【完結】君の夜に消える。

comacomainu

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「……ん…」

見下ろしていた男の唇が薄く開いて、閉じられる。
密集した黒い睫毛が、ゆっくり上下する。
レンガ色の頭が、立ち尽くす渡会のつま先から顔までを辿るように、じわじわと持ち上がる。
現状を把握出来ていない、鈍さを思わせるとろりとした目で男は瞬きをした。

「渡会……」

自分はこの最低な男のどこに惹かれたんだろう? 声か、顔か、身体か。
ーーいや、全部だ。
この人を人とも思っていない性格も含めて、渡会勇司は理屈では説明できないほど、徳村昌弥に本気で惚れていた。

ガタンと椅子が動く。身体を動かそうとして、やっと徳村は拘束されている事実に気付いたようだ。
虚ろだった徳村の表情に、正気が流れ込む。

「……くそ、痛えな。まだ痺れてる。おい、どういうつもりだ。これを解けよ」

低い声は怒りのあまり震えていた。

「解けって!」

屈辱を感じているのだろうか。
けれど、徳村が自分に与えてきた苦痛はこんなものじゃない。
こんな生易しいものじゃない。

「聞いてんのかよっ」

「聞いてるよ」

「だったらさっさと解けよっ、これっ」

「……俺のこと、好きだって言ってくれたら。そしたら解放してあげるよ」

今さらな言葉だ。渡会はどこか冷めた頭で考える。
どうして自分はそんな言葉が欲しいんだ。
こんな状況で言わせてどうする。この男のことだから、拘束を解かせるためなら、ためらいもなく口にするに決まっている。
心のない言葉を無理矢理言わせて喜びたいのか。
自分は馬鹿だ、一層空しくなるだけなのに。

「言えば解くのか?」

眉根を寄せ、徳村は唇を舐めた。

「……ああ」

渡会は微笑み、頷いた。

「わかった。渡会、好きだ。腕の縄を解いてくれ」

顔には不本意だとありありと書かれていた。
愛の告白は、徳村の口から吐き捨てるようにして紡ぎ出された。

案の定だ。
思わず、声を出して笑っていた。
眦に涙が浮かぶ。
胸が圧迫されて息苦しい。
初めて徳村から聞かされた愛を語る言葉に、感動もなかった。笑いを呼び起こすだけだった。
喜劇の台本に書かれた、ただの羅列したセリフのひとつだ。

「渡会っ」

「わかったよ。解くから、じっとしていてくれ」

手にしていたスタンガンを机に置くと、それを目にした徳村はちっと小さく舌打った。
背後に回り、硬い結び目に指をかける。

「かた結びにしたから、簡単に解けないな。教室からハサミを取って来る」

「ハサミくらい、この部屋のどこかにあるだろ」

「俺が持ってるのはこの部屋の鍵だけだよ。机や棚の鍵までスペアを作っていない」

「ちょっと待てよ。このままの状態で待ってろって言うのかよ」

「しょうがないじゃないか。それとも守衛が回ってくるのを待つ?」

徳村はぎりぎりと歯噛みをして、はっと何かを思いついたかのように顔を上げた。

「財布ん中に小銭が入ってる。十円玉を擦り合わせればビニールテープくらい切れるって、一緒に見たYouTubeで言ってたじゃん」

徳村は早くしろと、座ったまま椅子をガタガタ動かした。

「……気安く、触っちゃいけないんじゃなかったの」

皮肉っぽく笑うと、徳村は言葉に詰まった。

「場合によるだろ。今は非常時だ」

「ああ、そう。今は非常時なのか」

「ごちゃごちゃうるせえんだよ。早くしろよ」

渡会は腰を屈めて、徳村の右ズボンに手を伸ばした。
指が触れる瞬間、冷たい言葉と共に腕を振り払われた記憶がフラッシュバックして、身体がビクッと硬直した。

「何してんだよ?」

「……右のポケット? それとも、左?」

「知らねえよ。右じゃなかったら左だろ」

息を止めた。目を閉じた。何も考えるな、無意識になれ。そう自分に言い聞かせて、右ポケットに手を入れ、中をまさぐる。
出てきたのは、のど飴とスマホ、リップクリームだった。

「……左だったか」

徳村の唇が、耳のすぐ傍にあった。吹き込まれた声と吐息に、急速に現実に引き戻され、顔が火照って飛び退った。
その勢いに目を丸くしていた徳村が、やがて、ああ、と妙に納得したような声を出し、にやりと笑った。
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