異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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 イチがぺたぺたと歩いてきて、凛可に聞いた。
「これはどういうことだ……?」
 凛可にだって答えようはない。
「わたしに聞かないでよ……」
 そのとき、金属の軋む音が轟いた。
 凛可とイチが目を向ける。
 カーゴの側面ハッチが、力ずくで無理やり開かれた音だった。
 目に見えない力が仕事をしている。
 開かれた内部に向かって、大男の大地が放り込まれた。続けて、炎の男、瀧本も入れられる。
 カーゴのスピーカーから泣き声が聞こえた。
『逃してくれよー、オレなんか手下でしかないんだからさー』
 誰も姿の見えない場所から、陽気そうな声がした。
「逃げたきゃ逃げろよ! ここまでやってやってるんだからよぉ! ホレ、早く早く!」
 助っ人は老人一人だけじゃないようだった。少なくとも二人いる。
 スピーカーから鼻をすする音がすると同時に、ボコボコになったカーゴが走りだす。カーゴはぐんぐん速度をあげて逃げていった。
 見えない声がさらに言った。
「安全運転でナ!」
 イチが身を翻そうとした。
「アジトを突き止めないと!」
 老人が素早い動きでイチの肩を押さえる。絶妙の力加減で、イチは動けなかった。
「なんで!?」
 イチが抗議の声をあげたとき、大きな鳥の羽ばたきが聞こえた。
 イチと凛可は、思わず見あげる。
 夜空には黒い羽毛の半人半鳥が舞っていた。顔だけ白いのが目立つ。鳥人は高く上昇し、カーゴの跡を追っていく。
 凛可とイチは顔を見合わせることしかできなかった。
 スニーカーの足音が近づいてきた。その姿は見えない。いきなりイチの肩がバンと叩かれる。陽気な調子の声が言った。
「八十点てところだナ、大将!」
 明らかな事実として、イチの隣に透明人間が立っている。凛可がいくら目を凝らしたところで、揺らぎさえ見えない。
 イチも口元を引き締めて、声のしたあたりに視線を彷徨わせるだけだった。
 この場にいるもう一人の人物、謎の老人がメガネを押しあげて口を開いた。
「安原(やすはら)、そっちの様子はどうだった?」
 姿の見えない声が答える。
「公園の地下に施設があったよ。秘密の次元接続体研究所ってところか。いた人間はヒドイ有様だけどよ、みんな生きてるゼ。いい人間とも言いがたいが、助けてやるサ」
 声で当たりをつけて、イチが空中をまさぐる。
「アンタ、服ごと透明なのか……」
 その手が振り払われる。
「くすぐったいだろが!」
 老人が口を開いた。
「こんな場所は簡単には作れない。ここも手入れをされて使い続けられるだろう。これからのチェックポイントになるな」
 透明人間、安原の声が響く。
「大将は八十点だけどよ、オレたちゃ落第だゼ。サキさんの『事件予報』がズレてる。この兄(あん)ちゃんの喧嘩の焦点があってたようだしな」
 イチが話に割り込む。
「他にも仲間がいるのか。ア、アンタたちが街の平和を守るグループ……、なんですか?」
 まったく重要なことでもないように、老人が無表情で答える。
「そんなようなもんだ。これで事件のあらましはわかったろう。あの炎の男が施設に入れられ、それを助けに仲間がやってきた。そこへおまえさんが出くわした。ワシたちも事件を察知した。もうおまえにできることはない。あとは任せて姿を消せ。おまえが表舞台に出てくるには、まだ早い」
 イチは慎重そうな声を出した。
「それはどういう……、ことですか……?」
「なにも知らなくていい。ただ、がむしゃらに行け。若者らしく。正しい道をな」
 疑問を口にする間もなく、イチはまた透明な手に背中を叩かれた。
「怪我人の応急処置と通報はオレがやっておくからヨ、行け!」
 凛可はこの現実離れした光景から、現実をつかみとる時間がきたと悟った。
 イチの手をとって言う。
「ここはこのおじさんたちに任せて行こう! わたしたちがいると足手まといになるよ。それに傷の具合もしらべなきゃ!」
