神聖なる悪魔の子

らび

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19. 宿命と秘密

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 「うぅん…」
小さなうめき声に目が覚めた。どうやら私は眠ってしまっていたらしい。あたりを見ればすっかり夜で、見上げた先には澄んだ空気に輝きを邪魔されない美しい星がいくつも宵闇に散りばめられていた。
 目の前では焚き火が出来ており、ゆらゆらと揺れる炎は形を定めることはない。
「目が覚めたようだね。」
上から静かな声が落ちてきた。どうやら私は、またカインの膝の上で眠っていたらしい。
「ごめん、私いつから寝てた?」
「さぁ、俺もよく覚えていないんだよね。」
起き上がって彼を見ると、その手には長い木の棒が握られており、ずっと火の番をしてくれていたのだと気づく。
「エキドナ、気がついたかい?」
彼は炎の向こう側で横たえられている助成に声をかけた。すると、目が覚めたのであろう彼女は、首だけを重そうにこちらに向けた。
「…私、は…あれ…?」
状況を把握していないようで、その瞳は動揺にゆれていた。炎の赤にかき消されて気が付かなかったが、彼女の瞳もまた紅い。年齢はカインと同じくらいか、それより上だろう。声こそ幼いものの、見た目はとても大人のように見える。
「覚えていませんか…。貴女はエキドナの姿で暴走した後に気を失いました。それから8時間ほど経って今に至ります。」
「そう…ですか。あの、私はエキドナ・ブルードと申します。あなた方は」
「何だって!?」
「何ですって!?」
「…はい?」
私とカインが驚愕の声を上げたのは同時だった。急に声を出したせいで私は盛大にむせ返ってしまった。
「ゲホッ ぐぇっ ゴホッゴホッ」
「大丈夫かリリノア」
すると、今度驚きを顕にしたのはエキドナの方だった。
「リッ、リリノア!?ブルードの当主様ではないですか!!!」
「うぅっ、ぐっ、ぐぇっほっ…あー、はい、そうですねっ、ゲホッ」
涙目になりながら返事を返す。息が詰まって死にそうだ、全く。
 全体力を奪われて、ずっと背中を摩ってくれていたカインに寄りかかる。腰が反ってまた少し苦しく、すこし背中を丸めた。
「あぁ、お目にかかれて光栄です。私のような化物の分際で、一生に1度あなた様に会えるなんて!…あら?」
私に詰め寄ったエキドナが、私の下腹部に目をやる。
「身篭られたのですか?」
「どうして分かるの?」
まだそんなに見た目で分かるほど大きくはなっていないはず。
「私、エキドナは多産が能力のような聖獣です。だから、妊娠している生き物には敏感なのですよ。触らせていただいてもよろしいですか?」
「え?あ、構いません、よ?」
そんなことを言われたのは初めてで、少し戸惑う。しかし、そんな私を横目に、彼女は私のネグリジェの裾を少し上げた。
 温かい手が緊張している下腹部に触れる。労るように指先で撫でられて、くすぐったさを隠しきれずに少しばかり身をよじる。
「…聞こえる。」
「っ…何が?」
「心臓の音が。まだ小さくて、本当に僅かにだけど…元気な子になるといいですね」
指先で音を聞いているのだろうか、まるで聴診器を当てるような手付きで彼女は撫で続ける。
「ありがとうございます。帰国のご予定はいつでしょうか?」
ひだまりのような色をした髪が、私の前でふわりと揺れた。そこからは花の匂いがかすかに香る。
「…カイン、いつ帰るの?」
「いつでもいいよ。」
優しく微笑んでそういう彼の目は、私の意見を尊重するというように返事を待っていた。
「うーん…」
私が悩み始めると、エキドナが明るい声で言った。
「なら、ウチにおいでくださいな。質素な家ですが、もしよろしければ」
「…いいんですか?」
私が恐る恐る聞いたのに対し、エキドナは笑顔で答えた。
「ええ!お2人さえ構わないならば。お風呂とご飯とベッドくらいなら、狭いけど用意できますよ!」

