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五 『裏剣客』と自称している崎十郎
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闇に沈んだ屋敷地を、がに股でどたどたと駆け抜けた。
(このあたりでいいか)
人気がない広い境内に出てから、ぴたりと足を止めて振り返った。
「ほうれ、受け取れ」
浪人たちに、抱えてきた大刀を一本ずつ放り投げた。
「わわわわ」
「それは拙者の愛刀じゃ」
「やや、違った」
浪人たちは、右往左往しながら己の差料を見つけ、慌てて腰に帯びた。
「刀を返すとは殊勝だが、どういうつもりじゃ」
「おのれは馬鹿か」
腰の大小を取り戻した浪人たちはとたんに強気になった。
居合いのひとりを除いて、三人がほぼ同時に抜刀した。
「けけけ、腰のものがなければ、この俺さまと勝負にならぬと思うたからじゃよ」
声で正体を気取られぬように、またも甲高い声で答えた。
「なにをっ」
月代がむさ苦しく伸びた浪人の一刀が翻った。
ひょいと後方に跳ぶ。
切っ先は崎十郎の身体に届かず空を切った。
「来てみろってんだ」
崎十郎は鯉口を切るでもなく、左脇構えを取った。
きええええぇ。
敵の袈裟斬りが襲ってくる。
体をさばいた。
同時に踏み込んで敵の懐に入った。
掌突きで敵の顎を突く。
「げっ」
短い悲鳴とともに敵が吹っ飛んだ。
「な、なんだと」
居合い遣いが左脇構えから横一文字に抜刀した。
崎十郎は抜刀せぬまま、相手の鍔元を己の鍔元に当てて押さえ込んだ。
右手の人差し指と中指で敵の目を突く。
ぐえぇっ。
敵は目を押さえてたたらを踏んだ。
「これに懲りたら、身を慎むことだな。さもなくば、また俺さまがお相手するぞ。そのおりは容赦せぬから、そのつもりでおれ。わかったな、馬鹿者どもめら」
できるだけ甲高いふざけた声で煽った。
「逃げろ」
大男の叫びとともに、四人はもと来た道を一目散に逃げ出す。
ばたばたという間の抜けた足音がたちまち遠ざかっていった。
おおいに溜飲を下げた崎十郎は、
「くくく、能ある鷹は爪を隠すってな」
もとの声音に戻って小さくつぶやいた。
崎十郎は『裏剣客』と自称している。
なにも知らずに腰抜け具合を嘲る輩を心のうちで北叟ほくそ笑む心地よさがたまらない。
北斎やお栄さえも崎十郎の腕を知らなかった。
唯一の例外が善次郎である。
(思えば、こういう楽しみをもたらしてもらった恩人というわけだ)
善次郎のにやけた顔を思い浮かべて苦笑した。
崎十郎は、幼い頃、養子先の雑穀屋で理不尽に殴られたり蹴られたりしていた。
「殴られてばかりは嫌だ。強くなりたい」
ふと漏らした言葉を善次郎が聞きつけ、武芸馬鹿にもほどがある加瀬文内との縁を結びつけてくれた。
いまは亡き文内は、代々、加瀬家に伝えられてきた、熊野九鬼水軍伝来の総合武術九鬼神伝流の達人で、善次郎は子供の頃から武芸の手ほどきを受けていた。
養子に入った崎十郎は善次郎とともに、剣だけでなく、棒術や柔術も厳しく鍛えられた。
善次郎に一目置くわけは、当時、こてんぱんにされた記憶が、どうしても頭から拭えないからだった。
「さてと……。若竹屋にもう一度、戻るか」
袴についた埃を払った。
ぎゃあああ……。
くぇっ。
根津権現別当の敷地を出たとき鋭い悲鳴が耳に入った。
人とは思えぬ叫びだったが、男の断末魔の声に思えた。
崎十郎は声の聞こえた方角へ走った。
