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第1章 ダンジョン
第52話 自宅ダンジョン第4層
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本日17時。
The Outsider ーmemorandumーにて、
第6話 自宅ダンジョン 第4層 取得物一覧を公開いたします。
===============================
「どうかされましたか? 」
朝8時、苦笑いしている俺を見てマヤが気遣ってくれる。
「昨日の夜。リンに自宅を締め出されてね。今朝は何の準備もできていない」
「お迎えに参りました」
後ろから声がかかる。振り向くと朝シャンをすましたロミナが探索用の装束で突っ立っていた。
「俺の自宅に入る許可が頂けたようだ。行こうか」
リビングに入ってから3人に「これから朝食の用意をはじめる」と宣言し、その間に洗髪をすますようにマヤに告げる。
マヤはリンも洗髪を終えていることを一瞥すると、そそくさと浴室に向かった。
その背中に、熱いパンやベーコンを食べたいのであれば15分で戻ってくるようにと、長風呂をさせないため釘をさす。
以前マヤが朝食は簡単にすますと言っていたけれど、ここは日本なのだから異世界基準に合わせることもないだろう。日本基準の朝食を提供するつもりだ。
母の食事を用意していた頃のように、複数の手順を効率よく組み合わせた作業工程を手早く決める。勿論1人で遂行する作業工程だ。少女2人は何をすることもなくリビングに流れる音楽を聴きながらソファーに座っている。
多分、今日向かうことになるダンジョン第4層攻略について、上級者のみに許される複雑なシミュレーションを脳内で行っているのではないだろうか……そう自身に言い聞かせて無理やり納得させる。
ブロックで売っている長辺30cmのベーコンを3~5mmの厚さでスライスしていく。何故市販のベーコンは薄さの限界に挑戦したようなものしか売っていないのだろう。
水をさっと通したフライパンをガスコンロに置き点火する。次いでオーブントースターでパンを焼きはじめる。ベーコンの焼き具合をちらちらと確認しながら、水洗いしたレタスと、昨日買ってきた半額シール付きの千切りキャベツに水をくぐらせる。
キッチンでの作業を一通り済ましてからリビングと往復し、テーブルに三種類のドレッシング瓶とコップを四個並べていく。洗う手間を省くためにコップは人数分しか置かない。
テーブルの中央に、鍋敷きと焼き立てのベーコンが入ったままのフライパンと菜箸を置き、対角線上にキャベツとレタスを入れたボールを2個ずつ合計4個配置し、果汁100%のオレンジ・アップル・グレープフルーツを並べたところで、生乾きの髪にタオルを当てたマヤがリビングに入ってきた。
焼き上がった3種類のパンを皿に載せ、パンの1部はフライパンの隅に立てかけるように置いておく。
「俺はキッチンを片付けるから3人は先に食事をはじめて。違う種類のパンが3種類あるので、お好みサンドウィッチをアレンジしてほしい」
包丁や俎板、メッシュボール等を洗い、コンロ周りの油跳ねの清掃を終えてリビングに戻ると、俺の食べる分がどこにもなかった……朝は小食じゃないのかよ。
コップが4個あるのに、何故この娘たちは食べ物を3等分にしてよいという発想に至ったのか。
俺の耳に「天上の音楽」と称されたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番第2楽章が入ってくる。ロベール・カサドシュの弾くピアノが斯くも物悲しく聞こえたのははじめてだった。誰も音楽なんか聴いていない……ドレッシングとジュースの味比べが最大の関心事らしい。
今更、俺用の食事を用意する気にもならず、パックご飯をレンチンして海苔を巻き、キッチンで簡単に1人の朝食をすます。
既に寝起きの顔を見られているし、外出するわけでもないのだからシャワーを使わず、歯磨きとトイレだけをしてリビングに戻ると、マヤがテーブルに出してあったものをキッチンに運んでくれていた。正直、ちょっと感動した。
リンは図書館に行かせて、昨日のように3人でダンジョンに行くつもりだったが気がかわる。魔法の弓に興味があったのと、食べた分は働いてもらうべきだと思い直した。
俺が食べていない朝食の後片づけをして、3人にダンジョン第4層へ向かう準備ができているのかを確認し、4人でベランダへ向かう。
第1層。歩きながらハンドサインの打ち合わせをする。「止まれ」「あれを見ろ」「下がれ」といった10のサインを決めた。
第2層では、交代で前に出て1人1人が2・3種類のハンドサインを試し、間違って覚えていないかの確認をする。モンスターのいる部屋だけはマヤが先陣を切るのは昨日と同じ。
第3層。2層とはリポップ間隔が違うのか、モンスターには遭遇せず4層入口に到着した。
時計を見ると正午前だったので昼休憩を提案する。
休憩中に範囲攻撃を受けて全員が負傷するわけにはいかないので、カバーをずらして明るさを調節した龕灯《ガンドウ》を中央に置き、ばらけて座る。
各々が他の3人を見える位置取りを占め、他の3人の背後に気を配る。
各自が持ち込んだ保存食を食べはじめた。
俺はバックパックから防災用のミルクビスケット缶を取り出す。
食べていると何度かマヤと視線が合った。
朝食の意趣返しで意地悪してやろうかとも思ったが、大人げがないことをしても得られるものは何もないので止めておく。
「食べてみる? 」
マヤに話しかけると3人全員が俺の前に来た。
軽めの昼食を摂《ト》り腹ごなしの30分。時折マヤに背中を押してもらうこともあったが、間隔を置いてだらだらと柔軟運動をする。
