異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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8 試練

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 8 試練
 
 鞍部山一は夜の街を疾走していた。
 デニムのパンツは筋肉の動きに耐え切れず、あちこち裂けてぼろぼろになっていた。
 いまは裸足だったが、靴も脱いでおかなかったら、すでに余計なゴミと化していただろう。ワイシャツも、いつ破れるかわからない。
 この追跡で数少ない服を一組、ダメにしてしまうのは確実だった。
 ケイオスウェーブから与えられた超人の身体能力。
 それを活かすには、やはり裸に限る。
 今回は事態の急展開に、服を脱ぐヒマもなかった。
 前を駆け逃げる大地という名の次元接続体は、自分より裕福なのだろう。
 頑丈そうなアーミーブーツを履いているし、服が破れても気にしそうにない。
 麻薬組織とつながりがあるとすれば当然だ。悪事に手を染めながら、いい生活をしているに違いない。
 鞍部山は妬みのパワーで足を回転させ、一気に距離を詰めた。
 と、大地が急にジャンプする。民家の屋根に着地し、思わぬ方向へまた跳躍した。
「クソッ!」
 鞍部山は毒づいて、自分も跳躍した。
 しばらく平らな屋根の民家が続き、大地はそれを飛び移っていった。鞍部山は追う。
 鞍部山は大地の行く先を見極めてからのアクションになる。そのため、また距離が離されていった。
 速度なら鞍部山のほうが上だった。しかし、追うものの不利でなかなか追いつけない。
 これだけ激しい動きだと、肩に担がれた美好にも大きな衝撃があるだろう。鞍部山にはそれが心配だった。すでに骨折くらいしているかもしれない。
 なぜ凛可の親友をさらうのか、鞍部山に理由はわからない。
 だが、脆弱な彼女の存在は大きかった。
 大地に追いついたところで、美好の安全を考えれば手出しはできない。追跡はただ続く。相手が止まるまで。
 大地がトリッキーな動きをするもので、また距離が離されてしまった。
 追う鞍部山の前で、大地は歩道に飛び降りた。ついで、車道に向かって跳ぶ。中央分離帯に着地し、再び跳ぶ。道路を渡ってしまった。
 鞍部山にも同じことができる。ジャンプして空中にいるとき、大地のほうは交差点に達していた。そのとき。
「!ッ」
 鞍部山は見た。相手の援軍が現れるのを。
 交差点の左から銀色の大型車両、カーゴが飛び出してきた。
 トレーラー部分のハッチが開いている。大地は美好を担いだまま、そこへ飛び込んだ。ハッチが閉まる。
 カーゴは左折すると、まっすぐ進んだ。
 鞍部山にとっては、逆にチャンスかもしれない。
 この先は直線が続き、駅に達していた。小回りの利かなそうなカーゴなら、大地より容易に追いつける。
「うぉおおおおおッ!」
 鞍部山は疾風となって、夜の街路を駆け抜けた。
 カーゴとの距離が一気に詰まる。それどころか、カーゴは減速した。左に曲がる。その先は市営運動場の駐車場だった。カーゴが駐車場へ入っていく。
 なにがあるにせよ、あそこで勝負する気だッ!
