生人形師喜三郎が駆ける

CHIHARU

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16   鬼婆ぁの人形が、夜中に動き出したんですわ

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 数日後の明け六つだった。  

「兄ぃ。開けて。開けておくんなはれ」
 長屋木戸が開かれると同時に、庄助がやってきた。
 潰れんばかりの勢いで、戸口の腰高障子を叩く。   

 喜三郎は、茶碗によそわれた炊きたての飯に、箸をつけかけていた手を止めた。

「待ってんか」
 お秀が、杓文字を手にしたまま、慌てて土間に下り、腰高障子の心張棒を外した。

 転がるように、庄助が、家の中に駆け込んで来る。

「何やいな。血相を変えてからに」
 片手に杓文字、片手に外したばかりの心張棒を握ったまま、お秀は土間から部屋に上がった。

「番してた、〝浅茅ヶ原一ツ家〟の鬼婆ぁの人形が、夜中に動き出したんですわ」
  土間に突っ立ったまま、庄助が、息を切らす。

「ははは。てめえは、夢でも見てたんじゃねえのか」

「ともかく、ほんまでっから。わいは恐ろしいて、恐ろしいて。あないなとこにおられへんから、飛び出して来てしもたんですわ」

「詳しく説明してみな」

「鬼婆の人形が、そら、恐ろしい声を上げたんですわ。地獄の底から響くような声でしたで。いっぺん聞いたら、忘れられまへんで」
 一気に喋って、慌てて息継ぎをする。 
「婆ぁの人形が、ほんまに動いたんですわ。婆ぁが、娘を責めて、娘の人形かて、か細い声で悲鳴を上げてましたがな。くわばら、くわばら」
  庄助は、信じてもらおうと、必死である。

  菜汁を喜三郎の膳に置きながら、お秀は「へえへえ。そら、恐ろしいやろかいな」と、鼻先で笑った。

「ほんなら、姐さんが、張り番しはったらどないだ」
 庄助もしだいに、腹が立ってきたらしい。
 小さい目がだんだん吊り上がる。

「あ。あかん。あかん。うちは、か弱い女やで。幽霊やらお化けは怖うないけどな。人間の男はんが怖いがな」
 お秀は、なおさら、からかい口調になった。

「姐さんの体ぁ目当ての男なんか、おりまっかいな。ま、世の中、『女やったら、皺くちゃの梅干し婆ぁでもええ』っちゅう、奇特な男もおりまっけどな」
 庄助は、本気とも冗談とも取れる目で、お秀を睨みつけた。

「まあ、突っ立ってねえで、上がって、飯でも食え。その分じゃ、朝から何も食ってねえんだろ」
 喜三郎は、落ち着かせようと、手招きした。

「いや、食い物も喉に通りまっかいな」
  庄助は必死の面持ちで、喜三郎の目の前に、まるで膝詰め談判でもするように座った。

「てめえが、婆ぁの人形の番をするまでは、何もなかったんだろが」
 喜三郎は、菜汁を啜った。

「親父が二晩、番してましてんけど。ぐっすり寝られたちゅうてます」

「だから、それが夢だってえ証拠じゃねえかよ。庄助の夢だってよお」

「兄ぃ。夢と違いま。信じておくれやっしゃ」
 庄助の猿のように皺の多い小顔が、恐怖に歪んでいる。

「兄ぃ。すぐ、一緒に来てくれはりまへんか。……そんで、今日からの張り番は、誰ぞ、他のひとに頼んでもらえまへんか」
 庄助は、小さな体を丸くし、手を合わせて、拝まんばかりである。

「行ってみるしかねえな」
  喜三郎は、白湯を茶碗に入れて、箸と茶碗を洗うと、残った米粒とともに、湯を飲み干した。

「うちも一緒に行きまっさ。怪異やて、おもろいがな」
 お秀も、飯だけ掻き込むと、いそいそと支度を始めた。

「仲直りした途端に、面倒を持ち込みやがって。これだから、庄助は……」
 喜三郎は口元が緩むのを感じた。



 明け六つを四半刻ほど立った頃。
 神田佐久間町にある、小間物屋と風呂屋に挟まれた、表店の戸口に立っていた。

「中に入ってみておくんなはれ」
 庄助が、喜三郎を促した。

「ごめんよ」
 喜三郎は、声を掛けながら、戸障子を開け、中に入った。
 一階の土間では、小日向屋の番頭の女房が赤ん坊を背負いながら、風呂敷包みを手に、出掛けるところだった。