上陸作戦の規模としては3番目* なのに、洋画の迷訳のせいで何故か史上最大と現代まで語り継がれるノルマンディー上陸作戦。
連合国の兵隊たちは作戦直前の食事で腹一杯詰め込んだため、腹部に怪我をした兵士には致命傷となってしまった。この戦訓を取り入れた連合国は、以降の作戦行動では作戦開始前の食事が制限されることになった。
などということを思い出しながら、消化を促すため体の右側を下にして横向に寝たまま、昨日のお勉強の復習を望んだリンにつきあい、中高生理科のお浚いをする。
いよいよ第4層。
公社のホームページで仕入れた低脅威度ダンジョンの知識は最早全く役に立たない。
先頭はマヤ。次が俺。前方3割右側方7割ぐらいの配分で警戒する。俺の後ろがロミナ。前方3割左側方7割ぐらいの配分で警戒してくれと頼んだが、きちんと言われた通りのことをしてくれるのだろうか。最後尾がリン。後方の警戒を頼んだ。ちゃんとやってくれるのかどうかは神のみぞ知るというやつだな。
冷たい石の通路を、靴底が擦れる乾いた音だけを響かせながら、30m程の通路を進む。第1層をスタスタと歩いて行ったマヤの歩行速度も、第4層では半分ぐらいになっている。
最初の部屋。10数m四方の大きさで中央には大岩が鎮座していた。
マヤ1人が室内に入って行き、俺とロミナは入り口で部屋内部の左右をそれぞれ警戒する。念のため振り向くとリンは指示したとおりに後方を警戒していた。
室内を1周し、安全を確認したマヤがこちらを見て肯く。俺たち3人は四周を警戒しながら中央の大岩に近づく。
大岩の上にあるオーブ(緑)2個を手に取ると、硬軟それぞれが1個だった。俺はバックパックにオーブを入れると手早く室内のマッピングをはじめる。
人数割の取り分をリンは要求しているが、揉めずに等分化なんて可能なのだろうかと頭の隅で考えながら、今回から使用する竹ペンの使い勝手の悪さに戸惑う。
公社HPではインクよりも墨液の方が持ちが良いということになっているが、書いたものが何時迄残っているのかの補償はない。
「マヤ。日本の筆記具ではダンジョン内で書いたものが長時間残らないのだけれど、魔素のある君たちの世界では何を使って文字を書いているの? 」
「魔石を細かく磨り潰したものをインクに混ぜているという話は聞いたことがありますけれど、詳しいことはわかりません」
「マヤ様。それはスクロールを作成するときに使用するインクのことではありませんか?」
「そうね。普段使いのインクには特殊な処理をしていないはずよ」
「頼み事が続くが、マヤの世界の筆記具を一式貰えないだろうか? 」
「そんなことでしたら容易いことです。今度お持ちいたします。ですが……但馬さんから受け取る予定の書物も直ぐに文字が消えてしまうのでしょうか? 」
「えっ? 」
「ちょっと待って。どういう事? 」
「1度でもダンジョンに持ち込んだ印刷物は遅かれ早かれ文字が消えていくのだけれど、持ち込んだ期間や、紙と本で、消えていく時間には統一性がない。使われているのが酸性紙だと紙や本もボロボロになって消えると言われている。だから日本の本を持ち込むのなら最優先で書き写す必要があると思うけれど、試してみないとどうなるのか、今予見はできない」
何故か農業に興味を示さないロミナまでが、珍しく眉をひそめ、何か考え込んでいる。
「じゃぁ行こうか。左右に出入り口が見えるけれどどっちにする? 」
「確か但馬さんは左手側から順繰りに周られているのでしたね。入ってきたところからですと左側の方が近いですから、あちらに参りましょう」
通路を少し進むと20m四方ぐらいの広い部屋にでた。中央の大岩近くからガシャガシャと耳障りな金属音をたてながら何かが近づいてきた。
「Animated Objectです」
「待て突っ込むなマヤ! 向こうからこっちにこさせろ。リン! 魔弓で迎撃」
鉄檻の4隅の底部から延びた4本の鎖を足のように器用に動かし、2本の腕のような鎖を振り回しつつ鉄の檻が10mぐらい先から近づいてくる。鉄と石が擦れる耳障りな音が、静寂をぶち壊した。
珍妙な動き方をする鉄檻の挙動を読んで、底部が見えそうな瞬間に俺は槍を投げつけ、リンは矢を放った。鉄檻が立ち止まるとリンは透かさず2射目を放つ。今度の矢は前方に傾斜した底部の上面に命中した。
「行きます! 」
1度立ち止まった鉄檻が4mぐらいにまで近づいてきたところでマヤが地を蹴って走り出す。
振り下ろされる鎖を避けながら、俊敏な動作でマヤが3度切りつけると鉄檻は音もなく消滅した。
「但馬さん! もしこのモンスターに近接戦闘外の手段があったら、入口に集まっていた私たちが危険でしたよ! どういうおつもりですか! 」
マヤが顔を赤くして、怒りを滲ませた声を出しながら振り返った。
「もし俺の指示が間違っていたとしても、この面子なら瞬時に反応できたろ? 正しかったから皆俺の言うことに従ってくれたんじゃないの」
むしろ俺の指示が間違っていても、黙って言いなりになる奴が今ここに1人でもいるのかと問い質したい。
「最初に言いましたよね。戦闘中には何もしないでほしいと。但馬さんも了承してくれたではないですか」
落ちていた魔槍と魔石を拾ってマヤがこちらにやってくる。
「2層や3層だったら、マヤ単独で対応できたから全て任せたけれど、この層からは集団戦を念頭に戦術を組むべきだ。マヤを犠牲にして俺が後ろで見ているだけというのは耐えられない」
マヤが前に突き出してきた魔槍を受け取りながら、妥協してくれそうなロジックに話をすり替える。
「心配……してくれたのですか? 」
マヤの険しかった表情が一瞬で和らぐ。
「ねぇ、あんたの言う戦術って何? 」
リンが会話に割り込んできた。
