神聖なる悪魔の子

らび

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38. 夢幻

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 部屋の中に充満していた匂いの正体は、アロマキャンドルだった。あまり好きな匂いではないけれど、鼻をつまむほどでもない…はずだった。
「うぅ、酷い匂いだ…」
「そんなに?」
涙目になりながらそういったのはカインの方で。彼はすべてを投げ出すようにしてベッドの右側に横たわった。そう、このアロマの香りは、カインを酔わせるための薬だったのだ。何の成分を含んでいるのかも、働きかけているのが彼の人間の性に対してなのか獣の性に対してなのかもさっぱり分からないけれど。ゼウスの館でそれに似た薬を盛られた私なら、今の彼の状況を見ればアロマが無効ではなかったことくらい理解できる。
「キャンドルは見つけたけど、もう燃え尽きたあとだったわ。じきに匂いも消えるはずよ。」
「あぁ、これ以上強くならないだけマシかもしれない…でもダメだ、カーテンやカーペット、枕に毛布…布という布が匂いを吸って保っている…頭がおかしくなりそうだ…」
こんなに弱気な彼を見たのはいつぶりだっただろうか。カインは毛布も被ろうとせずにベッドの上で丸くなった。
「ノア、俺は少しここで休むから、先にシャワーを浴びておいで。脱いだ服は一つにまとめておくこと。それから、ちゃんとお湯にするんだよ?見ればわかる仕様だとは思うけど、分からなかったら呼んで。それと、」
「えぇ、分かったわ。じゃあちょっと失礼するわね」
何かをごまかすように喋り続けようとするカインの言葉を遮った。すると彼が少し拗ねているように見えたので、私はそっと彼の肩に手を触れた。
「大丈夫よ。」
「っ!?」
「あっ、ごめん痛かった?」
驚いたような反応をする彼にこちらも驚く。
「い、いや、痛かったんじゃないんだ…」
「でも、」
「ほら、もういっておいで。遅くなっちゃうよ。」
「…うん」
熱っぽい瞳で微笑まれると、なんだか無理させているように思えてきて、促されるままに私はシャワールームへと向かった。

 水の音だけを聞くようにして頭からシャワーを浴び続ける。どうして一族の人達がカインをあんなにしたり、私たちを閉じ込めたりする強攻策に出たのか。確かに、アテネを産む前も少し急かされている様子はあったが、今回のように罠にかけるようなことはしてこなかった。それに、アルテミスの毒を私に仕向けた刺客の正体も未だ明らかになってはいない。
 今回の一族の狙いはおそらく、疲労したカインを酔わせて、少しでも理性や正気を奪い、私に手を出させようというものだろう。…呆れたものだ。そんなことは、彼のプライドが絶対に許さないだろうに。なにせ、彼は自制を利かすために己の舌を噛むような男だ。前科があるのだ、証明されている。それならば私は、あまり近づかない方が彼のためかもしれない。先程思わず触れてしまった時の反応を思えば、きっと今の彼はまさに己と闘っているのだろうから。あの香薬は、これは私の予想ではあるが…きっと、獣の性に働きかけている。しかも、女である私には効かないような仕組みの。以前、何かの本で動物の発情を誘発するような薬草の話を読んだことがあったが、本当にそんなものが存在するとしたらあの香薬こそ間違いなくそれだろう。しかし、解薬方法などは書かれていなかった。だからこそおとぎ話か法螺話かとも思っていたのだが。一体どうすれば…

