K:火炎瓶の短編集

K:火炎瓶

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7日間の法則

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「ねえ、タカアキ。7日間の法則って知ってる?」
「何それ」
「死にたいって言った人のほんとんどは、7日以内に自殺するって話。まあ、あたしが勝手に呼んでるだけだけど」
「へえー」
「死にたいって言うやつほど生きてるなんて、嘘だよ。死にたいから死にたいって言うんだもん」
 そう言って、彼女は飴玉を転がした。


 懐かしい夢を見た。
 仕事先の病院に向かう道中の赤信号で止まり、そんなことを思う。ざわさわとした喧騒、街を行く人達は今日もいつも通り。けれども俺はいつもと違うことを考えている。
 大学生の時、同じサークルの教育学部の友人との夢だ。確か教育課程の講義でそんな話が出たとかで、俺に話してきたのだった。恋人というわけではなかったが、仲は悪くなかったと思う。気の置けない友人と言えば良いのか。
 卒業後、彼女は小学校の先生になった、と聞いたけれど、なんだかんだで大学卒業後院に進んだ俺は同期たちとろくに連絡も取れないでいた。人の縁は希薄だ。このインターネットが普及した世の中で、繋がりやすくなったど同時に切れやすくなった、と思う。気がついたらメッセージアプリのアカウントが消えていて、電話番号も知らない、大学で配当されたメールアドレスも無効になった連中との縁はぶつりと切れていた。
「おはようございます、ソメヤさん」
「おはようございます」
 ナースステーションの看護師たちに頭を下げて、俺は自分の待機場所へ向かう。
 俺の仕事は、臨床心理士だ。いわゆるカウンセラー、と言うと分かりがいいだろうか。俺の場合は末期患者、およびその家族の心的ケアを行うこと、人の心に寄り添うことが俺の仕事である。もちろん時には看護師のケアを行なうことも。
 臨床心理士、と言っても活躍の場は病院に限った話ではない。学校、企業、色々なところに心理職は存在している。名前が違うだけで。
 今日の予定を確認して、俺は相談室の鍵を開ける。
 カウセリングの基本は、受容と傾聴である。クライエントの言葉を否定せず聞き入れ、認めることである。ただしここに抜け穴がひとつ。
 俺たちは、何があっても「死にたい」という言葉に同意を示すことはない。そんなことをすればクライエントは本当に死んでしまうからだ。
 カウセリングでよく用いられるのはオウム返しにすることであるが、例えば、

