最後のエルフ少女、最期の郵便配達~たまにカラスがうるさい

cross-kei

文字の大きさ
6 / 19
第01章:銀のコンパスの唄(全06話)

第05話:老婆より、リコへ

しおりを挟む
西へ。
ペンダントに導かれ、リコとクロがたどり着いたのは、寂れた漁村だった。
潮の香りが、ひび割れた石畳の隙間から、物悲しく立ち上っている。

今回の配達先は、その村で一番古い、海風に白く灼けた一軒家だった。
リコが届けるのは、三日前に海で死んだ老漁師からの、最後の「手紙」。
受取人は、家に一人残された、その妻である。

「……お届けものです」

リコの差し出した手紙を、足の不自由な老婆は、訝しげな目つきで受け取った。
震える手で封を開き、そこに綴られた夫の最後の言葉に目を通す。

『お前を一人残していく。すまなかった。達者でな』

それは、不器用な男の、精一杯の愛情と後悔の言葉だった。
だが、老婆の反応は、リコの予想とは全く違うものだった。

「ふんっ! 何が『すまなかった』だい!」

老婆は、手紙をくしゃりと握りつぶすと、部屋の隅に投げ捨てた。

「勝手に死んじまって……あたしを一人ぼっちにしやがって! 子供たちも寄りつきゃしない。この足じゃ、ろくに歩けもしない。これから、どうやって生きてけって言うんだい!」

その瞳に浮かぶのは、悲しみよりも、深い孤独と、世界に対する憎悪に近い、ひねくれた感情だった。
老婆は、じろりとリコを見た。その目に、ずる賢い光が宿る。

「……あんただね、変な手紙をよこしたのは。ちょうどいい。あの人が死んだのも、あんたのせいみたいなもんだ。あんたが、あたしの面倒を見るんだよ。いいね?」



その日から、リコの奇妙な一ヶ月が始まった。
老婆は、足が不自由なのをいいことに、リコを召使いのようにこき使った。
部屋の掃除、食事の支度、町への買い物。
そして、遠い町で暮らす息子夫婦への手紙を、来る日も来る日も書かせた。

その手紙に、返事が来ることは一度もなかった。
クロは「さっさとずらかろうぜ」と悪態をついたが、リコは何も言わず、ただ黙々と老婆の要求に応え続けた。
彼女の目には、老婆のひねくれた言葉の奥に、すがりつくような、か細い孤独の影が視えていたからだ。

一ヶ月が経つ頃、あれほど口うるさかった老婆が、急に口数が少なくなった。
まるで、燃え尽きる寸前の蝋燭のように、その生命の灯火が、急速に失われていくのが分かった。

ある嵐の夜、老婆は、ベッドの中から、か細い声でリコを呼んだ。

「……リコちゃん。もう、潮時みたいだね…」

その顔からは、いつもの険しさが消え、不思議なほど穏やかな表情をしていた。

「……あたしが死んだら、息子に、財産の処分のことだけ伝えておくれ。それから……あんたは、もう好きなところに行きな。長い間、すまなかったねぇ……」

それが、老婆の最後の言葉だった。



リコは、約束通り、町に住む老婆の息子に、その死を伝えた。
息子は悲しそうな顔をしたが、その隣に立つ嫁は、安堵のため息を漏らした。

「ええ…。大変な方でしたから…。これで、私たちも、少し肩の荷が下りますわ」

その言葉に、リコの胸がちくりと痛んだ。

自分の荷物を取りに、誰もいなくなった老婆の家に戻る。
がらんとした部屋は、一ヶ月前よりも、さらに広く、冷たく感じられた。

リコが、自分の古びた鞄を手に取ろうとした、その時だった。
部屋の隅で、くしゃくしゃに丸められた紙切れが、彼女の目に留まった。
初日に、老婆が投げ捨てた、夫からの手紙だった。

リコがそれに近づくと、彼女の「目」には、驚くべき光景が映った。
そのしわくちゃの紙には、二つの魂の残滓が重なっていた。
一つは、もう消えかかっている夫の魂の、不器用な愛情の痕跡。
そしてもう一つは、今まさにこの部屋から旅立とうとしている、老婆の魂の、あまりにも温かい感謝の光。

老婆の魂は、去り際に、リコに気づいてほしかったのだ。
自らが最初に拒絶した「愛」の象徴を、最後の「感謝」を伝えるための媒体として使ってほしいと。

クロが、心得たとばかりにリコの肩に止まる。

「へっ、最後の最後で、爺さんの手紙を再利用かい。どこまで始末のいい婆さんなんだ」

リコは、くしゃくしゃの紙をそっと拾い上げ、両手で優しく広げた。
そして、その紙にそっと手を触れる。
すると、老婆の魂の光が、紙へと流れ込んでいく。

夫の不器用な文字が、光の中にすうっと溶けて消え、そして、その同じ場所に、今度は老婆からの、リコへの感謝の言葉が、震えるような、しかし温かい光を放つ文字となって、浮かび上がってきた。

その宛名は。

『リコちゃんへ』

リコは、息をのんだ。
配達人である自分が、手紙を受け取る。そんなことは、初めてだった。

震える手で、手紙を読む。
そこに綴られていたのは、老婆の、決して嘘偽りのない、魂の最後の言葉だった。

『リコちゃんへ。
 一ヶ月、本当にありがとうね。
 あんたをこき使って、意地悪ばっかり言っちまったけど、本当は、一日でも長く、あんたにここにいてほしかったんだよ。
 息子たちにも見捨てられて、爺さんにも先に逝かれて、もう世界にあたしは一人ぼっちだと思ってた。でも、あんたが来てくれて、あたしの最後の毎日は、本当に、本当に楽しかった。
 あの人が、最後に爺さんが、あんたを遣わしてくれたんだね。
 あんたは、あたしにとっては、天使だったよ。ありがとう』

手紙が、涙で滲んで読めなくなった。
「大変な方」――息子の嫁の、棘のような言葉が蘇る。

違う。
この手紙に綴られた、あまりにも純粋な感謝の気持ち。
これこそが、あの人の魂の、たった一つの真実なのだ。

魂の手紙は、嘘をつけない。
リコは、その絶対的な法則を、今、自らの魂で理解した。

老婆の魂が、満足そうに微笑むのがリコには視えた。
魂は光の粒子となり、リコの胸のペンダントへと静かに吸い込まれていく。
ペンダントが、再び温かい光を放ち、新たな方角を指し示した。

リコは、初めて自分宛に届いたその手紙を、大切に、大切に鞄にしまった。
頬を伝う温かい涙を拭うと、彼女は次なる「唄われなかった想い」が待つ場所へ、静かに歩き出した。



村を離れる道すがら、リコは大切にしまった手紙に、そっと鞄の上から触れた。

「……クロ」
「ん?」
「手紙をもらうのって……こんなに、温かいんだね」

その、あまりにも純粋な言葉に、クロは一瞬だけ黙った。

「へっ。当たり前だろ。お前が今まで配ってきたもんは、そういう代物なんだよ」

いつもの悪態の中に、ほんの少しだけ、照れ隠しのような響きが混じっていた。
リコは、小さく微笑んだ。

人の心は、見かけだけでは分からない。ひねくれた言葉の奥にも、温かい真実が眠っている。
そして、その真実に触れることは、何よりも尊いのだと。
それは、彼女の長い旅路における、最初の、そして何よりも大切な「報酬」だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...