神聖なる悪魔の子

らび

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37. 超常現象

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 Long long ago...
~レアSide~
 吹雪の夜の出来事だった。その火はとても寒かったというのに、私は暖炉も灯さずにただ外を眺めていた。何をする気にもなれずにただぼうっとしている。そうしていると、自然と思い浮かぶのは自分の娘のことだった。
 なんの嫌がらせなのか(いや、ありがた迷惑というべきだろうが)、私の部屋の窓からは娘が監禁されている教会が良く見えた。
(あの中で、きっと凍えているのね…)
助け出してやりたかった。あの子を助けられるなら、すべてを投げ出してもよかった。けれど、私にはそんな権利がなかった。なぜなら、あの子が生まれることがこうなることと結びつくとわかっていて生んだのだから。
 身ごもった時に始めに感じたのは、喜びではなくて罪悪感だった。その時点で、私はこの世の女失格だったのだろう。きっと、生まれ落ち苦しみを知る前に、腹の中のこの意識がないうちに、私自身がこの世を去るべきだったのだ。今となっては、言いなりになって産み、されるがままに取り上げられた私は言い逃れできないほど明確にあの子を「捨てて」しまったのだ。
 意味もなく溜息をつきながら、氷のように冷たくなっている窓ガラスに額をつけて寄りかかる。自分の吐息で少しばかり曇るが、視界を遮る前にはあっけなく消えた。
「私は…どうすればよかったの…」
誰もいない、しんと静まり返った部屋に小さく呟く。投げた言葉は暗闇に溶け消えた。
 と、その時、視界の端を動くものがかすめていった。無意識に目をやると、3階のこの部屋からは微かにしか認識出来ないが、1人の10歳くらいの少年が、大きな布を抱えて駆け抜けていった。この吹雪だというのに、小さな身体は風の抵抗をものともせず、己自身が風でさえあるかのように、器用に。その少年は、まっすぐ例の教会へ向かっていく。やがて扉の前にたどり着いた時に、肩に積もった雪を軽く払ったその子は周りに誰もいないことを確認するようにキョロキョロと近くを見回した。それから後ろ手に扉を開けると、するりとその身体を滑り込ませた。
 その少年には見覚えがあった。雪の中で紅く燃える鋭い瞳、対して雪に溶け消える白銀の髪。
(間違いないわ。確か、アドニス殿の二人目の息子の…)
 カイン。たしか、そんな名前だった。あの子の存在を知るものは一族の中でもあまりいない。私も、自分の子供が異端児であると知れ、当主の妻というこの地位に立ってから彼のことを聞かされたのだ。
(クロノス様は仰っていたわね。「もう少し力があれば、カインが異端児と見なされていただろう…クロノスのところの子供はいつもそうだ、もう少しというところで1歩およばない。一人目の娘のアネモネもそうだ。あの子は…良くも悪くも命拾いしてしまったな。いっそ、双子の妹のようにこの世を去った方が楽だったかもしれないが、中途半端に力があったばかりに…」。そんな感じだったはずだ。)

 この一族のしきたりは恐ろしいものだ。どこから始まったのかは誰にも分からない。ただ、ギリシャ神話の時代の終わりごろに1人男の異端児が生まれ、多くの妻を持ち多くの子供を設け、一夫多妻の一族が誕生し、千年おきに男女交互に異端児が生まれた。そのたびに一夫多妻と一妻多夫を繰り返し、今の時代まで来てしまった。今の当主クロノス様は、異端児の父だからという理由で当主を請け負っているが、もともと彼は残虐なことなどできない優しい人だ。きっと、リリノアのことも思うところがあるのだろう。私たちが千年の節目の夫婦であったことは不幸としかいいようがない。しかし、一族の圧力はもはや狂信者の方が多い今、こちらもまたどうしようもないのである。

 と、悶々とそんなことを考えていれば、先ほどの少年が先程の布に何かを包んで大切そうに抱えて出てくる。また用心深く周りを見回すと、少し前かがみになりながら、それでも来た時と同じように颯爽と吹雪に隠れて駆けてゆく。抱えている物は何か、なんて言うまでもない。私は目頭に熱が集まるのを感じた。
(カイン…リリノアを連れ出してくれたのね…ありがとう。私にこんなこと言える資格はないけれど、どうかその子をよろしくお願いしますね。)
心に呟いた言葉は当然彼に届くわけもなく、増すばかりの吹雪にのまれた少年の姿はどこにも見当たらなかった。