『誘いに乗ってしまえばいいじゃないの。』

「わっ!?」

突如として耳元をかすめた懐かしい声。つい最近聞いたような気もするし、もう何年も聞いていないような気もする柔らかな声。

『元気?リリノア。調子はどう?』
「ルリア!どこにいるの?」

 そう、その声の正体は、陽だまりのような女性。しかし、その姿はどこにも見当たらない。
『だめよ、見えっこないわ。前に言ったでしょう?この本邸には私が入れないように結界が張ってはるっって。』
「えっ、じゃあどうして今ここに、」
『カインが弱っているからかしらね。あの子、今すごく葛藤してるのよ。可哀想に…』
「葛藤…」
『あなたも分かっているんじゃないの?それとも、もう言われてる?』
「2人目を産めってことかな…」
そんなこと、分かりきっているのだ。けれど、どうにもタイミングが掴めないし、フラッシュバックのように蘇るあの地獄のような出産が足を竦ませた。
『…怖かったわよね。』
「っ…うん」
『ちゃんと慰めてもらってないんでしょ。』
「でも、私がそのまま長く眠っちゃったから…」
『怖かったって、ちゃんと口にしたの?』
「そんなこと言ったらますます彼は身を引くわ。」
『いいえ、きちんと言葉にしなければならないことよ。言って、納得してから次に進まなきゃ。』
ルリアの言葉はやさしく私を包みながら、しっかりとした力を持って根本から説得してくれる。聖母のような姿こそ今は見えないけれど、柔和な顔に似合わぬ険しさをたたえながら、心を鬼にして叱る母の姿が脳裏に浮かんだ。
「私は…どうしたらいいの。これからのことよりも…今。」
『そうね…もし貴方の心に覚悟があるなら…そしてそれが妥協でないなら。』
だんだんと湯けむりに覆われてきたシャワールームにふわりと、どこか柔らかな人影が舞い降りたように見えた。髪を伝って目に入る雫を拭うこともせず、歪んだ視界が移した世界。そこには確実にいつもより妖艶な彼女の姿が見えた。
『誘ってみればいいんじゃない?』
潤んだ唇に人差し指を当てて悪戯っ子のように笑う彼女は、以前見たときよりも子供っぽい。そのくせ、その艶やかなことは淑女そのもので。

