海賊提督の悪妻

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グレイプ編

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 降り立った大地を踏みしめると、毎度のことながら『かてぇな』と足の裏が言う。
 別にネイトの足裏がひ弱なのではない。
 彼の船が、船路が、いつもしなやかで柔らかいのだ。揺れる波は掴むことすら叶わず、常に波間をぬって進んで来た。確かな道など、どこにもない。

「スコットはもう出たか。あいつ、酒、持って行ったか」
 使いに出した忘れっぽい片腕。昔から『やっべ、忘れてたわ』が口癖の男である。親父に言いつけられた取引を忘れるわ、聞きこみをさせれば黒幕の名前をおぼえておらず嵌められるわ、喧嘩が始まって懐から出した銃が弾無しだったとか武勇伝ならぬ痴呆伝には事欠かない。
「最初から荷物に入れておいたから大丈夫でしょう……たぶん。あ、モニークを呼びに行かせましたよ」
「ああ。荷の方は誰を行かせた」
 ネイトの声が低くなる。
「沖にサソリとライの船を残しています。スコットが戻ったら荷の確認をさせる段取りです」


 ネイトがトリーチェの海軍提督に就任してからの初仕事は、一にも二にも弱小海軍の武器を買い集めることだった。トリーチェの海軍施設には碌な在庫が無く、陸軍のおこぼれみたいな接近戦で使う武器がメインで話にもならない。急いで整備させているが、マレーナに面した軍港すらなかったのだ。湾の形状上、防衛も容易な港であるにもかかわらず。命からがら戻って来れた場合に傷だらけの船をどこで修理させる気なんだと尋ねた時の海軍総督の顔が忘れられない。『傷がつく程度で帰って来たことがない』と小さな声で反抗してきたが、つまり逃げ帰って無事か木っ端みじんの藻屑で終わるかの二択しかなかったということだろう。
 腕の良い兵隊がいくら揃おうが、空手で戦争には勝てない。女の寝込みを襲うような海賊の海戦術とは訳が違うのだ。最初から無駄打ち前提で砲弾を準備しておかねば、女神の前髪を掴み損ねてしまう。

 長距離用砲台に弾、スタンダードなカノン砲、ずっと気になっていた噂の新兵器に至るまで、ありとあらゆる伝手を使って武器商人たちから数を買い漁り、このグレイプ沖で取引をすることになっている。まともな国ではこんなこと行えない。混沌としたグレイプだからこそ好き勝手ができた。特に目玉の新兵器は先進国のスパイが絡んでいて、図面の売買は闇ルートである。先進国であるトリーチェの予算とネイトクラスの真っ黒い人脈が無ければ土台無理な話であった。

「明日、闇商の男と会うのは俺とスコットだけで行く。第三倉庫だったな。後の仕切りは全部お前に任せる。リリアンヌは宿の部屋に繋いでおくから忘れて良い」
「また繋ぐんですか? いつになったら自由に」
「逃げたらどーする」
 呆れた視線も気にせず反論してくる海軍提督は、片腕から見ても夫にする男として終わっている。
「あんまり頻繁に繋ぐとさすがに本気で憎まれませんか。夫婦になるんでしょう?しかももう根無し草でなく同じ国民で軍人ですよ。法が適用される。訴えを起こされたら捕まるでしょう」
「どうでもいい」
 脱獄も得意である。
「妻を繋ぎます? ますます逃げられますよ」
「そしたらまた追いかけて捕まえるだけだ。俺の印は付けてあるんだから、すぐ見つかる」
 横暴で不遜な男は艶然と口端を上げ、煙草に火をつける。
 物理的な話はしていないのだが、ラルフの意図は全くこの男には伝わらない。脱力して舌打ち、教えてやる。
「惚れた女から好かれたいと思わないのか? って話だよ、ネイト」
「お、いいね、ラルフ君」
「冗談じゃなくて」

 ネイトとラルフ、スコットは小島だかどこかの港だかの奴隷で、行く所や食い物が無いなら乗って行けと親父に拾われ今に至る。バートレッドはそんな奴らばかりだった。かつての三人は一門内でもバラバラの船に所属していたが、早々に目をかけられて親父のいる本船に移籍した。海賊と言えどもそこは組織、巨大化するほどに度胸と頭脳、喧嘩や腕っぷし、人望など幹部になるにはそれなりの要素が必要になる。忘れっぽいスコットとて、操舵手としての腕は特級、喧嘩をさせればネイトと同じくらいに負けなしの秀でた反射神経を持っていた。

 いつでも難局を乗り越えてきた三人は、友を越えて兄弟である。
 だから年上のラルフはいつでもネイトを構う。肝心な感情をどこかに置き忘れてきた弟分のような頭(かしら)を。
「惚れたとか腫れたとか、そんな些末事はどうでもいい。アレは生涯最高の戦利品だぞ。お前は五万マイル下の海底から手に入れられないと思っていた幻の秘宝を拾って、その宝から好かれたいと思うのか」
「例えがおかしい、っつの」
「おかしかねぇわ。そもそも好かれるなんて思うのがおかしいだろ」
「お」
 ラルフはまじまじとネイトを見る。
「意外にまともなこと言うな」
「馬鹿言え。いつもまともなことしか言ってねー。馬鹿なのはスコットだけだ」
「それは否定しねぇ。でもな、お姫さん獲って来たんだから、お姫さんの意思だってもっと尊重して幸せにしてやれ。舌噛んで死んだらお前が困んだろ。どうせ妻にするんだし、お前に惚れてくれれば逃げようなんて思わん。両想いで一石二鳥だ」
「何が両想いだ。馬鹿か。子どもじゃあるまいし。リリは俺に惚れる訳がないし、俺もそういう意味で惚れようとは思ってない」
「いや惚れるだろ、お前の顔面なら。それにもうお前ベタ惚れだろが。馬鹿か」
「……お前、ウニみたいに俺の尻(ケツ)掘ろうと思ってんじゃねーだろうな、馬鹿が!」
「はぁ!? 勃たねーわ!!」
 不毛な言い合いにうんざりして、ラルフは止めた、止めた、と手を振る。
「これ以上は結構です。今日は全部スコットに任せていますから、我々の表向きは荷降ろしと星の女の世話。のんびり行きます。リリアンヌ様……マムのお披露目もかねて」


 ひとつ星の女たちは知っている。
 いずれ三つ星の女が現れること。それはネイトが寝物語で聞かせた彼のミューズの話。マムが現れた時点で、ネイトは彼女のものだった。そしてまた、世界中の港に散らばるひとつ星の女たちもマムのものになるのだ。
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