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グレイプ編
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「リリー、どこへ行くの?」
日傘を手にしたリリアンヌが玄関ホールでメイドのチャコットと話をしていると、ボサボサ頭にネグリジェ姿のマリアンヌが声をかける。
「おはよう、マリー。なんて格好で出て来ているの! もう10時よ、よく寝るわね」
「ねえ、どこへ行くのですか?」
「図書館とお父様の所よ。テーブルの上に書類が置きっぱなしだったの」
「置きっぱなしぃ? なにそれ。相変わらず抜けてるんだから」
「届けても、要らないって言われるのかもしれないけれどね。予約していた本が返却されているかもしれないから図書館に行きたくて。そちらが本命、書類はついでよ」
「それなら私も行きます、良い?」
「良い、って。起きたばかりでしょう」
「ちょっと待ってて! ね、ね!?」
言いながらもうマリアンヌは自室へ駆けていく。
リリアンヌはチャコットと顔を見合わせて苦笑して、馭者に出発の遅れを伝える。
「マリー様は本当にリリー様ひと筋ですね」
「待たされる身になって欲しいわ」
「リリー様は時々フラッとお一人で出かけてしまわれるから、心配されているんですよ」
「そうらしいわね」
マリー様が血眼になってリリー様を探していた、と帰宅してメイドたちが冗談を言うのはしょっちゅうだった。
「いい加減、私に気を遣うのも止めてくれていいのに」
「気を遣う、とは違うと思いますが……」
チャコットが眉を下げて首を傾げる。
「大方、私に縁談の話が来ないのも気にして、一人で出かけて何をしているのか、有る事無い事を想像して心配しているのでしょう。だけどあの子こそ婿選びに真剣になる時期よ。私じゃなくて婿候補とデートでもなんでもしないと」
「デートなんてなさいますか? リリー様が一緒なら行かれるでしょうけれど」
「それもうデートじゃないわよ」
リリアンヌは自分の発言から想像して思わず失笑する。
妹のデートに冗談ひとつ言えぬ無表情な姉が付いて来れば、余さず破談になるだろう。嵩高いから想像の中でだって隠れることもできやしない。
「第一、私が付いて行きたくないわ。妹の邪魔をする瘤みたいになりたくないもの。あ、そう言えばチャコット、この間頼んだ帳簿のことなのだけど……」
玄関先で立ち話をしているうち、五分もすればマリアンヌがやってくる。おそらく顔を水で適当に洗って、その濡れ手で至極適当にハーフアップに纏めてきただけの出来上がりだったが、これでも恐ろしい程に可愛い。
「用意ができましたわ」
「本当に行くのね。お腹は空いてないの?」
「昨日すこ~しお酒が過ぎたので、気持ち悪いから要りません」
「まぁ、お酒は嗜む程度にしないとダメでしょう」
「飲みすぎたと言っても、ほんの少しですよ」
チャコットが残念な目でゲップを隠す嘘つきを見る。屋敷の使用人たちの間では常識だが、この妖精は大酒飲みなのである。
「マリー様、二日酔いで馬車に乗って大丈夫なのですか? 先日のように馬車で吐いたら大惨事ですよ」
「サムが洗車するわよ。どうせ毎日しているんだから同じでしょ。そんな些末事より私のリリーに変な虫がつかないかの方が一大事なのよ!」
チャコットの心配を無下にして、マリアンヌは拳を握った。
「馬車の中をゲロ塗れにされる方が一大事よ!! いい、お父様の書類は絶対に汚さないで。それに何ですか、私のリリーって。下品な言い回しはお止めなさい。ちゃんとお姉様と」
ガミガミと角を立てる姉に、可憐な妖精は項垂れた。
「お父様の書類なんて、ちょっとくらいおつゆに濡れても誰も困りません」
「吐くなら置いて行くわよ」
「あ、だめだめ、リリ~、置いて行かないで」
エチケット袋を持たされたマリアンヌと共に、サムが毎日磨き上げるピカピカの馬車に乗り、まずは父のいるギヴリーズカンパニーへ向かう。旧領内で最も賑わう街中、四階建ての巨大な建物である。澄ました顔で時々ゲップを漏らす妹を連れてエントランスを潜ると、受付に座る小間使いが慌てて父の秘書を呼びに行った。
「マリアンヌ様! リリアンヌ様、これはこれは」
次女から先に呼ばう愚か者に、マリアンヌが誰にも聞こえぬ音で小さく舌を打つ。
長女は気にした風もなく辞儀をした。