「死にたい」
「そうですか、貴方は死にたいんですね」

 こんなやり取りをした日には、お前は何を学んできたんだと殴られても文句は言えない。

「死にたい」
「なるほど、あなたは死にたくなるくらい辛いんですね」

 せめて、こうでなくては。
 俺たちは言葉の形に気をつかう。よき話し相手であることが、大切なのではなかろうかと俺は思う。クライエントとの信頼関係を築き、心を落ち着け、選択する手伝いをすることがカウセリングではなかろうか。まあ、この辺りは若輩の戯言である。受け売り、ともいう。
 心理学、と聞くと「人の心を読めるの?」なんて言う阿呆が一定数いるが、そんなことが出来ていたら、今頃心理学者が政権を握っていたはずだ。
 では心理学とは何か?まあ平たく言うならば心の科学である。生理的な反応や行動、そういったものから心の動きのメカニズムを理解していく、とでも言えばいいのか。もちろん心理学の分野はそれだけに限らない。消費行動、精神病、発達。そういったものでさえ、心理学の範疇である。俺が学生時代に学んだものなんて、心理学のほんの一欠片でしかない。
 カウンセリングを終えて担当医や看護師たちと情報共有を。もちろん守秘義務の範囲内で。けれども伝えておく必要があるだろうことは、伝えておく。俺だって、医師たちに処方されている薬や症状、病気については情報をもらう。学生時代、「病院で働くことを考えているなら、病気についても知っておかないといけない」そう教授から言われた意味を噛み締める日々だ。ある程度レントゲンやCTの画像の読み取りまで必要になってくるのだから、そこらの人よりは病に詳しくなってきたような気がする。
 仕事を終えたころ、スマホがガタガタと揺れた。
 彼女──サクラからの通話だった。
 大学のサークルのチャットグループはときどき動いていた。彼女はあまり顔を出さない。俺も仕事の忙しさやなんとなくきまり悪いのがあって、眺めるのに徹していた。
 電話番号は知らない。メールアドレスも。親父の時代ならありえないことだろうが、俺たち現代の若者にはそんなことはようなあることだ。うっかりアカウントを吹き飛ばせば二度と繋がれない、それでいて強固なツール。
 俺は通話を押した。
「久しぶりじゃん。どした?」 
 返答がない。
「サクラ?もしもーし、聞こえるかー?」
 電波が悪いのだろうか。かけ直す、と言おうとして俺の耳はざらついた、今にも消えそうな電子音を捉えた。
 鼻をすするような、音。
「……泣いてんの?」 
『……ごめん、急に』
「別にいいよ。……なんかあったのか?」
『……』
「なあ、」
『ううん!なんでもない。なんか、声が聞きたくなったっていうか?ほら、なんかチャットでまた集まろうぜーみたいな話あがってたし』
「ああ……」
 そういえば、そんな話が上がっていたような気がする。あまり興味がなくて読み飛ばしたかもしれない。
「お前行くの?」
『いやー、学校の先生って忙しくて!だから、まぁ、……あたしは、いけないかな……』
 心臓が煩かった。
 何かアクションしないと、こいつはどこか遠くへ行く。なぜだかそんな予感があった。
「今度の土曜暇?」
 学校教員なら、土曜日は空いているはずだ。まして小学校なら、部活もない。あるとすればクラブか、出張か。俺だって常勤のカウンセラーだが、土日は休みだ。今日はたまたま出勤しているだけで。指折り数えて7日後の予定をねじ込もうと口を開くと、サクラは眉間に皺でも寄せていそうな、不服げな声を出す。
『え……一応、なんもないけど』
「空けとけよ。そうだな……午前カウンセリングあるから、その後昼メシ食って遊ぼうぜ、久々に。待ち合わせは× × × 駅ロータリー」
 配属された学校は変わってないよな?と確認を取ると短く肯定された。
「じゃあ土曜な」
『え、ちょっとまだ行くっていってな』
 彼女の返答は最後まで聞かぬまま、俺は通話を切った。
 悪いとは思う。思ってはいる。けれども断られた時、なんいうか……危ない、気がした。
「……ソメヤさんって意外と強引なんですね~?」
「げっ」
 顔を出す看護師。
 俺は頬をかいてへらりと笑った。