 姿のない声が笑った。
「そー、そー、おじさんたちに任せとけヨ」
 イチが軽くお辞儀をしてもごもごと言う。
「それじゃ、おねがいします……」
「ああ」
「おう」
 透明人間の安原と、謎の老人が請け負った。
 スニーカーの足音が離れていき、老人が優雅でありながら素早い動きで身を翻す。
「じゃ、こっち!」
 凛可はイチの手を引き、小走りに階段へ向かう。図書館入り口の隣にある、その階段の上は広い駐車場だった。いまは人がいないはずだし、ベンチもある。イチはぺたぺた足音を立てて従った。
 戦いの現場では小さい人だかりができていたが、二人の後を追う者はいない。凛可とイチは階段を上っていき、駐車場へ出ると、外灯の下にあるベンチを見つけた。
「さあ、座って」
 凛可はイチを座らせ、自分は前に回って傷の具合を確かめる。
 顔の打撲傷のほか、身体の右側に傷が集中していた。右胸と右の二の腕に銃創。右の首筋にも血の流れた跡。
 イチが平気な顔をしていたので大したことないと思っていた。だが改めて傷を確かめてみると、凛可は血の気が引く思いがした。青い顔をしながら、震え声を出す。
「こんなひどい傷で、どうして平気なのっ!? 救急車呼ばないと!」
 毅然とした平板な声で、イチは答えた。
「救急車はいいよ。呼ばないでくれ。傷は身体の表面で止まってるし、もう治り始めてる」
「えっ……?」
 イチは手袋を外し、右胸の銃創をつまんだ。指で弾丸をほじくり出しながら言う。
「だいいち、医者のメスも縫い針も、この身体には通らない」
 考えてみれば確かにそうだった。刃物をほとんど受けつけず、機関銃の弾丸を受け止める身体だ。凛可は息を飲んで尋ねた。
「そんな! もっと大怪我したり、病気になったらどうするの!?」
「わからない。わからないよ。そいつは宿命だな……」
 二発の弾丸が摘出された。アスファルトの上に落とされて固い音をたてる。
 考えなおしたようにイチは身をかがめ、弾丸を拾いあげた。
「この弾も持っていったほうがいいか。この前の麻薬らしきものも含めて、部屋に危なげなコレクションが溜まっていくよ」
 凛可はイチの隣に腰をおろした。
「本当にもうだいじょうぶなの?」
「ああ、快調だね」
 イチは首を反らせて深く息をついた。それから染み入るような声で口を開く。
「もう次元接続体には関わるな。向こうから来たら、全力で逃げるんだ。キミにできるのはそれくらいなんだからな」
 遠くから緊急車両のサイレンが聞こえてくる。真冬の寒さに空気が透き通っていた。
 凛可は聞き返す。
「えっ?」
「この街はものすごい早さで危険な場所になっているのかもしれない。こんなことを続けてたら死ぬぞ。キミだけじゃなく、オレもな……」
「そう、かもね……。でも……」
「別にキミのせいじゃないだろうけどさ、おかしな巡り合わせってのもあるんだろ。そんな縁、断ち切っておくべきだ」
 イチの表情は真剣なものだった。おどけるような調子はない。
 凛可は突然別れ話を切りだされたような気分だった。感情的になりそうなところを抑えて、理屈で口を開く。
「じゃ、イチもやめて。こんな危険なこと。さっきのおじさんたちがいるじゃない。あの人たち、人数いるし、年をとっててプロっぽかったもん。任せたほうがいいよ」
 凛可は鞍部山一を、自分と同じ、特別じゃない場所まで引き下ろそうと試みていた。そうすれば、まだつきあっていける。
 だがイチは首を振った。
「そうはいかないよ……」
「そんなのズルい!」
「なにがズルいかしらないが、しかたないだろ。正義の味方を続けてないと、オレがオレでいられる理由がなくなる。だけど、キミは違うからな。普通の女の子だ」
 イチは立ちあがって続けた。
「オレたちはこれ以上関わるべきじゃない。わかったら帰ってくれ」
 凛可はイチを見あげ、すがるように言った。
「そ、それじゃ、またね……」
「また、なんてない。今度こそ」
 イチは疾風のように走り去った。凛可はぽつねんと、その姿を見送るばかりだった。
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