「お忙しい所にお邪魔をして申し訳ありません。こちら、家にあった父の書類です。忘れ物なのかどうかわからなかったのですが」
茶封筒に入った書類を手渡すと、受け取った秘書は『午後からの契約書類です!』と目を丸くしていた。
「良かったです、間に合ったようなら。では失礼しますわ、父によろしくお伝えください」
「大変助かりました。お忙しい所わざわざご足労いただき、ありがとうございました! ……あの、マリアンヌ様ももうお帰りですか? 良ければランチでも」
あからさまにリリアンヌに別れを告げると、秘書は頬を染めて屈み、マリアンヌを誘う。父の秘書たちは全員等しくマリアンヌを狙っている。
「わたくし予定がありますの」
「そうですか、残念です……あの良ければこん」
「ごきげんよう!!」
満面の蕩ける笑顔で首を傾げたマリアンヌがそう言うと、秘書は見惚れて真っ赤になった。
これだけ袖にされているというのに。
リリアンヌは少し気の毒に思ったが、そもそもこの男が婿に値する男ならば第一秘書になっているか重役ポストに付いていると思いなおして会社を後にする。
「あちこちで誘われるから、可愛いのも大変ね」
「何がですか? 断るだけですから何も大変じゃありません。羽虫を払うくらいに造作のないことです」
再び乗り込んだ馬車は図書館へと向かう。
「……そう……羽虫……いや、始めから全部断っていてはダメでしょう。為人を知って、貴女もどなたが良いのか主張しなくては。デートとか見合いとか色々、会ってみないと」
「どうせ結婚しなくちゃいけないなら、そういう時間すら惜しいのです。男なんてどれも同じですわ。結婚する当日に会うくらいで結構ですよ」
「どんな結婚観!? 何が惜しいのよ。あ、そうだマリー、さっきのランチのことなのだけれど、私、今日は図書館の後でいつものお店に食べに行くつもりです。貴女は気分が悪いのなら」
「もちろんご一緒します! リリーは本当にあの店のチーズケーキが好きですね」
妹に揶揄われると、リリアンヌは照れる。しっとり冷たくて甘酸っぱいレアチーズケーキは自分の唯一とも言える女らしい部分に感じて、気恥ずかしいのだ。
「ふふっ、そう! ……大好きなの」
「…………」
マリアンヌが何か堪える顔で姉を見る。
「あら、大丈夫?」
リリアンヌはそっとゲロ袋を差し出した。
日傘を手にしたリリアンヌが玄関ホールでメイドのチャコットと話をしていると、ボサボサ頭にネグリジェ姿のマリアンヌが声をかける。
「おはよう、マリー。なんて格好で出て来ているの! もう10時よ、よく寝るわね」
「ねえ、どこへ行くのですか?」
「図書館とお父様の所よ。テーブルの上に書類が置きっぱなしだったの」
「置きっぱなしぃ? なにそれ。相変わらず抜けてるんだから」
「届けても、要らないって言われるのかもしれないけれどね。予約していた本が返却されているかもしれないから図書館に行きたくて。そちらが本命、書類はついでよ」
「それなら私も行きます、良い?」
「良い、って。起きたばかりでしょう」
「ちょっと待ってて! ね、ね!?」
言いながらもうマリアンヌは自室へ駆けていく。
リリアンヌはチャコットと顔を見合わせて苦笑して、馭者に出発の遅れを伝える。
「マリー様は本当にリリー様ひと筋ですね」
「待たされる身になって欲しいわ」
「リリー様は時々フラッとお一人で出かけてしまわれるから、心配されているんですよ」
「そうらしいわね」
マリー様が血眼になってリリー様を探していた、と帰宅してメイドたちが冗談を言うのはしょっちゅうだった。
「いい加減、私に気を遣うのも止めてくれていいのに」
「気を遣う、とは違うと思いますが……」
チャコットが眉を下げて首を傾げる。
「大方、私に縁談の話が来ないのも気にして、一人で出かけて何をしているのか、有る事無い事を想像して心配しているのでしょう。だけどあの子こそ婿選びに真剣になる時期よ。私じゃなくて婿候補とデートでもなんでもしないと」
「デートなんてなさいますか? リリー様が一緒なら行かれるでしょうけれど」
「それもうデートじゃないわよ」
リリアンヌは自分の発言から想像して思わず失笑する。
妹のデートに冗談ひとつ言えぬ無表情な姉が付いて来れば、余さず破談になるだろう。嵩高いから想像の中でだって隠れることもできやしない。