「範囲攻撃できる相手だったらマヤの判断に任せる。近接戦しかできないのなら相手がこちらに近づいてくるのを待って、接近中にできるだけダメージを与える。先頭で戦うマヤの支援はロミナとリンに委ねる。俺は戦闘中後方の警戒に専念する。遠距離攻撃手段のあるモンスターが複数いるのなら一旦撤退して、策を考えてから再突入。今考えているのはそんなところかな」
「ふ~ん」
リンは俺の言ったことに粗がないかを勘案しはじめた。
「そういえば矢が落ちていなかったな。それとリンは矢を何本持ち歩いているの? 」
「あらっ、我が家伝来の魔弓には矢も弦もないわよ。ほらっ」
誇らしげに魔弓を差し出すリン。確かに戦闘直後なのに弦がない。
自宅で見たときは、普段外していて戦闘前に弦を張るのかと思っていたが、最初から弦はいらないのか。
「それにね、ただ矢が放てるだけじゃなくて色々特殊効果付きの攻撃もできるのよ。何ができるのかは今後のお楽しみね」
魔弓に興味をもった俺に、リンは嬉しさを隠さず解説してくれた。
「但馬さん」
マヤが神妙な顔をしている。
「確かに私1人で戦うより、但馬さんの仰る通りにした方が良さそうです。今後は但馬さんの仰った戦術で臨みます。但し……戦闘の指揮はこれまで通り私に任せてくださいね」
そう言い終えるとマヤは歩き出す。
50m程進んだら通路が行き止まりになっていた。分岐に引き返し別の通路を選択する。又50m程で通路が行き止まる。
分岐から違う通路を選びなおし30m程進むと、漸く10m四方ぐらいの部屋にでた。
マヤが部屋中央の大岩に慎重に近づく、何かを確認したのか振り返り俺を見る。
「あの指輪の[アナライズ]を今行いますか? 後にしますか? 」
指輪と聞いて心が弾む。ファンタジー心を刺激するパワーワードだ。
つかつかと大岩に歩み寄り、俺は[鑑定]を使った。
指輪{呪文反射}
この指輪をはめた者に対してかけられた呪文をかけた術者に反射する効果がある。範囲呪文に対しては効果がなく、呪文に似た特殊能力やマジックアイテムによる魔法効果は反射できない。
[鑑定]の内容を説明するとリンが1歩前に出た。
「この階層の報酬はそれにするわ」
マヤを見る。渋そうな顔をしている。
ロミナを見る。相も変わらない能面だ。
大岩から摘まみ上げた指輪をリンに手渡す。魔弓の説明をするときと同じくらいの笑顔で受け取ったリンは、早速指輪を右手の小指にはめた。
第4層のオーブ(緑)が置いてあった最初の部屋に戻ってきた。
この部屋に入ってきて選んだ左側の通路は全て行き止まりだったので、正面に見えるもう1つの出口に向かう。
2つ目の部屋。10m四方の部屋中央の大岩に視線を向けると、2匹の四肢動物がむくりと起き上がったところだった。
体高は1mちょっと。最重量級の相撲取りが四つん這いになったような大きさだ。
マヤが、その醜悪な姿に一瞬立ち竦む。
俺の横を誰かが通りすぎた。
「[ライトニング・ボルト] 、Yeth Houndです。[咆哮]させないように2頭両方に間断ない攻撃を続けてください。右はわたくしが処理します。マヤ様は射線を妨げないように左に回り込んでの攻撃をお願いします。リン様も左を攻撃してください」
ロミナの指先からコーン状の電撃が伸び2頭の四肢動物に直撃した。
弾かれたようにマヤが左に大回りし四肢動物への攻撃を敢行する。
「[マジック・ミサイル]」
「{貫通矢}」
ロミナの頭上に光を帯びた五本の矢が浮かぶ。それぞれの矢が右・右上・真上・左上・左と、等間隔の弧を描き目標へ同時に着弾し魔物は消滅した。
もう1頭は、魔法攻撃と向けられた弓と接近するマヤの対応に躊躇したのか反応が遅れている。
そこにリンの放った矢が正面に命中し、矢は目標の体内を通り抜け尻から飛び出して行った。マヤが剣をふるう前に魔物は消滅した。
「[マジック・ミサイル]5本は凄いわね。5本同時に放てる人はこの国に何人いるのかしら」
そう感嘆したマヤは俺の腕を後ろから人差し指で突く。
「あなたは何本放てるの? 」
「1本だけ」
「そう。先は長そうだけれど、頑張りなさい」
リンが真面目な表情と落ち着いた声色で励ましてくれている。
見せ場のなかったマヤが魔石を拾ってからトボトボと戻ってきた。
「皆さま。申しわけありません。2度と今のような失態を犯しません」
そう言ってマヤは頭を下げる。
「あたしが先頭にいたらマヤと同じように驚いたわ。あんな醜悪な顔をした巨大犬なんだもの」
「通路の天井に魔物が潜んでいたこともあるから、どこも危険なのだろうけれど、俺も今回が一番驚いた。無警戒に踏み込まず、部屋の入り口から中を覗き込んで直ぐに引き返した場合、中にいるモンスターは追いかけてくるの? 」
「知性の高いモンスターは別ですが、基本的には私たちが部屋に入らないとこちらを敵と認識できないようです。でも部屋の外から挑発や攻撃をした場合にはこちらを敵と認識して追いかけてきます」
「部屋の外から灯りを当てて中を確認し、何かいたら後ろに下がって策を練るというのは? 」
「無駄よ。それも挑発行為だわ」
「つまり、これまで通り遭遇したらその都度臨機応変に対処するしかないわけか」
「そうなるわね」
「マヤにばかり負担をかけて申し訳ない。次は前衛を任せられる人を紹介してもらえると助かるね」
「……どうしても、このダンジョンを攻略しないといけませんか? 」
「自宅とダンジョンが繋がっているってのは不安だと思わない? 」
「……そうですね」
「あら? 暫くは、あの狭い家に私がいるのだから大丈夫よ。あっ! その場合はダンジョン入口で寝ているあんたは真っ先に死んでいるわね」
誰も笑わない。
「行きましょうか」
ジョークが不発だったリンが力なく呟《ツブヤ》いた。
マヤが先頭に立ち先に進む。
部屋を思わせる通路の広がりがあると、互いに視線を交わし臨戦態勢で慎重に覗き込む。
