異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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7 本命

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 7 本命
 
「とりあえず、食べ物買ってきたから」
 凛可は食料品のつまったレジ袋をどんと置いた。このあとすぐ調理するつもりのもの以外は、パスタや缶詰など保存の利くものが入っている。
 鞍部山はテーブルの向かいで電話をいじる手を止め、おずおずと礼を言った。
「あ、ありがとう……」
 今日の鞍部山はくたびれたチェックのシャツに、古びたデニム。
 その姿は、この寒い部屋にマッチして、いっそうみすぼらしかった。
 幸いなこともある。
 鞍部山の怪我は、ほとんど治っていた。薄いあざが顔に残っているくらい。それも注意して見なければわからなかった。
 鞍部山の姿に安心して、凛可も腰をおろしす。
「こっちはいろいろあったんだけど、そっちの調子は?」
「きゅ、求人サイトとにらめっこだった……」
「はぁー……」
 凛可は大きなため息をついた。
 鞍部山も同様にため息をついてくる。
「まさか正義の味方を気取っていて、女子高生に食べ物を恵んでもらうはめになるとは……。しばらく食うぐらいの蓄えはあるけどさ、恵んでもらうのも遠慮できない。家賃とかあるし……。我ながら不甲斐ないッ!」
「あとはあの汚らわしいゲームを売り払えば、ちょっとはもつでしょ」
「そ、そうかもな……」
「お茶っ!」
「はいっ!」
 鞍部山は弾かれたように立ちあがって台所へ向かった。
 すぐに熱いココアをいれて戻ってくる。
 凛可はココアに口をつけて切りだした。
「さあて、どこから話したもんでしょうか……」
「最初から最後まで、できるだけ詳しく頼むよ。どうせ時間はたっぷりある」
「それがそうでもないのよね」
「えっ?」
「夕方には重大事があって、あなたはわたしとでかけるの。ホント、大ごとが始まるんだから」
「ふーん、話を聞かなきゃ始まらないな……」
 しかたないことだったが、鞍部山はまだまるでわかっていない。今日の朝が、どれほど濃密な時間だったのか。順を追って正しく説明したかった。
 凛可は頭のなかを整理しながら、言葉を紡いでいった。
「まず、朝、学校についたらね……」
 最初に、サンマルコでの事件が、秋田によって写真に撮られていたこと。
 続いて、学校での事件も撮られていたこと。
 それによってイチの正体が暴かれ、凛可と鞍部山の関係性も明らかにされてしまったこと。
 そこまで話すと、鞍部山は腕を組んで頭をひねった。
「うーん、そんなことになっていたのか……。油断しすぎたかな。でも、いままではうまくいっていたのに……」
「こんなの序の口」
 凛可はさらに熱を込めて話を続けた。
 秋田がイチの情報提供を求めてきたこと。
 凛可は麻薬の情報を探ってくれれば、イチの情報と交換してもいいと交渉したこと。
 その交渉が美好によって中断されたこと。
 そして、麻薬そのものを美好が所持していたこと。
 鞍部山が難しい顔をして、話を遮った。
「その、美好ちゃんが持っていたっていうの、間違いなく同じものか? オレたちの前に出てくる麻薬とさ」
「百パーセントじゃないけど。わたしたちの知らないところではかなり有名なものみたい。薬の名前は『リンクフリー』」
「リンクフリー、ね。俺はまったく聞いたことがない」
「基本的に健全だもんね、鞍部山くん。趣味のゲーム以外は」
「なんか、そこにこだわるよな」
「こだわるでしょ、正義のヒーローがえっちなゲームとかみっともない!」
「みっともなさでいえば、無職でもあるしな……」
「もう、ホントどうにかして。できるところからひとつずつ」
「う、うぅーん……?」
 凛可は話を仕切りなおした。
「いま重要なのは、美好とのことでしょ?」
「そうだったな……」
 凛可の声は少し沈んだ。
「話しぶりからして、美好はリンクフリーの常用者みたい。わたしも遊び半分で興味を持ってると思ってる。流行りものにのる感じで……」
「それで?」
「美好がリンクフリーの売り子に会わせてくれるって。買うために」
「いつ?」
「今日の、夕方か夜」
「本当か!?」
「美好が見せてくれたの、最後のひとつだって言ってた。今日、売り子と接触するのは間違いないと思う」
「そうだな、ウソがなければ、そうなるだろう」
 凛可は忠告通り、郁子と話したことは黙っておいた。あごをあげて、鞍部山を見据える。
「これでもわたしに関わるなって言える?」
 鞍部山は頭をかいた。
「うぅーん、ホントにキミはなんなんだ? ことが一気に進んでるじゃないか……」
「わたし、美好を助けたい。力を貸してくれるでしょ!」
「ああ、もちろんだ! もちろんだけど……、キミも危険があるかもしれないぞ?」
「覚悟の上!」
 鞍部山は後ろ手をついて、天井をみあげた。
「あー、けっきょく、こういうこともしなきゃならないか……。普通の人を囮にして、悪人と接触するとか」
