海賊提督の悪妻

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トリーチェ編

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 リビングルームに降りてきた長女を見て、両親はポカンとした。

「………え、リリー?」

 昨晩、元海賊の誘拐犯に辱めを受け悪逆の限りを尽くされた愛娘は、きっともう部屋から出てこないままになるのではないかとジュリアはカールに言った。
「だが、そんな悔しいことはない。あの子はアントンが私たちに遺した大切な娘だ。マリアンヌとは比べ物にならない…!良い子で、賢くて、優しい……ぐぅぅぅ……」
「そうよね、リリーがこのまま不幸せに終わるなんてとんでもないわ。許せない! 絶対に心から笑顔になって、幸せにならなくちゃ!!」
「そうだ、そうなんだ。だからジュリア、このままネイトの言っていた三か月が終わるまで部屋に引きこもったままにさせて、それから縁談を進めようと思う」
 全くお門違いな夫の言葉に妻は泣き顔から大激怒へと急変する。
「縁談ですって!? 何を考えているのよ!! 今、あの子が男性をどれほど恐ろしいと思うか想像できないの!?」
「いや、それはもちろん理解しているさ。だが、ネイトが本当に三か月後に引き下がってくれるのかもわからないだろう? 海賊なんて嘘つきだ。いざという時にあの男からも守ってくれるような、そんな男を私が見つける……いや作り上げる」
 ジュリアは言われてみれば確かにそうだと納得した。急に夫が頼もしく見える。
「素晴らしい案だわ。では、決してリリアンヌに行為を強要しないような男性をお願いします。もしくは言い含めてちょうだい。きっとそんなことをされたら今度こそ死んじゃうわ……うう……ぐすぐす」
 当の本人は快楽で死んじゃうと口走る仕上がりを見せているのだが、これまでの清廉潔白な長女がまさか極悪男の手管に堕とされたなど思いもしない。
「うん、大丈夫だ。元々リリアンヌは男を寄せ付けない潔癖な子だしな。私も慎重に慎重を期して誠実な男を選ぶ。最初は穏やかで優しい男を候補にしていたんだが、それでは厳しいだろう。こうなったらあらゆる伝手を使ってでも……!」


 だが、二か月どころかたった一日が経過しただけの今、どういうわけかその娘が目の前に立っているではないか。二人は幻を見ているのかと思った。
「おはようございます、お父様、お母様」
「え、え? うん、お……はよう?」
 カールが激しく瞬く。
「そうね、朝だものね。おはよう、リリー」
 ジュリアが笑顔に失敗しながらあたふたとする。
「長らく無精をしてしまい、失礼いたしました。今日からは寝食をきちんといたします」
「うん?」
 長らく?
「あ、あの、リリー?」
「はい、お母様」
「その、どこかへ出かけるのかしら? それは外出の支度……をしているのよね……? パニエはどうしたの」
「はい。会社の方に顔を出します。ちょっとやることが出来たので。パニエはもう結構です。私には似合いません。それと」
「似合わないってそんな……それと何かしら?」
「総督に御礼をするつもりです。マリーが私のことで大変なご迷惑を」
「あ……、ええ、そうね。でも総督にはカールがもう御礼を伝えたわ」
「そうは言っても、私は当事者ですから」
「リ……!」

『当事者』というパワーワードに二人は思わず引き攣るが、娘はにこりと笑ってから朝食を頂いてきますとダイニングに向かった。
 なんだろう。激しい違和感にカールは何度も瞬く。
「なんだ? 何かリリーじゃないみたいじゃないか!?」
 対してジュリアはベテランの女であった。
 すぐさまチャコットを呼ぶ。

「はい、奥様」
「リリアンヌの身支度をしたのは誰?」
「えっ、リリアンヌ様、お部屋から出てこられたのですか!? 申し訳ございません、まだお支度は!」
 呼びつけたメイドは慌ててダイニングへ向かって行った。
 ジュリアはその背を見送りながら胸騒ぎを覚える。
 じゃあ誰がやったのだ。あんなメイク、誰も。