 鞍部山は突っ走り、塀を飛び越えて駐車場のなかへ着地した。
 周囲は閑散としている。
 なにかおかしい。鞍部山は直感した。
 駐車場のなかは、外灯で明るく照らされていた。だが、門が開いていたのに、車の一台も停まっていない。入っていったはずのカーゴもなかった。
 鞍部山の背後で、駐車場の門がガラガラと音を立てる。閉められていく。閉めているのは何人もの機動隊員たちだった。
 門のあいだから、機動隊員たちが押し寄せてくる。紺色の装備に身を固め、みな透明な盾を持っていた。
 どこに隠れていたのか。
 明らかに鞍部山を狙っての行動だった。
 エンジン音がとどろき、前方へ目を向ければ。
 曲がり角の先から、大型車両が姿を現した。白と水色のツートンカラー。次元接続体対策班の小型特型警備車だった。
 そのまわりにも機動隊員たちが大勢いる。だいぶ大がかりな応援を要請したらしかった。
 鞍部山は、次元接続体対策班と、その応援である機動隊員たちに取り囲まれていた。
 小型特型警備車のスピーカーから声が発せられる。
「通称・イチッ! 公務執行妨害および器物損壊の容疑で逮捕するッ!」
 鞍部山にもはっきりとわかった。自分は罠にはめられたのだと。
 どんな取引が行われたのかわからないが、大地たちは自分をここへおびき寄せたのだった。次元接続体対策班たちが待ち伏せしてたこの駐車場へ。
 鞍部山は法の執行者を打ちのめしたことはない。しかし、向こうからすれば要注意人物だったのだろうとは思う。機会があれば、自分を捕らえて、事情を聞きたいと考えていても不思議じゃない。
 だが、いまは忙しかった。
 抗議の意味も込めて、鞍部山は腕を振った。
「オレより悪質なヤツがいたはずだ! いま、かなり大胆な違法改造車が入ってきたろ? ナンバープレートもついてないやつ? そいつらは誘拐犯だぞ!」
 答える者はいない。
 機動隊員たちは、号令を待って動きを止めていた。
 じつのところ、大地と美好を乗せたカーゴはすでにこの場を去っていた。透明化と静音走行のなせる技だった。
 静寂のなか、鞍部山は周囲へ目を巡らせる。屈強な機動隊員が、ざっと百人はいた。人垣が取り囲んでいる。
 裸足で、衣服もボロボロの鞍部山は、寒空の下で孤立無援というありさまだった。
 そのとき、鞍部山の電話が鳴った。
 ワイシャツのなかに左手をつっこむ。右の二の腕に巻いたケースのなかから電話を取りだす。万が一のために、今日は電話を持ってきていたのだった。
 電話の画面を見て、鞍部山は息を飲む。
 なんと、『師匠』からの着信だった。本名は知らず、ただ『師匠』と表示されている。
 鞍部山は機動隊員たちの動きに注意しながら通話に出た。
「師匠! ちょうどいいところに! 友達が危険な目に遭ってるんです!」
 深みのある落ちついた声が聞こえた。
「凛可の車が移動を終えた。筧町(かけいちょう)の亜細亜化成(あじあかせい)跡、廃工場だ。場所はわかるな? おそらくそこが敵のアジトだ。すぐに向かえ」
「え、凛可を知ってるんですか!? 凛可がどうしたんですか!? どういう……」
「凛可は敵に捕らえられた。敵の本命は黒田美好でもなく、おまえでもなく、咲河凛可だったようだ。理由は向こうに聞くしかない。急げ」
「いまちょっと取り込んでて。できれば師匠が……」
「これは真実、おまえの問題だ。困難を乗り越えてみせろ、おまえの方法で」
「師匠! でも……」
 通話は切れた。ため息とともに電話をしまう。
 師匠がやれというなら、自分がやるしかない。
 鞍部山は機動隊員たちを見据えた。
 普通の人間が相手なら、百人いても抜け出せないことはない。
 鞍部山は改まって、宣言するように言った。
「オレのために集まってもらたところを悪いんだけど、行かなくちゃならない。なんならついてきてもいい。望むところだ。どちらにしろ、オレは止まらない。じゃ!」
 大きく跳躍しようと身をかがめる直前。
 鞍部山の首になにかが巻きついた。
 生暖かい、肌色のロープ。それはゴムのように伸びた、人間の腕だった。
「ぐおおっ!」
 首を締めあげられ、動きを封じられる。
 不幸中の幸いにも、圧迫する力は鞍部山の頸動脈を遮断するほどじゃなかった。しかし振りほどくこともできない。完全に不意を突かれた。
 鞍部山は両腕で圧迫してくる力を弱めながら、腕の持ち主を探す。
 紺色の装備に身を固めた隊員の一人。その右腕が袖口から伸びて、鞍部山の首に達していた。
 機動隊がなかなかしかけてこなかった理由がわかった。有利だったのだ。たっぷり様子を窺う余裕があった。大人数に加え、向こうにも次元接続体がいる!
 鞍部山の視線に気づいて、隊員が左手でヘルメットをとった。顔があらわになる。
 歯を見せてニヤつくその顔には見覚えがあった。
 初めて凛可と出会った夜、そのきっかけとなった男だった。凛可を襲おうとしたゴム男に間違いない!
