影の階段

ロキ

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第六話「残照の声」

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序幕:新しい音色
コミュニティセンターのガラス扉が陽炎のように揺れた。三崎麻子は受付カウンターの書類に目を落としながら、耳を澄ませた。子供たちの笑い声、談笑する主婦たちの声、コピー機の駆動音。それらに混じって、かすかに聞こえる「あの音」に眉を寄せる。
(また聞こえる…)
階段を上る足音。かつての浜風マンションで聴いたものとは違う。軽やかで、まるで誰かが踊るようなリズム。だが、確かに存在する。
「三崎さん、お茶どうぞ」
ボランティアの大学生・健太が湯気立つマグカップを差し出す。彼の左腕には、先月の工事事故でできた傷痕が新しかった。
「ありがとう」
麻子が笑顔で受け取ると、少年は照れくさそうに階上へ駆け上がっていった。その背中を見送りながら、麻子は胸の違和感を噛みしめた。健太の足音が、今の「あの音」と奇妙に重なる事実を。
第一章:歪む日常
夕暮れの図書コーナーで、麻子は町史編纂の資料を整理していた。ふと気付けば、壁面の防犯カメラモニターに映る自身の姿が二重に見える。瞬きするたび、背後に白い着物の影がちらつく。
「気のせいよ」
硝子窓を叩く雨粒が、小夜の泣き声のように聞こえる。外を見やれば、建設資材が積まれた跡地に、ぽつりと赤い傘が立っている。
「三崎さん、これ…」
健太が震える手で差し出したビデオテープ。ラベルには「2003.7.16 階下工事記録」とある。手渡された際、彼の指先から零れた水滴が、麻子の手首に触れた。冷たいはずのそれが、妙に生温かい。
夜間モードのセンターで再生するVHS。砂嵐のようなノイズの中、解体作業員たちの叫び声が響く。
「ここに穴がある! 何か…何か出てきたぞ!」
画面が暗転する直前、白い着物の袖がフレームを掠める。麻子の背筋に冷汗が走る。テープの日付――小夜の命日から百年目の日付だ。
第二章:蘇る記憶
「また始まるのね」
佐々木和子が霊園の階段で呟いた。雨上がりの石段に、新たな供花が手向けられている。菊の花束の間に、明治風の簪が一本。
「この簪、小夜さんの…?」
麻子が拾い上げると、金属部分が微かに震えた。耳元で波の音が響き、塩の香りが鼻腔を刺す。
「彼女だけじゃないのよ」
佐々木の目が遠い過去を見つめる。
「『影の階』が捧げた犠牲者は、代々この地に眠っている」
突然、健太の携帯が鳴り響く。現場監督からの緊急連絡。センター地下の配電室で、作業員が意識を失っているという。
駆けつけた現場で麻子は凍りついた。壁面に無数の「赦」の文字。百年前の地下室にあったものと瓜二つだ。倒れた作業員の手帳には、血で描かれた階段の落書き。
「また誰かが…」
健太の呟きに、麻子は彼の腕の傷痕を見た。工事事故と言っていたその形が、階段の手すりに掴んだ指形に酷似していることに気付く。
第三章:継承される悲劇
翌朝、警察の事情聴取が終わった麻子は資料室に篭った。健太の経歴書類を広げる手が震える。彼の曽祖父の名――村上宗次郎。あの狂気の管理人と血が繋がっている。
「偶然じゃない」
窓を叩く雨音が怒濤のようになる。ふと気付けば、壁の年表に水滴が落ちている。1903年、1943年、2003年…四十年周期の事件発生年に赤いシミが広がる。
「次は…」
計算する指先が止まる。今年が2025年。次なる周期の年だ。
突然、背後で本が崩れ落ちる音。振り向いた麻子は息を飲んだ。床に散らばった書籍が、偶然にも階段の形を作っている。その頂点に、赤い表紙の『影の階』関連資料。
エレベーターが動く音。階下から上がってくる気配。麻子は咄嗟に非常階段へ駆け込む。降りる足音と、上がってくる足音が、複雑なリズムで交錯する。
「待って!」
階下から健太の声。しかし、その声の主が三階踊り場に現れた時、麻子は絶叫を抑えきれなかった。彼の顔が村上管理人の面影と重なり、腕の傷痕から黒い染みが滲み出ていた。
第四章:解かれた縛り
深夜のセンター地下。麻子は震える手で古文書を広げる。小夜の手記の最後の一節が浮かび上がる。
『四十年の月日を糧にて、縛りは新たに継がる』
「そうか…私が…」
頬を伝う涙が古文書を濡らす。麻子こそが次なる「語り部」に選ばれていた。四十年周期の悲劇を止めるため、自らが楔とならなければならない。
突然、配電盤が爆ぜる。暗闇に浮かび上がる無数の「赦」の文字。その赤い輝きの中、小夜の幻影が現れる。
「お願い」
彼女の指先が健太の倒れる姿を指す。少年の腕から広がる黒い染みが、階段の形に変容していく。
麻子は覚悟を決めたように簪を握る。尖った部分で掌を貫く。滴る血が古文書を染め、新たな文字を浮かび上がらせる。
『縛りとは継承に非ず。断ち切るは現在に生きる者の手にあり』
終章:再生の跫音
消防車のサイレンが響く中、麻子は担架に乗る健太に駆け寄った。少年の腕の傷痕から黒い染みが消え、代わりに新しい肉芽が形成されている。
「大丈夫ですか?」
警官の声が遠のく。麻子は硝子窓に映る自身の姿を見つめる。後ろに立つ小夜が、静かに頷いている。
一月後、麻子は町史編纂室で新しい原稿を仕上げていた。健太がドアをノックする音が軽やかに響く。
「三崎さん、見てください!」
少年が差し出すスマホ画面に、センター階段で遊ぶ子供たちの動画。彼らの影が、不思議と優しい光を帯びている。
「あの音、もうしませんね」
麻子が呟くと、健太は不思議そうな顔で首を傾げた。彼には、もはや異常な足音は聞こえていない。
夕暮れの駅で新幹線を待つ麻子は、鞄から古びた簪を取り出した。月明かりに照らされ、それは新たな物語を刻むペンのように輝いた。
背後で階段を降りる足音がする。振り向かずとも、それが誰かのものでないことが分かる。風に乗って聞こえるのは、未来へ向かう人々の、希望に満ちた跫音だった。
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