異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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 イチが歩いてくる。
「師匠、凛可と知り合いだったんですか……?」
 凛可の父、健太郎が難しい顔をして答えた。
「人の娘をもう呼び捨てか? それも父親の前で」
「え、えぇーっ!」
 イチは足の力が抜けたように、膝をついた。
 健太郎がイチに向かって語る。
「鞍部山、いまこそ明かそう。わたしの名は咲河健太郎。『自警団』のリーダーであり、凛可の父だ。鞍部山、少し待っていてくれ。まず凛可と話したい」
「は、はい……」
 健太郎がしゃがみ、凛可に向きなおった。
 静かに話しかけてくる。
「怖かっただろう、凛可。お父さんも怖かった。だが、わたしたちみんなが、これからも怖い目にあわなくちゃならない。それが力を手にした者の義務だ。逃げだしたところで何の解決にもならない」
 急展開が続いて、凛可の頭は混乱した。なんとかものごとを整理しながら、返事だけはする。
「う、うん……」
「まずお父さんの能力を教えておこう。二つある。さっきの『次元切断』がひとつ。もうひとつには『事件予報』と名づけた。お父さんには次元接続体が事件を起こす場所が、なんとなくわかるんだ。だから、おまえたちの動向もだいたい把握していた」
 凛可は生返事するのがやっとだった。
「う、うん……」
「おまえが次元接続体となったことは知っていた。お父さんには次元接続が見えるからな。だが、わからないのは凛可、おまえの能力だ。なぜ、あいつらはおまえを狙った? 『次元切断』のほかには?」
 急に聞かれて、意識が追いつかず、凛可は口ごもった。
「わ、わたしには、じ、次元接続体と引かれあう『誘引力』があるって……。二人以上になるまで止まらない、みたいなことをいってた」
 しばらく考えてから、健太郎が口を開く。
「そうか……。大変な力だが、解決策もある。それにその情報が確かなら、家ではゆっくりできるな」
「え? まさか……!」
「ああ、母さんも、だ」
「ええーっ!」
 衝撃的な事実が続く。
 凛可は考えるのをやめて、単純にすべてを受け止めていこうかと思いはじめた。
「積もる話は家でゆっくりしよう。鞍部山にも話がある。待っていなさい、凛可」
 健太郎は立ちあがり、イチへ向かって言った。
「鞍部山、よくやった。おまえは次元接続体で構成された初の犯罪組織を壊滅させた。これはおまえの活動において、立派な実績となるだろう」
 ボロボロになった姿で、イチは頭をかいた。
「そんな、実績なんてオレは別に……」
「そうもいかないんだ、鞍部山。わたしたち全員のためにな」
「え……?」
「すべてを話そう。もうすぐ、世間一般に次元接続体の存在が公表される。それと併せて、新しい、本格的な次元接続体対策班を組織しようとしている。わたしたちは裏から、そのリーダーにおまえを推薦しようと考えていた。そのためにも、おまえには輝かしい実績が必要だった」
 イチは士気が下がったかのように、俯いた。
「そんな……、すべて手のひらの上だったってことですか……」
 健太郎は両手を広げて言った。
「そう悪くいうな。不測の事態がいくつも起こったし、危ない賭けだった。計画に凛可が入ってくるとも思わなかった。みんな、それぞれの立場で必死に戦った。その結果がおまえの実績につながったんだ。わたしたちは、おまえがリーダーに相応しいと考える。おまえは時が来たら、辞退することなく、それを受けろ」
「でも、そういうのは師匠のほうが適任じゃないですか……?」
「鞍部山……、我々は年寄りだ。力はあるかもしれないが、一線に立つには年をとり過ぎている。新しいことが起こるときは、おまえのような若者が代表でなくてはならない」
 少し考えこんだあと、イチは背筋を伸ばした。
「わかりました! 精一杯やりますッ!」
「それでいい。わたしたちもバックアップは続ける」
「はい」
 健太郎は倒れたままの白猪崎にあごをしゃくった。
「それじゃ、この男を引き渡してくるか。さっきわかったが、政府高官の子息だ。いろいろ知っていただろう。きっと大した罰は与えられない。だが、これからの生活は徹底的にマークされることになる。安原さん、お願いします」
「へいへい」
 姿の見えない声が答えた。足音が遠ざかったかと思うと、向こうで白猪崎の身体が宙に浮かぶ。
 健太郎は服の内側から、ゴムでできた安っぽいゴリラのマスクを取りだした。それを被って、くぐもった声で言う。
「鞍部山、凛可、今夜はきっと長いぞ。機動隊員に迎えをよこすよう言っておく。それまでゆっくりしていろ」
 顔を隠した健太郎と、宙に浮いた白猪崎の身体がゆっくりと工場のほうへ向かう。
 イチと凛可はそれを見送った。
「鞍部山、もっと技を磨け」
 老人がそう言い残し、稲妻のように走り去った。
 郁子も羽ばたいて飛び立つ。
「凛可ちゃん、ご苦労さま……」
 羽ばたきが遠ざかると、静寂に包まれる。
 凛可とイチの周りには、二人以外、誰もいなくなった。暗闇のなか、しばらく無言で過ごす。
 激烈な夜だった。
 普通では考えられない命の危険が何度も訪れた。
 二人は協力することによって、なんとかそれをしのいだ。
 もう、以前の二人じゃない。
 目に見えない結びつきが生まれたような気がする。日常の隣から現れた非日常の、強固なつながりが。
 少なくとも、凛可はそう思った。
 鞍部山が凛可の隣へ腰をおろしてきた。疲れ果てたように言う。
「ああ、ひどい夜だった……」
 凛可はまだ、自分の身に起こったことを整理しきれていない。どこか上の空で答える。
「そうね……」
 こんなこと、整理しきれるはずがない。凛可は諦めて意識を現実に引き戻した。
 イチの実体がすぐそこにある。ボロボロに傷ついたその姿を見て、つい思ったことを口にしてしまう。
「鞍部山くんてさ、やっぱダメ男なんじゃないの? みんなに助けてもらって、なんとかヒーローやってるって感じ」
 鞍部山はうなった。
「うぅーん、厳しいな。オレも精一杯やってるよ? 確かにそうかもしれない。だけどオレがダメ男なら、凛可、キミはなんだ? 控えめに言っても疫病神じゃないか。キミと関わってから、ろくなことがない」
「ひどーい!」
 そう返した直後、くしゃみが出た。
「へっくしょん!」
 鞍部山がよろよろと立ちあがる。
「冷えるよな。ここで待ってるより、こっちから帰るか……」
「きゃっ!」
 鞍部山がかがんで、凛可の身体を抱きあげる。鞍部山は感心したような声をだした。
「柔らかい身体だ。次元接続体とは思えない」
 凛可は鞍部山に流し目をくれてやった。
「生身の女に興味出てきた? でも、変なことしたら次元切断しちゃうからね?」
 鞍部山は鼻で笑った。
「フフ、いま力を失ったら、キミを運べなくなるな。けっこう重いんだぜ?」
「またひどーい!」
「ハハハハハ!」
 夜の静寂に、軽やかな会話が響いた。
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