 数分後、慌ただしい足音が廊下を駆け抜けていく。やがて一人のメイドが少し荒々しいノックとともに息を切らして入ってきた。
「謹んで申し上げます、教会の巫女が何者かにさらわれたようです。すぐに手はずを整えて行方を追い、」
「無駄よ。」
「…はい?」
私の言葉にメイドは首を傾げる。
「あの子を連れ去ったのは一匹の美しい銀色の狼よ。言ってる意味、分かるわね?」
メイドは青ざめて硬直している。
 我々ブルード一族にとって銀狼は神の象徴。それに連れ去られた子供は神隠し、それを取り返そうと考えるのは罰当たりだった。取り戻すチャンスは唯一、銀狼が誤って子供を道に落として言ったのを拾うことだけなのだ。銀狼に連れ去られた今、一族も警察も出来ることといえば、道に落ちていないかを探すのみなのだ。そして、あの子供がノアを取り落とすことなどありえないだろう。

(強く…生きて。)

 これほど幸せな吹雪の夜は生まれて初めてで、そしてもう二度とないだろうと、私の心だけはとても穏やかだった。


リリノアside

 私とカインは、アンさんの車の後部座席に乗せられて流れゆく景色を目に映していた。私たちの向かう先は本邸。そう、生き別れとも言える私たちの娘に会うことを決心したのだった。
 会うにあたっての注意事項は1つ。それは、私は母親としてではなく一族の当主として娘に会うこと。別に母親だと伝えてはいけないという規則がある訳では無いのだが、伝えない方がいいだろうという私とカインの判断だった。驚いたことに(いや、カインは知っていたようだが)、娘アテネはずっとアンさんが育ててくれていたのだ。古風にいうなら乳母というものとして、である。それは、アテネのためである前に、私たちのためであった。何より、アンさんが本邸を嫌っているのもあるが…姪に当たる娘を自分の嫌う場所に置いておくなんてありえない、だそうだ。
 今アテネは、一時的に本邸に預けられているという。アンさんの家に新しいベッドが置かれたのはそういう理由だったのだ。

「さて、到着だけれど少しだけ待っていてね。突然会いに行ってもあの子を戸惑わせちゃうだろうから、確認も兼ねて手続きしてくるよ。」
「手続き?」
「今日当主が戻ることを伝えてなかったからね。部屋も軽く掃除するだろうし、クロノス様やレア様がお前に会いたがるかもしれないから。」
突然出された両親の名に僅かに背筋が伸びる。改めて、記憶をなくしてからというものの本邸で両親にあっていない。以前、ゼウスを探してと訪ねてきた母親はとても衰弱していたが、あのあとどうしただろう。
 そんなことを悶々と考えていると、ハイヒール特有の軽い音とともにアンさんが車から離れていった。残された私は隣にいるカインに何を話して良いかわからず、何がある訳でもない窓の外ばかりを食い入るように見つめていた。
「ノア?」
「っ…」
突然かけられた声にあからさまに肩がはねてしまう。
「緊張、してるの?」
「…うん」
「大丈夫だよ。」
シートベルトを外す音がしたと思うと、うしろからそっと抱きすくめられた。そのまま絡まった紐を解くように私のシートベルトも外され、右側の手首を掬われる。
「俺も…少しだけ緊張してるけど」
左肩に乗せられた彼の顎がモゾっと動き、困ったように笑ったのだと見なくても察する。
「私…」
「うん?」
どこまでも優しい声に喉の奥が少しキュッと締まる。
「泣かないで会えるかな…」
泣く、という単語を言葉にした途端に、目頭の奥が熱くなってじんわりと目が潤う。
「大丈夫、大丈夫。」
抱きしめられている腕に僅かに力がこもり、子供をあやす様に彼はゆっくりと少しだけ前後に揺れた。
「我慢しなくていいよ。」
穏やかにそう言うと、彼は私の首にそっとキスを落とした。それが引き金になったように、左目から一筋だけ涙が流れた。その涙さえもカインが拭ってくれて、たったそれだけでとてもスッキリした気がした。
「ありがとう。大丈夫、頑張れるわ」
涙を拭ってくれた彼の左手を取って、頬を寄せる。
 と、その時、10cmほど開いていた車の窓から、はらりと何かが舞い込んで、私の膝の上へと着地した。木の葉か、花弁を思わせるそれを、数秒の間を置いてつまみ上げる。
「カイン…これ、」
「フクロウの羽根だね。」

