異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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 凛可は美好に手を引かれるままに任せた。美好はトイレを一つ通り過ぎる。凛可は疑問を口にした。
「美好、どこいくの?」
「向こうよ」
 美好は職員トイレに向かっていた。
「美好、向こう職員トイレ!」
「いいからいいから」
 凛可はわけがわからずも、とりあえず従う。二人は職員トイレに入った。
 美好が手を離し、周囲を窺った。誰もいないことを確認して口を開く。
「職員トイレなら人いないと思ってさ」
 美好が向かいに立ち、凛可の目を見つめてくる。
「アタシたち親友じゃない……?」
「う、うん、そう思う……」
 美好が胸ポケットへ手を入れた。
「最初から言ってくれればいいのに……」
 ごそごそと取りだしたものは、四角く小さい紙片。もう何度か目にしたものと同じだった。美好が妖しく微笑んで言った。
「『リンクフリー』に興味があるなら、さ」
 衝撃。
 凛可は落雷に打たれたようなショックで、気を失いかけた。視野が狭まっていく。美好の笑顔を中心に。
 まさか。
 美好が例の麻薬を所持しているとは想像すらしなかった。持っているということは、おそらく使ってもいる。凛可は言葉を失っていた。なにも言えず、棒立ちになる。
 美好は明るく笑いかけてくる。
「なにその、『友達に先越されちゃった』みたいな顔~?」
「み、よ、し……」
 凛可はなんとか言葉を取り戻した。
 美好は凛可の態度を誤解して続ける。
「アタシは凛可の秘密を聞かないけど、アタシの秘密は喜んで教えるよ。『リンクフリー』ってすごいんだー。どんな薬物検査にも引っかからないんだって。そのうえ、身体へのダメージもなし」
 それがもし本当だったとしても……。
 身体にダメージがなかったとしても、服用して興奮したときの行動は、大きく危険を伴う。人生を破壊するほどの危険を。凛可はそれを知っている。
 美好は無邪気に、楽しそうに続けた。
「それに依存性も中毒性もないんだって。興味で手を出しても、簡単にやめられるのよ、これ。まさに新世代のドラッグよね」
 美好は締めくくりに言った。
「そうはいっても、気持ちいいからクセになっちゃうんだけどね」
 凛可は衝動と戦っていた。
 美好の手から麻薬を払い落とし、頬をひっぱたいてやりたい。
 でも、そうしたところで、美好は凛可と距離をとるだけに終わるかもしれない。リンクフリーという麻薬の秘密と、親友の両方を失ってしまう。
 それに恥ずかしい。親友が麻薬に手を出しているのに、今まで気づかなかったのが、とてつもなく恥ずかしい。自分が許せなかった。その罪滅ぼしをするためにも、美好を救う。いまは動揺しているときじゃない。
 ことが終わったときにすべてを、言いたいことのすべてを聞いてあげたい。
 根源を断つために、凛可は心を殺した。
 ぎこちない笑みを浮かべながら、口を開く。
「それ、どこで手に入るの……?」
 美好は顔を輝かせた。
「今夜会お? 一緒に。売り子の人に連絡入れておくからさ」
「う、うん……」
「これは最後のいっこだからあげられないけど、慌てなくてもさ、アタシがついてれば必ず手に入るから。お金は五千円もあれば大丈夫」
「うん」
 話が終わったらしく、美好は出入口に向かいながらはしゃぐ。
「これで今日の憂欝な授業もなんなく過ごせるわー。夜にはお楽しみ!」
 出入口で振り返り、天使の笑顔を見せる。
「アタシたち、どんどん親友度が深まってくね、凛可」
「う、うん……」
 凛可は複雑な表情ではにかみながら、出ていく美好を見送る。もうすぐ授業が始まるが、とてもついていくことはできない。
 心の堰が決壊しそうだった。授業中に泣いたりしたら、美好はなにかを悟るだろう。売人のもとへ連れていってもらえなくなるかもしれない。
 それを避けるためにも、凛可は頭のなかで、人気のない場所を探した。そこへ向かうことにする。ふらふらとした足取りで、凛可は外に出た。
 人目につかないよう歩き、体育用具倉庫の裏へ行く。すでに涙が溢れていた。やはりここを選んで正解だった。人の気配はない。
「うっ……、ううっ、うっ……」
 壁に片手をつき、片手で口を押さえて忍び泣く。
 秘密を追おうと行動した結果、悲しい事実が明かされてしまった。親友の黒田美好が麻薬に溺れていると。どのみち、いつかは突き当たる問題だったかもしれない。ただ、急すぎる。
 凛可はこの悲しむべき事態にも、光明を見出そうと考えた。
 もしかしたら……。