 彼女に導かれて森の中を進んで行くと、山小屋のような小洒落た家が見えた。とても雰囲気があって可愛らしい。
「こちらです。どうぞ」
エキドナが玄関扉を開ける。中は暗いけれど、月の明かりで何があるかは見える。私は促されるままに中へ入り、周りを見渡してみた。
 ソファやランプなどが置いてあるのが見えるが、アンティークなものばかりで、まるでお人形さんのお家みたいである。不意に、後ろからシュッと音がして、火のついたマッチがぼんやりと室内を照らした。エキドナは2本の蝋燭に火をつけると、片方をカインに渡した。
「隣の部屋が寝室になっています。来客用なのですが、ベッドが一つしかないのです。ですから、申し訳ないのですが寝室のソファをお使い下さい。毛布はありますから。それから、あちらの扉の向こうがお風呂とトイレです。ユニットバスになっているので少々広い造りになっていて…落ち着かないかもしれませんが、自由にお使い下さい。お湯は、こんなでも給湯器があるのでいつでもでます」
彼女はひとつひとつの扉を指さしながら、細かく説明し始めた。
「そして、あの扉がキッチンです。冷蔵庫にあるものは自由に食べて頂いて構いません。ですが、夕食と朝食は私が作りますのでご心配なく。最後に、あの扉は裏口につながっています。あそこから出ると外に薪小屋がありますので、暖炉の薪にお使い下さい。」
「ご丁寧にありがとうございます。俺達も、手伝えることがあれば何でもするので、お気づかいなく。」
私たちは、案内された寝室に荷物を置いて、まず泥だらけすすだらけの身体をどうにかしようとお風呂を借りることにした。

 浴室に入ると、そこには木製の可愛らしい浴槽があった。タイルの床に、普通のトイレに、普通のシャワーと鏡までついているそこは、ミスマッチではあったが細部の装飾がまた可愛いので気にもならなかった。
「ノア、毛先が焼けちゃってるけど、切る?」
私の髪を丁寧に洗って煤を落としてくれていたカインが不意に言った。シャンプーからは柑橘系の爽やかな香りが漂っていて、とても気分がいい。
「どのくらい切ることになりそう?」
「そんなに長くはないかな。5センチくらい?」
「じゃあ切って。」
「鋏借りてくるね」
そう言って、彼は服についた泡を手で払うと浴室を出ていった。私は浴槽の淵にもたれ掛かって天井を見上げた。
 丸田がそのまま使われた、雰囲気のあるロッジである。ファンタジーに出てくる山小屋とは、まさにこういうものだろうか。
 お湯が少しずつ冷めていくのがわかる。熱湯よりも、ぬるいお湯に長く浸かるのが好きだ。少し手にお湯を掬うと、ほんのりと木の匂いがする。心地いい香りだった。
「お待たせ。」
カインがズボンの裾を捲りながら、鋏を片手に戻ってくる。そして、先ほどと同じ位置に座り直すと、彼はサクサクと私の髪に鋏を入れ始めた。
「カイン、裾を捲っても座っちゃったらお尻濡れちゃうよ?」
「椅子に座ってるから大丈夫。」
「椅子はぬれてないの?」
「俺が座ってたからね」
 本当に色々な意味で心地の良い場所だ。私がいていい場所なんて、どこにもないと思っていたのに…
(そうだよ、私なんて鎖に繋がれて飼われているような人間だった。それなのに、今こうして生活しているなんて、夢みたいなものだ。)
「ノアー、起きてますかー?」
頭のてっぺんをつんつんとつつかれて我に返る。
「ぶふっ」
鼻までお湯に浸かってしまい、噎せ返る。
「終わったよ」
「あっ、えと、どうも」
「じゃあ、逆上せる前に上がりな」
「うん」
促されるままに湯船を出ると、少し立ち眩みがした。そのままバスタオルが掛けられているドアの前まで行くと、後ろで鋏を片付けていたカインが徐に口を開いた。
「ノア、痩せた?」
「うん?」
「前よりも、肋が浮いて見える。」
「そう?痩せた気はしないけど…」
「今身長は?」
「148かな。」 
「体重は?」
「前にアンさんの所で測った時は…38だったかな」
「…軽すぎるワケだ。」
彼はこちらに歩み寄ると、タオル生地で出来たバスローブを私に被せるように着せた。
「帰ったらもう一回健康診断だな」
困ったように笑い、カインは持っていたタオルを私の頭にかけてガシガシと撫でた。