「お待たせしました、リリノア様。」

 直後、なれない口調と表情を携えて戻ってきたアネモネが車の扉を開けてくれる。彼女のうしろには、スーツをピシッと着込んだ初老の男性二人が付いてきている。名前も顔も見知らぬ二人だが、恐らく家老と執事長だろう。さすがベテランというべきか、私に対する嫌悪感は微塵も表に出ていない。
「お部屋の準備が整っております、どうぞお戻りくださいませ」
にこやかに微笑んでアンさんに促されるままに車を降りた。後ろの二人は、おかえりなさいませ、お待ちしておりましたと事務的に口にする。

 何度目かの本邸の入口をすぎて、シンプルなデザインをした洋風の廊下を進む。
「リリノア様、このたびご挨拶に参らせる子供を、客間に通してあります。人払いはしましたが、扉の前にお付をたてますか?」
アンさんは私にしか見えないようにウィンクしてみせた。なるほど、意を汲めということか。
「えぇ。ではアネモネ、あなたが立っていて下さいます?」
「かしこまりました。」
左胸に軽く右手を当てて、恭しくお辞儀する彼女は少し嬉しそうだった。
 歩いていくあいだ、レトロなメイド服に身を包んだ女性達とすれ違った。彼女たちのことを私が知らないように彼女たちも私を知らないようで、私のために道を開ける女達は軽く下げた頭を傾けて視界の端に私を捉えているようだった。不思議がっているのが目に見えてわかるのが少しムズムズとして居心地が悪い。思わず俯きがちになるが、それを見逃さなかったカインは私の少し前を歩き始めた。こちらを見ることこそなかったけれど、私の視界を自分の背中で塞ごうとしてくれているのは見ればわかった。
 窓のない廊下は薄暗く、冷たい空気が張り詰めていた。カーペット越しに靴裏に響く大理石の床の硬さが一族の冷酷さを物語っているように感じる。そう考えると、ワインレッドのカーペットはそれを覆うヴェールのようだ。この場所に、暖かな家族など存在しないのだ。表向きは由緒ある一族だが、裏でやっていることは恐ろしい。アンさんの妹が殺されたのも、カインを地下に閉じ込めたのも、私を飼い殺したのもこの場所なのだ。ブルードの一族は、牢獄とも言える。…………………………………………そして、そこに私の娘がいるのだ。
「こちらになります。」
気がつくと、目の前には花の彫刻を贅沢に施した木製の扉があった。金のドアノブは見事に磨きあげられていて、曇りひとつ見受けられない。その輝きを、黒い皮の手袋をはめたアンさんの手が優しく握る。私たちのあとをついて歩いていた2人は、いつの間にかいなくなっていた。
「既に人払いは住んであります。そして、謁見予定の娘アテネも既にこの中に控えております。」
アンさんは私の方を見ようとせず、ドアノブを握った手を僅かに震わせた。
「アンさん…?」
私がいつものように呼ぶと、アンさんは苦虫を噛み潰したような顔をしながらこちらを向いた。
「あぁ、ノア。どうしてあなたばかりがこんなに辛い目にあうのかしら…」
小さく震える声でそう告げる彼女は、今にも泣き出しそうだった。そんな彼女が耐え難いようにぐっと目を瞑ったので、私は背伸びをして精一杯手を伸ばし、彼女の頭を撫でた。
「ありがとう、アンさん。私だけじゃないわ…あなたも、もう充分。私がしっかりした当主だったら、もっと報いられるのに。…きっと報いるから、もう少し待ってて」
私の言葉に驚きを隠せなかったのは、アンさんだけではなかった。目を丸くしてこちらを見るカインに、私は微笑み返して見せた。
「カイン、屈んでちょうだい?」
そうお願いすると、戸惑いながらもカインは私の顔の高さに自分の顔の高さを合わせるように屈んだ。
「なんだい?」
「ううん、あのね」
そういって、近くなった彼の頭を抱き寄せる。
「さっきは、ありがとう。」
