【完結】黄金の檻、緋の鎖

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国境の街にて

7-2.

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レオに似た人物を見た――ハーランの元にそんな報せが届いたのは、国境での警備が一日のうちで最も忙しくなる時刻だった。
国王の命を受け、急ぎ国境近くの街へと赴いたものの、仕事は想像以上に難航していた。
国境に最も近いこの街は、他国との往来が激しいうえ、商人や旅人で溢れかえっている。
言語も文化も異なる者たちの些細な争いが日常の風景と化していた。

「おい、順番はこっちが先だ!」
「いや、私の方が先だ!」

警備隊が手を焼いている場に、ハーランが割って入り、冷静に両者の間を取り持つ。その繰り返し。
これでは人探しどころではない。
ハーランは心の中で舌打ちした。

人手があまりに足りていない。

王に進言して、この一帯の警備を増強せねば――そう考えながらも目は常に周囲の人影を絶えず追い続けていた。
この街でレオを見たという情報は確かに複数ある。
問題は、雑踏と喧騒の中で“似た少年”がいくらでもいるということだった。
しかし、それでも探さねばならない。

陛下の落ち込みは、尋常ではなかった。
レオが姿を消してからのサンザは人が変わってしまった。
執務机に向かっていても、突然手を止めて何もない空を見つめる。側近の報告も、時折耳に入っていないように見えた。
まるで心の芯をくり抜かれたかのような有り様だ。

あれほど、あの少年に依存していたとは……ハーランですら予想できなかった。
いや、おそらくサンザ自身ですら気づいていなかっただろう。

レオがいなければ政務もままならない。
王妃は身籠っているが、生まれるのはまだ先の話だ。男か女かもわからぬうえ、王となるにはまだ時間が必要だ。
陛下にはまだ、成すべき役目が残されている。
あの少年の存在が陛下の心も身体も支えていたのだとしたら――一刻も早く連れ戻さねば。
そんな思いで市場の通路を早足に歩いていたその時だった。
荷物を抱えた少年とぶつかった。

「す、すみません……!」

少年は深々と頭を下げた。
薄い色の髪。細い体つき。怯えたような瞳。その一瞬の仕草が、レオと重なって見えた。
ハーランの足が止まる。

「……きみの名前は?」

「は、はい。エル、と言います」

震える声。顔立ちは明らかに違った、レオではない。
それでもどこか、雰囲気が似ている。

ハーランの脳裏に、ふと黒い考えがよぎった。
もし――もしもだ、レオが仮に死んでいたとしたら?
もし陛下に、“レオに似た少年”を差し出せば、あるいは……
サンザの心の穴は埋まるのではないか……?

政務が回る。国が滞りなく続く。サンザは賢王のまま後世の歴史に残る。
レオという存在は元々、貧しい境遇にあった少年で、血統も権利も何も持たなかった。ただの一市民だ。
身代わりを立てることに何の障りがあるだろう?
陛下がレオにあれほどまでに執着する理由など、本来あり得ぬのだ。まるで呪いにかかったかのような……。
少年が不安そうな顔でハーランを見上げる。

「……行け」

ハーランはそう言って少年を通したが、胸の奥に渦巻く考えは消えなかった。
本物を探し続けるべきなのか。
それとも――代わりを差し出すべきなのか。

雑踏の中、吹き抜ける風がひどく冷たく感じられた。
その時、視界の端でマントのフードから零れるひと束の亜麻色を見つけた。
奇跡はあるのだと、神に祈った。


*****

――視線を感じる。

殺気ではない。だが、背筋をなぞるような圧迫のある気配。
裏市場の雑踏で買い物をしていたレオは、反射的に肩をすくめて周囲を探った。
人混み、露店、馬車の音、テントのはためき。そのすべての奥に、鋭い光が潜んでいる気がした。

……目が合った。

ハーランだ。

冷たい灰色の瞳が、まっすぐにレオを射抜いていた。

心臓が跳ねる。胃がひっくり返りそうになる。
逃げなきゃ――そう思った瞬間、ハーランの唇がわずかに動いた。

「……いたぞ。包囲を縮めろ。取り逃がすな」

周囲に控えていた衛兵たちがざわりと動き出す。
道の両側からじわりじわりと距離を詰め、逃げ道を塞ぐように歩み寄ってくる。

頭の中が真っ白になった。
足元の石畳の冷たさだけが妙に鮮明だった。
レオは反射的に駆け出した。
果物が転がり、ぶつかった通行人の罵声が飛ぶ。露店で売られていた布が肩に絡み、倒れそうになりながら裏路地へ滑り込む。