 部屋に戻ると、カインは幼い子供のように丸くなってベッドに横たわっていた。背中が顕になっているというのに、彼は掛布を被ろうともしていない。寝苦しい熱帯夜の寝相のようだった。
「カイン…起きてる?」
「あぁ、上がったのかい。」
「うん…」
私は背を向けている彼の顔が見える、ベッドの反対側へ立った。しかし長い前髪に遮られて、目を開けているのかどうかさえよく分からなかった。それから、スプリングを軋ませながらベッドにゆっくりと腰掛け、のし上げるように深く座り直した。両足を抱えて膝に口元を埋めると、自分の熱を持った吐息が頬に触れて蒸れる。
「ねぇ、カイン。」
「うん?」
ゆっくりと、言葉を選んで口にする。いつも、彼がしてくれるように。
「…私、ね。」
「うん。」
見えない背後でもぞもぞと動いた彼は、うつ伏せになって枕に顔を埋めたようで。その返事はこもった声音をしていた。
「アテネを産んだ時のこと、ちょっとトラウマになってる。…ううん、ちょっとじゃない。すごく、かな。とっても…怖かった。痛みだけじゃない。何だったんだろう…」
ん、とカインが息を漏らしたのが分かる。いや、息を呑んだのかもしれない。
「自分を、見失いそうだったのね。きっと。大量後を失って、意識が遠のくのに痛みに引き戻されて…死んだことはないけれど、死ぬより怖いってこういうことかな、って。変ね、1度自分を失ったような私が。」
反応がない彼の方へ振り向いて、ボサボサになっている髪に手を入れる。少しずつ梳いていると、彼は枕を抱きしめる腕に力を込めた。
「でも、あなたは1度私を失ったのね。先に辛い思いをさせたわ…ごめん。」
自然とこみ上げてくる涙をぐっと堪えて目を伏せる。
「痛かった。怖かった。苦しかった。でもね、私、今日あの子にあって…1度は動揺したけれど、やっぱり後悔していないの。…いえ、後悔したくないだけかもしれないけど。それでも…やっぱり、あなたと一緒にいたい。酷い母親よね、酷い女よね。でも、あの子を助けたい…現状を変えたい。それには監視が強すぎる…だから…。」
頬に熱が集まるのがわかる。これは涙に誘われたのか、それとも…。
 身をよじってカインの方を向き、ベッドに横になりながら彼の前髪を避けて額を晒す。少し熱を持った肌が汗をにじませている。ハッとしたように目を見開いた彼の瞳は塗らりと濡れていた。
「なっ、!!」
ちゅ、と安っぽいリップ音を伴って、眉間にシワのよりかけた前髪の生え際あたりに小さくキスを落とす。
 滅多にない私からの行動に、カインは少し身じろぎした。やっとこちらを向いてくれた顔を見ると、その頬はいつもよりずっと赤く火照っていて、まるで酔っ払いかお風呂でのぼせた人のそれだった。
「一族の誘いに乗ってやるのは少し癪だけど、仕方ないわね。きっと、今を逃したら、また怖くなってしまうから。」
「ノア、君は…冷静かい?」
「えぇ、少なくとも貴方よりは、ね。」
「どうして突然…」
「突然じゃないの。」
シャワールームでのルリアとのやりとりを知らない彼にしてみれば唐突だっただろう。けれど、私はきちんと決心したのだ。もうきっと、前に進める。
「…せっかく、背中を押してもらえたから。」
「…そうか。」
彼は、誰にとは聞かなかった。なんでもお見通し、とでも言うようなカインの瞳に何処まで真実が見えていたのかは分からない。けれど、納得はしてもらえたようだった。
 ムクリと、冬眠明けのクマのように身体を起こしたカインは、うつむき加減のまま目だけをこちらに向けて…つまり上目遣いで、少しの間こちらを眺めていた。そして、軽いため息をついたあと、右肩にかかっている私の髪をそっと掬って自らの唇に触れさせた。
「いつもと違う匂いがする…」
「だっていつもと違うシャンプーだもの。」
「まだ濡れてる。早く乾かさないと風邪ひくよ」
「平気よ、これくらい。私たちの身体はそんなことで風邪をひくほど弱くないわ」
「…そうだったね。」
まだどこか後ろめたいような感じを漂わせた彼の、分かりやすすぎる時間稼ぎはまるで子供のようでいとおしかった。
「かわいい、ノア。」
「今のあなたの方がよっぽど可愛らしいわ。」
「はは、嬉しくないなぁ」
そう言ってカインは困ったように笑った。
 なんだかくすぐったくなって、湯冷めした左手を彼の火照った頬に当てた。
「冷たい…」
「えぇ、そうよ。」
「寒いの?」
「いいえ、寒くはないわ。けれど、きっとこのままだと身体も冷えてくるでしょうね。」
「ちゃんと身体を拭かずに服を着たね?」
「バレたかしら。」
「バスローブが湿ってるからね。」
「じゃあ私を抱きしめて?今の貴方はとっても温かいわ。」
いつまでも焦らしてくる彼にいたずらっぽく言ってみる。ルリアに「誘え」と言われたからあれこれ口にしてみようとするものの、なるほど、これは中々……羞恥心を抉ってくる。
 そんなことを冷静に分析してしまうと、頭がオーバーヒートしそうだった。
 と、ふわり、彼に抱きすくめられる。カインは大きなぬいぐるみでも抱えるようにして、そのまま押し倒してきた。
「わぶっ」
「ん~、今日のノアは随分と積極的だなぁ。何があったんだい?」
「な、何も無いわよ!ただ…」
「ただ?」
「…ちょっとだけ、人肌恋しくなっただけよ。」
今の私の頬はきっと、薬にやられているカインと同じか、それ以上に紅い。それを思うといても立ってもいられなくなって、私に程よい重さでのしかかる彼をぎゅっと抱き寄せてみた。
「うぁっ!?」
バランスを崩したカインの全体重がかけられる。やけに近くで聞こえる心臓の音は、私のものか彼のものか。
 慌てて飛び退こうとするカインをひしと抱きしめて離さない私。
「まったく、本当に…誰に何を入れ知恵されたのか知らないけど、後で後悔しないかい?」
