神聖なる悪魔の子

らび

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39.遠い少女の願い

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 ベニトアイト。石言葉は気品と希望、その他諸説あり。その宝石は大きい結晶がとても希少で、このネックレスに嵌められたものは相当な価値がつくだろう。
「ん…」
ランタンに灯された小さな火を反射して、机の上に置かれた蒼石が光を揺らす。オレンジ色の灯は暖かく、見る者の心に安らぎをもたらした。
「ノア?」
「あっ…はい」
「ふふっ、なんで敬語なの?」
カインの部屋で、彼のベッドの上で、後から抱きすくめられるように座っている今、私に自由は効かない。そんな体勢の中で、彼はわざとらしく掠めるように私に触れていた。こうしていて気がついたが、私はどうもくすぐられるのに弱いようで。
「いじわっ…るっ…ふっ」
「えっ、なになに?」
わざと聞こえなかった振りをする彼を睨むことも出来ない。あまりにもくすぐられて半分過呼吸のようになりかけた私の頭を、彼は楽しそうにふわふわと撫でた。そんな彼の肩越しに、チェストの上でランプに照らされたフクロウの羽根が見えた。ポケットに入れていたせいで少し曲がってしまったそれは、自然の物に人間が手を加えて歪んでしまった何かのように見えた。…まるで、私自身のようだ。
「ノア。」
「…」
「アテネのことを考えていたね。」
「…必ず、守ってみせるわ。」
彼は何も言わなかった。代わりに、今まで撫でていた私の頭を抱きかかえるように引き寄せた。私の視界が黒く染まる。隻眼のせいで平面にしか見えないこの世界にとって、闇だけが平等だった。無性に、月が見たくなる。…あぁ、そういえば、私が記憶をなくす発端となったのも、こんな思いの行動だったらしい。本当に、何も思い出せないのか。なぜ、私がこうなったのか。誰が、私を殺そうと目論んだのか。
「カイン、私を拾ってくれてありがとう」
「あははっ、ノアは面白いことを言うねえ。俺は君を拾ったんじゃない、君と出会ったんだ。出会って、さらって…今日まで一緒に生きてきたんだ。」
少しカインの腕が緩んだので、その間にくるりと向きを変える。どんな顔をして彼に見られればいいのか分からなくて、彼に背中を向けたのだ。恥ずかしい…照れくさい…そうじゃなかった。ただ、もどかしいような気がしたのだ。答えが出ない自分が。
「…お前は何を迷っているんだい?」
囁くように掠れた声で問いかけてくるその声は、子供を諭す父親のようだった。
「…」
「俺の奥さんは困ったもんだ。」
ため息混じりに困ったような声でそう言うと、彼は私の髪を避けて項を晒し、そこに己の唇を押し当てた。そのままゆっくり開いた口から熱を持った柔らかい舌が触れ、歯が当たった。彼は緩く私の首筋を噛んだのだ。なれない感触に、触れたところがふわっとした気がして、神経が集まり、より一層敏感になる。
 それでも言葉を紡がない私をいたずらに追い詰めるように、カインは立てていた歯を引いてからもう一度口づけ、今度は少し強く吸った。
「ふぁっ」
反射的に喉を震わせた私の声を聞いて、カインはクククッと小さく笑った。
「もう、何したの」
「犬らしくマーキングしてみた」
「あなたは狼でしょ」
「君の前じゃ、かまってちゃんの犬っころだよ」
そう言いながら私の脇の下に彼の長い腕がまわる。くすぐられるのかと身構えるが、どうやら私を抱きしめただけだった。…まるで、大きなぬいぐるみでも抱くように。
「…決めた。」
「えっ、何?」
「ふふっ」
ぎゅっと抱きしめた腕のうち片方を、私の下腹部に当てて優しく撫でる。
「赤ちゃん産んで、一族を満足させて、旅に出よう」
「え!?」
「別に、子供を放り出そうっていうんじゃない。まぁ確かに無責任ではあるけど…姉さんの言葉に甘えようかなって。」
「アンさんの言葉?」
「そ。実はね、今朝メールが来たんだよ。アテネは姉さんの家に無事に戻ったようだよ。それで、2人目産むなら産めって言われたんだ。君を急かすことになりそうだから言わないつもりだったんだけど…姉さんは、君の記憶を取り戻し、あの月夜に君を殺そうとしたのが誰なのかを明らかにすることが最優先だっていうんだ。つまり、君の記憶が戻らないことにはどうしようもないってね。ただ、その為には一族からのお小言が邪魔なんだ。だから、2人目を作るべきだって言われた。どう?」
「えっ、あ、いやどうって」
私の理解の追いつかないままに、また知らないところで私のために動いてくれている人がいるのだということだけを理解し、また泣きそうになる。
「泣かないの。」
「まだ泣いて、」
「まだ、でしょ?」
「う…」
すべて見透かされていた。
「あーもう可愛い子だなぁ」
「可愛くなんか…だって、迷惑ばっかり、」
「リリノア。」
「…」
真剣な声で呼ばれて、言葉に詰まる。彼は真剣なのだと、言われなくてもわかる。そんなの分かってる…分かりきったことだ。それでも、情けない自分に気づいてしまった今、悲観するより他になんて自分を表現したらいいのか、それに見合う言葉を私は持ち合わせていなかった。
「じゃあ、俺がノアに伝える『愛してる』は、ノアにとって迷惑?」
「そんなわけ」
「じゃあそれでいいんだ。」
「だけど…」
「…あのね、ノア。俺は人であると同時に獣なんだ。まぁ本質は君も同じなんだけど…この間の、本邸で仕掛けられたお香があったろう。アレに当てられた俺は言ってしまえば発情期の獣だったよ。君の意思など関係なしに、君を力でねじ伏せて孕ませることなんてそりゃあ簡単に出来るだろうさ。でも、獣じゃない半分は、君を愛した人間の男なんだよ。恋人を大切にしない人は人じゃない。君を大切にしたい俺や姉さんの思いを、君は迷惑がりながら注ぐ感情だと思うのかい?」
「…思わないわ、そんなこと。」
「なら、君からももっと愛してよ。」
彼はきっと、いつもの柔和な笑顔を浮かべているだろうことは、見ずともわかる。気づけば、私は泣いていた。
「前にも言ったはずだ。俺がやりたくてやってきたことで出来た今を…俺の生き方を否定するのは、たとえ君でも許さないってね。」
もう、涙で歪んだ視界はほとんど何も映さなかった。過呼吸気味に揺れる肩を抑えるように力を入れて、声が出ないように両手で口を塞ぐ。みっともない自分の嗚咽を漏らしたら、なんだか負けたような気がして悔しくなると思ったから。そんな私を見て、カインはまた笑った。
「ノアはもっと声を出すべきだよ。」
「うぅっ、カインの、優しさが…っ、ぐるしぃ…」
「ははっ、なにそれ。俺そんな優しくないと思うけどな。」
お腹にあった手がもぞもぞと動いて、今度は私の頭をわしゃわしゃと撫でた。また慰められてしまった。
「ふぅ…っ、カイン」
「なあに。」
「ありがとう」
「どういたしまして。」