「そこだ、塞げ! 逃がすな!」

味方のいない袋小路。高い壁、きつく閉ざされた木の扉。
追い詰められた。

追いついた衛兵に向け、レオは必死に持っていた紙袋を投げつけた。
パン、干し肉、古着――そして、なぜか手に入れた覚えのない小瓶までも。
カン、と澄んだ音が響き、小瓶が衛兵の鎧に当たって砕けた。
甘い香りが、むっと立ち上った。

「ぁ、あ……?」

次の瞬間、衛兵の瞳が濁り、レオを見つめる目つきが急激に変わった。
全身にぞわりとした悪寒が走る。
あの日の記憶が舞い戻る。
衛兵はよろめくように近づき、レオの腰を掴もうとした。

「や、やめ……やめて…」

衛兵の指が震えている。呼吸が荒い。瞳孔が開いている。

「おい! やめろ! 何をしている!」

遠くにいたはずのハーランが駆け戻ってきた。
レオを襲う衛兵の腕を後ろから羽交い締めにし、力任せに引き剥がす。

「これはいったいどういうことだ! お前は何をした!!」

「ぼ、僕はなにも……なにもしていない!!」

レオは震える手で、地面に落ちた透明な破片を見下ろした。
土に染み込んだ甘い液体。その匂いに胸がざわつく。

――まさか、これのせい?

ハーランが思わず鼻を押さえ、そして瞬時に動きを止めた。

「……っ、これは……何の匂いだ……?」

その表情がひどく歪む。
冷静な彼が普段は決して見せはしない、肉欲と苦痛が混ざった表情。
ハーランの視線が、まるで獲物を見るように鋭くレオへと向く。

「っ……!」

レオの喉がひゅっと音を立てた。

「行け……! わたしたちの前から早く消えろ!」

ハーランは叫び、暴れ狂う衛兵を必死に押さえ込みながらレオの逃走を促した。
レオは一瞬だけ立ち尽くしたが、我に返り、裏道へと全力で駆け出した。
足に力が入らない。呼吸が苦しい。それでも走った。
地面には、小瓶の破片だけが残っていた。


ホテルに戻ったレオは、誰にも会わぬよう物音を立てずに部屋に入り、扉に鍵をかけた。
すぐさま浴室に飛び込み、シャワーを乱暴にひねり、身体にまとわりつく匂いを必死に洗い流した。

――そんな馬鹿な……いや、でも!!

頭の中に、過去の記憶が次々と甦る。
初めてサンザと出会った夜。
捕まって連れ戻された夜。
抱かれた数々の夜。
いつも――確かにいつも、そばに小瓶があった。
持ち歩いた覚えはないのに。
置いた覚えもないのに。
洗面台に手をつき、震える指でカバンを探った。

硬い感触が指先に触れる。

……あった。
小瓶だ。

「嘘……」

レオの背筋がぞっと冷たくなる。
偶然ではない。これは、呪いだ。
サンザが自分に執着したのも、すべて――この匂いのせいなのかもしれない。

「僕は……幸運なんかじゃない……」

レオの声は震え、最後はかすれて消えた。

サンザに「大切だ」と、「かけがえがない」と言ってほしかった。その願いすら、呪いの一部だったのではないか。
レオは窓を開け、小瓶を思いきり外へ投げた。
ガシャンというガラスの割れる音が闇の中で生まれて消えた。
だが、レオは知っていた。
これが呪いなら、小瓶はきっとまた戻ってくる。
胸が締め付けられる。

「……ここにはもういられない」

ここにいる限り、また見つかる。そしてまたサンザを狂わせる。

「誰の目も届かない場所へ行こう」

この国から、サンザのいるこの場所から、今すぐにでも出なければ。
レオは震える手で荷物をまとめ始めた。
涙は出なかった。ただ、胸の奥にぽっかりと空洞が生まれたようだった。
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