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ニオ
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女将さんの部屋の前に立ち、ノックしかけた手をレオはそっと引っ込めた。
今顔を合わせれば、きっと悟られてしまう。問い詰められれば、揺らいでしまう。だから、手紙にしたためることにした。
文字を多くは知らない。だから「お世話になりました」とだけ書いた。
心の底から深く感謝していること。
急に姿を消すことを許してほしいこと。
絶対に女将さんを巻き込みたくないこと。
思いのすべてを書けなくて良かった。
書けば、涙になって溢れてしまうに違いなかった。
通りすがりの子どもに小銭を渡し、「これを、あの宿の女将さんに渡してほしい。大事な手紙なんだ」、そう託して、レオはもう二度と戻らない宿を振り返らずに歩き出した。
*****
国境の検問は、以前より明らかに物々しくなっていた。
通行人は全員が呼び止められ、荷物を開けさせられ、似顔絵と照合されている。
おそらくハーランの命令なのだろう。
あの日、裏路地での一件で、ハーランは確信したのだ。レオがこの国を出ようとしていると。
(普通に越えるのは無理だ……)
そう判断したレオは、酒場で向かいの席に座った国外商人に賭けてみることにした。
「なんだ、訳ありか? 俺たちゃ、王様の生誕祭に来たばかりでな。帰りは数日後だ。通行許可証を持ってるし、奴隷を買ったことにして連れて行ってやってもいいぜ?」
男は酒でほろ酔いの赤い顔のまま、素性のわからないレオを疑いもせずに朗らかにそう言った。
まさか自分が都に戻るなど誰も思わないはず。
一度首都へ戻り、そこから商人の国へ抜ける方が安全だと直感した。
レオは「お願いします」と、うなずいた。
その商人の娘が、翌日、少し緊張した顔でレオの髪を短く切ってくれた。
長くなっていた亜麻色の髪がばらばらと足元に落ちる。袖が破れた服。泥で汚された手足。サイズの合わない古着。
懐かしい姿だった。
サンザと出会う以前の自分が鏡の前にいた。
「……ほんとに、こんな姿でいいの?」
「うん。父親に見つかりたくないんだ。……酒を飲むと、見境なく殴る人だから」
半分は事実。半分は嘘。だが、娘はすっかり信じて目を曇らせた。
「かわいそうに……。うちの父さんは優しいよ。あんたを絶対に守ってあげる」
その言葉が胸に染みた。
お礼になるものと言えば、サンザがレオの為に仕立ててくれた服くらいだ。商人親子に着ていた服を渡すと、レオには何もなくなってしまった。
こうしてレオは「奴隷のニオ」になった。
*****
また王都へ戻ってきた。
フードを深くかぶり、レオは商人たちの天幕張りを手伝いながら、顔を上げる。
その先には、かつて暮らした城があった。
白い石造りの巨大な塔。空を指すようにそびえる尖塔。
王宮の灯りが遠くからでも眩しいほどに輝いている。
胸が痛くなる。たった数ヶ月前まで、あの奥でサンザと共に眠っていた。
抱かれ、触れられ、名前を呼ばれ――その全部が夢のように感じられる。
あれは全部、小瓶の呪いだったのだ。
その思いを胸の奥に押し込み、視線をそらした。
生誕祭の前夜祭で、都は国境の街の比ではないほどに賑わっていた。色とりどりのテント、商人の呼び声、異国の香辛料の匂い。
王宮を守るため、兵士たちは忙しなく動いている。
この雑踏で、いるかいないかもわからないたった一人の人間を見つけるなど不可能に近い。
たった三日間だけ。生誕祭が終わるその三日を耐えれば、国を出られる。
レオ――いや、ニオとして、すべてを捨てて、新しい人生を歩く。
少年は新しい自分の名を心の中でそっと呟いた。
「……ニオ。僕は、ニオだ」
もう二度とレオには戻らない。
サンザの腕の中にも、王宮にも、戻らない。
