異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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4 プライベート追跡

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 4 プライベート追跡
 
 鳴田の夜は大都市に比べれば暗い。外灯も店の明かりもあるが、ライトアップの度が違う。通りには影が満ちていた。
 とはいえ、凛可にも馴染みの街並みだった。安心感はある。この辺りなら土地勘もあった。凛可は十分な距離をとって、鞍部山を尾行できた。
 鞍部山のほうは警戒する様子もなく、ゆったりと歩いていた。後ろを振り返ることもない。
 そのまま大きな通りを二十分も進んだころ、鞍部山が進路を変えた。住宅街へ続く脇道へ入る。あの先は込み入っているはずだし、凛可も細かい道に詳しくない場所だった。
 もっと距離を詰めて後をつけたほうがいい。凛可は足を早めた。
 しかし、決断は遅かった。早くも最初の十字路で、鞍部山の姿を見失ってしまう。
「え、どっち……? まっすぐはないとして……」
 凛可は十字路へ入って左右を見回した。鞍部山の背中は見えない。
 そのとき左のほうから甲高い音が聞こえた。カンカンという鉄の階段を踏む音だった。目を向けると鞍部山の姿があった。二階建てでかなり古い造りのアパートの階段を上っている。凛可はさっと電柱の陰に隠れた。成り行きを見守る。
 鞍部山は階段から三つめのドアで止まった。ポケットから鍵を取りだし、ドアを開ける。鞍部山は部屋に入った。次いで、暗かった窓に明かりが灯る。
 とうとう見つけた! 『次元接続体・イチ』の住処を!
 家賃の安そうなボロけたアパートだった。貧乏だというのは事実らしい。
 ここで満足しておくか、さらに先へ進むか。
 凛可は数秒だけためらったあと、足を前へ踏み出した。
 狭い路地に入っていき、アパートの階段を前にして動きを止める。
 勝手についてきて、鞍部山は怒るだろうか、呆れるだろうか。行ってみなければわからない。
 凛可は深呼吸して、無言の気合を込めた。
 心が決まると足早に階段を上る。三つめのドアの前まで行く。ドアの周りを見ても、このアパートには、インターホンも呼び鈴もついてない。
 ほかに方法がないとなれば、かえって大胆な気持ちになった。拳をあげて、遠慮なくガンガンとドアを叩く。
 なかから鋭い誰何の声があがった。
「誰だ!」
 凛可は臆することなく言い放った。
「鳴田警察署の者だ! 変態の容疑で家宅捜査する!」
 間を置かずにドアが勢いよく開く。
 あきらかに狼狽した様子の鞍部山が出てきた。
「なについてきてんだよ!」
「つい……、出来心で」
 鞍部山は片手で頭を抱えた。
「いや待てよ勘弁してくれよ、おい……」
 凛可は構わず、身体を押し当てて鞍部山をなかへ押し込もうとする。
「お茶を一杯所望す! でなくば騒ぐ!」
 鞍部山はため息をついて、凛可をなかへ通した。ドアを閉めながら言う。
「お茶っ葉も急須もないよ……」
 凛可は聞いていなかった。遠慮なく部屋のなかを検分する。
「うわっ、片づいてるのになんかむさ苦しいっ!」
 玄関は入ってすぐ左に流し台があり、その奥はバスルームらしかった。居室は八畳一間で、玄関から全貌が見渡せる。茶色い畳の上に小さいテーブル、奥の窓際に机があり、デスクトップパソコンが乗っている。左の壁際には本棚、右は押入れになっていた。整理されているものの、衣類が剥き出しなので雑然とした印象を受ける。
 凛可の横を通り抜けて、鞍部山が部屋にあがる。
「適当に見物したら帰ってくれ」
「はーい」
 凛可もブーツを脱いで部屋にあがった。
「さむっ! ヒーターあるじゃない、つけてよ!」
 居室の隅にあったファンヒーターを指さして言う。
 鞍部山の返事はにべもないものだった。 
「灯油もない。そのヒーターは去年の冬から出しっぱなしだ。しまうとこなくて」
「ええっ? 寒くないの?」
「次元接続体になってから、暑さ寒さの感覚が鈍い。オレは平気なんだ。だいいち、寒がりが裸で外を走り回れると思うか?」
「それもそうか……。じゃ、せめて温かいものちょうだい。尾行で身体が冷えちゃって。お茶!」
「お茶はないって言ったろ。でもココアがあったな、確か……」
「それ、いい!」
「まったく……」
 鞍部山が台所で準備を始める。凛可はズカズカと居室へ入って、視線を巡らせた。
 テーブルの上には地図が広がっている。顔を近づけてみると、鳴田の詳細な地図だった。
 押入れの前にはポールタイプの衣装掛けがあった。普通の服に混ざって何枚もの黒いマントが下がっている。それに水球キャップと水中メガネも三セットばかり揃っていた。
