K:火炎瓶の短編集

K:火炎瓶

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「この、人殺しが」

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「先生、おはようございます。ご機嫌いかがですか」
「先生、お食事の用意が出来ています。広間にいらしてください」
「先生──」
 私はため息を吐いた。
「そろそろ鬱陶しいぞ、お前」
 そう言うと男は首を傾けた。
 肩口で切り揃えられた色素の薄い髪と、長く伸ばした前髪。右に前髪を流し、黒いピンで止めている。白いワイシャツに黒いスラックス姿で、今どき珍しい洋装だ。よほどハイカラな気風なのか、それとも育ちの問題か。
 どちらにせよ、私にとっては面倒が1つ増えたことには違いない。
 この男は何故か私に付きまとっている。挙句の果てには勝手に家に上がり込んで、家政婦の真似事をしているのだ。
 1度は本気で追い出してやろうとしたのだが、如何せんこの男、事務作業をやらせると非常に優秀であり、家事の腕もなかなか。とすると、追い出すことによって生じる不都合の方が多かった。
「先生、今日は締切の日です。編集さんが午後2時にいらっしゃる予定です」
 今日は鮭の塩焼きか。
「先生、新作の打ち合わせが午後3時にあります。場所は……」
 ……男は何故か、私の予定を承知していて、そのうえで勝手に仕事を引き受けている。まるで秘書のように。
 だが、私は男を雇っているわけではない。男にはこれまでもびた一文払ってはいないし、男も受け取らない。
 不思議な男だ。
「なあ、」
「なんでしょう、先生」
 ひたりと向けられた瞳がじっと私を見る。
 一瞬ガラス玉のような冷たさが瞳に宿り、しかしそれは直ぐに消える。男は薄らとした、よそ行きのような笑みを浮かべて私の次の言葉を待った。
「……なんでもない」
 私は箸をすすめる。
 ……美味い。

「先生、お部屋の掃除をしたいのですが」
 男は箒と雑巾を持って、私の部屋の前に立っていた。
「は?」
 いつでも家事を勝手にやっているだろうに、何故。
 ぽろりと咥えた煙草の灰が落ちた。
 ああ、好き勝手やりながらも家主の部屋の掃除に是非を求めるくらいの気遣いはあったのか、と的はずれなことを考えていると、男はもう一度、
「構いませんか?」
 と言った。
 好きにしろ、と言って文机に向き直ると、男は無言で掃除を始めた。床に散らばる本を集め棚に入れていく。
 その時だった。
「先生。こちらは……」
 男が、茶色の封筒を持っていた。厳重に封がされた、その封筒を見つけられた瞬間、私は心臓が凍りつくかと思った。
「原稿ですか?あれ、でも──」
 男の手から封筒を引ったくり、私は男を部屋から締め出した。そして内側から鍵をかける。
 木を隠すには森、と言うが。
 その森を念入りに探されたら、見つかるに決まっている。
 息が荒れた。
「先生?」
 私の豹変に驚いたはずのその声は、いやに冷静だった。
 平常であれと言い聞かせども、私は破鐘のように響く心臓の音に耐えきれなかった。
「二度と私の部屋に入るな! 」
「何故」
「何ででもだ!」
 怒鳴りつけ、少しは動揺すれば人間らしくあるだろうに、男は終始冷静だった。
「分かりました」
 足音が遠ざかる。
 壁にもたれてずるずると座り込み、私は大きく息を吐いた。
 ああ、もう誰にも見つからないように隠しておかなければ。

