【完結】黄金の檻、緋の鎖

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計画

5.

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雨はますます激しく降りしきり、王宮の石畳を叩きつける音が雷鳴と混ざって耳を刺した。
レオは震える手で馬車の縁にしがみつき、土砂崩れが起きる前に国境を越えようと先を急ぐ業者たちの慌ただしい声や雨音に紛れて、そっと馬車の中に潜り込んだ。
どうにか無事に帰れた自宅の扉を開ける。家には母だけがいた。

「母さん……」

呼ぶとレオに気づいた母は目を見開いた。

「あら、レオ! もう戻ったの?」 驚きに目を見開いた母は、一瞬の間をおいて駆け寄り、レオの濡れた肩を抱きしめた。

「ハーラン様から、騎士団の遠征に同行してしばらく異国に渡って戻らないと聞かされていたのに……どうしたの、こんな天気の中を」

母の顔色が良いことに、レオは安堵を覚えた。
支度金のおかげで、暮らしにわずかな余裕ができたのだろう。そのお金は、サンザから渡されたものだった。

「少し、予定が変わったんだ」

レオは母の手を取り、土間に座り込ませる。

「母さん、一緒にこの国を出よう。国外で、二人で暮らそう?」

母の瞳に動揺が広がる。酒浸りの父は、今も酒場に出かけているのだろう。

「お父さんを、捨てるのかい?」

「あの人は、僕たちがいなくても生きていける。でも、僕には母さんが必要なんだ。遠い場所へ行けば、誰も僕たちを探せない。平和に暮らせる」

レオは、彼自身がサンザという名の鎖から逃れるために、母を巻き込もうとしているのだと理解していた。
母は一瞬息を呑んだ後、ゆっくりとうなずいた。
父を裏切ることへの迷いが、その瞳に揺れていた。
しかし、レオの真剣な眼差しに、母は覚悟を決めたのだろう。

「……わかったわ、レオ。あなたと一緒に行きましょう」


母が支度を整えている間、レオは濡れたマントを脱ぎ、水を絞った。
ふとサンザの顔が頭をよぎる。
お世継ぎの誕生で、もうすぐ自分の役目は終わるだろう。ならば、なにもこんな風に卑屈に逃げなくてもよかったのかもしれないな。
思わず笑みが零れる。
自分でも驚くほど、肩の力が抜けた瞬間だった。

そのとき、背後からドアの軋む音がした。父が帰ってきたようだ。
レオは意志を固くし、振り向きながら訣別の言葉を吐こうとした。
しかし、目に飛び込んできた光景に、身体は凍りついた。
青白い顔をした父と並んで立っているのは、王の側近であるハーランと護衛たち、そして国王サンザその人だった。

