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グレイプ編
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しおりを挟むときどき感じる視線がある。
ぽってりと膨らんだ薔薇みたいな唇から紡がれる刺々しい言葉を聞きながら、リリアンヌは別のことを考えていた。
「お座りになっていらっしゃった方がよろしいのではなくて? せっかくのドレスもそう迫力があっては可憐さが台無しですわ」
1865年8月のマレーナ海地方。
トリーチェ国の南端にある国立迎賓館は高台に建ち、テラスに立てば夜の海が見える。
だけど星ひとつない、のっぺりとした空と海の境界は曖昧で、時々雲の切れ間から月が覗けば波立つ程度。そもそも酒やダンスに興じる人々は見向きもしない。
べたつく風も潮の匂いも、鬱陶しくて仕方がなかった。
「全く、ドロンズサロンのドレスを貴女が着るなんて勘違いも良い所だわ。ドロンズは再来年でも予約が取り合いなんですのよ……ちょっと聞いていらっしゃるの?」
「あ、ええ。大丈夫よ、続けて」
「続けて!? だからっ! そういう所が……」
リリアンヌはヴァレンシアによる小言の続きを促しながら相槌の振りをして、それとなく周囲に目を配る。
さっきからずっと視線を感じているのだ。
父と母に連れられて来たパーティーは、いつも通り優雅でのろまでつまらない。元貴族たち、財閥の人間、小説家や詩人などの文化人、美しい女優に著名で豊満な絵画モデル、浮かれた場所でよく見るセレブばかり。同じような自慢話も聞き飽きた。
嫌みを言うヴァレンシアと共に、リリアンヌは壁際とも交流場所とも言えぬ微妙な場所に立っている。あからさまにテラスや壁際にいると父から『もっと前に』と言われるからだ。前に行ったってどうしようもないのに。
男は『ギヴリーのおまけが来た』と目をそらすし、女なら流行の話に付いて行けず場が白けるし、良いことなんてひとつも起こらない。だから適当にダンスフロアからもビュッフェ台からも人の輪からも遠く、誰も来ないスペースに立っている。
「そういう可愛いドレスはね、着る資格のある者に譲るべきだと忠告しているのよ?」
「本当にそうよね」
要所、要所で一応真面目に返事をした。
リリアンヌは普通の子女と較べると随分と高身長で、スレンダーな身体をしていた。二十二になるが人目を引く谷間も男心を揺らす類の肉も皆無。すっきりと言えば聞こえは良いが、くっきりした二重や輝く丸い瞳も無いし、左右完全対称のパーツには流行のぽってりとした唇どころかスーッと愛想のないスマートな鼻梁と薄い唇。極めつけは目尻が上がっている為にユニセックスな印象すら与えた。
妹と違ってその容姿には『可愛い』の欠片もない。
だからもう、残酷なくらいにドロンズのドレスだって似合わないのだ。
トリーチェのセレブ界隈において婚前女性に求められるのは『愛らしさ』で、近代化が始まる前から変わらない。パンが無ければお菓子を食べれば良いのよ、と囁いたあの時代から何一つ変わらず、女はメイクやドレスやお作法、甘いお菓子に夢中になって男に可愛がられて皺を刻み、朽ちていく。
今だって、迎賓館のあちこちから猫なで声やそれを甘やかす男の声が音楽に混じって聞こえてくる。
反吐が出そう。
「もう! 聞いているのかしら。リリアンヌ、いいこと? 親しい友人としての忠告ですからね! みんな内心怒っているのよ、似合わないのに横取りなんて恥知らずだって。貴女の為ですからね? 二度とドロンズのドレスに横入りしないで頂戴!!」
「最初から言ってるけれど、横入りしたのは私ではなくてお父様よ。マリアンヌのデビュタントにどうしても着せたいからと。私のは要らないと言ったのだけど、そこはもう……一応姉妹だから仕方がなくて」
マリアンヌは十八になったばかりの『妹』だ。
名家ギヴリーの正当な血統であるリリアンヌの従姉妹。
ギヴリーはかつての十侯爵家のひとつである。大規模な港湾を有した領土を与えられていた為に、国際的な貿易に特化して力を持つ家になった。貴族制度が廃止になった今でも、貿易商が一族の基盤を盤石にしているのだ。
リリアンヌの本当の父母は現当主の弟とその妻で、彼女が三つの頃に海の事故で亡くなってしまった。貿易船での海難事故はよくあること。母は普段乗船しないのに、その時に限って乗ると言って聞かなかったそうだ。虫の知らせだったのかもしれない。
業務上の事故死ということもあって、実父の兄が即断で姪を引き取った。兄夫婦には当時子どもがおらず、リリアンヌは手厚くもてなされた。その後に実子であるマリアンヌが生まれる。
養父母には一生頭が上がらない。
だってマリアンヌの名も、完全に養女(リリアンヌ)から取った名で。
片方は背ばかりひょろひょろと伸びる棒切れみたいな姉、一方の実子は百人中九十九人が「可愛い!!」という小柄な妹で。本当はマリアンヌを溺愛したかっただろうに、父母はそんな気配は微塵も見せなかった。
真実、分け隔てなく育ててくれたと思う。
特に欲しい物もない満ち足りた生活、マリアンヌはいつまで経っても『リリー、リリー』と甘えてくる可愛い妹で、のんびり者である母は時に厳しくリリアンヌをレディに育ててくれたし、優しい父は器が大きく、家族仲はパーフェクトで何も問題はなかった。
ちなみにリリアンヌのデビュタントの折も同じようにギヴリーの名を振りかざして人気のブランドでドレスを作ってくれた。一ミリも似合っていなかった、パールが散りばめられたピンク色のプリンセスライン……。
今回ドロンズで作らせたリリアンヌのドレスは黄色い薔薇をモチーフにしたAラインのドレスだ。シフォンで組み合わされた大きな黄色い薔薇たちがオフショルダーをぐるりと引っ付いて、完全に主役の顔を食いつぶしている。地味な顔が全く考慮されていないデザインは注文時から似合わないのは目に見えていて、クラクラした。今朝から鏡を見る気にもなれなかったが、一般市民の年収に相当するドレスをゴミにする訳にはいかなかった。
「パーティーの後でお譲りしましょうか? このドレス。届けさせるわ。貴女の仰る通り、私は無駄に大きいですから丈を詰めれば良いし」
「んんっまぁぁぁぁ!! 誰がお下がりなんて着るもんですか、馬鹿にしないでちょうだい!!」
親切なリリアンヌの申し出に顔を赤くしたヴァレンシアがいよいよ怒って立ち去った。まだ呑気なものだが戦時中なのだ。いずれはドレスなんて手に入らなくなる。
結構真面目に提案したのだが、どうやらまた余計な一言だったらしい。
いつまで経ってもリリアンヌは『上手い会話』というものがわからなかった。未だかつて、こそあど言葉で通じ合ったり、打てば響くような会話というものを出来た試しがない。
「ワインはいかがですか」
「いただくわ、白を……ありがとう」
給仕のボーイは親し気な笑みとグラスを差し出してくれる。
「はぁ……」
一人になり、ひと心地ついてリリアンヌはすっきりと爽やかなワインを一口飲んだ。
パーティはつまらないが、どのワインもやたらと美味しかった。一口飲んで、改めて香りを楽しみ、含んで味わう。
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