 この所、体調が悪い。
「先生、大丈夫ですか?酷い顔色をしていますが……」
 家にやってきた編集がそう心配をするくらい、今の私は酷い状態だった。
 脂汗をかいて、湧き上がる吐き気に耐えている。熱でぼうっとする頭を振り、私は問題ない、と一言返す。手がぶるぶると震えるのは書痙のせいだろう。
「次の締切は少し長めにしておきます。あまり無理はなされませんように」
「ええ、分かっています」
「先生、その……」
「なんです」
 編集は受け取った原稿を抱きしめ、そして意を決したように口を開いた。
「以前お書きになっていたあの──」
「うるさい!」
 思わず怒鳴りあげると編集はびくりと肩を震わせて縮こまった。しまったと思っても、1度首をもたげた激情は止まることを知らない。
「……もう帰ってくれ」
 絞るようにそれだけ押し出して、私は背を向けた。
 後ろ髪引かれるような調子で帰る編集を尻目に、私はその場に横になる。
 気分が悪い。体調不良も相まって、彼には悪いことをしたと思うが、それでも怒りは収まらなかった。
 あれは、あれだけは、世に出さぬと決めたのだ。
 例え私の財産があれだけになろうとも。
 けれども私はあれをどうにも処分できないでいる。ただの紙切れと言ってしまえばそれまでだ、しかし火をつけようとマッチを手にしたところですぐに消してしまう。破り捨てようとした手は震え、名状しがたい思いに囚われてはまたいつかにしようと先延ばしにしてきた。
 嫌に喉が乾く。風邪だろうか、と1人こぼしたところで男が入ってきた。
「先生、大丈夫ですか?」
 男は私の顔を覗き込む。
「ああ……だいじょう、ぶ……」
 意識が朦朧とする。
 呼吸が苦しい。けれども心配かけまいと、私はただの疲れだとうわ言のように口にする。
 すると、男はにっこりと笑った。
「やっと効いてきたんですね」
 どういう、意味だ。
 男はポケットから瓶を取り出した。
「先生、これ、なんでしょう?」
 男はクスクス笑う。
「先生なら知っているはずですよ」
 見慣れない瓶だ。茶色く、ラベルが──そこではっとした。
 視覚的には見慣れなくても、私はそれを知っている。何度も何度も繰り返し、私はそれを頭の中で使い続けたからだ。
「先生。駄目じゃないですか、見ず知らずの人間を信用したら」
 男がそう言って、ことりと瓶を私の文机の上に置いた。
「先生、どうして俺を追い出さなかったんです?」
 男が、哀れむような目を私に向ける。
 信用に値すると思ったからだ、と内心で吐き出して胸の当たりを抑える。
 私は彼の名前を呼ぼうとして留まった。
 知らない。
 名前も、生まれも、歳も、何故ここにいるのかも。
 考えてみれば、私は彼がこの家にあがる姿も、この家に住み着いている姿も見たことがなかった。
 彼が物を食う姿を見たことがあっただろうか。
 彼が調理する姿を見たことがあっただろうか。
 彼の靴を見たことがあっただろうか。
 彼の持ち物を見たことがあっただろうか。
 朦朧とする頭が否、と答える。
 何故……何故、私は彼を無意識に信用していた?
 普通、見知らぬ人間が家にいたら、通報でもするのが筋ではないか?
 何故。
 おかしい、自分の常識が世間の常識と当てはまらないことは理解している、その上で、これまでの私であればしていたであろう行動を、何故、私は取っていない?
 ぜえ、と荒れた息で私は問う。
 お前は誰だ、と。
 
「先生、俺のことを知ろうと思ったら、記憶を遡ることですよ」

 男はとん、と自分の頭を指先でつく。
 柔らかな笑みを浮かべて男は口を開いた。

「だって、そこが俺の生まれた場所だから」

 
 嗚呼。

 何故忘れていたんだろうか。
 何故気づけなかったのか。

 彼は、
 
 私の、


 男は憎悪に燃えた瞳で私を睨みつけた。




「妹を殺したのはお前だ。精々苦しんで死ね」





【〇〇新聞  推理小説の巨匠 自宅で死亡  死因はヒ素中毒】

【自殺か?他殺か?現在調査中】

【幻の原稿が発見 刊行が決定】

【主人公は妹を殺された男、死の真相を求め復讐を誓う】
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