 鞍部山は喘ぎながらなんとか言った。
「な、なんでおまえが……!」
 ゴム男は快活に答えた。
「スカウトされたのさ! 次元接続体対策班にな! 次元接続体は数が少ない。正体がバレれば引っ張りだこだぜ。おまえのおかげで公務員職を手に入れた!」
「麻薬中毒のおまえが警官だと……!?」
「中毒じゃない。溺れたのは確かだ。でもな、リンクフリーに依存性がないってのは本当だったぜ。少なくとも、次元接続体にはな」
「だが……、人の正気を失わせる、危険な薬物だ……、おまえは知っているはずだ……」
「知っているからどうした? オレはやめたし、おまえがこれから無力化装置をつけられるのは変わらねえ」
「リンクフリーの、製造元を……、つきとめた……かもしれない……」
 ゴム男は顔色を変えた。ずっと年上の機動隊員へ目を向けて、指示を伺う。
 隊長らしき初老の隊員は、じっと鞍部山の顔をみつめた。数秒後、首を横に振る。
 ゴム男が言った。
「いまはリンクフリーよりおまえだ。いいことを教えてやるよ。これは訓練された次元接続体対素人の次元接続体による、初めての実戦だ。こっちもないがしろにできねえ」
「み、三日かそこらで、なにが訓練だ……」
「何人もの学者さんが、オレに力の使い方を指示してくれた。試してみようぜ。公務員にしてくれた恩はあるが、痛い目にあわされた恨みも忘れてねえ。手加減できないぜ?」
「ならばオレは……」
 鞍部山の顔が引き締まった。
「おまえを引きずってでも、凛可のもとへ行くッ!」
 鞍部山は自分に出せる限界の力で、大きく跳びあがった。
 対するゴム男は空いている左腕と左足を伸ばして、近くの外灯へ巻きつける。反射的な素早さだった。
 鞍部山が宙を舞い、引きずられてゴム男の身体も浮きあがった。しかし、そこまでだった。頑丈な外灯が軋んで、鞍部山の飛翔を阻む。戒めを解くことはできない。
 ゴム男は絶妙な力加減で、自由落下となった鞍部山をアスファルトへ叩きつけた。
「ぐふっ!」
 叩きつけられて、鞍部山はうめく。
 倒れた鞍部山を見おろして、ゴム男がつぶやいた。
「オレは『鎖』だ。もうおまえを逃さねえ」
 鞍部山はすぐに立ちあがった。闘争心もあらわに言う。
「じゃあ今度は、おまえの身体がどこまで伸びるか試してやる! 前にも言ったな、『おまえの可能性を見極めてやろう』」
 ゴム男は鼻で笑った。
「フン。言い忘れてたけどよ、エリカもおまえを殴りたかったってさ。公務員職をくれたことに対する感謝の拳だ。全身で受け取ってくれ」
「なに?!」
 重量感のある足音が近づいてきた。振り返ると、一人の隊員が拳を振りあげて突っ込んでくる。その拳と顔面は、金属の光沢で輝いていた。見覚えのある女の顔つき。大型スーパー・サンマルコで見た。
 炎の男、瀧本と戦っていた、鉄の女だった。彼女もゴム男同様にスカウトされたのだろう。
 鞍部山は攻撃に備えて身構えた。自分の速さなら、この女にはカウンターが利く。
 鉄の女の拳が迫る。
 鞍部山がかわそうとしたところ、軸足にゴム男の右足が絡みついた。
「!ッ」
 鞍部山はバランスを崩した。その顔面を、重い一撃が貫く。
 鞍部山はもんどり打って、再びアスファルトに倒れた。常人なら死んでいるほどの衝撃をまともに受けた。よろよろと立ちあがりかけたところへ、鉄の女の追撃を食らう。
 三度、鞍部山は倒れた。
 ゴム男は余裕の表情を見せた。
「エリカもおまえと知り合いだそうじゃないか? おとなしくする気になったらいつでも言ってくれ。ベルトタイプの無力化装置がスタンバってる」
 その挑発が、鞍部山の意識を明瞭にさせた。
「オレは! ここで捕まるわけにはいかないッ!」
 跳ね起きて、鉄の女に回し蹴りを放とうとする。その軸足がまた、ゴム男につかまった。
 首と左足、二箇所で力をずらされる。
 鞍部山の蹴りは宙を切り、逆に鉄の女からカウンターを叩き込まれた。
 踏みとどまるが、意識が飛びかける。
 遠くからゴム男の声が聞こえた。