「………あぁ。」
 少しの間を置いて、カインの声が優しく耳を撫でる。これで、私の心は決まった。
「さて、それじゃあ少し失礼しますね。」
アンさんにいうと、彼女も姿勢よく立ち直して、行ってらっしゃいませ、と笑顔をみせた。そして、ゆっくりと扉を開けてくれる。
「アテネ、当主様がいらっしゃいましたよ、ご挨拶です。」
開ききった扉を潜ると、一瞬だけ、銀色の髪を伸ばした少女の姿が見えた。
……………………そう、一瞬だけ。
「あぁっグラウクス!!!!だめぇっ!!!!!」
「ふぇっ!?」
私が間抜けな声を上げたのは、目の前に迫り来る大きな翼に押し倒されたからで。幼子特有の甲高い声に呼ばれて戻っていくソレは、見覚えのある羽根を舞わせて全貌を明らかにした。
「この羽根…さっきの…?」
車の中に舞い込んできた羽根。もう一度声の元を見ると、腕にメンフクロウを止まらせた少女がその紅い瞳に涙を浮かべて尻餅をついていた。肩を少し超えるくらいまで伸ばした髪は、私やカインの髪よりも少しグレーがかっていて、アンさんと同じようだった。眼の色も真紅というよりは少し明るめで、あぁ、やはり私たちとは違ったんだ、と分かりきっていたはずなのに少しだけ気落ちする。いや、呪われた子の末路を思えば、喜ばしいことなのかもしれないが。
「リリノア様、大丈夫ですか?」
またしても聞きなれない言葉遣いで、カインが私に手を差し伸べる。その手を取って立ち上がり、小さく「大丈夫…」と返した。
 とりあえず仕切り直そうと、1度だけ深呼吸して、失態を咎められるのを恐れているのかこちらを見つめて動かない少女アテネに向き直る。その双眸は、真っ直ぐに私を見据えて逃がさない。
「あぁ、ええと…はじめまして、アテネ。」
話しかけてもピクリとも動かない。瞬きするのも忘れたかのようにその大きな目を見張っている。
「…私、当主のリリノア・ブルードです。」
「………。」
カインもアンさんも、息を呑んで私たちを見守っているのが感じられる。私も、当主としてあの子の前に立つと決めた以上、怖気付いてはいられなかった。
「謁見まで長く待たせてしまったようでごめんなさいね。どうぞよろしく」
そこまで言って、握手でもと1歩を踏み出そうとした時だった。
「…………………………お母さん?」
4人のあいだにある空気が全て凍りついたようだった。
「えっ…あ、えっと、その…」
「…ちがうの?お母さんでしょ?」
小さな口が語る言葉は、私の胸を貫いて抉るように痛みを伴った。
「…アテネ、どうしてそう思ったの?」
動けない私とカインを守るように前に出たアンさんは、アテネに話しかけた。しかし、アテネは私を見つめたままでそれに答える。
「思ったんじゃない、憶えてるの。しってるの。お母さんの顔、憶えてるの。」
3人ともに絶句した。どうしてよいか分からない私の肩をカインがそっと抱き寄せてくれる。それで初めて、私は自信が震えていることに気づいた。
「そう、なの。」
アンさんは半ば無理やり納得したようにこちらを向き直ると、仕方ないと言いたげに肩を竦めて苦笑して見せた。そしてそのまま真っ直ぐ歩き、開け放されたままだった扉から部屋の外に出ると、去り際に「では、親子の親睦を。」と言い残して扉を閉めた。それを背中で聞いた私は、崩れるように床に膝をついた。
「アテネ、おいで」
無意識のうちに求めるように広げた両腕に、幼女は数秒とかけずに飛び込んできてくれた。強く抱きしめると、少し高い子供の体温が全身で感じられる。アテネは声もあげずに泣いていた。妙に子供らしさのない子供に育ってしまったのは、こういった環境に置いてしまった私のせいかと思うと、こちらまで泣きそうになる。西日の差し込む静かな部屋で、耳に入る音は開放されたフクロウの羽ばたく音だけだった。