幾つ目かの部屋を覗き込もうと、龕灯の明かりを向けるや否や、マヤが叫んだ。
「来た道を戻って! 走って! 」
部屋の中央に子供が何人かいた。
「Derro です。毒付きの弓矢か魔法を使うかもしれません」
右に左にと、曲がりくねった通路を走りながらマヤが説明してくれた。
通路が大きく湾曲し長い直線にでる。
「止まって! 」
俺はバックパックからワンドを外して構える。直径12mの半球だから通路の狭さを勘案し20mはあるだろうと思える場所に位置取る。
飯を食っているときにロミナが話してくれたが、開豁地における火球の効果範囲である半球の体積と、狭い空間における効果範囲とは、必ずしも同じではないとのことで、ここまで安全マージンをとる必要はないらしい。
最初の1人が見えたところでワンドを振り下ろす。
低い轟音と共に爆発する火球。
慎重に爆発後の発火地点に近ずくと、通路には魔石が4個転がっていた。マヤが視認した人数と同じなので、Derroとやらの不意打ちは警戒しなくてよさそうだ。
念の為、大岩のある部屋に行って確認したがモンスターは残っていなかった。全員で追いかけてきたようだ。
俺はバックパックから軟オーブ(橙)を3個取り出し1人1人に毒消し用として手渡す。
「あんた! もっと早くに出しなさいよ」
そう言うとリンは受け取った軟オーブ(橙)を飲み物にかえて即座に飲み始めた。
他の2人も同じことをしている。
「但馬さんは飲まないのですか? 」
「何を? 」
「毒中和です」
「毒矢が中ってから毒消しを飲んでも間にあわないでしょ。先に飲んでおくのよ。そんなことも知らないの? 」
……あぁそういう風に使うのか。
「えっと、飲んでから効果の続く時間ってどれぐらいなのかな? 」
「数時間は続きます。でも、毒の強弱やその人の体質によります」
納得して俺も軟オーブ(橙)を毒中和薬にかえて飲んだ。
100m程進む。通路が片側にのみ不自然に膨らんだ6m四方ぐらいの空間。
何故か無造作にスクロールが3巻打ち捨てられていた。
そういえば、1番最初の硬オーブ(赤)もこんな感じに地面に転がっていたな……あれは8日前のことか……あのときは1人だった。
「どうかされましたか? 」
心配そうな顔でマヤが俺の様子を伺う。
「念の為[危険感知** ]を使おうかなと」
「そうした方が良いかもしれませんね」
反応が無かったのでスクロールを手に取る。
「緑が2巻に黄が1巻だけど、ロミナは本当にいらないの? 」
「はい」
俺はマヤをちらりと見る。何故私を見るのだろうかと、不思議そうな顔をして首を傾げているのがかわいい。
今度は邪魔しないよね。俺は何が起きても絶対に精神集中を途切らせないと自分に言い聞かせてスクロールを開く。
[動物召喚]緑
魔法的な存在ではない、近隣に存在する動物を召喚する魔法。
召喚された動物は30分間その能力の及ぶ限り術者を助けようとしてくれる。
[次元の扉]緑
術者の3m以内にいる対象1体を、術者が指定した108m以内の場所に瞬時に移動させる。対象が敵対していると一定の確率で失敗する。
[加速]黄
72m以内の対象となった生物に30分間、呪文使用やマジックアイテム使用に関する行動を除いて、移動速度と物理攻撃の回数が倍加する。
程々に使い勝手の良い魔法が手に入った。
「マヤ。戦闘中に俺が『マヤ! 』とだけ言ったら、その直後に[次元の扉]を使ってマヤを敵の背後に瞬間移動させていいかな? 」
「………… 絶対に止めてください! 」
怒られた。
そこから100m程進むとコーン状、漏斗の受け口側のような、手前側が左右に広く奥側が狭い部屋に出た。
「侵入者か! 」
部屋の奥から女性の問い質す声が飛んでくる。
龕灯の灯りを声のした方向へ向ける。
10数m先に長い白髪と黒い肌の痩身女性がいた。
ブレスト・プレートを装着し、ヘヴィ・シールドを構えている。
「この痴れ者! [Deeper Darkness ]」
周囲が暗黒に包まれた。
「言葉の意味はわかりませんが恐らくエルフ語です。Drowの貴族だと思います。今は向こうからも見えません。毒の矢を警戒しつつ少し下がりましょう」
マヤの指示で10m程下がり、左右に2人ずつ壁を背にして立つ。
「但馬さん。[ファイアーボール]を使っていただけますか。その後に[ライト]で[ディーパー ダークネス]を解呪してください。暗闇が払われたら私が突進して倒します。お二方も、可能であればご支援をお願いします」
反対側にいたロミナとリンが肯く。
「[火球]」
低い轟音と共に爆発する火球が暗闇を一瞬薙ぎ払う。悲鳴が聞こえたが直ぐに元の暗闇に戻る。
「[光球]」
[深闇]が[光球]と相殺し、龕灯の灯りが部屋の奥を照らす。
「[ファイアー・ボルト]」
ロミナの[火矢]に続いてリンも弓を放つ。
脱兎の如く駆けて行くマヤの足が途中で止まった。
ゲームのように武具や防具が手に入ると思ったのに、Drowと共に装備も消えていく。
ドロップアイテムは手に入らないのか、マヤたちに聞こうかとも思ったけれど、死体の持ち物を持ち去る行為が色々な所からどういう風に見なされるのかわからないので聞くのはやめた。
Drowが立っていた後ろに、部屋のもう一方の出入り口があったので先に進む。
少し行くと奥行きが10mちょっとありそうな長方形の部屋に出た。
大岩が3個等間隔に並んでいて、中央に透明オーブ、奥の岩にはアームレットが置いてある。
恐らくは更に進むと第5層への入り口があるのだろう。
俺はアームレットの上に透明オーブを載せた。
_______________________________________________________
* 1.沖縄への上陸作戦
2.シチリア島への上陸作戦
3.北仏(ノルマンディー)への上陸作戦
