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グレイプ編
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迎賓館の大広間はシャンデリアが眩い。
天井にはびっしりと美しい絵が描かれ、吹き抜けの周囲を通路だけの二階がぐるりと取り囲んでいる。二階は程よく金色のカーテンが影を作り、男女が身を寄せ合って隠れるようにお喋りに興じていた。
陽気な演奏に乗って、中央のダンスフロアでは若い男女が踊っている。その近くに父と妹の姿があった。相手は紺色の海軍服を着ている。今日は珍しく海軍関係者が目立っていた。
マリアンヌは菫色のドレスを纏い、癖毛で波打つブロンドに同色の小さな飾りを散りばめていた。なんとまぁ、妖精のようだ! と見るものは可愛さに呆れるだろう。身体も女らしく成長し、自信のある男たちからは十六の頃から引きも切らない縁談の申し込みがあった。長女には梨の礫だから家族は遠慮して黙っているようだったが、お喋りなメイドたちがよく話をしているので、とっくの昔から知っている。
今晩は父があちこちにマリアンヌを引っ張り回していた。
いよいよ十八を迎えた妹の婿探しが始まったのだろう。
いずれはギヴリーの全てを統べる婿だ。可愛い、可愛い娘と一族を護るべき男。並大抵の男には務まらない。椅子取りゲームを狙う輩は多いが、父の頭にはそれほど多くの候補はいないだろう。
リリアンヌは近頃、身の置き所のない自分を感じる。
セレブ界隈ではギヴリーの長女が養女だなんて常識だ。いくら家族内で丁重に扱われようと、実際の所では『あそこの長女』はギヴリー家の従姉妹……という価値しかない。しかも魅力に乏しい女。いずれ適当に嫁に出されて終わる。おこぼれの持参金と親類という縁はあるだろうが、それっぽっちの女に手を出したがる野心家は富裕層にいない。女たちだってリリアンヌを下に見る。ヴァレンシアみたいに面と向かって文句を言いに来る始末だ。
海軍の男から離れ、父妹が別の男に呼ばれて挨拶に行く。
背中を押されたマリアンヌが疲れた顔で首を動かし、リリアンヌを見つけて笑顔になった。妖精みたいな儚さに周囲が釘付けになる。リリアンヌも小さく手を振って返した。
実子ではないと父母から告知を受けたのは七つの頃で、リリアンヌの世界はそこから一変した。自分の周りにだけ、透明な壁が現われ消えなくなった。普段は見えないから忘れている時も多かったが、今日みたいにふと頭をぶつけて思い出す。いつまでも堅牢な壁。
壁を壊せる自分になりたくて、鶴嘴を振り下ろしながら大人になった。だけど二十二になっても鶴嘴の鋭利さは足りない。
少しずつワインを飲みながら無駄な時間を消費していると、通路下あたりの隅でヴァレンシアが酔った男に迫られている声が聞こえてきた。
「ワインの良い店があるんですよ。こんな所よりずっと旨い。退屈でしょう? 今からどうですか」
「も、ちょ~っと、結構ですからぁ」
男は小さなヴァレンシアを周囲から覆い隠すように腰を抱いてこそこそと連れ出そうとしていた。ヴァレンシアはどうも酒が入り過ぎてしまったようで、強く断れていない。
男は確か、詩人か役者の付き人だった。対してヴァレンシアは元貴族のノクリア家次女である。
様子を見ていたリリアンヌは、眉間の皺が深くなっていくヴァレンシアに肩で息を吐いた。付き人男は真剣に嫌がっているのに気が付いていない。束の間思案すると、給仕に声をかけてワイングラスを白から赤に替える。
「良いだろう? 行こうよ」
「行かないわ。もぉ、止めてったら」
コツコツと近寄りながら手の中のグラスを傾けた、その時。
「うわっ」
リリアンヌの目の前で、男の背中がみるみる赤に染まった。
「え」
小さく驚くが、まだリリアンヌのワインは一滴も減っていない。
男が物凄い形相で背中側、つまりリリアンヌに向かって振り向いた。ちょうどワインを傾けていた黄色いドレスの女を。
「何をする!?」
「悪い、手が滑った」
突然上から降る、低い男の声。付き人男とリリアンヌはバッと見上げる。
「弁償を……給仕に金を渡しておく」
二階の手摺から空のグラスを傾けている男。
一瞬だけ、目が合った。
海軍だ。
「おい、待てよ!」
海軍の男はスッと目をそらして背を向けた。そのまま通路の奥へと消えていく。
「失礼だろう!!」
上に向かって男が怒っている隙にヴァレンシアの手を取って逃がし、その場を離れた。