●●●

 私たちに与えられた時間は1時間程度で、それを過ぎると私とカインは退室を促された。その時間内で出来たことといえば、泣きつかれて眠るわが子を膝の上に寝かせて柔らかい髪を撫でてやることくらいだった。カインはずっと私の隣にいて、アテネの右手を優しく握っていた。もし私たちが普通のどこにでもいる夫婦だったら、きっとこんなことは何も特別でない日常だったのだろうかと思うと、また涙が溢れてしまって。申し訳なさに支配された胸の内は死んだように色を失っていた。
「お部屋の準備はどちらも整っていますが、いかが致しましょうか?」
迎えに来たメイドの女性が事務的に訪ねてくる。しかし、沈みきった心をもてあます私には答える余力もなかった。
「俺の部屋はいい、リリノアの部屋を使うよ。」
「かしこまりました。」
そんな会話を呆然として聞き流していると、何も無い廊下の床の上で不覚にも足がもつれ、私は受け身も取れずに転んでしまった。妙に力が抜けてしまって、体を起こそうにも立ち上がれない。ただ、地面を見つめていた。
「ノア、しっかりするんだ。」
いつもなら軽く抱き上げられてしまいそうなところを、敢えて立たせてくれる彼には、悔しさと闘う私の心の中など丸見えなのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「はい、すみません」
メイドの社交辞令のような問いに無心で答える。私はカインの腕にしがみつくようにして歩いていった。
 やがて私の扉の前に立つと、メイドがこちらに向き直って1枚のメモを差し出した。
「一族専門医のアネモネから言伝を預かっております。こちらを。」
受け取った小さな紙を広げると、万年筆で丁寧に、かつ明確なメッセージが書き込まれていた。

To.リリノア
 今日のことは、本当にごめんなさい。私にも予想外だったの。あなた達二人の子供だから、少しくらい何か特異体質が出てもおかしくないということさえ予測出来なかった私のミス。私は一度家に帰って研究を見直します。あの子からとったサンプルがまだ有効なうちに、ね。明日の夕方に迎えにいくから、それまでは少し休んでいて。それから、酷なようだけど、私がいない間、あの子とは会わないように。もっと可哀想なことになりかねないからね。おやすみなさい。
                                               From.アネモネ

 私は読み終えたメモをカインに渡した。彼も目を通したようで、少ししてからポケットに仕舞う。
「それでは、私はこれにて失礼致します。御夕飯はいかが致しましょうか?」
「また毒が盛ってあるかもしれない。買ってきたものがあるから遠慮しておくよ。」
そうだった。私は一度、ここで死にかけている。結局、あの毒は誰が盛ったのだったか。
「かしこまりました。お部屋のシャワーも使えるようになっております。先月、修理が終わりまして。」
「そうか、ありがとう。それじゃあ。」
メイドは後ずさるように1歩引き、頭を下げた。どこかぎこちないように見えたのは気のせいだろうか。
 そんな彼女を横めに部屋に入ると、以前入ったカインの部屋より少し広くて、紅とゴールドを基調とした高級そうな家具が揃えられた空間が広がっていた。もうすっかり日が暮れた空をのぞかせる窓には、薔薇模様のシルク製のカーテンが二重にかけてある。そして、鼻をつく香水のような甘ったるい香り。
「ねぇカイン、この香り、どうにかならないかしら…?少ししつこくて、私あんまり、」

……………………………………………………ガチャリ。

「なっ…?」
鍵がかかるような音とともに、少し焦ったようなカインの声が聞こえる。
「どうしたの?カイン」
「……まさか、だよな」
「えっ?」
部屋の扉の前に立つ彼は、ゆっくりと天井の方を見上げた。
「閉じ込められた…」
「……………え?」

あぁ、もう本当に。この屋敷は、そして一族は、私たちを神の化身の偶像かなにかだとしか思っていないようだ。命ある生き物だなんてこれっぽっちも思っていない。ただの、モノなんだ。
 この状況から予想もついたが、念の為確認した窓もなにもかも、この部屋から出られそうなところは全てロックされている。そしてこの匂いの正体は催淫薬。一族の言わんとしていることは明確だった。

「痺れを切らしたのかしら。」

 可哀想なのは彼のほうだった。
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