** 1時間持続。数メートル以内の悪意のある生物・罠・毒を知覚できる。
The Outsider ーmemorandumーにて、
第6話 自宅ダンジョン 第4層 取得物一覧を公開いたします。
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「どうかされましたか? 」
朝8時、苦笑いしている俺を見てマヤが気遣ってくれる。
「昨日の夜。リンに自宅を締め出されてね。今朝は何の準備もできていない」
「お迎えに参りました」
後ろから声がかかる。振り向くと朝シャンをすましたロミナが探索用の装束で突っ立っていた。
「俺の自宅に入る許可が頂けたようだ。行こうか」
リビングに入ってから3人に「これから朝食の用意をはじめる」と宣言し、その間に洗髪をすますようにマヤに告げる。
マヤはリンも洗髪を終えていることを一瞥すると、そそくさと浴室に向かった。
その背中に、熱いパンやベーコンを食べたいのであれば15分で戻ってくるようにと、長風呂をさせないため釘をさす。
以前マヤが朝食は簡単にすますと言っていたけれど、ここは日本なのだから異世界基準に合わせることもないだろう。日本基準の朝食を提供するつもりだ。
母の食事を用意していた頃のように、複数の手順を効率よく組み合わせた作業工程を手早く決める。勿論1人で遂行する作業工程だ。少女2人は何をすることもなくリビングに流れる音楽を聴きながらソファーに座っている。
多分、今日向かうことになるダンジョン第4層攻略について、上級者のみに許される複雑なシミュレーションを脳内で行っているのではないだろうか……そう自身に言い聞かせて無理やり納得させる。
ブロックで売っている長辺30cmのベーコンを3~5mmの厚さでスライスしていく。何故市販のベーコンは薄さの限界に挑戦したようなものしか売っていないのだろう。
水をさっと通したフライパンをガスコンロに置き点火する。次いでオーブントースターでパンを焼きはじめる。ベーコンの焼き具合をちらちらと確認しながら、水洗いしたレタスと、昨日買ってきた半額シール付きの千切りキャベツに水をくぐらせる。
キッチンでの作業を一通り済ましてからリビングと往復し、テーブルに三種類のドレッシング瓶とコップを四個並べていく。洗う手間を省くためにコップは人数分しか置かない。
テーブルの中央に、鍋敷きと焼き立てのベーコンが入ったままのフライパンと菜箸を置き、対角線上にキャベツとレタスを入れたボールを2個ずつ合計4個配置し、果汁100%のオレンジ・アップル・グレープフルーツを並べたところで、生乾きの髪にタオルを当てたマヤがリビングに入ってきた。
焼き上がった3種類のパンを皿に載せ、パンの1部はフライパンの隅に立てかけるように置いておく。
「俺はキッチンを片付けるから3人は先に食事をはじめて。違う種類のパンが3種類あるので、お好みサンドウィッチをアレンジしてほしい」
包丁や俎板、メッシュボール等を洗い、コンロ周りの油跳ねの清掃を終えてリビングに戻ると、俺の食べる分がどこにもなかった……朝は小食じゃないのかよ。
コップが4個あるのに、何故この娘たちは食べ物を3等分にしてよいという発想に至ったのか。
俺の耳に「天上の音楽」と称されたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番第2楽章が入ってくる。ロベール・カサドシュの弾くピアノが斯くも物悲しく聞こえたのははじめてだった。誰も音楽なんか聴いていない……ドレッシングとジュースの味比べが最大の関心事らしい。
今更、俺用の食事を用意する気にもならず、パックご飯をレンチンして海苔を巻き、キッチンで簡単に1人の朝食をすます。
既に寝起きの顔を見られているし、外出するわけでもないのだからシャワーを使わず、歯磨きとトイレだけをしてリビングに戻ると、マヤがテーブルに出してあったものをキッチンに運んでくれていた。正直、ちょっと感動した。
リンは図書館に行かせて、昨日のように3人でダンジョンに行くつもりだったが気がかわる。魔法の弓に興味があったのと、食べた分は働いてもらうべきだと思い直した。
俺が食べていない朝食の後片づけをして、3人にダンジョン第4層へ向かう準備ができているのかを確認し、4人でベランダへ向かう。
第1層。歩きながらハンドサインの打ち合わせをする。「止まれ」「あれを見ろ」「下がれ」といった10のサインを決めた。
第2層では、交代で前に出て1人1人が2・3種類のハンドサインを試し、間違って覚えていないかの確認をする。モンスターのいる部屋だけはマヤが先陣を切るのは昨日と同じ。
第3層。2層とはリポップ間隔が違うのか、モンスターには遭遇せず4層入口に到着した。
時計を見ると正午前だったので昼休憩を提案する。
休憩中に範囲攻撃を受けて全員が負傷するわけにはいかないので、カバーをずらして明るさを調節した龕灯《ガンドウ》を中央に置き、ばらけて座る。
各々が他の3人を見える位置取りを占め、他の3人の背後に気を配る。
各自が持ち込んだ保存食を食べはじめた。
俺はバックパックから防災用のミルクビスケット缶を取り出す。
食べていると何度かマヤと視線が合った。
朝食の意趣返しで意地悪してやろうかとも思ったが、大人げがないことをしても得られるものは何もないので止めておく。
「食べてみる? 」
マヤに話しかけると3人全員が俺の前に来た。
軽めの昼食を摂《ト》り腹ごなしの30分。時折マヤに背中を押してもらうこともあったが、間隔を置いてだらだらと柔軟運動をする。
上陸作戦の規模としては3番目* なのに、洋画の迷訳のせいで何故か史上最大と現代まで語り継がれるノルマンディー上陸作戦。