そう決意しながら、フードを深くかぶり直し、少年は夜の都の喧騒の中へと紛れ込んでいった。
今顔を合わせれば、きっと悟られてしまう。問い詰められれば、揺らいでしまう。だから、手紙にしたためることにした。
文字を多くは知らない。だから「お世話になりました」とだけ書いた。
心の底から深く感謝していること。
急に姿を消すことを許してほしいこと。
絶対に女将さんを巻き込みたくないこと。
思いのすべてを書けなくて良かった。
書けば、涙になって溢れてしまうに違いなかった。
通りすがりの子どもに小銭を渡し、「これを、あの宿の女将さんに渡してほしい。大事な手紙なんだ」、そう託して、レオはもう二度と戻らない宿を振り返らずに歩き出した。
*****
国境の検問は、以前より明らかに物々しくなっていた。
通行人は全員が呼び止められ、荷物を開けさせられ、似顔絵と照合されている。
おそらくハーランの命令なのだろう。
あの日、裏路地での一件で、ハーランは確信したのだ。レオがこの国を出ようとしていると。
(普通に越えるのは無理だ……)
そう判断したレオは、酒場で向かいの席に座った国外商人に賭けてみることにした。
「なんだ、訳ありか? 俺たちゃ、王様の生誕祭に来たばかりでな。帰りは数日後だ。通行許可証を持ってるし、奴隷を買ったことにして連れて行ってやってもいいぜ?」
男は酒でほろ酔いの赤い顔のまま、素性のわからないレオを疑いもせずに朗らかにそう言った。
まさか自分が都に戻るなど誰も思わないはず。
一度首都へ戻り、そこから商人の国へ抜ける方が安全だと直感した。
レオは「お願いします」と、うなずいた。
その商人の娘が、翌日、少し緊張した顔でレオの髪を短く切ってくれた。
長くなっていた亜麻色の髪がばらばらと足元に落ちる。袖が破れた服。泥で汚された手足。サイズの合わない古着。
懐かしい姿だった。
サンザと出会う以前の自分が鏡の前にいた。
「……ほんとに、こんな姿でいいの?」
「うん。父親に見つかりたくないんだ。……酒を飲むと、見境なく殴る人だから」
半分は事実。半分は嘘。だが、娘はすっかり信じて目を曇らせた。
「かわいそうに……。うちの父さんは優しいよ。あんたを絶対に守ってあげる」
その言葉が胸に染みた。
お礼になるものと言えば、サンザがレオの為に仕立ててくれた服くらいだ。商人親子に着ていた服を渡すと、レオには何もなくなってしまった。
こうしてレオは「奴隷のニオ」になった。
*****
また王都へ戻ってきた。
フードを深くかぶり、レオは商人たちの天幕張りを手伝いながら、顔を上げる。
その先には、かつて暮らした城があった。
白い石造りの巨大な塔。空を指すようにそびえる尖塔。
王宮の灯りが遠くからでも眩しいほどに輝いている。
胸が痛くなる。たった数ヶ月前まで、あの奥でサンザと共に眠っていた。
抱かれ、触れられ、名前を呼ばれ――その全部が夢のように感じられる。
あれは全部、小瓶の呪いだったのだ。
その思いを胸の奥に押し込み、視線をそらした。
生誕祭の前夜祭で、都は国境の街の比ではないほどに賑わっていた。色とりどりのテント、商人の呼び声、異国の香辛料の匂い。
王宮を守るため、兵士たちは忙しなく動いている。
この雑踏で、いるかいないかもわからないたった一人の人間を見つけるなど不可能に近い。
たった三日間だけ。生誕祭が終わるその三日を耐えれば、国を出られる。
レオ――いや、ニオとして、すべてを捨てて、新しい人生を歩く。
少年は新しい自分の名を心の中でそっと呟いた。
「……ニオ。僕は、ニオだ」
もう二度とレオには戻らない。
サンザの腕の中にも、王宮にも、戻らない。
そう決意しながら、フードを深くかぶり直し、少年は夜の都の喧騒の中へと紛れ込んでいった。
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