光と影

ロキ

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第十六話「生着の朝に」

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2025年3月10日、午前6時。
聖マリア病院造血幹細胞移植センター・クリーンルーム。
移植後17日目の朝日が、静かに窓から差し込んでいた。
「美咲さん、おはようございます」
村井医師が完全防護服姿で入室してくる。
「今朝は、とても重要な採血データが出ています」
「先生…」
美咲は、やや緊張した面持ちで上体を起こす。
「6時採血の結果です」
医師はタブレットを手に、ゆっくりと読み上げ始める。
「血液検査詳細:
• 白血球:1,200/μL、前日比で300の上昇
• 好中球:580/μL、これが最も重要な数値です
• リンパ球:320/μL…」
「村井先生」
真理子が声を震わせる。
「この数値って…」
「はい」
医師は穏やかな笑みを浮かべる。
「好中球が初めて500を超えました。生着の重要な指標です」
「でも」
美咲が不安げに問いかける。
「まだ確定じゃないんですよね?」
「その通りです。500/μL以上を3日間継続して初めて、生着と判定できます」
医師は続ける。
「ただ、他の数値も非常に良好です。CRPは0.8まで低下し、炎症反応も改善。肝機能も正常範囲内です」
その時、モニターが点滅を始める。
早朝6時15分。
アトリエからの緊急通信だった。
「美咲!」
麗子の興奮した声が響く。
「今朝の数値、聞いたわ!」
「お姉ちゃん…こんな早くから」
「当然でしょ」
麗子の目が潤んでいる。
「私の細胞が、やっとあなたの中で目覚め始めたんだもの」
村井医師が咳払いをする。
「麗子さん、まだ感動は早いですよ。これからが正念場です」
「分かってます」
麗子は笑顔で答える。
「だから、“Rebirth” の最終調整も、急ピッチで進めているんです。」

午前7時、クリーンルーム。
朝の回診と詳細検査が始まっていた。
「バイタルサイン(7時):
• 体温:36.6℃
• 血圧:116/72mmHg
• 脈拍:76/分
• SpO2:99%」
看護師の森田が、新しい点滴バッグを準備しながら声をかける。
「美咲さん、今朝は食欲いかがですか?」
「はい、少し…」
美咲は微笑む。
「久しぶりにお粥が食べたいなって」
「それは素晴らしいサインですね」
村井医師が検査データを確認しながら入ってくる。
「口腔内の状態も改善していますから、流動食から開始してみましょう」
モニター越しの麗子が、アトリエから声を上げる。
「先生!私から妹へのプレゼントなんですが」
「またまた麗子さん」
医師は苦笑する。
「まだ感染リスクが…」
「違うんです」
麗子は真剣な表情で続ける。
「Black Dress “Rebirth” の制作過程を、ライブストリーミングで」
「それなら…」
医師は考えながら頷く。
「クリーンルーム内のモニターなら問題ありません」
「美咲」
麗子がカメラに近づく。
「今から、最後の仕上げを始めるの。このドレスは、あなたの生着と共に完成するわ」
「デザイン詳細:
• 特殊加工シルク仕上げ工程
• クリスタル最終配置
• 立体構造の調整」
真理子が静かに涙を拭う。
「これが、私たちの新しい物語の始まりね」
「7時30分の追加データが出ました」
村井医師が新しい数値を告げる。
「好中球:610/μL、さらに上昇しています」

午前8時、クリーンルーム。
大型モニターには、「Lumière」アトリエからの生中継が映し出されている。
「Black Dress “Rebirth” 最終工程:
クリスタル配置 - Phase Final」
麗子の手元がクローズアップされる。
「美咲、見てて」
麗子は一粒一粒、慎重にクリスタルを配置していく。
「この螺旋状の配置は、DNAの二重らせんをイメージしたの」
「8時の検査データです」
村井医師が新しい数値を読み上げる。
「血液検査:
• 白血球:1,280/μL(+80)
• 好中球:640/μL(+30)
• リンパ球:350/μL
• CD34陽性細胞:1.8%
免疫系データ:
• タクロリムス血中濃度:11.2ng/mL
• キメリズム解析:ドナー型98%」
「先生」
美咲が小さな声で問いかける。
「この数値の意味は…」
「あなたの体内で」
医師は穏やかに説明を始める。
「麗子さんの造血幹細胞が、着実に根付き始めているということです」
モニター越しの麗子が作業の手を止める。
「ねぇ、美咲。このクリスタルの配置、分かる?」
「うん…」
美咲がモニターに近づく。
「まるで、星座みたい」
「そう、北斗七星よ」
麗子は微笑む。
「迷子になった時の道しるべ。私たちの道標」
「お姉ちゃん…」
その時、看護師の森田が朝食を運んでくる。
「本日の流動食です:
• おかゆ(全粥1/3量)
• だし汁
• ゼリー」
「美咲さん」
医師が声をかける。
「食事摂取も、回復の大切な指標です」
真理子は防護服越しに娘の手を握る。
「一口ずつ、ゆっくりでいいのよ」