「しない。」
「ふぅん…嘘じゃないね?」
彼の胸に顔を埋めたままで頷く。
「…そっか。なら、俺も遠慮はしない。後悔したくないのは、俺も同じだからね。」
そう言って、彼は私のバスローブの腰紐を解き抜き取った。無抵抗な私の身体から湿った少し重い布がよけられて、仰向けになった胸が心做しか軽くなる。すべての感触が地肌に生々しく伝わる中、私の心は夕暮れ時の穏やかな浜に寄せる波のように落ち着いていた。
 顕になった鎖骨に、カインはそっと唇を寄せる。そのまま顔を埋めるように、優しく鼻先で首筋をなぞった。何となく、それは母犬に甘える仔犬のようでくすぐったい。
 しかし次の瞬間には、はっと我に帰ったような彼の熱っぽい瞳に見つめられ、その紅に呑まれそうになる。あぁ、片目でさえもこんなに魅力的なのに、両眼で彼の瞳を見つめたら、私はきっと正気ではいられないのだろう。それは恐ろしく誘惑的で、甘美だ。
 左目の神経をカインに支配されている間に、彼の手は私の腰を持ち上げるように抱きしめていた。指先でそっと脇腹を押し込まれると、ぞわぞわして無意識に身をよじってしまう。
「ノア、また細くなった?」
「分からないわ」
「折れそうで怖い」
そういたずらっぽく言った彼は、さっきまで脇腹を押していた指をずらして、私の肋骨をトントンと叩いた。
「折ってもいいよ」
「えっ」
「私、カインになら何されてもいいもの」
積極的に、と心に決めた私は、負けずに手を伸ばしてカインの首筋を弱く撫でた。
「あっ、待っ」
瞬時に逃げられ、手持ち無沙汰になった手を包み込むように掴まれる。
「仕返しよ。」
「…頼むから煽らないでくれ、今日はこれ以上なにかする気は無いんだ」
「あら、貴方…弱点なんてお姉さん以外にないと思ってた」
「嫌なことを言うなぁ…あれはトラウマだ、俺の弱点はノアそのものだよ。」
目を伏せて小さく溜息をつきながらそういう彼は、少し疲れて見えた。
「遠慮はしたくないけど、後悔はしたくないとも言っただろう。今夜ここで何かしたら、酔いに惑わされた気がして…」
「そう、貴方のプライドが許さないなら仕方ないわ。無理強いなんてしないわよ。」
未だに目を伏せている彼の頬を撫でると、カインはふわふわとした笑顔を返してくれた。
「でも、少しナーバスになってるんだ、俺。」
「うん」
「だから、もう少し、こうしててもいい?」
ナーバスというより、幼子に返ったようだった。私は手首に引っかかっているままだったバスローブを完全に脱ぎ捨てて、押し倒されたままの体勢から彼の胴体を抱き、寝返りを打つように横向きに転がる。添い寝するような形で、やっと、カインと正面から向き合うことが出来た。
「いいよ。今夜はずっとここにいる。」
「…うん」
「今日は色々あったわね。私、ちょっと疲れちゃった。」
「そうだね。」
「ゆっくり、整理する時間が欲しいの。」
「俺もだよ。」
「同じ時間を生きる、私たち二人で。」
言葉を紡ぐたびに、黒い鉛が胸に広がるようで、少しずつ重みを増していった。
「…苦しいのかい?」
「そう…みたい…」
そうか、私は今日、苦しかったんだ。でも、彼と手を繋ぐだけで…いや、そばに彼がいるだけで、知らない間に心が救われていたんだ。だから私は、彼に触れたかったんだ。初めて娘という、私とカインの血を持つ人間を目の当たりにして、とんでもないことをしてしまったのではないかと罪の意識を抱いていた。許しが欲しかったんだ。この気持ちを共有し得る、たった一人の人に、抱きしめて、大丈夫だよって言われて。優しい彼にすがろうとしたんだ。
「私は…」
「リリノアはさ、優しいから。罪悪感を抱いてしまったんだろうけど…」
「どうして分かったの」
「なんとなく、かな。図星だったね。でも、弟殺しの名を背負う俺からしてみれば、君はいい母親だ。」
「でも、」
「君はイヴだ。人類の母親だ。だが、君は動物じゃない。人間は、動物と違って間違いを犯す。けれど、君は子供に責められたかい?彼女が不幸に見えたかい?」
「いいえ…」
「今の君は覚えていない記憶だろうけど、俺が君を連れ出そうと教会の聖堂に飛び込んだ時、君は不幸だと感じていなかったよ。」
「え?」
私の記憶は、私自身が思い出さなければならないから、と言って、昔のことを直接的に語ることをしなかったカイン。突然にはっきりと語られた過去に、私の脳が揺れた気がした。
「ドライアドの森で、君が見た過去。囚われた、汚れて、生気を失った君自身の姿を覚えているかい?」
少しずつ薬が抜けてきたのか、カインの言葉がしっかりと立って聞こえてくる。
「酷いものだ、と君は思っただろう。でもね、君にとっての当たり前の世界はあれだったんだ。どんなに空腹でも、排泄物で汚れても、誰にも愛してもらえなくても…生きる神として、悪魔の子として祀られても、何も疑問を抱かなかったんだ。つまりね、何が言いたいかって言うと…」
言葉を選ぶように少しの間を置いて、彼は言葉を紡いだ。
「アテネは今、不幸じゃない。たとえそれがヒナの刷り込みによる偽りの意識であっても、しばらくは麻酔として効いてくれるんだ。だから、焦る必要は無い。」
また、諭されてしまった。きっと、どんなに酔っていようと、私の心は彼には見えきっているのだろう。
 ルリアに背中を押されて、心を決めたのも本当のことだが、少し焦っていたのも本当である。そのことに優しく気づかせてくれる彼は、私より私のことを知っているような気がした。
「そうね、ありがとう。カイン。」
「うん。でも、君の決意も受け取った。明日は早く帰ろう。それで、日が暮れるのを眺めながら、ゆっくりしたい。それで、」
くすっ、と。悪戯を思いついた子供のような笑いをこぼして、私の頭を抱えると耳元に囁いた。

