人の良さそうなおっさんさ。中年の。でも強いぜ。次元接続体相手なら無敵だ。暴れようとしたオレだって、すぐに取り押さえられた」
 凛可が目を丸くした。
「鞍部山くんが暴れたの? なにしたの?」
 鞍部山はバツが悪そうに視線を逸らしながら口を開いた。
「ま、まあ力に溺れてオラついちまっただけだよ。師匠が力の使い方と、するべきことを教えてくれた」
「へー、立派な人だね。ウチのお父さんもそれぐらいキリッとしてればいいのに」
「どんな人か知らないけど、一家を養ってるんだから立派な人さ」
 不意に凛可の記憶から浮上してきたものがあった。それを口にしてみる。
「いま思い出したんだけど、対策班の人たちさ、奇妙な道具持ってたじゃない? 鉄の塊みたいな女の人を普通に戻しちゃったの。あの道具をたくさん作ればいいだけじゃない。ものすごく高かったりするの……?」
 鞍部山がかぶりを振る。
「金の問題じゃないんだ。オレも師匠に同じ質問をしたけどね」
「じゃ、どういうこと?」
「あの二つの抑止装置は、じつのところ、科学的な道具じゃない。それっぽく見えるけどね。ほかの次元接続体が作り出したもので、あの道具自体が次元接続体みたいなものらしい」
 凛可は眉間に皺を寄せた。
「ちょっとよくわかんないんですけど……?」
 鞍部山が続ける。
「超人的な身体能力は持たないけど、科学を無視した魔法の道具を発明する。そんな次元接続体もいるって話だ。その道具の働きは科学によるものじゃないから、構造を分析して同じ複製を作ったとしても、ただのガラクタしかできない。作った本人にしたって、からくりを理解しているわけじゃないから、量産は難しいか、不可能って話だ」
「ふーん、簡単にはいかないんだねー」
「そういうこと」
 鞍部山はハンバーガーの残りを口に突っ込んだ。咀嚼しながら言う。
「オレの知ってることなんてこんなもんだよ。悪いけど。こっちも手探りでやってるんでね」
「あ、わたし、まだ聞きたいことある!」
「なんだ、聞いてくれ」
 凛可はテーブルの上に手を組み、拗ねたように顔をそむけながら言った。
「鞍部山くんてさー、仮にもヒーローじゃない? もっとさー、かっこいいカッコできないのー? 裸で走り回っちゃって……、知り合いになったってバレたら、わたし、どうすればいいのよ……」
「ぐ……っ」
 鞍部山は一瞬言葉に詰まってから続けた。
「そ、そのことか……。ちゃんと理由があるんだよ。好きで裸なんじゃない」
「ふーん、好きでやってるのかと思ってた」
「違うって! お、主に経済的な理由だよ。オレ、ビンボーだからな……」
「どういう意味?」
「そのままだ。オレの身体の動きに耐えられる服なんてないんだよ。すぐ穴が開いたり破れたり。靴もだ。一回全力で走ったらバラバラになっちまう。だからオレは裸足で裸なんだ。服着てパトロールしたら、一晩で一着失う。金がいくらあっても足りないよ。顔は隠したほうがいい。それはわかるだろ? 手袋はけっこうもつ。マントは闇に紛れるために必要だ。それにマントなんか、仮装用のが安く売ってるからな」
 凛可はため息をついた。
「なんかすごく言い訳がましいけど、いいや。納得してあげる。靴なんか、確かにもちそうもないし」
「だろ?」
「ホントは裸で外をうろつきたいだけじゃないの?」
「そんなことはない」
 凛可は席の上で伸びをした。
「いま聞いておきたかったことはこれぐらいかなー?」
「もう関わるな、って言いたいところだけど、キミのことだからどうなるかわからないな。なにかあったらすぐ電話してくれ。急いで駆けつける。もちろん次元接続体絡みのことだけだぞ?」
「うんっ!」
「じゃ、食べ終わったし、オレは帰る」
「あ、鞍部山くん、ちょっと待って!」
「なんだ?」
 立ちあがりかけた鞍部山に、凛可は最後の質問をしようとした。もしかしたら、今日一番聞きたかったことはこれかもしれない。
「鞍部山くん、カノジョいる?」
「は?」
 しばし固まったあと、鞍部山はしぶしぶ答えた。
「いまのオレは正義一筋だ!」
「やっぱり。そんな感じー」
 軽口をたたきつつ、凛可は自分がほっとしていることに気づいていた。
「帰る帰る」
 鞍部山が自分のゴミを持って席を立つ。凛可もそれに続いた。
 ゴミを捨て、一緒に外へ出る。
 鞍部山が片手をあげて言った。
「じゃ。もう会うこともないほうが、キミにはいいんだろうけどな」
 凛可も片手をあげて返事する。
「そうかもね」
 鞍部山は背を向けて歩き始めた。
 両手をポケットに入れて、普通の歩き方で去っていく。その後姿を見ていると、凛可の心にある欲求がむくむくと湧いてきた。
 あれなら後をつけられそう。
 考えてみれば、鞍部山はいま靴を履いている。貧乏なら、その靴をダメにしたくはないだろう。途中で超人的なダッシュを使われる可能性は低い。尾行がバレなければ、家を見つけられる。
 今日はプライベートな鞍部山と軽い食事をした。しかし、それはまだ次元接続体と一般人という、立場の隔たりがあった。
 家まで見つけてしまえば、もう、一般人と一般人のつきあいになるだろう。
 凛可は鞍部山の背中を追って、夜の街へ足を踏み出した。密やかに。
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