午前9時、クリーンルーム。
朝食を終えた美咲の表情が、久しぶりに生気を帯びていた。
「朝食摂取状況:
• おかゆ:8割摂取
• だし汁:全量
• ゼリー:半量」
森田看護師が記録を取る。
「お粥、美味しかった…」
美咲の目に涙が浮かぶ。
「何か月ぶりかな」
「9時の検査データです」
村井医師が入室してくる。
「血液検査:
• 白血球:1,350/μL(+70)
• 好中球:680/μL(+40)
• リンパ球:380/μL
• 血小板:4.5×10⁴/μL
臓器機能:
• AST:30 IU/L
• ALT:26 IU/L
• T-Bil:0.7mg/dL」
モニターからは、麗子の作業音が響いている。
「美咲、このクリスタルの配置、あと30分で完成よ」
「お姉ちゃん、ずっと作業してるけど…」
美咲が心配そうに画面を見つめる。
「大丈夫」
麗子が顔を上げる。
「このドレスは、あなたの生着と共に完成させるって決めたの」
「バイタルチェックの時間です」
森田看護師が声をかける。
「9時バイタル:
• 体温:36.7℃
• 血圧:118/74mmHg
• 脈拍:72/分
• SpO2:99%
• 呼吸数:16回/分」
「先生」
真理子が医師に向き直る。
「この調子なら、明日には…」
「はい」
村井医師が頷く。
「このまま好中球数が維持されれば、明日で2日目。あと24時間で生着判定の可能性が高いですね」
「美咲!」
麗子の声が響く。
「最後のクリスタルよ。見ていて」
モニターには、漆黒のドレスの背面に、最後の一粒が輝きを放つ瞬間が映し出された。

午前10時、クリーンルーム。
朝日が部屋全体を明るく照らす中、モニターには完成したドレスが映し出されていた。
「Black Dress “Rebirth” 完成データ:
• 総制作時間:440時間
• 使用クリスタル:5000個
・ジェットブラック:2000個
・ブラックダイヤモンド:2000個
・メタリックシルバー:1000個
• 特殊加工シルク使用量:12メートル
• 手縫い工程:180時間」
「10時の最新データです」
村井医師が新しい検査結果を手に入室する。
「血液検査:
• 白血球:1,420/μL(+70)
• 好中球:720/μL(+40)
• リンパ球:410/μL
• 血小板:4.8×10⁴/μL
• Hb:10.0g/dL
免疫系指標:
• キメリズム解析:ドナー型99%
• CD34陽性細胞:2.0%」
「美咲」
麗子がカメラに近づく。
「このドレスの背中のラインは、翼が生えるような形なの。新しい命が羽ばたく瞬間を表現したくて…」
「お姉ちゃん…」
美咲の声が震える。
「私の中の、お姉ちゃんの細胞も、今、羽ばたき始めてるんだね」
「そうね」
真理子が娘たちを見つめる。
「これが本当の意味での “Rebirth”…再生の物語ね」
「村井先生」
麗子が画面越しに問いかける。
「明日、生着が確定したら…」
「ええ」
医師が穏やかに微笑む。
「感染予防は必要ですが、防護服越しなら、直接の面会も検討できます」
その時、美咲のベッドサイドモニターが小さな音を鳴らす。
「10時30分 追加データ:
• 好中球:750/μL
• 網状赤血球:1.5%」
「生命の誕生は、光の誕生と同じ」
麗子が静かに言う。
「少しずつ、でも確実に、闇を照らしていく」
窓の外では、春の陽光が一段と輝きを増していた。
それは、新しい命の誕生を祝福するかのようだった。
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