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さよなら
6-1.
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サンザは寝室に隣接した浴室に入り、冷たい水で口をゆすいだ。
鏡に映る自分の顔を一瞥し、濡れた手を乱暴に拭うと、そのまま寝室へ戻る。
ベッドの上では、裸体を晒したままのレオが毛布を抱え込んで、小さく身を丸めていた。
細い肩が、かすかに震えている。
サンザはベッドへ腰を下ろすと、抵抗する暇も与えずレオの身体を抱き寄せ、その広い胸の中にすっぽりと収めた。
「……お前はもう少し肉をつけるといい。もしかすると、王妃のほうがお前よりたくましいかもしれないぞ」
からかうような声音だった。
サンザはレオの汗ばんだ頬に、そして首筋へと、くすぐるように軽く口づけを落としていく。
レオは肩をすくめるが、振り払えるほどの力はなかった。
「子が出来れば、女は身も心もさらにたくましくなるものだ」
その言葉に、レオの身体がかすかに強張った。
「……王様は」
なぜこんなことを聞いたのか、自分でもわからない。
レオの胸の奥に重い塊が沈む。
「お世継ぎが出来て……嬉しいですか」
サンザは不思議そうに眉を寄せ、腕の中のレオの顔を覗き込んだ。
「嬉しくないはずがないだろう」
即答だった。
「何百年と続いたこの国の存続のために、私の血を引く子は絶対に必要だ」
レオはしばらく黙り込み、それから、ぽつりと落とす。
「……もし僕が、あなたの子を殺すと言ったら、あなたはどうしますか?」
「なぜそのようなことを聞く?」
サンザの目が細くなる。声は低いが、そこに怒りはなく、戸惑いが色濃い。
「それならば、お前が手をかけるより先に、お前を殺すだろう」
その言葉は、刃になってレオの心を斬り裂いた。
「王様にとっての僕は……どんな存在なんですか?」
喉が詰まり、息が揺れる。
「お前が私の元にいれば、すべてが順調にうまくいく」
サンザは当然のことのように言った。
「お前は、私に幸運を引き寄せてくれる宝だ」
レオの胸は熱く締めつけられた。
宝。
ほんの一瞬だけでも、別の言葉を期待してしまった自分が、ひどく情けなかった。
「……それでも、僕を殺すと?」
「国の繁栄と、一個人の命だ。どちらに傾くかは、想像に難くないだろう?」
その瞬間、レオの瞳から光が失われた。
サンザの手を、傷ついた顔で振り払う。
その動きに、サンザは心底驚いたように目を瞬かせた。
――知っていた。
サンザは国の象徴であり、民草の頂点にある存在だ。国が第一なのは当然のこと。
望むこと自体、おこがましいと理解している。
けれど、せめて、嘘でもいいから。
あなたにとって僕は、大切な人だと言ってほしかった。
王様にとっての僕は、いつでも切って捨てられる代替の効く存在。
でも、僕にとっての僕は、唯一無二だ。
そして、その価値を教えてしまったのは、他でもない、あなたなのに……
だから。
――僕は、あなたに復讐するために、僕自身を傷つける。
「レオ?」
呼び止める声より早く、レオは腕の中からすり抜けた。
毛布が落ち、裸の足が床を叩く音が響く。
レオはドアへ向かって走り、サンザが追いかける。
「待て!」
寝室の扉を開け放ち、レオは廊下へ飛び出した。
戸惑う衛兵が振り返る間もなく、レオは反対の方角へ駆け出す。
「捕まえろ!!」
サンザの怒声が響く。
レオは振り返らず、ただ走り続けた。
背中に、サンザの叫びが突き刺さる。
「どこへ行く! お前の母がどうなってもいいのか!」
足が、一瞬重くなる。
だが、レオは振り返らなかった。
ただ、前だけを見据える。
「僕は……あなたの幸運だ」
廊下の窓へと身体を投げ出す、その直前。
レオは振り向かぬまま囁いた。
「さよなら、僕の王様」
息をひとつ吸う。
もう戻れない。
ガラスを蹴り破り、レオは三階の高さから外へ飛び降りた。
城下を流れる大河が、黒く渦を巻いている。
「レオ!!」
叫びが裂ける。
「追いかけろ! 捕まえろ!! 誰かいないのか! 衛兵! ハーラン!!」
駆け込んできた衛兵からランプを奪い、サンザは窓辺へ駆け寄る。
闇に光を掲げると、遠く大河の対岸に――濡れた服のまま立つ小さな人影。
レオは、こちらを見て、小さく頭を下げた。
その背に大勢の衛兵が迫る。
