異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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番外編2

4終

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 夕方になって、優輝が学校から帰ってきた。
 玄関から元気のありあまった声がする。
「ただいまー! 直弥、連れてきたー!」
 揺れる優輝のランドセルの後ろから、おずおずと直弥くんがついてくる。
 綾香の前までくると、彼ははにかみながら言った。
「お、おじゃまします……」
 今は暗いとはいえない。
 しかし以前はもっとハキハキした、喜怒哀楽のはっきりした子だった。
 胸のうちの愁嘆を悟られないよう、綾香は明るい笑顔で返す。
「お久しぶり、直弥くん。今日は腕によりをかけて作ったから、いっぱい食べていってね」
「ありがとう、おばさん」
 直弥くんは伏し目がちに答えた。
 そこへ優輝が身を乗りだしてきて言った。
「大変なんだよ、お母さん!」
「何かあったの?」
 綾香は平静を装ったが、自分の目が輝いているのを感じた。
「篠原先生が、病気になったから先生やめちゃったんだって!」
「そう……。大変ね、篠原先生も」
 綾香は身体全体に染み渡ってゆく、静かな勝利感を束の間味わった。
 あとでPTAと連絡をとって詳細を聞こう。
 直弥くんに目をやると、彼はやや固い表情で、素知らぬふりをしていた。
 本当の勝利を得るまでには、まだ時間がかかる。
 綾香は子供たちをテーブルにつかせて、タルトを切り分けた。
「はい直弥くん」
 綾香は直弥くんの前にタルトの載った皿を差し出すと、そのままの姿勢で続けた。
「ね、直弥くん。これ、ちょっとよく見て」
「え? なに?」
 直弥くんが身をかがめて皿に視線を落とすと、綾香の手のひらがパチンと音を立て、彼の目の前に青と黄色の花火が咲いた。
「わっ!」
「お母さん、見せちゃっていいの!?」
「いいのよ、直弥くんは優輝の親友でしょ? だから特別」
 そう、自分は直弥くんを特別扱いする。これからも。
 彼は綾香と優輝にとっての恩人なのだ。
 彼が望んだことではないにしろ、形を持たない醜悪な悪意に、
 立ち向かい、打ち倒すことができる形を与えてくれたのは、彼だ。
「この花火を見ちゃったからには、優輝と直弥くんとおばさんは、もう仲間よ。この花火のことは三人だけの……」
「秘密」と続けようとして、綾香は言葉をのんだ。
 その言葉はたぶん、篠原によってすでに使われている。
 綾香は両方の手のひらから花火を出し続けながら、言い直した。
「この花火はね、わたしたち三人の……絆のあかしよ」
「おばさん、すごい! すごいよ!」
 直弥くんの顔に、子供らしい輝きが宿った。
「もう仲間なんだから、直弥くんも何か困ったことがあったら、おばさんに相談してね。
おばさん強いし、頭も良いし、タルト作りも上手なんだから!」
 綾香がそう言うと、三人はそろって笑いあった。
 事はそう簡単にはいかないだろう。
 だが、綾香には自分の力の本質が分かりかけてきていた。
 この力は、自分と何かを、つなぐ力なのだと。
 それは、心と心をつなぐ力にもなり得る。
 傷が癒せないとしても、新しい記憶と信頼と、絆で塗りこめてしまおう。
 先は長いかもしれないが、兆しは明るい。
 少なくとも、今、この瞬間は笑顔であふれているのだから。

                             おわり

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