「どうだ? 訓練したコンビネーションってやつは? 最強だろ? 学者さんは『鎖』と『ハンマー』って言ってたぜ?」
「まだまだぁッ!」
 鞍部山は気合を入れた。
 だが、そのあとも同じような光景が続いた。
 鞍部山の攻撃がまともに当たることはなく、鉄の女の打撃を食らうばかり。
 トリッキーな動きをとろうとも、フェイントをかけようとも無駄だった。冷静に戦いを観察しているゴム男が、ポイントを押さえて、効果的に邪魔してくる。
 ほんの少し、力の焦点をずらされれば、それで十分だった。
 鞍部山の攻撃は空振り、鉄の女へ隙を作る。
 怪我が増えていった。
 身体の傷を治すために、力がそちらへ流れていく。鞍部山は休息な体力の衰えを感じた。
 肩で息をする鞍部山に対して、ゴム男が声をかけた。
「死ぬ前には降参しろよ。普通の人間を近づけるには、おまえが納得したうえで同意してもらわないとな」
 鞍部山は言い返す余裕もなく、ただ、ファイティングポーズをとった。
 そこを無造作に振り下ろされた拳で、ハンマー打ちされる。
 もうそんな攻撃も避けることができなくなっていた。
 打ち倒されたあと、鞍部山はよろよろと立ちあがる。
 鉄の女はいまや、先に手を出してくることもなかった。鞍部山が動けば、カウンターを繰り出してくるだけだ。それは勝者の余裕だった。
 鞍部山は痛感した。
 自分は決して無敵の存在じゃなかったと。ちょっとした工夫と訓練で上をいかれてしまう。努力したとしても、しょせん独学でしかない。専門家の知識によるサポートには敵わなかった。
 まだ、戦うことはできる。だが、勝つことはできないだろう。戦い続けてもなんの意味もない。それどころか、貴重な時間の浪費にしかならなかった。
 鞍部山は、負けを認める時がきたと悟った。
 完全敗北。
 心が折れると、立っていることすらままならなくなった。
 がくがくと膝が震え、一段、また一段と、段階的に身体が落ちていく。
 ついに、鞍部山は尻もちをついた。
 まるでボロ雑巾のような姿になっていた。
 身体中が新しい傷と治りかけの傷に覆われ、顔は乾いた血がこびりついている。
 鞍部山は諦めのため息を吐いた。
 尻もちをついたまま、手招きする。
 機動隊員が二人、小走りで近づいてくる。手にはベルト型の無力化装置を持っていた。その二人の後ろから、さらにもう一人歩いてくる。ゴム男が顔色を伺った、年かさの男だった。
 二人の若い隊員が身をかがめて、鞍部山の腰にベルトを巻いてくる。隊長らしき年かさの男は、仁王立ちで見守っていた。
 その男へ向けて、鞍部山は震え声で言った。
「そっちの気が済んだら、まず話を聞いてくれ。急ぐんだ……」
 隊長は言葉少なに答えた。
「聞きたいことは山ほどある。本部でな」
 鞍部山の背中で、無力化装置のスイッチが入れられた。とたんに身体中が激痛に苛まれる。
「ぐぅううッ!」
 鞍部山は身を折ってうめいた。力が入らない。超人としての体力、頑健さ、治癒能力が一気に失われた証だった。
 鞍部山は気を失いかけた。なんとか持ちこたえる。
 もうろうとする意識で、隊長に懇願することしかできない。
「この場で話を聞いてくれ、頼む。そして、アンタ自身が判断して欲しい。上の指示を仰いでる時間なんかない」
 隊長は冷徹な響きのする声で言った。
「おまえがいままで良いことをしてきたのは知っている。だが、一般市民にとっては恐るべき脅威であったのは違いない。おまえのさじ加減ひとつで、千人からの人間が簡単に殺せるんだ。おまえはそのことを自覚しているのか」
「いまはそんな哲学、どうだっていい。とにかく話を聞いてくれ。オレはいままで、アンタたちの手助けをしたこともある。今度はアンタがオレを助けてくれてもいいじゃないか……」
 隊長はヘルメットを外し、険しい顔をあらわにした。厳しそうだが、誠実そうな顔でもある。そして言った。
「わかった。時間をやろう。少しだぞ」
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