 すべてが終わるか、すべてを解決できるかの瀬戸際にいるのかもしれない。
 泣けるだけ泣いたあと、心を強くしなければ。話を聞けば、イチも手を貸してくれるだろう。彼はやっぱり頼もしい。会う理由ができたかと思うと、少しだけ気分が持ちなおした。
 チャイムが響く。授業が始まった。
 涙は止まったものの、まぶたが腫れているうちは授業に出られない。
「初めて授業サボっちゃったなぁ……」
 つぶやきつつ、宙を眺めてこれからのことを考える。
 まず、イチと連絡をとらなければならない。それが肝心要。
 凛可はコートの内側へ手を入れ、電話を取り出そうとした。
 そのとき、背後から大きな羽ばたきが聞こえた。音の大きさに驚いて、凛可は振り返る。
 そこには想像もしなかったものが立っていた。
 二本足で直立した黒い半人半鳥。鉤爪の生えた足に、腕は大きな翼。胸が膨らんでいる。女性的なシルエットだった。身体のほとんどは黒い羽毛で覆われていた。羽毛のない顔は、穏やかな笑みを浮かべている。五十歳くらい。壮年の女性の顔だった。
 その柔和な表情のおかげで、凛可は悲鳴をあげずに済んだ。
 その姿を目にするのは二回目だったが、こんな間近で向きあう日が来るとは思わなかった。昨日の晩、公園前での戦いのあと、カーゴを追っていった鳥人だった。
 気遣うような声で、鳥人は凛可へ話しかけてきた。
「泣いてたの? 目が真っ赤」
 親しげな口調だった。まるで鳥人は凛可のことを知っているかのような話し方だ。
 凛可は瞬時戸惑い、なんとか言葉を返す。「い、いいえ、なんでもないです」
「なんでもないことはないでしょ? おばさんでよかったら話を聞かせて」
「でも……、あなたは何者なんですか? どうしてこんなところにいるんですか?」
「わたしのことはまだあまり話せないんだけど、ずっとあなたの近くにいたのよ、今日は。近くっていっても上のほうに」
「偶然ですか、それとも……」
「あなたを見守っていたのよ、正直に言えば。わたしたちのリーダーはそれが重要だと考えているわ」
 意外な言葉に凛可はショックを受けた。
「ど、どうしてわたしを……!」
「単刀直入に言えば、あなたのまわりで事件が起こるから。わたしはそういうことだととらえてる。それにあなたはずいぶんこちら側に来てしまったわ、無防備で。誰かが見守る必要があるかもしれない」
 凛可自身も、次元接続体が次々と現れるいまの状況を不可解に考えていた。すべてが偶然の連なりとするには、凛可がいつも中心部にいる。思いきって聞いてみた。
「わたしに……、なにか原因があるんですか、これまで起こったいろいろのことの……?」
「それを見極めたいわ。なにが起こっているのか」
 この鳥人は誠実そうだった。凛可はもっと質問するべきだと思った。
「あなたは、次元接続体なんですよね? 正義の味方グループの」
 鳥人は軽く笑った。
「正義の味方グループね……、ま、そういう感じかな。特にチーム名もないわ」
「次元接続体のチームで、わたしのことが話題になってるんですか? わたしのこと知ってたみたいですけど」
「そうね、確かにそう。凛可ちゃんと、あの彼氏はこのごろ特に話題」
「わたしの名前も知ってたんですか!? イチのことも!」
「もちろん。おばさんの名前も知りたい?」
「はい!」
「住谷郁子(すみや・いくこ)よ。郁子さんて呼んで。本業はイラストレーター。猫たちと一緒に暮らしてる。本業が時間の融通利くし、空を飛べるから、あなたの身辺警護に選ばれたんだけど、安原さんだっていいと思うのよね、透明なんだし」
 自分のことはあまり話せない。そう言っていたはずなのに、べらべら喋る。
 凛可は少し軽い気分になって聞いてみた。
「その、両手でイラスト描けるんですか? 翼にしかみえないですけど」
「わたし変身できるのよ、この姿と普通の人間のあいだを自由自在に。だけど、羽毛の下は裸だから、今日はこのままで失礼するわ」
 おどけるような調子で続ける。
「現場に出るときどうすると思う? ご近所の目にビクビクしながら裸になってベランダへ出て、窓を閉めてから変身するのよ。大変なんだから!」
 その姿を想像して、凛可はくすりと笑った。
「ふふ、やっぱり大変なんですね、正義の味方って。イチも大変そうです……」
「彼には別の職業を用意してあげたいわ。若くて貧乏暮らしで」
「イチとも知り合いなんですか?」
「こっちは詳しいけど、向こうはわたしたちのことをあまり知らないわね。そういうふうにしているの。いまは」
 イチを知っているなら話しておくべきことがある。凛可はそう考えて切りだした。