天井にはびっしりと美しい絵が描かれ、吹き抜けの周囲を通路だけの二階がぐるりと取り囲んでいる。二階は程よく金色のカーテンが影を作り、男女が身を寄せ合って隠れるようにお喋りに興じていた。
陽気な演奏に乗って、中央のダンスフロアでは若い男女が踊っている。その近くに父と妹の姿があった。相手は紺色の海軍服を着ている。今日は珍しく海軍関係者が目立っていた。
マリアンヌは菫色のドレスを纏い、癖毛で波打つブロンドに同色の小さな飾りを散りばめていた。なんとまぁ、妖精のようだ! と見るものは可愛さに呆れるだろう。身体も女らしく成長し、自信のある男たちからは十六の頃から引きも切らない縁談の申し込みがあった。長女には梨の礫だから家族は遠慮して黙っているようだったが、お喋りなメイドたちがよく話をしているので、とっくの昔から知っている。
今晩は父があちこちにマリアンヌを引っ張り回していた。
いよいよ十八を迎えた妹の婿探しが始まったのだろう。
いずれはギヴリーの全てを統べる婿だ。可愛い、可愛い娘と一族を護るべき男。並大抵の男には務まらない。椅子取りゲームを狙う輩は多いが、父の頭にはそれほど多くの候補はいないだろう。
リリアンヌは近頃、身の置き所のない自分を感じる。
セレブ界隈ではギヴリーの長女が養女だなんて常識だ。いくら家族内で丁重に扱われようと、実際の所では『あそこの長女』はギヴリー家の従姉妹……という価値しかない。しかも魅力に乏しい女。いずれ適当に嫁に出されて終わる。おこぼれの持参金と親類という縁はあるだろうが、それっぽっちの女に手を出したがる野心家は富裕層にいない。女たちだってリリアンヌを下に見る。ヴァレンシアみたいに面と向かって文句を言いに来る始末だ。
海軍の男から離れ、父妹が別の男に呼ばれて挨拶に行く。
背中を押されたマリアンヌが疲れた顔で首を動かし、リリアンヌを見つけて笑顔になった。妖精みたいな儚さに周囲が釘付けになる。リリアンヌも小さく手を振って返した。
実子ではないと父母から告知を受けたのは七つの頃で、リリアンヌの世界はそこから一変した。自分の周りにだけ、透明な壁が現われ消えなくなった。普段は見えないから忘れている時も多かったが、今日みたいにふと頭をぶつけて思い出す。いつまでも堅牢な壁。
壁を壊せる自分になりたくて、鶴嘴を振り下ろしながら大人になった。だけど二十二になっても鶴嘴の鋭利さは足りない。
少しずつワインを飲みながら無駄な時間を消費していると、通路下あたりの隅でヴァレンシアが酔った男に迫られている声が聞こえてきた。
「ワインの良い店があるんですよ。こんな所よりずっと旨い。退屈でしょう? 今からどうですか」
「も、ちょ~っと、結構ですからぁ」
男は小さなヴァレンシアを周囲から覆い隠すように腰を抱いてこそこそと連れ出そうとしていた。ヴァレンシアはどうも酒が入り過ぎてしまったようで、強く断れていない。
男は確か、詩人か役者の付き人だった。対してヴァレンシアは元貴族のノクリア家次女である。
様子を見ていたリリアンヌは、眉間の皺が深くなっていくヴァレンシアに肩で息を吐いた。付き人男は真剣に嫌がっているのに気が付いていない。束の間思案すると、給仕に声をかけてワイングラスを白から赤に替える。
「良いだろう? 行こうよ」
「行かないわ。もぉ、止めてったら」
コツコツと近寄りながら手の中のグラスを傾けた、その時。
「うわっ」
リリアンヌの目の前で、男の背中がみるみる赤に染まった。
「え」
小さく驚くが、まだリリアンヌのワインは一滴も減っていない。
男が物凄い形相で背中側、つまりリリアンヌに向かって振り向いた。ちょうどワインを傾けていた黄色いドレスの女を。
「何をする!?」
「悪い、手が滑った」
突然上から降る、低い男の声。付き人男とリリアンヌはバッと見上げる。
「弁償を……給仕に金を渡しておく」
二階の手摺から空のグラスを傾けている男。
一瞬だけ、目が合った。
海軍だ。
「おい、待てよ!」
海軍の男はスッと目をそらして背を向けた。そのまま通路の奥へと消えていく。
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上に向かって男が怒っている隙にヴァレンシアの手を取って逃がし、その場を離れた。
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