「お邪魔しますよ」の喜三郎の声に、「いや、構やしませんよ」と、黒く染めた歯を見せて微笑んだ。
 愛想は良いが、眉のない目の奥は、迷惑げである。

 騒ぎを起こしちゃ、なおさら、そうそう長く、預けておくわけにゃいかねえなあ。
 喜三郎は、梯子のような、急な階段を上った。

 お秀が続き、庄助は遅れて、階段に足を掛ける。
 が、すぐには上ろうとしない。
 小柄な体をさらに小さくし、躊躇している様子が可笑しい。

「おい。早く来ねえか」
 階段を上りきった喜三郎は、庄助を手招きした。

 庄助は、意を決したように、ごくりと唾を飲み込んでから、清水の舞台から飛び降りるような必死の形相で、階段を上って来る。

「俺もお秀もいる。真っ昼間から、怪異も何もあったもんじゃねえだろがよ」 
 庄助の腕を掴んで、〝浅茅ヶ原一ツ家〟の生人形が置かれた、二階の部屋に引き込んだ。
          
〝浅茅ヶ原一ツ家〟の各場面の人形は、どれもまだ解体されていなかった。
 
「よっぽど怖かったんだな」

 庄助が寝ていた、箱枕と、夜着と、煎餅布団が、蹴散らかされて、右と左に生き別れ。庄助の慌てようが伺えた。

「あ、兄ぃ。ど、どないだ?」
  庄助は、部屋に置かれた人形を見ようともしない。

「運び込んだときのままじゃねえか。寸分たりとも、動いちゃいねえよ」

「気持ちええ部屋やがな。怪異の〝か〟の字もあらへんで」
 お秀が、物干しに続く障子を開き、風を通す。

「ふうん。おもろいがな。この人形が、喋るてかいな」
 お秀は、四畳半の部屋を歩き回って、人形を子細に調べ始めた。

「人形は人形やで。庄助はんも、男のくせに、肝が据わってへんなあ」
 お秀が、笑いを堪えながら、庄助を煽った。

「姐さん。姐さんは、見てへん、聞いてへんから、そないなことが言えまんねんで。確かに、この目で見た、わいは、こないして部屋の中におるだけでも、体の芯から寒うてしょうおまへんねんで」
 庄助は、両手で襟を掻き合わせた。

「わいが寝てたら、この婆ぁが……」
 庄助は、大きく身振り手振りを入れて、お秀を納得させようとする。

 端で見ていると、当人達は大真面目であっても、面白可笑しく聞こえる。

 気味の悪い人形ではあるが、朝の光が差し込む室内で見れば、むしろおどけて滑稽に見える。

 恐ろしさを突き抜けたところに、笑いがある。
 人は、恐ろしさに凍り付く反面、怖さのあまり、笑うものである。

 恐怖を誘う場面に使う人形でも、決しておどろどどろしさ一辺倒に作らず、何処か可笑しみを感じさせるよう心がけていた。

「一ツ家の婆ぁの人形は、この一体だけじゃねえ。他の場所にも預かってもらっているが、そんな話は聞いたこともねえやな」

 目の前の生人形は、〝一ツ家〟の姥人形のうちでも、一番に出来の良い人形で、大判の錦絵にもされている場面の人形である。

 鬼婆の娘が、浅草寺の観世音菩薩の化身である、世にも美しい稚児を守ろうと、大きな包丁を手にする鬼婆を、必死に押しとどめる構図だった。

「観音さんの化身の稚児人形だけ、他の家に預けはったからでっせ」

「観音さんが、見張ってはらへんから、鬼婆が悪さをしたっちゅうんかいな。そら、一理あるで」
 お秀が、さも愉快そうに口を挟んだ。

 お秀なら、たとえ人形が動き出そうと、逆に『あんたは人形やろ。動いたらあかんがな。分相応を弁えるんやで』などと、説教を垂れそうである。

「な、兄ぃ」
  庄助は、今度は一転、喜三郎に顔を向ける。

「水茶屋の婆ぁが亡くなったとき、『婆ぁの人形が夜な夜な動いて、旅の女の人形を責める』て、嘘の噂を流しましたやろ。あんなことしはったからでっせ。この人形は、旅の女でのうて、我が娘を責めてるんやから、場面が違いまっけどな」
 喜三郎に矛先を向け、三ヶ月余り前の出来事を持ち出した。

「確かに、興行の前宣伝のために、適当な怪異話をでっち上げたには違いねえが」

「兄ぃが、罰当たりなことしはったさかい、その祟りでっせ。瓢箪から駒っちゅうか……」

  喜三郎は、自分のせいにされ、心中やや穏やかでなくなってくる。

「馬鹿野郎。てめえがそんな詰まらねえことを考えてるから、夢に見るんでえ」

 せっかく、元の兄弟分に戻れた、喜三郎と庄助だったが、またもくだらない事件で、仲違いの危機となった。

「兄ぃは、わいを馬鹿にしてまんのか。あー。また、こないだの一件を思い出した」
 庄助の眉間の皺が、数を増す。

「何、偉そうに言いやがる。庄助、てめえから、仲直りしに来たから、俺だって、なかったことにしてやっただけでえ」

「あほ言わんとってください。兄ぃのほうからは折れて出れんやろしと、わいが、詮方なく、気を遣うただけでんがな」

 あわや、またまた大喧嘩が勃発し掛けたときだった。

「おい、おい。喧嘩はよしねえ」
  芝居かぶれな、気取った声が後ろから響いた。

「騒ぎを聞いて、来てみたんだが。この場は、俺っちが引き受けた」
 いつの間にやってきたのか、丑之助が、大きな態度で口を挟んだ。

「喜三郎。俺っちは、新門辰五郎の倅でえ。怪異なんか、何が怖ええもんかい。今晩は、俺っちが番をして、真偽のほどを確かめてやらあ」
 丑之助は、厚くもない胸板を叩き、怪気炎を上げた。
   
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