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三章 風の前の塵
-59- 冬の灯火のような
しおりを挟む「何を言う。お前の霊力は千重に匹敵するものだろう?」
「……え……?」
火蝶一族の中で最も強力な霊力を持ち、その扱い方も一流だと言われていた優秀な姉の千重に匹敵する霊力を自分が持っている?
片翅の半端者である自分が、大きな両翅を持っていた完璧な姉と並ぶ?
信じられない情報が一遍に舞い込んできて、八重も最早考えられなくなっていた。
自信なさげに眉尻を下げる八重を見て、太蝋は鉛のように重くなっている腕を上げ、八重の頬を指先で撫でながら力強く言った。
「八重の守護の力で二人の命が助かった。いや、それ以上の命が救われたんだ。自信を持って良い」
あの場で嵐亀の足止めが出来ていなかったら、今頃、帝都に侵攻し、八重が過ごしていた火焚の屋敷も甚大な被害を被っていたかもしれない。最悪、人死にが出ていたとしても可笑しくなかった。それを押し留めたのは、嵐亀――萬治の柿丸への思いと、八重の願いがあってこそのものだ。
太蝋が無事で済むことを祈りながら作られた手袋があってこその平和なのだ。
「……はい」
それでも八重は自信無さげに返答した。ただ、疲れている太蝋をこれ以上煩わせないための、その場凌ぎにも聞こえる。
太蝋は重い腕を下し、八重の顔を見つめながら思考を巡らせた。
どうしたら八重に自信を持たせることが出来るのだろうか。どうやったら自分自身を信じられるようにしてやれるだろうか。どう伝えたら、自分の言葉は八重の頑なな心を和らげられるのだろうか。
そんなことを思っている内に、瞼が重くなってきた。風呂にも入っていない汚れた姿のままで、八重の前で眠るなんて流石に度が過ぎているように思える。だが、どうにも身体中が泥のように重くて、最早、指先一本も動かせそうにない。
すると、八重が不意に太蝋の視界を手で的確に覆って囁いた。
「少し、眠っても大丈夫ですから……」
「けど……」
このまま眠ってしまったら、確実に八重の足を痺れさせてしまう。
そう分かっていても、八重の太腿の柔さや、甘い香りに、手の感触が強烈な眠気を誘ってくる。抵抗を試みながら、太蝋は半分寝ぼけた頭で呟く。
「堪能……してたいんだが……」
「え……?」
「八重の……膝、枕……」
眠ってしまったら、この感覚も分からなくなってしまう。それなら、もう少し堪能してから、大人しく座布団を枕にして仮眠を取った方が良い気がする。
そう思っていると、恥ずかしがってることを感じさせる声色で八重が言った。
「私で宜しければ、いつでもしますから……」
なんて甘美な約束だろうか。八重の膝枕を堪能出来るのは、これきりではないと言う保証の言葉だ。だが、何処となく、他の人が良ければそちらでも……と言いたげに聞こえて、太蝋はムッとなりながら答えた。
「八重が良い」
その言葉を最後に太蝋は意地で持ち堪えてきた意識を手放した。
静かな寝息を立て始めた太蝋を眺めながら、太蝋の最後の発言に自分の耳を疑っていた。よもや、膝枕の対象は「八重が良い」などと太蝋が言うなんて、そんな馬鹿な。随分と疲れていて、よく分からないまま寝ぼけて発言した可能性がある。
そうだ、そうに違いない。
八重はそう結論つけて、高鳴る胸を抑えながら眠る太蝋を眺め続けた。
すやすやと眠っている太蝋が愛おしい。気を許してもらえているのかもしれないと思うと一層、愛おしい。
小さく灯る太蝋の炎は、見ている者にも安心感を与えるようだった。
△ ▽ △
風呂の用意が出来たことを告げに太蝋の部屋を訊ねに来た古参の女中は、障子の隙間から覗き見た太蝋と八重の姿を見て、静かに驚愕していた。
いつもキッチリと身支度を整え、言葉使いも立ち居振る舞いも完璧な火ノ本男子である太蝋が、制服の上着を脱いだだけの姿で、妻の膝枕で眠っている。
いつもオドオドと自信なさげに目を泳がせている八重が、慈しむように夫を労っている。その姿は、まさに良妻と呼ぶに相応しいものだった。
「なんだ、旦那様、寝ちゃったんだ」
「っ!?」
古参の女中が覗き込んでいた下の方で、ヨネも同じように部屋の中を覗き込みながら言った。それに驚いた古参の女中は、慌てて障子を閉じる。
雇用主の部屋を覗き見ていたなんて古参の女中としては沽券に関わるような失態だ。それも、つい最近から火焚家に仕え始めた新人の女中に、その姿を見られるなんて。
「まぁ、もう少し放っておいても良いでしょ。あたし、風呂番に伝言してきますよ」
「……そうね。太蝋様も随分とお疲れのご様子だし……」
そう言いながら、古参の女中は廊下を静かに歩きだした。その後ろをヨネはぱたぱたと小走りしてついていく。注意深く聞かなくても分かるくらいの足音を立てるヨネに、古参の女中は「もう少し静かに歩きなさい」と注意した。
その注意を素直に聞き、ヨネはゆっくりと古参の女中の後ろをついていく。
必然的に台所と風呂場への分かれ道まで、一緒に歩いていくことになった二人だったが、普段から何か会話がある訳ではない。無言で歩いていく時間が続く。しかし、この時ばかりは違ったらしい。
「あんなに気を抜いていらっしゃる太蝋様は――」
「初めて見た?」
不意に呟かれた古参の女中の言葉に続けてヨネが訊ねる。それに対し、古参の女中は答えることが出来なかった。同意も否定も、長年仕えてきた自分の矜持を傷付けそうで答えられなかった。
しかし、新人の女中であるヨネには関係ない。言いたいことを言うだけだ。
「旦那様が気を抜けないようにしてたのは、あんた達の日頃の行ないでしょ。奥様を冷遇してたんだから」
生意気、と言う言葉がぴったりと当てはまる言葉遣い。それでいて古参の女中にとっても心当たりしかない正論。
太蝋にとって、八重と言う存在はそれほどに重要なものになりつつあるのだろう。それを知らずに、八重が嫁入りしてきて以来、以前の婚約者であった千重と比べることばかりして、八重自身を見ようとはしてこなかった。
それは全て、八重が片翅の半端者であると言う周知の事実があったから。
だが、この新人の女中はそんなことは一切気にしていない。問題は八重と言う人物がどんなものであるか、なのである。そして、ヨネは八重に善くするだけの理由を見つけたのだ。だから、日頃からヨネは八重を気遣っているのだろう。
そして、今日。古参の女中はその一端を垣間見た気がした。八重が太蝋やヨネに大切に扱われるだけの理由が少しだけ分かった気がする。
その後、古参の女中は台所へ。ヨネは風呂場へ向かい、太蝋の入浴と食事が遅れることを知らせた。
奥様が旦那様を労っている最中だから――と付け加えて。
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