時が止まったかのように静まり返る。

「やはりここにいたか」

高貴な身と不釣り合いな粗末なレオの家に入り込むと、豪奢な王宮しか知らないサンザは珍しい物を見るかのようにしげしげと周囲を見回した。

「どうしてあなたがここに? もう僕に用はないはずでしょう」

呼吸を整え、レオは問いかける。

「何を言っている? 誰がそんなことを言ったんだ?」

「マ、マデナ様にお子様が出来たと聞きました。だったら僕はもう必要ないじゃないですか!」

サンザは眉を上げ、駄々をこねる子どもを見るような視線をレオに向けた。
溜め息まじりで歩み寄り、レオの腕を掴むと、端正な顔を近づけた。

「ここでお前と言い争うつもりはない。おとなしく城に戻るんだ」

そのとき、扉が再び開き、雨に濡れた衛兵のひとりが慌てて走り込んできた。

「陛下、おめでとうございます! マデナ様、ローナ様ともにご懐妊です! すぐにご帰城くださいとのことです!」

その報告を聞いた瞬間、レオから力が抜けた。
サンザに腕を掴まれていなければ、その場に蹲っていただろう。
呆気にとられたサンザは、やがて大声をあげて笑いはじめた。

「これはまたなんという僥倖。急ぎ城へ戻るぞ、レオ。立て」

「いやだ、僕は行かない……」

「立て」

「いや、行きたくない!」

「立て!」

サンザは、一転して厳しい表情に戻った。

「あ、あの! 王様、私どもの息子が何をしてしまったのか存じ上げませんが、どうかご慈悲を!」

荷物を詰めたカバンを放り出し、母がサンザにすがり付いた。その声は王族への絶対的な恐怖で震えていた。
サンザの護衛が無理やり母を引き剥がす。

「その者を捕らえよ。下賤の身で王である私に直接触れた不敬罪だ」

サンザは冷酷に命じる。

「母を罰せられたくないなら、お前も城に来るんだ、レオ」

「卑怯だ!」

レオの叫びに、サンザは唇の端をわずかに吊り上げた。
衛兵に両脇を捕らえられ、引っ立てられるようにしてレオは母とともに馬車に押し込まれた。
降り止むことを忘れた雨は、さらにその激しさを増すのだった。

*****

後日、レオは王宮の奥まった一角にある母のための部屋を訪れた。
つい先日まで薄暗い下町の長屋で暮らしていたとは思えないほど、その部屋は明るく清潔だった。
窓辺のカーテンは淡い青色に揺れ、壁に掛けられた花の絵には、王家の紋章が金糸でさりげなく縁取られている。

「母さん、不便はない?」

レオがそう尋ねると、母は手にしていた刺繍枠をそっと膝に置き、笑顔を向けた。
頬には血色が戻り、目の下の影も薄くなっている。
王宮の侍女たちから教わったのだろう、髪も丁寧にまとめられ、今まで見たことのない母の姿がそこにあった。

「ええ、ええ、とても良くしてもらっているわ。母さん、こんな綺麗なドレスを着たのは生まれて初めてよ」

少女のようにくるくると回ってみせる。淡い桃色のドレスは、母の柔らかな雰囲気によく似合っていた。

「うん、顔色もいいね」

「王宮の偉いお医者さまが毎日診察に来てくださるの。薬も用意してくださって、本当に何から何まで、王様には、なんとお礼を言えばいいか」

レオは胸の奥に重いものと温かいものが同時に落ちてくるような感覚を覚えた。

「……そう、良かった」

絞り出すように言うと、母はふっと表情を曇らせた。

「おまえはどうなの? 王様はお前に酷いことはしていないんだろうね?」

レオは一瞬だけ目を伏せた。
身体中に散らばる痕のひりつきが気にかかる。薄れてはまた新しく刻まれるそれらを思い出すだけで胸がざわついた。
しかし、母を不安にさせるわけにはいかなかった。

「大丈夫だよ。怖い人ではないから」

「レオ……」

「それより母さん、巻き込んじゃってごめんなさい」

母は椅子から立ち上がり、レオの手を両手で包み込んだ。

「謝らなくていいんだよ。お前が何を隠しているのか、母さんにはわからない。けれどね、どんなときでも母さんはお前の味方だ。頼りないかもしれないけれどね」

レオは唇を噛んだ。涙が滲みそうになる。
本当は全部話してしまいたい。けれど、母を不幸にするのはもう沢山だった。自分の苦しみを母も背負う必要はない。
そのとき、部屋の扉が固い音を立ててノックされた。

「レオ」

低く、不機嫌さを隠そうともしない声。
王の装束ではなく、執務中の簡素な衣服を纏ったサンザが扉を押し開け、威圧的な気配のまま室内に姿を現し、空気を一変させた。

「どうしてここに? 今は執務中じゃ……」

「休憩だ。来い」

短く言い放つ声に逆らう余地などない。
レオは母へ向き直り、無理に笑って見せた。

「それじゃ、母さん。また明日」

「ええ。またね」

サンザは返事を待たず、レオの腰へ手を回し、当然の権利のように引き寄せた。
母の視線が痛いほど背中に刺さるのを感じた。

そして、扉が閉まりかけたその刹那――。

サンザの大きな手がレオの顎を掴んで上向かせ、深く、迷いのない口づけを落とした。

母の瞳が、その光景を捉えてしまった。
扉は音もなく閉じられた。
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