「第一、私が付いて行きたくないわ。妹の邪魔をする瘤みたいになりたくないもの。あ、そう言えばチャコット、この間頼んだ帳簿のことなのだけど……」
玄関先で立ち話をしているうち、五分もすればマリアンヌがやってくる。おそらく顔を水で適当に洗って、その濡れ手で至極適当にハーフアップに纏めてきただけの出来上がりだったが、これでも恐ろしい程に可愛い。
「用意ができましたわ」
「本当に行くのね。お腹は空いてないの?」
「昨日すこ~しお酒が過ぎたので、気持ち悪いから要りません」
「まぁ、お酒は嗜む程度にしないとダメでしょう」
「飲みすぎたと言っても、ほんの少しですよ」
チャコットが残念な目でゲップを隠す嘘つきを見る。屋敷の使用人たちの間では常識だが、この妖精は大酒飲みなのである。
「マリー様、二日酔いで馬車に乗って大丈夫なのですか? 先日のように馬車で吐いたら大惨事ですよ」
「サムが洗車するわよ。どうせ毎日しているんだから同じでしょ。そんな些末事より私のリリーに変な虫がつかないかの方が一大事なのよ!」
チャコットの心配を無下にして、マリアンヌは拳を握った。
「馬車の中をゲロ塗れにされる方が一大事よ!! いい、お父様の書類は絶対に汚さないで。それに何ですか、私のリリーって。下品な言い回しはお止めなさい。ちゃんとお姉様と」
ガミガミと角を立てる姉に、可憐な妖精は項垂れた。
「お父様の書類なんて、ちょっとくらいおつゆに濡れても誰も困りません」
「吐くなら置いて行くわよ」
「あ、だめだめ、リリ~、置いて行かないで」
エチケット袋を持たされたマリアンヌと共に、サムが毎日磨き上げるピカピカの馬車に乗り、まずは父のいるギヴリーズカンパニーへ向かう。旧領内で最も賑わう街中、四階建ての巨大な建物である。澄ました顔で時々ゲップを漏らす妹を連れてエントランスを潜ると、受付に座る小間使いが慌てて父の秘書を呼びに行った。
「マリアンヌ様! リリアンヌ様、これはこれは」
次女から先に呼ばう愚か者に、マリアンヌが誰にも聞こえぬ音で小さく舌を打つ。
長女は気にした風もなく辞儀をした。
「お忙しい所にお邪魔をして申し訳ありません。こちら、家にあった父の書類です。忘れ物なのかどうかわからなかったのですが」
茶封筒に入った書類を手渡すと、受け取った秘書は『午後からの契約書類です!』と目を丸くしていた。
「良かったです、間に合ったようなら。では失礼しますわ、父によろしくお伝えください」
「大変助かりました。お忙しい所わざわざご足労いただき、ありがとうございました! ……あの、マリアンヌ様ももうお帰りですか? 良ければランチでも」
あからさまにリリアンヌに別れを告げると、秘書は頬を染めて屈み、マリアンヌを誘う。父の秘書たちは全員等しくマリアンヌを狙っている。
「わたくし予定がありますの」
「そうですか、残念です……あの良ければこん」
「ごきげんよう!!」
満面の蕩ける笑顔で首を傾げたマリアンヌがそう言うと、秘書は見惚れて真っ赤になった。
これだけ袖にされているというのに。
リリアンヌは少し気の毒に思ったが、そもそもこの男が婿に値する男ならば第一秘書になっているか重役ポストに付いていると思いなおして会社を後にする。
「あちこちで誘われるから、可愛いのも大変ね」
「何がですか? 断るだけですから何も大変じゃありません。羽虫を払うくらいに造作のないことです」
再び乗り込んだ馬車は図書館へと向かう。
「……そう……羽虫……いや、始めから全部断っていてはダメでしょう。為人を知って、貴女もどなたが良いのか主張しなくては。デートとか見合いとか色々、会ってみないと」
「どうせ結婚しなくちゃいけないなら、そういう時間すら惜しいのです。男なんてどれも同じですわ。結婚する当日に会うくらいで結構ですよ」
「どんな結婚観!? 何が惜しいのよ。あ、そうだマリー、さっきのランチのことなのだけれど、私、今日は図書館の後でいつものお店に食べに行くつもりです。貴女は気分が悪いのなら」
「もちろんご一緒します! リリーは本当にあの店のチーズケーキが好きですね」
妹に揶揄われると、リリアンヌは照れる。しっとり冷たくて甘酸っぱいレアチーズケーキは自分の唯一とも言える女らしい部分に感じて、気恥ずかしいのだ。
「ふふっ、そう! ……大好きなの」
「…………」
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