異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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 凛可はおずおずと切りだした。
「こ、ここで待ってれば売り子の人、来るの……?」
「ううん、ちがうちがう。取引場所はこの先の森林公園。あそこ暗いから、待ち合わせしにくいなって思って。じゃあ、レッゴー!」
 美好はなかば跳ねるように、歩きはじめた。
「たらったらったったー」
 美好の足は早かったが、たびたび立ち止まって踊りだすので、凛可はそれほど急がなくてもついていけた。
 車通りもない住宅街の道路を行くこと五分。
 鬱蒼とした木立に囲まれた広場が目に入る。
 広場のなかには外灯も立っているが、数が少なく薄暗い。数年前に自殺者が出たという噂がある場所だった。手入れは行き届いているが、昼間でもあまりひとけはない。
 その薄闇のなかへ、小躍りしながら美好が入っていく。凛可も緊張しながらあとを追った。
 なにかが起こっても、いまならイチが見守っている。それだけで勇気が湧く。やるべきことをやる。それだけだった。
 森林公園の広場は奥へいくほど広くなる構造で、両脇の森林部へ続く階段がいくつもある。
 美好が歌うように呼びかけた。
「美好ちゃんがきましたー! お友達をつれてー! どこでぃすかー? フフフ」
 二人が広場の中央へ入ろうとしたとき、階段の陰からぬっと人が姿を現した。
 白いダウンジャケットを着た痩せた男で、右手にナップザックをぶらさげていた。
 鋭い眉の下で、目が神経質そうにきょろきょろ動いていた。
 男が乾いた笑いとともに言った。
「クククク、ゴキゲンじゃねぇか、美好ちゃんよぉ? きょ、今日はたっぷり用意したぜ? お友達も一緒によ? オレって幸せを運ぶ天使じゃね?」
 美好は相槌を打った。
「天使天使! 今日は奢りなんでしょ?大天使!」
「お、おうよ、ちょっと待ってな……」
 右の木立でがさりと音がした。目を向けた瞬間、黒い影が飛びだしてきて、凛可たちの前へ着地する。
 出てきた人影は、背を伸ばすと、身長二メートルにもなった。凛可にはその姿、見覚えがある。
 筋肉隆々の巨人。肉体強化系の次元接続体。
 昨日敵対したグループにいた、大地と呼ばれる男だった。
 大地は凛可を見おろしながら言った。
「確かにこの女だ。間違いない」
 凛可は膝が笑い、喉がつまる。自分など指先で殺せるような、恐怖の実体がそこにいた。
 事態の本質を把握していない美好が、脳天気な声をあげる。
「すごーい! おっきい人!」
 凛可と大地を交互に見ながら、早口で言う。
「凛可の名前を言ったら話が変わってね、ちょっと話をすれば、この大きい人が奢ってくれるみたいよ!」
 凛可は歯を食いしばって、この場で持ちこたえた。どれほど離れているかしらないが、すでにイチがこっちへ向かってきているはずだ。
 大地が右手を持ちあげながら言った。
「用があるのは、こっちの女だ」
 間髪を入れず、人差し指と中指で美好のみぞおちを突く。
「うぐっ!」
 美好が身体を折って崩れる。倒れる前に、大地が肩に担ぎあげてしまった。
 凛可はわけがわからないながらも、悲鳴に近い声をあげた。
「イチーッ!」
 イチの名前を聞いて、大地はニヤリと笑った。それだけで身を翻す。美好を担いだまま、大きく跳躍して木立に飛び込んでしまった。
 直後、突風とともに、鞍部山が現れる。
 鞍部山は走りぬけながら、靴を放り投げてきた。
「凛可、靴を頼む! 家へ帰れ!」
 目立たないようワイシャツとデニム姿だった鞍部山は、裸足で大地のあとを追った。やはりジャンプして、木立のなかに消える。
「ヒィイイーッ! 手荒なことはしないって言ったのにぃー!」
 リンクフリーの売り子が、泣き声をあげながら逃げ去った。
 騒動のボルテージは一瞬で弾け、すぐに静寂が戻る。
 薄汚れた鞍部山のスニーカーと、凛可だけがこの場に残った。
 目の前の寂れた道路を通る車もほとんどいない。
 薄暗い森に囲まれた広場で、凛可は途方にくれた。
 このまま帰るしかないのだろうかと考える。もちろん、鞍部山と大地には追いつけるはずもない。どこへ向かったかもわからないだろう。しかし、凛可には味方がまだほかにもいるはずだった。
 夜空を見あげて、声を限りにその名を呼ぶ。
「郁子さーんっ!」
 返事はない。羽ばたきも聞こえなかった。見まわしたところで、鳥人の影も見えない。
 郁子たちがいたとしても、鞍部山たちを追っていってしまった可能性もある。
 そうなると、無力な女子高生がひとりぼっちだ。素直に鞍部山のアパートへ戻るのが、正しい選択かもしれない。
 凛可は身をかがめて、鞍部山のスニーカーを拾おうとした。
 そのとき、タイヤを鳴らして一台の軽自動車が突っ込んできた。
 とつぜんのことに、凛可の身体は固まった。
 車は広場のなかまで入ってきて、凛可の前で急停車する。助手席のドアが開いた。白い霧が吹きだす。
 このような不思議な動きをする霧も、昨日見たところだった。
 凛可が逃げようとするより早く、霧に背後をとられてしまった。
 霧に包まれた。そう思った次の瞬間には気体が実体化して、凛可をつかまえていた。
「離して!」
 そんな願いは聞いてもらえない。左腕をひねられ、背後から顔の前にナイフを突きつけられた。後頭部の上で、女の含み笑いがした。
「フフフフフ、おとなしくしないと後悔するよ」
 霧の女、紗英の声だった。
 軽自動車の運転席からも、人影が姿を現した。右腕をアームホルダーでつっている。あごを重点的に、顔中包帯だらけ。
 炎を発する男、瀧本だった。
 瀧本は不明瞭な声で言った。
「まったく、おめえらはサイテーだぜ。かわいがってやりてぇとこだが、そうもいかねぇときた。イチのほうだけでかんべんしてやるよ、おまえがおとなしくしてりゃあな……」
「なんで、イチのこと知ってるの!」
 凛可は驚いて口を開いた。
 この犯罪的な集団はイチの名前まで知っている。おそらく、凛可を人質にして、イチを攻めるつもりだろう。
 背後の紗英が答えた。
「学校で有名になってたじゃない? こっちもいろいろ情報網があるんだよ? アタシたちに楯突くヤツは始末するのさ」
 凛可もイチも、ここまで不利になる展開は想像していなかった。恐ろしさで涙が湧きあがってくる。涙声で凛可は言った。
「そ、そうだとしても、み、美好は関係ないでしょ? どうして……」
「美好ちゃんは囮でしょう? そんなこともわからないの?」
 続けて紗英は衝撃的な一言を漏らした。
「本命はアンタよ、咲河凛可……ちゃん?」
 紗英の熱い息が耳元にかかる。凛可は震えながらなんとか口を開いた。
「ど、どうして、そんな……」
「アタシが気に入ったのはオメーなんだよ! リーダーも気に入ったってさ! いいから、さっさと歩きな!」
 目の前で瀧本が口元を歪ませた。嗜虐的な笑みで言う。
「逃げようとしたら両足をケシズミにするぜ? オレたちの用事にゃ、おまえに足がなくたっていいんだ。へへへへっ!」
 凛可にはもう、抵抗するような気力はなかった。助けも来ない。
 二人の次元接続体に従うしかなかった。
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