「今夜の続きを、ね。」

 それから翌日、予定よりずっと早く、お昼頃に迎えに来たアネモネの車に乗せられて、私たちは帰路についた。アテネには、会わなかった。いつ仕舞ったのか分からないが、私の上着のポケットには車に舞い込んだグラウクスの羽根が入っていたが、なんとなく捨てる気になれなくて仕舞い直す。
 その日も天気はよかった。きっと、綺麗な夕日が見られることだろう。昨夜閉じ込められたことを、アネモネには言っていない。何だかんだで、扉の鍵こそかかっていたものの、朝目が覚めると何事もなく扉は開いたのだ。それに、カインと話すいい機会にもなったから、あえて口にしなかったのだ。
 鳥の囀る屋敷に帰ってくるのはいつぶりか。そんなに長くあけてはいないのに、なんだかひどく懐かしい。記憶をなくして帰宅したあの夜も思ったが、本当に浮世離れした洋館で、この敷地だけタイムスリップしたようだな、と。
「ノア、どうしたの?」
門の前で立ち尽くす私を振り向いて首を傾げるカイン。
「ううん、何でもない。」
少し前を歩くカインに駆け寄り、私は小さく呟いた。
「ただいま、だね。我が家。」
「あははっ、面白いことを言うねぇ。そういえば、結局…婚姻届はどうしようか。」
「私、クリスマスの夜にプロポーズしてくれたの、忘れてないわよ?」
「そっか。じゃあ、正式に出すとしますか。よろしくね、奥さん。」
「えぇもちろん、旦那様」

 その日の夜、私はあのネックレスを身につけて夕日を眺め、夕食にした。彼はシャワー上がりの私を浴室に迎えに来ると、約束通り、私を自室へと招き入れた。ネックレスをくれたあの日、私は裸足で彼の部屋へと赴いて軽く怒られたが、今日の私もまた裸足だった。
 綺麗に片付いた彼の部屋は、数年前のあの日と変わらない。そしてまた、あの日と同じ夜が始まるのだった。
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