「あの、じつは、イチの正体が学校中にバレちゃって。文房具の配送員っていうのも、わたしと知り合いだっていうことも……」
「それが泣いていた原因?」
「い、いいえ……」
 少しためらったが、凛可は事実を話してしまうことにした。
「友達が……、麻薬を使っているんです。さっき知ってしまいました。それが悲しくて……」
 郁子は眉根を寄せて小首をかしげた。
「もしかすると、いま流行りのやつ? リンクフリー?」
「そ、そうです!」
「凛可ちゃん……、あなた本当に、どんどんこっち側へ入ってくるのね……。わたしたちは常にいくつかの事件を追っているの。リンクフリーの件もそのひとつよ。あれには次元接続体が絡んでる。普通のやり方じゃ作れないものらしいわ」
 凛可にも、次元接続体が関わっている予感があった。驚きは少ない。
 凛可が初めて遭遇した次元接続体、痴漢のゴム男も使っていたし、昨日、炎を発する男、瀧本も使っていた。
 リンクフリーと次元接続体に関わりがあっても不思議じゃなかった。
 それよりも、凛可は昨日のことを思い出した。この鳥人は現場から逃げだした大型車両を追っていったはずだった。なにか判明したことはないのだろうか。凛可はそれを聞いてみた。
「郁子さん、昨日、悪者の逃げる車追っていったじゃないですか。あのあとどうなったんですか?」
 郁子は翼を持ちあげて、肩をすくめてみせた。
「なんにも、よ。あのトラック、途中で透明になっちゃって。音もしないから完全に見失っちゃった。ああいうグループがいることに気づいていたけど、実際に接触を持ったのは初めてだったの」
 凛可はすべてを話すことに決めた。
「じつは……、リンクフリーに興味があるフリをして、売り子の人と会う約束をとりつけてもらったんです。今日の夜」
 郁子は意表を突かれた様子で驚いた。
「ええっ! 凛可ちゃんすごい!」
 早口で続ける。
「でも凛可ちゃん、危ないこともあるかもしれない。だいじょうぶ……?」
「わかってます」
「そう。落ちついてるわね。応援はするけど止めないわ。問題を解決するには、いつか誰かが危ない橋を渡らなくちゃならないんだもの。もちろん、わたしたちも力になる」
「イチにも話すつもりです。そうすればきっと力になってくれるし」
「そう思うわ。これは……」
 そのとき、凛可の電話が鳴った。取りだしてみると鞍部山からの着信だった。慌てて通話を開始する。
「鞍部山くん!? いま、ちょうど電話しようと思ってた!」
 いくぶん沈んだ声が聞こえた。
「そうだろうな。学校でなにが起こってる?」
「えっ?」
「仕事をクビになった。学校からのクレームで」
「ええーっ!?」
「裸でうろつきまわる男を学校へ出入りさせるわけにはいかない、ときた。超人だとは思われていないらしい」
 凛可は少し考えてから口を開いた。
「クビになったんなら家にいるんでしょ。いまからそっちへ行って説明するから」
「おいっ、学校があるだろ!?」
「とにかく行くっ!」
 言い放って、凛可は一方的に通話を切った。
 郁子に向かって説明する。
「鞍部山くん……、イチ、仕事をクビになったそうです。いままでの活動がバレたせいで」
 郁子はため息混じりに言った。
「あのカッコウじゃあねえ……」
 凛可の心は決まっていた。
 まずは今夜の件をうまく捌かなければならなかった。美好を救えるかもしれないし、麻薬組織にダメージを与えて有名になれば、イチにも新しい仕事がみつかるかもしれない。
 やるべきことがはっきりすると、気力が湧いてくる。
「わたし、すぐにイチのところへ行きますっ!」
 郁子は片腕の羽根で口元を押さえて微笑んだ。
「フフフ、若いって羨ましい。じゃあ彼のところについたら、おばさんは姿を消すとしましょうか」
「え、一緒に来てくれないんですか」
「わたしと接触したことは、彼には秘密にしておいて。味方がいると思って油断しちゃうといけないから」
「は、はい……」
「それにメンバーと連絡をとって、今晩の作戦を練らないとならないし」
「わかりました……」
 郁子は羽ばたきはじめ、空中へ浮かんだ。
「頑張ってね、凛可ちゃん。一人じゃないわ」
 そう言い残して空へ舞いあがる。すぐに姿が見えなくなってしまった。もう、郁子がどこにいるのかわからない。青い空をしばらく眺めたあと、凛可は気分を改めた。
「よしっ!」
 自分に気合を入れる。
 昇降口へ戻って、自分のバッグを拾う。
 教室へ向かうことはせずに、外へ出た。
 休み時間でうろついている生徒も多かった。いまなら目立たない。
 凛可は走りだし、そのまま校門を駆け抜けた。
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