「やや、これは……」
水戸家の中屋敷と小役人の屋敷とに挟まれた通りに、点々と黒い塊が落ちている。
冴え冴えとした月明かりのなか、さらに近づいた。
崎十郎が懲らしめたばかりの浪人たちが微動だにせず地に伏している。
全員がすでに事切れていた。
「この斬り口は、なんだ」
奇妙なことに、浪人たちは全員、腋の下を斬られて死んでいた。
「いかなる流派なのか、拙者にはさっぱり見当がつかぬ」
腕組みしながらつぶやいた。
養父文内なら、希少な流派にも精通していたが、黄泉の国の人になって久しかった。
一太刀で致命傷を負わす手練は只者ではなかった。
巻き藁でも斬るように撫で斬っている。
噂に聞いた辻斬りの仕業に違いなかった。
「まるで鎌鼬だな」
感心すると同時に強い闘志が湧いてくる。
広い通りを一陣の風が吹き抜けた。
月に薄雲がかかり始めて闇が深くなるとともに、夜気が肌に感じられた。
「もう少し早く駆けつけておれば……。噂の辻斬りと対峙できる好機であったのに」
少しばかり声を大にしてつぶやいてみたが、独り言は虚しく闇に吸い込まれた。
あたりは、しんと静まり返っていて、深い海の底に沈んだ心地がした。
彼方の辻番所から人影がふたつ現れた。
提灯をかざしながら、恐る恐るといった様子で近づいてくる。
だが、手前でぴたりと立ち止まった。
「ひえええ。辻斬りだあ。辻斬りが出た」
辻番の老人たちは慌てて踵を返すと、よたよたと走り去った。
戦国の気風が色濃く残っていた頃は、辻斬りが横行していたため、武家地の辻々に辻番所が設けられたが、いまでは形だけとなった。
町人が差配を請け負うようになってからは、給金が安くて済む年寄りの辻番が多くなった。
「あちらです。辻斬りがまだおります。お気をつけて」
辻番を先頭に、水戸家の家臣たちが、こちらに向かってくる。
面倒を避けて反対方向に走り去った。
(このあたりでいいか)
人気がない広い境内に出てから、ぴたりと足を止めて振り返った。
「ほうれ、受け取れ」
浪人たちに、抱えてきた大刀を一本ずつ放り投げた。
「わわわわ」
「それは拙者の愛刀じゃ」
「やや、違った」
浪人たちは、右往左往しながら己の差料を見つけ、慌てて腰に帯びた。
「刀を返すとは殊勝だが、どういうつもりじゃ」
「おのれは馬鹿か」
腰の大小を取り戻した浪人たちはとたんに強気になった。
居合いのひとりを除いて、三人がほぼ同時に抜刀した。
「けけけ、腰のものがなければ、この俺さまと勝負にならぬと思うたからじゃよ」
声で正体を気取られぬように、またも甲高い声で答えた。
「なにをっ」
月代がむさ苦しく伸びた浪人の一刀が翻った。
ひょいと後方に跳ぶ。
切っ先は崎十郎の身体に届かず空を切った。
「来てみろってんだ」
崎十郎は鯉口を切るでもなく、左脇構えを取った。
きええええぇ。
敵の袈裟斬りが襲ってくる。
体をさばいた。
同時に踏み込んで敵の懐に入った。
掌突きで敵の顎を突く。
「げっ」
短い悲鳴とともに敵が吹っ飛んだ。
「な、なんだと」
居合い遣いが左脇構えから横一文字に抜刀した。
崎十郎は抜刀せぬまま、相手の鍔元を己の鍔元に当てて押さえ込んだ。
右手の人差し指と中指で敵の目を突く。
ぐえぇっ。
敵は目を押さえてたたらを踏んだ。
「これに懲りたら、身を慎むことだな。さもなくば、また俺さまがお相手するぞ。そのおりは容赦せぬから、そのつもりでおれ。わかったな、馬鹿者どもめら」
できるだけ甲高いふざけた声で煽った。
「逃げろ」