 机のパソコンには電源が入っていない。凛可は左側の本棚に注目した。どんな本を読んでいるかで、住人の人柄が判断できるという。
 そんなことを聞いた覚えがある。
 本棚の前に立ち、収まっている本のタイトルを見ていく。
『救急救命ハンドブック』『知っておきたい応急処置』『格闘術入門』『最強護身術』『人体の限界』『ロープの結び方』などなど。
 ざっと見た感じ、戦いと救命に役立ちそうな知識に偏っている。凛可は悟った。
 これは、普通の人間がヒーローになるために必要とする知識なのだと。
 そこへ、横から湯気をたてるカップが差し出された。甘い香りが漂う。
 ココアのカップを受け取りながら、凛可は口を開いた。
「これ、全部読んだの……?」
「ひと通りは目を通した。でも、覚えきってない。繰り返し読みなおすしかないね」
「ヒーローするのも大変だね……」
「大変なんだぞ。あんまり邪魔するな」
 鞍部山はテーブルの横へ座り、地図を片づけた。凛可も向かい側に座ってココアをすする。
 温かさにほっとすると、凛可は下がっている水球キャップを指さして尋ねた。
「なんであのキャップなの? 裸にアレで走り回るなんて、変態度が増すんですけど」
「まあ、変えてもいいんだけどさ。あのキャップも高いし」
「こだわる理由は?」
「こだわるってゆうか、最初に目についたのがアレだったから、そのままやってるだけだ」
「水球とかやってたの?」
「アニキがね」
「お兄さんいるの? やっぱり次元接続体?」
「いや、アニキはもう死んでる。オレが生まれる前にな。だいぶ歳が離れてるんだ。親は人生をやり直す意味も込めて、オレを『一』と名づけたそうだ。だけど、オレはオレにアニキがいたことを忘れたくない。写真しか見たことないんだけどさ」
「それで?」
「それでって……。こっちに引っ越してくるとき、お守り代わりに持ってきてたのさ、アニキの水球キャップを。アニキが生きていて、次元接続体になったとしたら、きっとオレと同じことをする。いまのオレと同じかっこうでな。オレはそう信じている。天国のアニキに見られても恥ずかしくないことをしたい」
「へー、いい話っぽい! 兄の形見を身につけて戦うヒーロー! ちょっと見直した!」
「もっとも、アニキの形見は昨日焼けちゃったけどね」
「あ、そうだっけ……」
 凛可は昨日の事件を思い出した。キャップは燃えてしまったが、凛可の差し出したエプロンで、鞍部山は難を逃れたのだった。
 鞍部山が改まって礼を言う。
「あのときは助かったよ、ありがとう」
「いやー、まさか顔につけるとは思わなかったけど」
 鞍部山はプラスチックのボトルからガムを取り出して口に入れた。噛みながら言う。
「もう飽きてきたろ? ウチなんてこんなもんだよ。私生活はなんの変哲もない貧乏人さ」
 鞍部山はさらに一粒、ガムを舌の上に載せた。その仕草を見て、凛可が閃くように思い出した。
「そういえば、アレ! あの麻薬みたいなの、どうなったの! 出会った日に出てきたやつ!」
 鞍部山はハッとした顔をあげる。それから申しわけなさそうに言った。
「悪いけどさっぱりだ……。オレ、麻薬のことなんてよく知らないし、おおっぴらに聞いて回るわけにもいかないし。正直、ほとんど忘れていた。アレは机の引き出しに入ってる。やっぱりゴミだったんじゃないか……?」
「ホントにゴミなら、それもいいかもしれないけど。わたしも力になれそうにないしなー」
「超人的な身体能力はあっても、捜査能力なんて素人だからな。話すことなんてこれぐらいしかないよ」
「うぅ~ん……」
 凛可はほかに話のタネはないかと、部屋のなかを見回した。本棚の一番下の段がおかしいことに気づく。ピンクや青のけばけばしい装飾がされた大型の箱がぎっしり詰まっていた。少し引っ込んでいるので、座った高さからじゃないと見えなかったのだった。
 タイトルらしきものを読む。
『感染学院』『陵辱電車ヘブンリー』『白濁クライマックス』『触手宴狂乱』
「ちょ、なにこれっ!?」
「あっ!」
 鞍部山が小さく叫ぶが無視する。
 凛可は本棚に飛びついて、なかにあるものを引き出した。
 服が破れた女の子の絵が、でかでかと描かれている。
「ちょ、なにこれ、なにこれ?」
 凛可は次々と箱を引き出して見比べる。
 パッケージは、どれもこれも似ていた。
 涙目で裸の女の子、白い液体、暗い背景。
 凛可は怒りと恥ずかしさの混ざった感情で、顔が真っ赤になった。まさか、ヒーローの部屋にこんなものがあるとは。それも大量に。
 怒り半分、混乱半分。
 両手に箱を持って、鞍部山に問いただす。
「なんなんですか! これはっ!」
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