●●●
アネモネside

 久しぶりに訪れた弟夫婦の住む洋風の館は、よく晴れた昼下がりの今日でも、どこかひっそりと寂しげに見えた。庭の花壇に植えられた花は、度々家を空ける主人たちのせいで枯れた葉と若葉の両方を広げていて、どこか疲れて見えた。
「旅好きな家主を持つと大変だな。」
花に向かって話しかけるとは、私も寂しい人間になったものだな、と、心のどこかで自分を嘲笑する。私もどこかに嫁ぐか?いやいや、どこかってどこにだよ。腐ってもブルードの人間である私が外部に嫁ぐことはまず許されない。なら、一族の誰かと…?馬鹿馬鹿しい。こんな根の腐った状態の一族で結婚なんてして、果てには子供など設けたりしたら、捨て犬のごとく殺されかねない。まぁ、既に私の腹には子供を宿せる設備など存在しないのだが…今となっては、それでよかったのだと思う。それに、子供が欲しいなら既に心満たされている。天使が生んだ天使の子が、私の元にいるではないか。アテネは可愛い、親でなくても親バカになるほどに。
 そんなことをぼんやりと考えながら車を停めて、玄関に向かう。扉を叩こうとすると、その前にこの館の少女が扉を開けてくれた。
「いらっしゃい、アンさん。」
「元気してた?ノアちゃん。」
見た目的にはまだ14歳くらいの、しかし一児の母である少女。彼女は片方しか晒せていない目をにっこりと笑わせてみせた。紅色に澄んだ瞳が細く覗く。私は思わず少女の体を抱き上げた。
「相変わらず軽いなぁ。ちゃんとご飯食べてるのか?」
「アンさんったら、カインだって持ち上げてしまうじゃないの。私が軽いんじゃなく、貴女が力持ちなんだわ。」
「アレもまだまだ細いね。」
ノアもカインも、近頃は少しずつ成長の兆しが見られた。きっと、ノアの次の5年に合わせて少しずつ変化しているのだろう。
 呪われた子は、5年に1度しか歳を取らない。その計算で行けば、彼女はまだ4歳にも満たないのだ。
「ノア、お前今何歳になったんだ?」
「生まれて17年目だよ。確か。」
「あ~18禁は未解禁か…」
「えっ??」
「いや、なんでもない」
そんな会話をしていると、開け放たれたままの扉から覗く廊下から、カインが現れた。
「いらっしゃい姉さん。言ってた時間より大分遅いんじゃないのかい?」
「ここへ来るまでの道で事故があったみたいでね。一方通行で大渋滞よ。」
「それはご苦労さま。」
お互いに苦笑しつつ、抱きかかえたままだったノアを床に下ろそうとすると、少女は裸足だった。
「ノアちゃんったら、また裸足で出てきちゃったの?」
華奢な体を右手に抱え、左手で足の裏をくすぐる。ノアは幼子のようにきゃっきゃと笑い、やめてとせがんだ。そんな無邪気な姿を見ていると、一族が彼女にしたことの残忍さと哀れみの情がより一層その色を濃くする。
(もういっそ、記憶なんて取り戻さなければいいのに。そうすれば、あの辛い過去もどこか他人事のような人から聞いた話…みたいに思えるだろうに。)
「…アンさん?」
気がつくと、私はその小さな体をぎゅっと抱きしめていた。なにかに勘づいたノアに声をかけられ、ふと我に返る。私は思わず誤魔化すように声を出した。
「えっ…と、あーそうだった!これ、アテネからね。お手紙だって。」
小さく折りたたまれた1枚の便箋をウエストポーチのポケットから取り出す。そこに書かれた宛名は、悲しいことに「当主様へ」だった。中身は私も見ていないから知らない。封筒の形に折りたたまれたそれは、ピンク色の花の形をしたシールで丁寧に封がしてあったのだ。
「あの子が…私に?」
少し不安そうに、ノアはそれを受け取る。しかし、その場で開けようとはしなかった。
「ありがとう。」
その言葉は、誰に向けたものだったのだろうか…。