レオは一度も振り向かず、暗闇へと駆け去った。
サンザの手の中で、ランプの灯りが大きく震えた。
鏡に映る自分の顔を一瞥し、濡れた手を乱暴に拭うと、そのまま寝室へ戻る。
ベッドの上では、裸体を晒したままのレオが毛布を抱え込んで、小さく身を丸めていた。
細い肩が、かすかに震えている。
サンザはベッドへ腰を下ろすと、抵抗する暇も与えずレオの身体を抱き寄せ、その広い胸の中にすっぽりと収めた。
「……お前はもう少し肉をつけるといい。もしかすると、王妃のほうがお前よりたくましいかもしれないぞ」
からかうような声音だった。
サンザはレオの汗ばんだ頬に、そして首筋へと、くすぐるように軽く口づけを落としていく。
レオは肩をすくめるが、振り払えるほどの力はなかった。
「子が出来れば、女は身も心もさらにたくましくなるものだ」
その言葉に、レオの身体がかすかに強張った。
「……王様は」
なぜこんなことを聞いたのか、自分でもわからない。
レオの胸の奥に重い塊が沈む。
「お世継ぎが出来て……嬉しいですか」
サンザは不思議そうに眉を寄せ、腕の中のレオの顔を覗き込んだ。
「嬉しくないはずがないだろう」
即答だった。
「何百年と続いたこの国の存続のために、私の血を引く子は絶対に必要だ」
レオはしばらく黙り込み、それから、ぽつりと落とす。
「……もし僕が、あなたの子を殺すと言ったら、あなたはどうしますか?」
「なぜそのようなことを聞く?」
サンザの目が細くなる。声は低いが、そこに怒りはなく、戸惑いが色濃い。
「それならば、お前が手をかけるより先に、お前を殺すだろう」
その言葉は、刃になってレオの心を斬り裂いた。
「王様にとっての僕は……どんな存在なんですか?」
喉が詰まり、息が揺れる。
「お前が私の元にいれば、すべてが順調にうまくいく」
サンザは当然のことのように言った。
「お前は、私に幸運を引き寄せてくれる宝だ」
レオの胸は熱く締めつけられた。
宝。
ほんの一瞬だけでも、別の言葉を期待してしまった自分が、ひどく情けなかった。
「……それでも、僕を殺すと?」
「国の繁栄と、一個人の命だ。どちらに傾くかは、想像に難くないだろう?」
その瞬間、レオの瞳から光が失われた。
サンザの手を、傷ついた顔で振り払う。
その動きに、サンザは心底驚いたように目を瞬かせた。
――知っていた。
サンザは国の象徴であり、民草の頂点にある存在だ。国が第一なのは当然のこと。
望むこと自体、おこがましいと理解している。
けれど、せめて、嘘でもいいから。
あなたにとって僕は、大切な人だと言ってほしかった。
王様にとっての僕は、いつでも切って捨てられる代替の効く存在。
でも、僕にとっての僕は、唯一無二だ。
そして、その価値を教えてしまったのは、他でもない、あなたなのに……
だから。
――僕は、あなたに復讐するために、僕自身を傷つける。
「レオ?」
呼び止める声より早く、レオは腕の中からすり抜けた。
毛布が落ち、裸の足が床を叩く音が響く。
レオはドアへ向かって走り、サンザが追いかける。
「待て!」
寝室の扉を開け放ち、レオは廊下へ飛び出した。
戸惑う衛兵が振り返る間もなく、レオは反対の方角へ駆け出す。
「捕まえろ!!」
サンザの怒声が響く。
レオは振り返らず、ただ走り続けた。
背中に、サンザの叫びが突き刺さる。
「どこへ行く! お前の母がどうなってもいいのか!」
足が、一瞬重くなる。
だが、レオは振り返らなかった。
ただ、前だけを見据える。
「僕は……あなたの幸運だ」
廊下の窓へと身体を投げ出す、その直前。
レオは振り向かぬまま囁いた。
「さよなら、僕の王様」
息をひとつ吸う。
もう戻れない。
ガラスを蹴り破り、レオは三階の高さから外へ飛び降りた。
城下を流れる大河が、黒く渦を巻いている。
「レオ!!」
叫びが裂ける。
「追いかけろ! 捕まえろ!! 誰かいないのか! 衛兵! ハーラン!!」
駆け込んできた衛兵からランプを奪い、サンザは窓辺へ駆け寄る。
闇に光を掲げると、遠く大河の対岸に――濡れた服のまま立つ小さな人影。
レオは、こちらを見て、小さく頭を下げた。
その背に大勢の衛兵が迫る。
レオは一度も振り向かず、暗闇へと駆け去った。
サンザの手の中で、ランプの灯りが大きく震えた。
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