 土曜日。午前の業務を終えて、俺は車を出した。服装はそのまま。というのも、俺の場合は普段からそんなかっちりした服装をしているわけではない。あくまでカジュアルに、それでいて、頼れそうな、賢そうな。スーツを着れば良いのかもしれないが、あまりクライエントに緊張されても困る。
「よ。すっぽかされるかと思った」
 ロータリーに入って窓を開けるとサクラが不満げに頬を膨らました。学生時代と変わらない、飾り気のないシンプルな出で立ちだった。それが似合っている。
「……すっぽかしは、しない」
 助手席に招いてシートベルトをしたのを確認し、俺は車を走らせた。
「最近どうよ」
「……別に、普通、かな」
 歯切れが悪い。ふぅんと返事を返して、俺はどうやって喋らせようか考える。とりあえず近くのファミレスに入った。学生時代、何度かテスト勉強だのサークルの話し合いだので使ったチェーン店。懐かしい。
 あの頃の俺たちと今の俺たちは違うけれど。
 俺はカレーとソーダを、サクラはオムライスとりんごジュースを注文して、だらだらと、取り留めもない会話をする。
 誰それが結婚した、別れた、仕事を変えたらしい。自分たちのことは棚の上、他人事ばかり話して、ネタが尽きた頃に注文が届いた。
「好きだねぇ、カレー」
「まあな。うまいじゃん」
 沈黙。
 沈黙は苦手ではない。
 無理に話をさせるのは昔から嫌いだ。言いたいなら言えばいい、俺は聞くよ、ちゃんと。その姿勢は臨床心理士として働く今でも大事にしているスタンスだ。
 カウンセラーはセラピストであって、レイピストではない。クライエントの、相手の心の傷をさらに抉るような真似は、しない。カウセリングの時だけではない、それは日常の人付き合いでもそうあるべきだろう。
 代金は割り勘で払った。お互い奢るとか奢られるとか、そういう関係じゃないし、俺たちはこれまでだってずっとそうだった。これからもそうだろう。そうであれ、と思う。俺は多分、最後に会ったままの俺であろうとした。そうあるべきだと思ったから。そうすることで、サクラが楽になると思うから。
 映画を見て、買い物に付き合わせて、付き合って、ゲーセンで3000円吹き飛ばした。
 気づけば学生の時のように、俺はサクラの家に上がり込んでいた。
 別に上がり込んだからって何かをするわけじゃない。する気もない。
「お前さぁ、男をほいほい家に入れるなよ。彼氏いたら悲惨だな」
「いたら連絡取ろうとしないわよバカ」
「言ったなてめぇ」
 言葉のドッジボールみたいな会話。刺の着いた言葉を投げつけて、へし折って。昔は毎日のようにこんなやり取りしてたっけ。
「で?」
 俺は投げられたアルコール飲料の度数を見ながら切り込む。
「悩み事はなんだよ、ソメヤ先生が聞いてやろう」
「はぁ?」
「カウンセラーが聞いてやるって言ってんだよ」
 笑いながら言って、俺はプルタブに指をかけた。
 カウンセラーはクライエントとそれ以外の関係にはならない。親しい人間のカウンセリングはしない。だからこれはジョーク。そんなことはサクラも知っている。
「…はぁ、もう」
 サクラはがしがしと頭をかいた。茶色かった髪はいまは黒くて、毛先が割れている。身なりに気を使う余裕もないほど、教員というのは忙しいのだろうか。
 そうして、ぽつりぽつりとサクラは話し出した。
 辛い、そう言ってくれればいいのに。
 サクラは頑なにその言葉を避けた。
 苦しい、そう言ってくれればいいのに。
 サクラは決してそう言わない。
 もう嫌だと言ってくれ。
 弱音を吐いてくれ。
 そうしたら、俺は、
「──なんか、死にたいなって」
 息が止まるかと思った。
 最適解は知っている。これにどう応じるべきか、俺はわかっているはずなのにそれは言葉にならないでただ、呼吸のまま唇を割る。
「電車を待っている時、思うの。今飛び込んだら楽になるかなって。料理をしている時、これで心臓をついたら……授業をしている時、ここから飛び降りたら……」
 楽になれるわけ、無いのに。
 死にたいくらい辛かったんだな、と口に出して、苦しみを肯定して、これからどうするか一緒に考えていけばいい。カウンセラーとして応じるならそれが正解だった。
 だと言うのに、言葉は詰まって、身体は動いてくれなくて、息が苦しかった。

 カウンセラーは、セラピストは、自分と親しい人間のカウンセリングはしない。

 大学でそう言われたことの本当の意味を、今ここで俺は理解していた。頭の中では分かっていたつもりだったんだのに。
 気持ちがぐらりぐらりと揺らいで、まるで、自分のことのように俺の腹の底を焼いていく。
「……ごめん、こんなこと言うつもりじゃなかった!さ、飲も」
「……おう」
 セラピストとしての言葉ならいくらでも思いつく。けれども、友人として、なんと言えばいいのか、それがぐるぐると頭蓋骨をはね回る。
 ちびちびとアルコールを口にして、俺は目を伏せた。

 そんな仕事、辞めてしまえ。
 大変だったな。
 お前は悪くない。

 どれもハズレな気がした。
 何を言えばいいのか分からなかった。
 何年カウンセラーやってんだよ、と頭の中の冷静な部分が毒を吐く。
「……なんでアンタが泣くのよ」
「……お前が泣かんからだボケ」
 情けない。
 俺は、カウンセラーだ。
 俺は、俺で、サクラは、サクラ。
 こいつの苦しみは俺の苦しみとは違う。
 必要なのは寄り添いで、投影ではない。
「……ばかね」
「今更だろ」
「……うん」
 
 心臓がうるさかった。
 うるさくならない為にどうしたらいいのか知っていた。
 そっとアルコールが俺の背中を押す。

「なあ、サクラ」

「んー?」

「7日間の法則って知ってるか」

 はあ?と剣呑な眼差しを向けるサクラに俺は歯を吹き出しにして笑った。
 少しばかり格好つけたって、怒られやしないだろう。
 これで振られたらその時は笑い話にしてやればいい。
 
「7日あったら告白するには十分だって話」

 お前が死にたいと言うなら、俺を生きる理由にしてくれないか。
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