連合国の兵隊たちは作戦直前の食事で腹一杯詰め込んだため、腹部に怪我をした兵士には致命傷となってしまった。この戦訓を取り入れた連合国は、以降の作戦行動では作戦開始前の食事が制限されることになった。
などということを思い出しながら、消化を促すため体の右側を下にして横向に寝たまま、昨日のお勉強の復習を望んだリンにつきあい、中高生理科のお浚いをする。
いよいよ第4層。
公社のホームページで仕入れた低脅威度ダンジョンの知識は最早全く役に立たない。
先頭はマヤ。次が俺。前方3割右側方7割ぐらいの配分で警戒する。俺の後ろがロミナ。前方3割左側方7割ぐらいの配分で警戒してくれと頼んだが、きちんと言われた通りのことをしてくれるのだろうか。最後尾がリン。後方の警戒を頼んだ。ちゃんとやってくれるのかどうかは神のみぞ知るというやつだな。
冷たい石の通路を、靴底が擦れる乾いた音だけを響かせながら、30m程の通路を進む。第1層をスタスタと歩いて行ったマヤの歩行速度も、第4層では半分ぐらいになっている。
最初の部屋。10数m四方の大きさで中央には大岩が鎮座していた。
マヤ1人が室内に入って行き、俺とロミナは入り口で部屋内部の左右をそれぞれ警戒する。念のため振り向くとリンは指示したとおりに後方を警戒していた。
室内を1周し、安全を確認したマヤがこちらを見て肯く。俺たち3人は四周を警戒しながら中央の大岩に近づく。
大岩の上にあるオーブ(緑)2個を手に取ると、硬軟それぞれが1個だった。俺はバックパックにオーブを入れると手早く室内のマッピングをはじめる。
人数割の取り分をリンは要求しているが、揉めずに等分化なんて可能なのだろうかと頭の隅で考えながら、今回から使用する竹ペンの使い勝手の悪さに戸惑う。
公社HPではインクよりも墨液の方が持ちが良いということになっているが、書いたものが何時迄残っているのかの補償はない。
「マヤ。日本の筆記具ではダンジョン内で書いたものが長時間残らないのだけれど、魔素のある君たちの世界では何を使って文字を書いているの? 」
「魔石を細かく磨り潰したものをインクに混ぜているという話は聞いたことがありますけれど、詳しいことはわかりません」
「マヤ様。それはスクロールを作成するときに使用するインクのことではありませんか?」
「そうね。普段使いのインクには特殊な処理をしていないはずよ」
「頼み事が続くが、マヤの世界の筆記具を一式貰えないだろうか? 」
「そんなことでしたら容易いことです。今度お持ちいたします。ですが……但馬さんから受け取る予定の書物も直ぐに文字が消えてしまうのでしょうか? 」
「えっ? 」
「ちょっと待って。どういう事? 」
「1度でもダンジョンに持ち込んだ印刷物は遅かれ早かれ文字が消えていくのだけれど、持ち込んだ期間や、紙と本で、消えていく時間には統一性がない。使われているのが酸性紙だと紙や本もボロボロになって消えると言われている。だから日本の本を持ち込むのなら最優先で書き写す必要があると思うけれど、試してみないとどうなるのか、今予見はできない」
何故か農業に興味を示さないロミナまでが、珍しく眉をひそめ、何か考え込んでいる。
「じゃぁ行こうか。左右に出入り口が見えるけれどどっちにする? 」
「確か但馬さんは左手側から順繰りに周られているのでしたね。入ってきたところからですと左側の方が近いですから、あちらに参りましょう」
通路を少し進むと20m四方ぐらいの広い部屋にでた。中央の大岩近くからガシャガシャと耳障りな金属音をたてながら何かが近づいてきた。
「Animated Objectです」
「待て突っ込むなマヤ! 向こうからこっちにこさせろ。リン! 魔弓で迎撃」
鉄檻の4隅の底部から延びた4本の鎖を足のように器用に動かし、2本の腕のような鎖を振り回しつつ鉄の檻が10mぐらい先から近づいてくる。鉄と石が擦れる耳障りな音が、静寂をぶち壊した。
珍妙な動き方をする鉄檻の挙動を読んで、底部が見えそうな瞬間に俺は槍を投げつけ、リンは矢を放った。鉄檻が立ち止まるとリンは透かさず2射目を放つ。今度の矢は前方に傾斜した底部の上面に命中した。
「行きます! 」
1度立ち止まった鉄檻が4mぐらいにまで近づいてきたところでマヤが地を蹴って走り出す。
振り下ろされる鎖を避けながら、俊敏な動作でマヤが3度切りつけると鉄檻は音もなく消滅した。
「但馬さん! もしこのモンスターに近接戦闘外の手段があったら、入口に集まっていた私たちが危険でしたよ! どういうおつもりですか! 」
マヤが顔を赤くして、怒りを滲ませた声を出しながら振り返った。
「もし俺の指示が間違っていたとしても、この面子なら瞬時に反応できたろ? 正しかったから皆俺の言うことに従ってくれたんじゃないの」
むしろ俺の指示が間違っていても、黙って言いなりになる奴が今ここに1人でもいるのかと問い質したい。
「最初に言いましたよね。戦闘中には何もしないでほしいと。但馬さんも了承してくれたではないですか」
落ちていた魔槍と魔石を拾ってマヤがこちらにやってくる。
「2層や3層だったら、マヤ単独で対応できたから全て任せたけれど、この層からは集団戦を念頭に戦術を組むべきだ。マヤを犠牲にして俺が後ろで見ているだけというのは耐えられない」
マヤが前に突き出してきた魔槍を受け取りながら、妥協してくれそうなロジックに話をすり替える。
「心配……してくれたのですか? 」
マヤの険しかった表情が一瞬で和らぐ。
「ねぇ、あんたの言う戦術って何? 」
リンが会話に割り込んできた。
「範囲攻撃できる相手だったらマヤの判断に任せる。近接戦しかできないのなら相手がこちらに近づいてくるのを待って、接近中にできるだけダメージを与える。先頭で戦うマヤの支援はロミナとリンに委ねる。俺は戦闘中後方の警戒に専念する。遠距離攻撃手段のあるモンスターが複数いるのなら一旦撤退して、策を考えてから再突入。今考えているのはそんなところかな」