 自分たちの娘のような魅力を持つ令嬢はこの国にはいなかった。時をかけて家人たちだけがその素材の美しさを理解していたが、不思議と文化が彼女の良さを殺した。
 だけど怖かった。
 いつか大勢の人間に気が付かれるかもしれない。いや、気が付かれるだろう。だから似合わぬ化粧とドレスでそのまま目隠しをしておいたのに。

 リリアンヌの母親は義弟のアントンがある日突然連れてきた娘だった。客船で知り合った娘だと言っていた。彼女もまた、リリアンヌ同様の愛想のない顔をしていた。一重に薄い顔立ちで、抜けるように真っ白な肌。変わった顔だと思った。彼女もメイクが苦手そうだった。最初は一目ぼれだと言ったアントンの趣味が最初は皆目理解出来なかったが、ギヴリーの家族として付き合うようになると身に染みて感じた。

 素顔の彼女はいつでも少女のように見えた。あどけない表情で、大人の顔をする。
 骨格は細く薄く、ボリュームのあるトリーチェの女たちとは全然違った。
 目が離せなくなるのだ。

 それは知らない種類の美しさだった。
 次第に彼女を見た後に鏡を見ると、あまりのしつこさにがっかりするようになった。

 好みの問題なのは重々承知なのだが、希少価値という意味では彼女を差し置いて他にいない。先祖に東洋の血が混じっているのよ、と気楽に彼女が話していたが、当時その国は閉じていて異国とは国交を結んでおらず、正真正銘の東洋人は見たことがなかった。
 カールは英国で一度だけ数人見たことがあったが、どれも男性だったらしい。みんな特徴のない顔という印象しかないと首を捻っていたが、血は異種が混じり合えば予想外の人間を生むとどこかで聞いたことがあった。ギヴリーも長く貿易業を営んでいたので、トリーチェ以外から血を入れた過去もある。マリアンヌの美しさはそうして造られた一つだったし、更にリリアンヌは予想外の血が生んだ作品になった。傑作と言って良い。

 母親はもちろん慈しんで育てていて、カールもジュリアも頻繁に姪を見に訪れた。

 アントン夫妻が事故死をし、すぐにリリアンヌを引き取ったのはギヴリー当主として当然の行いではあったが、実のところ、手元で育て、傍で成長を見ていたかったという親心に似せた欲望が多分にあった。
 予想通りに美しく蠱惑的に育っていく娘が、いつか男の手でめちゃくちゃにされるかもしれない妄想に慄き必要以上に律した育て方をした。また実の娘はその分放置され、結果失敗したことも認めざるを得ない。

 そんな風に、ジュリアとカールは長年この娘を巧妙に隠し続けてきたのだった。


 ◆

 父の会社には女性向けの商品を取り扱う“フルール”部門があり、リリアンヌは高等学校を卒業してから度々訪れていた。父の働く本棟から離れた別館にフルールがあるので顔を出しやすく、また商品の流れを読むのが分かりやすかったからだ。トリーチェで現在売れている、もしくは今後売れる商品は夜会に出れば大体わかる。だからコサージュの生地になるシフォンの輸入を増やすとか、今年は艶感のあるパンプスが流行なら一度大量に仕入れましょう、とか。帳簿の数字から予算を取って売り上げを予想し、企画書を書いて父の秘書に渡した。大きな商売ではなかったが、リリアンヌの提案は外れることなくどれも黒字になっていて、部門に顔を出すと皆が普通に仕事の話をしてくれる。


 机に座り、申請書と簡単な企画書、そろばんを弾いて仕入れ値と運賃、定価を決めて書き込んだ。白かった紙は文字で黒く塗りつぶされていく。モニークの顔が浮かぶとビジネスライクの思考が邪魔され、仕入れ値を考える時間は随分と骨が折れた。
「あの」
「………」
「あの、リリアンヌ様」
「! あ、はい、ごめんなさい。集中してしまって」
「これ、お茶を置いておりますので。お気を付けください」
「どうもありがとうございます。ごめんなさいね、気を遣わせて。書き終わったらすぐに出て行きますから」
「いえ、とんでもございません! あとで見ていただきたい商品もあるのです。またお声がけしてもいいですか?」
「もちろんです、イビサさん」
 にこりと笑ったその顔に、紅茶を運んできたイビサは動揺する。
 