「さて、立ち話もなんだ、中へどうぞ。ノア、足は汚れてないね?」
「あ、うん。芝生には降りてないよ」
「まったく、靴ぐらい履いて出ろよ…」
困ったように笑うカインを見ていると、なんだか死んだ父親のことを思い出した。もう大人になった弟は、その歳を重ねるごとに父親の面影を濃くしているように思われる。

 私は、どれくらいこの子達のそばにいてやれるのか。不完全な呪われた子として生まれた私の寿命など、どれだけ持つかわからないんだ。

●●●
ルリアside

「ねぇアルロ、まだだめなの?」
夕暮れ時のオレンジ色の明かりに包まれたテラスで、逆光で真っ黒な侍女を見やる。赤っぽい茶髪をピシリと編み上げ、現代風の紺のワンピースに白いショート丈エプロンを着けた同い年くらいの見た目の少女。メイドのような格好をしているが、彼女は私の秘書である。…というものの、実質雑用係だが。文句は多いが、仕事はきっちりこなしてくれる。もっとも、彼女にはもっと人手が欲しいとせがまれているが…私としては、余計な奴らを私のテリトリーに置くつもりは無い。リリノアがあの広い屋敷で使用人を雇いたがらないのは深く同意する。
「ダメです。というか、あなたがウロウロしたせいであの書庫すら追い出されたんですよ、分かってます?」
そういいながら、飲み飽きた味の紅茶を淹れ、私の前にティーカップを差し出す。
「追い出されたも何も、閉じ込められたのよ。」
「なぜ閉じ込められたんですか?」
「うーん…忘れちゃった」
とぼけてみせる。まぁ、実際はあの屋敷の結界をくぐり抜けて、リリノアに度々気配を晒してたのがカインにバレたからなんだけど。
「とにかく、あなたが現世へと赴くことは禁忌なのです。それなのに【隙間】を探してこいだとか、無いなら作ってこいだとか、無理難題が過ぎるんです!!まったく…」
「それで、順調?」
「…まぁ、言われたことはこなしてますよ。」
「おぉ優秀。ぱちぱちぱち~」
満面の笑みでわざとらしく拍手を送ってみると、アルロは頬を膨れさせた。
「…バカにされてる気がします」
「いやぁ、こんなルリアの姿ノアちゃんには見せられないなぁ」
「否定しないんですね!?」
「うっふっふ~」
「もう!!」
ティーポットを両手に持ったまま、私の右手側から少し身を乗り出していた彼女は、呆れたように椅子に座り、背もたれに仰け反った。
「…あの」
「なぁにお嬢さん」
上を向いたまま、彼女はおもむろに口を開いた。
「いつまでルリアって名乗るんですか。××××様」
「ダメよアルロ。」
口調を変えて厳しく言う。それに気づいたアルロはこちらを見つめ直し、姿勢を正した。…が、すぐに少し俯いてしまった。
「リリノアが思い出せずにいる今、私はルリアという人であらねばならない。あの子は私の全てであると同時に、私はあの子の全て。分かるわね」
「………はい」
不貞腐れたような返事にも聞こえたが、あえて何も言わずに入れてもらった紅茶を啜る。
「うーん、そろそろこの味にも飽きてきたわね。」
「…分かりましたよ、今度向こうに行くことがあったら新調してきます」
「ありがとう。あ、でもアールグレイはやめて。私は柑橘系が苦手なの」
「別にアールグレイだからって柑橘系とは限らないけど…まぁ、了解です」

 もう少し…もう少しの辛抱ね。私の願いが叶うまで…そのために色々やってきたんだから。やっと見つけた蛇から眼球を盗んでやったわ。青い目の女を遠くに逃がしてやったわ。あとすこしで準備万端…待っててね、私の天使たち。
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