「やるときはやらないと! なにもたくさんの銃を向けられるわけじゃないんだし!」
「場合によっては、銃よりやっかいな相手が出てくるぜ」
「とにかく作戦を考えよ!」
 時計を見ると、すでに午後一時だった。
 凛可はつけ足した。
「お昼ごはん食べてから!」
 買ってきたラーメンと野菜を凛可が調理して、二人は一緒に食事をとった。
 鞍部山が洗い物を済ませると、作戦会議になった。
 鞍部山が地図を広げて、口を開く。
「まず、どこで売り子と会うんだ?」
「それはまだ……」
 用意した地図は、いきなり無駄になってしまった。
「そうか、まあいいや。オレならどこでも隠れ場所を見つけて見張ることができるだろう。でかい空き地のまんなかでもない限り。問題はそんなことじゃない……」
 鞍部山は姿勢を崩して続けた。
「問題は、末端の売り子から、どこまで組織の中枢に近づけるか、だ。こっちにとっちゃ、組織の規模もわからないのは痛いな。場合によっちゃ、時間もかかるかもしれない」
「わたし、どうすればいい?」
「今回はとりあえず、買うしかないだろう。売り子と穏便に別れたあと、オレが行く先をつきとめる」
「美好はどうするの? 組織を壊滅する前に、リンクフリーを使ってバカなことしちゃったら……」
「うぅーん、リンクフリーって、法律上どうなってるんだろうな?」
「薬物検査に引っかからないのが本当なら、法的にはどうしようもないんじゃないの?」
「ああ、そういうことか!」
 鞍部山はしばらく考え込んだあと、きっぱりと言い放った。
「しかたない。オレが強盗する。美好ちゃんから薬を力ずくで奪おう。使わせないに越したことはない」
 考えても、この程度のアイデアしかない。
 凛可は泣きたいような気分になった。
「なにか、もっとスマートな方法はないの?」
「オレには探偵みたいな捜査能力はないからなぁ。こんな場合、フツーの素人だ……」
「じゃあ、わたしがなんとか説得するしかないのかなぁ」
「売り子を追って、組織の上層部と接触が持てないようなら、素直に警察を頼るのも手だな」
「どうするの?」
「売り子を警察に突きだす。『リンクフリーの売人』て首からぶらさげてな。表には出てないけど、警察だってリンクフリーを問題視しているはずだ」
 凛可は古びた天井を見あげた。
「それくらいしかできなのかな、わたしたち」
「できることとできないことがある。次元接続体と戦うことができるといっても、居場所がわからなきゃどうしようもない。そんなようなもんだ」
「じゃあこのプランでいきますか。鞍部山くんが売り子のあとをつける。そのあとのことは状況を見て判断。何もしないよりはマシ」
「これは最初の一歩さ。生きている限り、あとがある」
 そうはいっても、凛可としては美好のこともあるし、早い決着を望んでいた。
 ここはやはり郁子たち、大人のチームに期待をかけるしかなさそうだった。自分たちは、とっかかりになるのが精一杯のような気がする。
「いつ連絡あるかわからないけど、五時になったらこっちから美好に電話かけてみる」
「そうしてくれ。そうだ! オレも師匠に連絡してみる!」
 鞍部山がさっそく電話を取りだして操作する。凛可は期待を込めて見守った。
 しかし、鞍部山は首を振りながら、電話をしまう。
「だめだ、出てもらえない……。向こうもいろいろ都合があるだろうから」
 郁子の話からすれば、凛可には予想できたことだった。少し期待してみただけだ。
 緊張が解けて、凛可は姿勢を崩す。
「しょうがないか。ひと休みひと休み。クッションとかない?」
「オレはもう少し考えてみる。もっといいアイデアがないか」
 鞍部山が薄汚れたクッションを渡してくる。
 凛可はそれをはたいてから、寝そべった。早くも眠気に襲われながら、鞍部山に言う。
「よく考えておいて。わたしは限界、いろいろありすぎて。あと寝込みを襲ったりしないで」
「それどころじゃないだろ……」
 鞍部山は立ちあがり、机に向かってパソコンを操作し始める。
 単調なキーを叩く音が、凛可を眠りに誘った。平穏な闇に落ちていく。
 どれほど寝たのか、電話が鳴ったので目を覚ます。
 鞍部山の部屋では電灯がつけられていた。外はもう暗い。
 電話を手にとると、美好からの着信だった。眠気もふっとぶ。凛可は鞍部山に向かって声を張りあげた。
「イチ! 出番!」
 それから三十分後。
 凛可と美好は待ち合わせ場所で顔を合わせていた。
 団地の狭間にある児童公園。ひとけはない。
「やだ凛可、制服で来ちゃったの!? だいたーん! アハハハハハハハッ!」
 暗いなかでも映えるカジュアルな服装で、美好は踊るように身体を揺すっている。躁病的なその仕草。リンクフリーの影響下であるに違いない。美好は早口で続けた。
「今日から凛可もハッピーだよ! 幸せのおすそわけ! アタシってまるで天使みたいじゃない? アハハハハハハハッ!」
  美好がはしゃげばはしゃぐほど、凛可の心は冷たく沈んだ。
 ただ一つの救いは、この光景を怒りの眼差しで見守っている男がいることだった。イチがどこかに潜んで、成り行きを窺っているはずだった。
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