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国境の街にて
7-1.
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逃亡から二週間が経った。
夜明け前の薄藍色の空の下、レオは揺れる馬車の荷台から静かに身体を下ろした。
国境に最も近い街。本来なら、もう一歩踏み出せば他国へ抜けられるはずだった。
しかし、手前の関所で、衛兵がレオの似顔絵を掲げ、旅人一人ひとりを厳しく調べているのを目にした瞬間、彼は反射的に進路を変えていた。
「……やっぱり、簡単に越えられないよな」
何をしでかした人物かまでは知られていないにせよ、レオの顔は今や国境付近では誰もが知る“重要人物”として認識されているだろう。
追跡を振り切るには、しばらくこの街のどこかに身を潜め、チャンスが来るまで働くしかない。
レオは荷物を抱え、雑踏の中へと紛れ込んだ。
旅人と商人で賑わう街は、活気に満ちている。
石畳の両脇には屋台が立ち並び、飛び交う言葉には異国の響きや、強い訛りが混じっていた。
しばらく彷徨った末、レオは古びたホテルの求人の張り紙に目を留める。
「住み込みで働けるなら助かるわ。食事も付けるしねぇ」
ふくよかな体格で豪快に笑う女将は、思いのほか、快くレオを雇い入れてくれた。
裏方仕事は想像以上に重労働だったが、身体を酷使していれば、余計なことを考えずに済んだ。
夜になって、あてがわれた屋根裏部屋の窓を開けると、遠く山麓の彼方に、城の灯りが点々と揺れているのが見えた。
その光は見間違えようもなく、サンザの治める城のものだった。
あの日々は、もう遠い。
手を伸ばしても、決して届かない場所にある。
毎晩のように抱かれ、熱を分け合ったあの時間は、次第に現実味を失い、まるで霧の向こうに消えていく幻のようだった。
ホテルのフロントでは、女将が毎日のように貼り紙をうっとりと眺めていた。
国王の生誕祭の日が近づき、街のあちこちにサンザの肖像画が張り出されていたのだ。
どうやら、その中の1枚を勝手に拝借してきたらしい。
「あんた、都から来たんだって? その目で国王陛下のお美しいお顔を見たことがあるんだろう? 羨ましいったらないねぇ」
年甲斐もなく頬を染めて騒ぐ女将に、レオは苦笑を返すしかなかった。
「……まあ、確かにかっこよかったですよ」
人々が崇める賢王である君主。
そして、自分だけが知る、飢えた獣のような男。
どちらも本当のサンザだ。
その日の仕事をひと通り終え、自分の部屋に戻って荷物を片づけていると、見覚えのない小瓶が手に触れた。
仄かな赤い光を発する液体が満杯に入っている。
「え……? これ、あの時全部こぼれたはずじゃ……」
サンザと過ごした最後の夜、割れた床板に散った液体。あるはずのない瓶が、どこにも傷ひとつなく、荷物の底に収まっている。
嫌なざわめきが胸をかすめたが、レオは蓋を閉じてそっとカバンへ戻した。
逃亡から二十日。
レストランで食事をしている最中、扉に人影が差した。
衛兵だ。あの“似顔絵”を手にしている。
レオは目を伏せて、料理の代金を卓上に置くと、急いで裏口から駆け出した。
危機一髪で追跡をかわすことができたものの、胸の鼓動はしばらく収まらなかった。
そして――逃亡からひと月。
とうとうホテル近くでも聞き込みをする衛兵の姿が見えるようになった。
見つかるのも、もはや時間の問題だった。
「ごめんなさい。少し体調が悪くて、帰らせてもらえないでしょうか……」
女将にそう言って急な休みをもらうと、レオはフードを深くかぶって市場の雑踏へ紛れ込んだ。
しかしそこにも衛兵がいた。人相書きを手に、露店の人々に一人ひとり順番に声をかけている。
もう逃げ場がない。
すれ違う人々の間を縫って歩いていると、衛兵の一人が何かを叫びながら走り去っていく。その後を追うように衛兵が数人駆けていく。
その先に――見覚えのある背中。
青緑色のマント。
鋭い眼差しをした男。
歩くたびに甲冑が擦れる音。
「……ハーラン?」
サンザの側近。王の右腕である男が――なぜこんな街に?
レオの喉がひくりと震えた。
背筋を冷たいものが這い上がる。
まさか、サンザが……?