「ふ~ん」
リンは俺の言ったことに粗がないかを勘案しはじめた。
「そういえば矢が落ちていなかったな。それとリンは矢を何本持ち歩いているの? 」
「あらっ、我が家伝来の魔弓には矢も弦もないわよ。ほらっ」
誇らしげに魔弓を差し出すリン。確かに戦闘直後なのに弦がない。
自宅で見たときは、普段外していて戦闘前に弦を張るのかと思っていたが、最初から弦はいらないのか。
「それにね、ただ矢が放てるだけじゃなくて色々特殊効果付きの攻撃もできるのよ。何ができるのかは今後のお楽しみね」
魔弓に興味をもった俺に、リンは嬉しさを隠さず解説してくれた。
「但馬さん」
マヤが神妙な顔をしている。
「確かに私1人で戦うより、但馬さんの仰る通りにした方が良さそうです。今後は但馬さんの仰った戦術で臨みます。但し……戦闘の指揮はこれまで通り私に任せてくださいね」
そう言い終えるとマヤは歩き出す。
50m程進んだら通路が行き止まりになっていた。分岐に引き返し別の通路を選択する。又50m程で通路が行き止まる。
分岐から違う通路を選びなおし30m程進むと、漸く10m四方ぐらいの部屋にでた。
マヤが部屋中央の大岩に慎重に近づく、何かを確認したのか振り返り俺を見る。
「あの指輪の[アナライズ]を今行いますか? 後にしますか? 」
指輪と聞いて心が弾む。ファンタジー心を刺激するパワーワードだ。
つかつかと大岩に歩み寄り、俺は[鑑定]を使った。
指輪{呪文反射}
この指輪をはめた者に対してかけられた呪文をかけた術者に反射する効果がある。範囲呪文に対しては効果がなく、呪文に似た特殊能力やマジックアイテムによる魔法効果は反射できない。
[鑑定]の内容を説明するとリンが1歩前に出た。
「この階層の報酬はそれにするわ」
マヤを見る。渋そうな顔をしている。
ロミナを見る。相も変わらない能面だ。
大岩から摘まみ上げた指輪をリンに手渡す。魔弓の説明をするときと同じくらいの笑顔で受け取ったリンは、早速指輪を右手の小指にはめた。
第4層のオーブ(緑)が置いてあった最初の部屋に戻ってきた。
この部屋に入ってきて選んだ左側の通路は全て行き止まりだったので、正面に見えるもう1つの出口に向かう。
2つ目の部屋。10m四方の部屋中央の大岩に視線を向けると、2匹の四肢動物がむくりと起き上がったところだった。
体高は1mちょっと。最重量級の相撲取りが四つん這いになったような大きさだ。
マヤが、その醜悪な姿に一瞬立ち竦む。
俺の横を誰かが通りすぎた。
「[ライトニング・ボルト] 、Yeth Houndです。[咆哮]させないように2頭両方に間断ない攻撃を続けてください。右はわたくしが処理します。マヤ様は射線を妨げないように左に回り込んでの攻撃をお願いします。リン様も左を攻撃してください」
ロミナの指先からコーン状の電撃が伸び2頭の四肢動物に直撃した。
弾かれたようにマヤが左に大回りし四肢動物への攻撃を敢行する。
「[マジック・ミサイル]」
「{貫通矢}」
ロミナの頭上に光を帯びた五本の矢が浮かぶ。それぞれの矢が右・右上・真上・左上・左と、等間隔の弧を描き目標へ同時に着弾し魔物は消滅した。
もう1頭は、魔法攻撃と向けられた弓と接近するマヤの対応に躊躇したのか反応が遅れている。
そこにリンの放った矢が正面に命中し、矢は目標の体内を通り抜け尻から飛び出して行った。マヤが剣をふるう前に魔物は消滅した。
「[マジック・ミサイル]5本は凄いわね。5本同時に放てる人はこの国に何人いるのかしら」
そう感嘆したマヤは俺の腕を後ろから人差し指で突く。
「あなたは何本放てるの? 」
「1本だけ」
「そう。先は長そうだけれど、頑張りなさい」
リンが真面目な表情と落ち着いた声色で励ましてくれている。
見せ場のなかったマヤが魔石を拾ってからトボトボと戻ってきた。
「皆さま。申しわけありません。2度と今のような失態を犯しません」
そう言ってマヤは頭を下げる。
「あたしが先頭にいたらマヤと同じように驚いたわ。あんな醜悪な顔をした巨大犬なんだもの」
「通路の天井に魔物が潜んでいたこともあるから、どこも危険なのだろうけれど、俺も今回が一番驚いた。無警戒に踏み込まず、部屋の入り口から中を覗き込んで直ぐに引き返した場合、中にいるモンスターは追いかけてくるの? 」
「知性の高いモンスターは別ですが、基本的には私たちが部屋に入らないとこちらを敵と認識できないようです。でも部屋の外から挑発や攻撃をした場合にはこちらを敵と認識して追いかけてきます」
「部屋の外から灯りを当てて中を確認し、何かいたら後ろに下がって策を練るというのは? 」
「無駄よ。それも挑発行為だわ」
「つまり、これまで通り遭遇したらその都度臨機応変に対処するしかないわけか」
「そうなるわね」
「マヤにばかり負担をかけて申し訳ない。次は前衛を任せられる人を紹介してもらえると助かるね」
「……どうしても、このダンジョンを攻略しないといけませんか? 」
「自宅とダンジョンが繋がっているってのは不安だと思わない? 」
「……そうですね」
「あら? 暫くは、あの狭い家に私がいるのだから大丈夫よ。あっ! その場合はダンジョン入口で寝ているあんたは真っ先に死んでいるわね」
誰も笑わない。
「行きましょうか」
ジョークが不発だったリンが力なく呟《ツブヤ》いた。
マヤが先頭に立ち先に進む。
部屋を思わせる通路の広がりがあると、互いに視線を交わし臨戦態勢で慎重に覗き込む。
幾つ目かの部屋を覗き込もうと、龕灯の明かりを向けるや否や、マヤが叫んだ。
「来た道を戻って! 走って! 」
部屋の中央に子供が何人かいた。
「Derro です。毒付きの弓矢か魔法を使うかもしれません」
