異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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番外編

次元接続体の夜

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 この食べ放題の焼肉屋は繁盛している。
 夜の九時を過ぎているが、客席は七割ほど埋まっていた。
 我々四人は仕切りのついたボックス席で、魚介や肉の載った焼き網を囲んでいた。
 黒髪をアップにしてる加藤郁子が、焼き網からイカの切り身をつまみ上げながら言った。
「わたくしたちの活動っていまひとつパッとしませんわよねぇ」
 化粧っけの薄い五十二歳の独身だが、美人ではある。
 私の右に座っている安原勝利が、ビールのジョッキをあおってから向かいの郁子に答える。
「それは違うヨ、俺たちゃ手際がいいだけだって。若い連中とは違うのサ!」
 もじゃもじゃの白い蓬髪と絶やさない笑顔が印象的な六十歳の男だ。
「まったく、肉の脂がはねてかなわんな」
 私の向かい、郁子の隣で食べていた田淵平蔵が、つぶやいて眼鏡を外した。
 私はその眼鏡に度が入ってないのを知っている。我々のグループで最年長の七十二歳。
 彼はケイオスウェーブに曝されてからの驚異的な身体能力の向上と回春ぶりを、家族にはひた隠しにしている。
 安原が私に向かって提案してきた。
「いっそのこと郁子ちゃんをサ、凛可ちゃんのグループの若い子とトレードしちゃおうよ、サキさんや」
 サキさんとは私、咲河健太郎のことだ。五十五歳で、髪はもう白い面積のほうが多い。
 私は答えた。
「凛可たちのところは全員政府に登録された、いわば公務員なんですよ。そういうわけにはいきませんよ、安原さん」
「わたくしだって、若い人の前で裸になんてなれません!」
 郁子があごをあげてそっぽを向く。
 凛可とは私の娘で、次元接続体の一人だ。
 彼女とそのボーイフレンドが率いるグループは、政府に公認されたただ一つの、次元接続体による治安維持組織だ。
 我々四人も、全員がいわゆるシニアであり、そして次元接続体だった。
 ただし、我々は特殊な能力を持っていることを、公には秘密にしている。
 私は言った。
「まだ食事時間は残っていますが、そろそろ会計を済ませましょう、皆さん」
「なにヨ、まだ三十分も残ってるじゃない、サキさん」
「わたくし、もうちょっと食べたいですわ」
「最悪の場合、この店内で事が起こるかと思いましたが、場所がちょっとズレそうなんです。時間的には近いですよ」
 私は仕事道具の入った銀色のブリーフケースを持ち上げた。
 ケースと私を交互に睨みつけながら田淵平蔵が言う。
「ワシをこんな所で暴れさせるつもりだったのか? アンタにはまったくかなわん」
「俺は新しい秘密兵器でも見せてくれるのかと思ってたヨ。ただの親睦会ってことはなかったか」
「わたくし、今日も脱ぐんですね、こんなに寒いのに、脱がせるんですね」
「まあ大事がなければそれに越したことはないんですが……」
 そう、私の「事件予報」など外れてしまえばその方がいい。
 しぶしぶと言った様子で、全員が席を立った。