大男の叫びとともに、四人はもと来た道を一目散に逃げ出す。
ばたばたという間の抜けた足音がたちまち遠ざかっていった。
おおいに溜飲を下げた崎十郎は、
「くくく、能ある鷹は爪を隠すってな」
もとの声音に戻って小さくつぶやいた。
崎十郎は『裏剣客』と自称している。
なにも知らずに腰抜け具合を嘲る輩を心のうちで北叟ほくそ笑む心地よさがたまらない。
北斎やお栄さえも崎十郎の腕を知らなかった。
唯一の例外が善次郎である。
(思えば、こういう楽しみをもたらしてもらった恩人というわけだ)
善次郎のにやけた顔を思い浮かべて苦笑した。
崎十郎は、幼い頃、養子先の雑穀屋で理不尽に殴られたり蹴られたりしていた。
「殴られてばかりは嫌だ。強くなりたい」
ふと漏らした言葉を善次郎が聞きつけ、武芸馬鹿にもほどがある加瀬文内との縁を結びつけてくれた。
いまは亡き文内は、代々、加瀬家に伝えられてきた、熊野九鬼水軍伝来の総合武術九鬼神伝流の達人で、善次郎は子供の頃から武芸の手ほどきを受けていた。
養子に入った崎十郎は善次郎とともに、剣だけでなく、棒術や柔術も厳しく鍛えられた。
善次郎に一目置くわけは、当時、こてんぱんにされた記憶が、どうしても頭から拭えないからだった。
「さてと……。若竹屋にもう一度、戻るか」
袴についた埃を払った。
ぎゃあああ……。
くぇっ。
根津権現別当の敷地を出たとき鋭い悲鳴が耳に入った。
人とは思えぬ叫びだったが、男の断末魔の声に思えた。
崎十郎は声の聞こえた方角へ走った。
「やや、これは……」
水戸家の中屋敷と小役人の屋敷とに挟まれた通りに、点々と黒い塊が落ちている。
冴え冴えとした月明かりのなか、さらに近づいた。
崎十郎が懲らしめたばかりの浪人たちが微動だにせず地に伏している。
全員がすでに事切れていた。
「この斬り口は、なんだ」
奇妙なことに、浪人たちは全員、腋の下を斬られて死んでいた。
「いかなる流派なのか、拙者にはさっぱり見当がつかぬ」
腕組みしながらつぶやいた。
養父文内なら、希少な流派にも精通していたが、黄泉の国の人になって久しかった。
一太刀で致命傷を負わす手練は只者ではなかった。
巻き藁でも斬るように撫で斬っている。
噂に聞いた辻斬りの仕業に違いなかった。
「まるで鎌鼬だな」
感心すると同時に強い闘志が湧いてくる。
広い通りを一陣の風が吹き抜けた。
月に薄雲がかかり始めて闇が深くなるとともに、夜気が肌に感じられた。
「もう少し早く駆けつけておれば……。噂の辻斬りと対峙できる好機であったのに」
少しばかり声を大にしてつぶやいてみたが、独り言は虚しく闇に吸い込まれた。
あたりは、しんと静まり返っていて、深い海の底に沈んだ心地がした。
彼方の辻番所から人影がふたつ現れた。
提灯をかざしながら、恐る恐るといった様子で近づいてくる。
だが、手前でぴたりと立ち止まった。
「ひえええ。辻斬りだあ。辻斬りが出た」
辻番の老人たちは慌てて踵を返すと、よたよたと走り去った。
戦国の気風が色濃く残っていた頃は、辻斬りが横行していたため、武家地の辻々に辻番所が設けられたが、いまでは形だけとなった。
町人が差配を請け負うようになってからは、給金が安くて済む年寄りの辻番が多くなった。
「あちらです。辻斬りがまだおります。お気をつけて」
辻番を先頭に、水戸家の家臣たちが、こちらに向かってくる。
面倒を避けて反対方向に走り去った。
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