右に左にと、曲がりくねった通路を走りながらマヤが説明してくれた。
通路が大きく湾曲し長い直線にでる。
「止まって! 」
俺はバックパックからワンドを外して構える。直径12mの半球だから通路の狭さを勘案し20mはあるだろうと思える場所に位置取る。
飯を食っているときにロミナが話してくれたが、開豁地における火球の効果範囲である半球の体積と、狭い空間における効果範囲とは、必ずしも同じではないとのことで、ここまで安全マージンをとる必要はないらしい。
最初の1人が見えたところでワンドを振り下ろす。
低い轟音と共に爆発する火球。
慎重に爆発後の発火地点に近ずくと、通路には魔石が4個転がっていた。マヤが視認した人数と同じなので、Derroとやらの不意打ちは警戒しなくてよさそうだ。
念の為、大岩のある部屋に行って確認したがモンスターは残っていなかった。全員で追いかけてきたようだ。
俺はバックパックから軟オーブ(橙)を3個取り出し1人1人に毒消し用として手渡す。
「あんた! もっと早くに出しなさいよ」
そう言うとリンは受け取った軟オーブ(橙)を飲み物にかえて即座に飲み始めた。
他の2人も同じことをしている。
「但馬さんは飲まないのですか? 」
「何を? 」
「毒中和です」
「毒矢が中ってから毒消しを飲んでも間にあわないでしょ。先に飲んでおくのよ。そんなことも知らないの? 」
……あぁそういう風に使うのか。
「えっと、飲んでから効果の続く時間ってどれぐらいなのかな? 」
「数時間は続きます。でも、毒の強弱やその人の体質によります」
納得して俺も軟オーブ(橙)を毒中和薬にかえて飲んだ。
100m程進む。通路が片側にのみ不自然に膨らんだ6m四方ぐらいの空間。
何故か無造作にスクロールが3巻打ち捨てられていた。
そういえば、1番最初の硬オーブ(赤)もこんな感じに地面に転がっていたな……あれは8日前のことか……あのときは1人だった。
「どうかされましたか? 」
心配そうな顔でマヤが俺の様子を伺う。
「念の為[危険感知** ]を使おうかなと」
「そうした方が良いかもしれませんね」
反応が無かったのでスクロールを手に取る。
「緑が2巻に黄が1巻だけど、ロミナは本当にいらないの? 」
「はい」
俺はマヤをちらりと見る。何故私を見るのだろうかと、不思議そうな顔をして首を傾げているのがかわいい。
今度は邪魔しないよね。俺は何が起きても絶対に精神集中を途切らせないと自分に言い聞かせてスクロールを開く。
[動物召喚]緑
魔法的な存在ではない、近隣に存在する動物を召喚する魔法。
召喚された動物は30分間その能力の及ぶ限り術者を助けようとしてくれる。
[次元の扉]緑
術者の3m以内にいる対象1体を、術者が指定した108m以内の場所に瞬時に移動させる。対象が敵対していると一定の確率で失敗する。
[加速]黄
72m以内の対象となった生物に30分間、呪文使用やマジックアイテム使用に関する行動を除いて、移動速度と物理攻撃の回数が倍加する。
程々に使い勝手の良い魔法が手に入った。
「マヤ。戦闘中に俺が『マヤ! 』とだけ言ったら、その直後に[次元の扉]を使ってマヤを敵の背後に瞬間移動させていいかな? 」
「………… 絶対に止めてください! 」
怒られた。
そこから100m程進むとコーン状、漏斗の受け口側のような、手前側が左右に広く奥側が狭い部屋に出た。
「侵入者か! 」
部屋の奥から女性の問い質す声が飛んでくる。
龕灯の灯りを声のした方向へ向ける。
10数m先に長い白髪と黒い肌の痩身女性がいた。
ブレスト・プレートを装着し、ヘヴィ・シールドを構えている。
「この痴れ者! [Deeper Darkness ]」
周囲が暗黒に包まれた。
「言葉の意味はわかりませんが恐らくエルフ語です。Drowの貴族だと思います。今は向こうからも見えません。毒の矢を警戒しつつ少し下がりましょう」
マヤの指示で10m程下がり、左右に2人ずつ壁を背にして立つ。
「但馬さん。[ファイアーボール]を使っていただけますか。その後に[ライト]で[ディーパー ダークネス]を解呪してください。暗闇が払われたら私が突進して倒します。お二方も、可能であればご支援をお願いします」
反対側にいたロミナとリンが肯く。
「[火球]」
低い轟音と共に爆発する火球が暗闇を一瞬薙ぎ払う。悲鳴が聞こえたが直ぐに元の暗闇に戻る。
「[光球]」
[深闇]が[光球]と相殺し、龕灯の灯りが部屋の奥を照らす。
「[ファイアー・ボルト]」
ロミナの[火矢]に続いてリンも弓を放つ。
脱兎の如く駆けて行くマヤの足が途中で止まった。
ゲームのように武具や防具が手に入ると思ったのに、Drowと共に装備も消えていく。
ドロップアイテムは手に入らないのか、マヤたちに聞こうかとも思ったけれど、死体の持ち物を持ち去る行為が色々な所からどういう風に見なされるのかわからないので聞くのはやめた。
Drowが立っていた後ろに、部屋のもう一方の出入り口があったので先に進む。
少し行くと奥行きが10mちょっとありそうな長方形の部屋に出た。
大岩が3個等間隔に並んでいて、中央に透明オーブ、奥の岩にはアームレットが置いてある。
恐らくは更に進むと第5層への入り口があるのだろう。
俺はアームレットの上に透明オーブを載せた。
_______________________________________________________
* 1.沖縄への上陸作戦
2.シチリア島への上陸作戦
3.北仏(ノルマンディー)への上陸作戦
** 1時間持続。数メートル以内の悪意のある生物・罠・毒を知覚できる。
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