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大陸の宝石
1-2.
*****
第七代国王であるサンザ・ランドルエ・ラウラは、手入れの行き届いた庭園の隅、側近すら立ち入りを禁じて人払いをした東屋で、一人酒を煽っていた。
(……もううんざりだ)
静寂の中で思考だけが重く沈んでいく。
朝の会議で、昼の会食で、幾度となく浴びせられた言葉が耳の奥で否応なく再生された。
『陛下、新たな側室を迎え入れるべきです』
『なんとかしてお世継ぎを』
『祖国のためです』
『王家の血を絶やしてはならぬ』
(王家の血、王家の血……どいつもこいつもそればかりだ)
正室マデナとの間にもうけた待望の御子は、つい先ほど、かすかな産声ひとつあげぬまま土に還った。
取り上げた侍医が沈鬱な顔で顔を横に振るのを確認して、サンザは妻の故郷に急使を走らせた。
両国の絆となるはずの子だったのだ。どれだけ深い失意に沈むことだろう。
サンザには正妻であるマデナ妃以外に、数年前に迎えた側室ローナ妃がいる。彼女もまた一度もその腹に子を宿らせたことがなかった。
サンザは冷えたグラスに注いだワインを一気に煽った。
何も成せなかったのは女性たちではない、サンザ自身だ。
長年の重圧は心を荒らし、体をも蝕んだ。
いまでは女性から性的な気配を感じるだけで胸の奥が締めつけられ、呼吸が乱れるほどになってしまっていた。
それは王としての責務を果たせない己に対する、身体が発する拒絶反応だった。
(なにが賢王だ……笑わせる)
自嘲の笑みとともに何度も酒を喉に流し込む。
このまま王家の血が絶えれば、国は乱れる。
国を守るべき自分が破滅の火種となるのだから、なんたる笑い種だろう。
不意に、ガサガサ、と近くの植え込みが揺れた。
夜風ではない、生々しい気配。
サンザは反射的に腰の剣へと手を伸ばして身構える。
「何者だ!?」
鋭い声が静寂を裂く。
息を呑む気配がし、やがて茂みを割って現れたのは、痩せ細った体つきのまだ幼さの残る少年だった。
薄いボロ切れのような粗末なシャツ1枚を身につけ、肩で荒い息をしている。
その姿はあまりに場違いで、サンザは虚を突かれた。
「お前は……?」
侵入者なのか? いや、迷い込んだだけか? それにしたってどうやって宮殿に?
「門衛はいったい何をして……」
ふいに風向きが変わった。
吐き出そうとしていた強い叱責が喉元で止まる。
花でも香水でもない。少年の身体から発せられる、もっと原始的で暴力的なまでの陶酔を帯びる芳香がサンザの鼻腔を貫いた。
「――ッ!」
衝撃は稲妻のようだった。
脳が灼ける。胸が跳ねる。耐え難い熱が全身を走り、思考が白く塗り潰されていく。
憂いていた国の未来も、太刀打ち出来ない己の無力さも、つい先ほどまで確かに存在していた果てしない絶望すらも――それらすべてが甘い痺れの波に飲み込まれ、跡形もなく溶けていく。
代わりに腹の底から湧き上がってきたのは、ただひとつの衝動だった。
「……これは、なんだ……」
サンザは、自分が何を見ているのか、誰を見ているのか、もはや判別出来なかった。
彼の視界に存在するのは、ただ、ひとつ。
その芳香の源――無防備に立ち尽くす、亜麻色の、痩せ細った少年だけだった。
サンザの胸が大きく上下する。唾を嚥下する喉の音がやけに鮮明に聞こえる。
乾き切っていたはずの体の奥底で、長く封じ込められていたなにかが目を覚まし、蠢き、首をもたげた。
月明かりの下、震える少年――レオが怯えた瞳でサンザを見上げていた。
憐憫を誘うはずのその姿も、今のサンザには極上の獲物にしか映らなかった。
「王、さま……?」
か細い声。後ずさる足。
小動物のようなその仕草が、理性が鈍った王に一閃の刺激となった。
サンザは握りしめていた剣を放り捨て、深く一歩を踏み出した。
無意識のうちに腕が伸び、レオの手首を掴み取る。
骨と皮ばかりの体は驚くほどに軽く、僅かな力でいとも容易く引き寄せられた。
ねじ伏せられたレオは草の上で恐怖に背筋を凍りつかせた。
サンザとの体格差はあまりにも大きく、抗うことなど不可能だった。
「……これは」
サンザの瞳孔が大きく開く。視界が熱で揺れる。
枯れたはずの欲望が、奔流となって全身を駆け巡る。
「なんと甘い…」
呟きは、驚愕とも恍惚ともつかぬ甘美な色を帯びた。
「や、やめて! 離して!」
悲鳴は、サンザの鼓膜を優美に震わせる悦楽の音色に変換された。
抗う少年の細い手足を片手で易々と封じ込めると、賢王と呼ばれた男はいまやただ一匹の雄として、噴き上がる欲望のままに目の前の獲物へと喰らいついた。
*****
朝の光が葉の隙間から静かに降り注いでいた。
サンザはその眩しさに眉をひそめ、重い瞼を押し上げるようにゆっくりと目を開いた。
何かがそっと頬を撫でた。それが朝露を含んだ庭木の葉先だと気づくまでにしばらく時間がかかった。
規則正しく刈り込まれた低木と、夜気の気配を残した花々の香りが、ゆっくりと澄んだ朝の空気へと切り替わっていく。
サンザは額にかかる乱れた前髪をかき上げ、半身を起こした。
背中に残る草の感触が、昨夜の出来事が決して夢ではないと冷たく告げてくる。
深く長い息を吐いた。
周囲に誰の気配もない。王宮に勤める者も、庭師たちも、まだ動き出すには早い時刻だ。
立ち上がり、周囲を見回す。
あるのは自分が脱ぎ捨てたマントと剣だけ。
あの少年の姿は、どこにもなかった。
(あれは、夢か?)
鼻先をかすめた甘い香りに意識が再び引き戻された。
それは昨夜、レオの身体から立ちのぼり、一度たりとも手放したことのない王としての理性を跡形もなく焼き切った香り。
(――いや、夢ではない……)
その確信だけが、透き通った朝の空気とは対照的に、胸の奥にゆっくりと重く沈んでくる。
手のひらを広げる。そこには凶悪な衝動に従った証として、微かな草の汚れと罪の感触が残っている。
王としての彼の人生において、これほどまでに醜く、制御を失った行動は他にない。
あの少年は何者なのか。どこへ消えたのか。どうやって王宮の厳重な警備を掻い潜り、どんな目的があって自分の前に現れたのか。
疑問は次々と浮かぶが、答えはひとつも残されていない。
空虚な胸に去来するのは制御不能になった本能への恐怖。
そしてあの甘美な香りへの未練。
薄れかけた残り香はなおもサンザの記憶を揺らし続ける。
整然とした庭園の静けさに包まれたまま、サンザはしばらく身動きすることがかなわなかった。
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