 今日は私のおごりだが、四人分で一万円もしないのはリーズナブルだ。シニア料金の者が二人いたというのもある。
 そろって店を出て、かじかむような冬の夜気にさらされる。
「ドコ?」
「さあ?」
 安原の問いに、私はまだはっきりと答えられない。
 安原は爪楊枝で歯をほじくり始めた。
 田淵平蔵はカーキ色のジャンパーからタバコを取り出す。
 郁子はニワトリのように頭を左右に向けてきょろきょろした。
 その時、事件予報が「今」と迫ってきた。
「来る!」
 私の視線は、店に接する道路へと導かれた。
 広い駐車場をはさんでいるため、今いる店の出入り口からは三十メートルほど離れている。
 そこへ猛烈なスピードで、二台の乗用車が左から突っ込んできた。
 前を走っていた車は、交差点に入る直前に急ブレーキを踏んだ。
 タイヤの軋む叫びに続いて、ぐしゃりと砕ける音が重く低く響く。
 後ろの車は止まりきれずに追突していた。
 この二台はなんらかの発端から、ここまで煽り合いを続けてきたのだろう。
 ここで忍耐も尽きて爆発だ。
 我々は見守った。
 普通の人間同士のいざこざなら手出しはしない。
 潰れた後ろの車から、何かわめきながら若い男が出てきた。
 威勢よく腕を振り上げているが、それだけだ。
 応じるように、前の車からも人影がのっそりと現れる。
 こちらは……鈍く光る金属製の装甲服に全身が包まれていた……。
 装甲服には筒やら管やらがごちゃごちゃ付いていて、それは武装を思わせる。
 その人影が警告のように右腕を真上に向けると、腕の先から炎の柱が伸びて夜空を焦がした。
 我々のあいだに緊張が走った。
 間違いなく発明家タイプの次元接続体だ。
 彼らは普遍的な素材から、この世の様々な法則を超越した器物を作り出す。それが能力の顕現なのだ。
 しかしこれで左の男が腰でも抜かして、装甲服が立ち去ればこの事件もおしまいなのだが……。
 左の男は雄叫びのような声を出した。
 見る間に体が膨らみ、服が破れて散る。
 身の丈三メートルにもなる、タテガミを生やした獣人が出現していた。
 かえって装甲服のほうが慄いて後ずさりしている。
 二人の次元接続体。
 これ以上は様子見していられない。

 私は懐から、ゴムでできたゴリラのマスクを取り出し、被った。
「はいはい、脱ぎます、脱ぎます」
 そう言いながら郁子は、人気のない暗がりの植え込みに向かって、小走りに走っていく。
 田淵平蔵はため息をつきながら眼鏡をケースに入れ、無言で私に差し出した。
「で、どっちからやんの?」
 声のほうを向いても安原の姿は無かった。彼は不可視のフィールドで透明化している。
 私は言った。
「飛び道具を持っている右からです。ほっとくと思わぬ被害が出る」
「じゃ、俺は左のおサルちゃんをかまってやるか」
 主の見えない足音が獣人に向かっていった。
 事件予報が的中しても、私は嬉しくも悲しくもない。
 ただ、市民としての密かな義務を遂行するだけだ。
 ゴリラの目穴から覗き、より危険だと判断した装甲服の人物に視線を注ぐ。
 すでに田淵平蔵が早足で向かっていた。
「こぞぉぉぉぉう!」
 田淵平蔵は怒声をあげて相手の気を引いたが、次の瞬間、常人にはありえない速さで右にステップした。
 彼が寸前までいた場所の足元を赤い光線が貫き、アスファルトが小さな炎を上げて燃える。
 レーザーか?!
 身体能力で常人をはるかに凌駕するとはいえ、狙いの定まった光など次元接続体でも避けられない。
 しかし田淵平蔵はかわし続けた。もう道路のあちこちが小さな火の手を上げている。
 彼は元々合気道の師範として長い人生を過ごしてきた。
 衰えずに活きる経験と次元接続体の身体能力が、狙いを定めさせないのだ。
 装甲服の人物は足元ばかりを撃っていた。
 未知の相手に恐れながらも、周辺への被害を気にしている。
 男か女か分からないが、この人物も新たな力に踊らされている初心者に過ぎない。
 決して悪漢というわけではないのだ。
 目の端では巨人が両腕を振り回して地団駄を踏んでいた。
 透明な怪力の持ち主だけでも厄介なのに、頭上からは大きな鳥の足が踏みつけてくるのだから堪らないだろう。
 空中で羽ばたき、鳥の足で攻撃をしているのは郁子だ。
 半人半鳥の姿は、顔以外不燃性の黒い羽毛で覆われている。
 四人の中で彼女だけが変身といえるような能力をもち、空を飛べるので何かと重宝する。
 そちらのこともあるし、こちらも手早く処理しよう。
 非力な自分が狙われたらアウトなので、数瞬レーザーに気を取られたが、私は再び装甲服に意識を集中した。
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