 この人って、こんな風だったかしら。
 いや、絶対に違うわ。
 だって皆が動揺してる。


 今までフロアに現れた際には、他のお嬢さんと同じようなパニエの訪問着で、何というか薄い顔立ちをした目立たない人だったと思う。妹は大変に有名なのだが、出自のこともあって姉を気にする人間はほぼいない。それが印象の全部だった。

 だけど今日はまるで別人に見える。
 髪はストンとおろしただけで、編みこんでもないし、お化粧はチークもなくて瞳がなんだか吊り上がっているような……?
 それは物凄く、馴染みのない顔立ちに見えた。
 さらに服装なんか白いシャツにストライプ入りの褪せたスカートだ。コサージュもシフォンも色味も甘い要素が一つもない。袖まで捲って、ちょっと労働者というかメンズライクでご令嬢にはあり得ない。
 一般的な職業婦人とも違った雰囲気に見えた。それはまるで殿方寄りの。

 チラチラと見てしまう。
 糸で引かれたように無意識の視線が持って行かれる。

 何度でも存在を確かめたくなって、腑に落ちないそわついた気分が抜けない。
 たまに邪魔なのか髪を掻き上げて頬づえをつき、斜めの角度で目が合って微笑まれると女なのにゾクーーーーーっとした。

 ダメだわ、私、なんだか違う扉を開けてしまいそう。
 外の空気を吸いに行こう。
 必死で抵抗して、ドアを閉める。

 ◇

 一方、部屋の入口では社長秘書の男が口を開けてリリアンヌを見ていた。
 社長(カール)から、この長女の様子を見て来いと命ぜられたのだ。めんどくさいなと思った。初めは。

 だけど今、片方に寄せられた髪の隙間から現れた首筋から肩に落ちていく剥き出しのラインと横顔を行ったり来たりと穴が開きそうなほど見入っている。

 この女はこんな顔だったか。
 というか、見たことのない種類の顔だな。歪んでいないのはわかるけど、可愛らしい瞳もないしぽってり女っぽい唇もない……ないのだが。

 薄い艶やかな唇が、目の前でぱっと開いた。
「はぁ! 出来ました。これ、グレイプ担当の方にお願いしたいのですが」
「………」
「あの? ソデリーニさん、聞いていらっしゃいます?」
「あっ……あのいえ、あ、はい。確かに」
「あなた、先日お会いした方ですね。その節は忘れ物をありがとうございました」
「いえ、その節は大変失礼いたしました。良ければお詫びにお食事でもいかがですか」
「とんでもないです。失礼など一ミリも。むしろこちらが忘れ物してお呼び立てして、親子でご迷惑をおかけしましたから、どうぞおかまいなく」
「いえ、あの、その……」

 ◇

 執事は馬車から降り立った女に一瞬戸惑った。
「初めまして、リリアンヌ・ギヴリーと申します。今朝、家人を通じて総督殿に三十分ほど面会の予約を取らせていただいております」
「え……ええ」
 女は優雅な身のこなしで指示をして、馬車からいくつかの品を運ばせて執事へ渡す。
「こちら、この度わたくし事でご迷惑をおかけしてしまったお詫びの品でございます。総督殿へお渡しいただけると幸いです」
「かしこまりました。カミロ様からお伺いしております、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」

 リリアンヌ・ギヴリーの作法は名家の娘だけあって完璧であったが、どうしたことか身なりがカミロへの礼に欠いていた。パニエのない平民服を着て、ヘアメイクもみっともない仕上がりだった。先日怒鳴り込んで来た次女もすごかった……あの家はどうなってる。
 ギヴリーの娘でなければ屋敷に入れることも躊躇うだろう。

 だけど独身貴族で引く手数多の坊ちゃん総督を狙う女は実際多いし、礼を理由に近づいたとしても目の前の女は問題が無さそうに見えたので安心した。

 これならカミロ坊ちゃまが面会されたってどうってことはない。
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