夜明け前の薄藍色の空の下、レオは揺れる馬車の荷台から静かに身体を下ろした。
国境に最も近い街。本来なら、もう一歩踏み出せば他国へ抜けられるはずだった。
しかし、手前の関所で、衛兵がレオの似顔絵を掲げ、旅人一人ひとりを厳しく調べているのを目にした瞬間、彼は反射的に進路を変えていた。
「……やっぱり、簡単に越えられないよな」
何をしでかした人物かまでは知られていないにせよ、レオの顔は今や国境付近では誰もが知る“重要人物”として認識されているだろう。
追跡を振り切るには、しばらくこの街のどこかに身を潜め、チャンスが来るまで働くしかない。
レオは荷物を抱え、雑踏の中へと紛れ込んだ。
旅人と商人で賑わう街は、活気に満ちている。
石畳の両脇には屋台が立ち並び、飛び交う言葉には異国の響きや、強い訛りが混じっていた。
しばらく彷徨った末、レオは古びたホテルの求人の張り紙に目を留める。
「住み込みで働けるなら助かるわ。食事も付けるしねぇ」
ふくよかな体格で豪快に笑う女将は、思いのほか、快くレオを雇い入れてくれた。
裏方仕事は想像以上に重労働だったが、身体を酷使していれば、余計なことを考えずに済んだ。
夜になって、あてがわれた屋根裏部屋の窓を開けると、遠く山麓の彼方に、城の灯りが点々と揺れているのが見えた。
その光は見間違えようもなく、サンザの治める城のものだった。
あの日々は、もう遠い。
手を伸ばしても、決して届かない場所にある。
毎晩のように抱かれ、熱を分け合ったあの時間は、次第に現実味を失い、まるで霧の向こうに消えていく幻のようだった。
ホテルのフロントでは、女将が毎日のように貼り紙をうっとりと眺めていた。
国王の生誕祭の日が近づき、街のあちこちにサンザの肖像画が張り出されていたのだ。
どうやら、その中の1枚を勝手に拝借してきたらしい。
「あんた、都から来たんだって? その目で国王陛下のお美しいお顔を見たことがあるんだろう? 羨ましいったらないねぇ」
年甲斐もなく頬を染めて騒ぐ女将に、レオは苦笑を返すしかなかった。
「……まあ、確かにかっこよかったですよ」
人々が崇める賢王である君主。
そして、自分だけが知る、飢えた獣のような男。
どちらも本当のサンザだ。
その日の仕事をひと通り終え、自分の部屋に戻って荷物を片づけていると、見覚えのない小瓶が手に触れた。
仄かな赤い光を発する液体が満杯に入っている。
「え……? これ、あの時全部こぼれたはずじゃ……」
サンザと過ごした最後の夜、割れた床板に散った液体。あるはずのない瓶が、どこにも傷ひとつなく、荷物の底に収まっている。
嫌なざわめきが胸をかすめたが、レオは蓋を閉じてそっとカバンへ戻した。
逃亡から二十日。
レストランで食事をしている最中、扉に人影が差した。
衛兵だ。あの“似顔絵”を手にしている。
レオは目を伏せて、料理の代金を卓上に置くと、急いで裏口から駆け出した。
危機一髪で追跡をかわすことができたものの、胸の鼓動はしばらく収まらなかった。
そして――逃亡からひと月。
とうとうホテル近くでも聞き込みをする衛兵の姿が見えるようになった。
見つかるのも、もはや時間の問題だった。
「ごめんなさい。少し体調が悪くて、帰らせてもらえないでしょうか……」
女将にそう言って急な休みをもらうと、レオはフードを深くかぶって市場の雑踏へ紛れ込んだ。
しかしそこにも衛兵がいた。人相書きを手に、露店の人々に一人ひとり順番に声をかけている。
もう逃げ場がない。
すれ違う人々の間を縫って歩いていると、衛兵の一人が何かを叫びながら走り去っていく。その後を追うように衛兵が数人駆けていく。
その先に――見覚えのある背中。
青緑色のマント。
鋭い眼差しをした男。
歩くたびに甲冑が擦れる音。
「……ハーラン?」
サンザの側近。王の右腕である男が――なぜこんな街に?
レオの喉がひくりと震えた。
背筋を冷たいものが這い上がる。
まさか、サンザが……?
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