 ベッドに入ると、ラズベリーがふわりと香った。ピンクの枕はベリーの汁で染めたらしい。私はその枕にうつ伏せに顔を埋めた。
「ん~、いい香り!」
「国が違うと気の遣い方が違うんだね」
私がバタバタと足を動かすと、ごろっと隣に横になったカインが私の両足に自分の足を載せた。動かないように抑えられているようだ。
「ベッドの上で暴れるな。安静にしないと赤ちゃん可哀想だよ」
「あ…」
私が慌てて仰向けになると、幼いやんちゃな子供を見守る父親のような顔で彼は私を見た。それから、私の髪をひと房すくってサラサラと流した。
「まだ少し湿っぽいかな」
「大丈夫だよ。私、乾かさないで寝ちゃうこともあるし。」
「風邪ひくぞ」
「ひかないもん」
開いた窓から風がゆるく吹き込んで、蝋燭の炎を揺らした。それを見ていると、なんとも言い難い感情が湧いてくるのはなぜだろう。
「…眩しい。消して?」
「もう?」
「うん。明るいところは苦手みたい、私。」
「そっか。」
そう言うと、カインはいつかのように指先で炎を揉み消した。
 一瞬の間を置いて暗闇に目が慣れる。消えた蝋燭の芯から細く煙が上がっていた。
「熱くないの?」
「え、こうやって消すものでしょ?」
「ん?」
「え?」
「…まぁいいや。」
 
 今夜は新月だった。夜の帳に包まれて、部屋の中も暗い。ただ、静寂だけが耳について、かすかな風の音が耳を撫でる。私は何となくごろりと横を向き、カインに背中を向けた。
「…私、やっぱり気がかりなの。」
「何が?」
「これは、私の生い立ちに問題があるのかもしれないけど、心の底から誰かを受け入れることをどこかで拒んでる。」
「うん」
「貴方のことは、本当に感謝しているし、信じられない理由なんて無いのに…」
「うん」 
「ねぇ、どうして?こんなにも温かい存在を、どうして私は疑ってしまうの?」
「…それでいいんだよ。」
「え?」
「努力で好かれても嬉しくない。だったら、ちょっとの警戒とともに信じてもらって、少しずつ慣れていくほうが、時間はかかるけど俺は嬉しい。」
後ろから緩く抱きしめられて、伸びた手は私のお腹に触れる。いたわる様にそっとなでられるとくすぐったさを隠しきれない。
「…くっふ」
「ん?何?」
「ふぇあっ」
「あ、そっか。ツボは変わらないんだね」
「ツボ?」
「昔からノアがくすぐられた時に弱いツボ」
「何でそんなこと知ってるの!!!」
「向こうの世界でよく悪戯してた」
「えぇ!?」
何やってるの…。そんなにフレンドリーだったわけ??覚えていないのが本当に申し訳ない…。
「可愛くてしょうがなかったからね~あの頃から。やっぱり兄妹で生まれるべきかなって悩んだんだけど、今こうしていられるならこれで良かったよ」
首筋に吐息が触れる。懐かしさを感じないでもないが、何だかもどかしい気分になる。
「それじゃあ一つ、俺の秘密を話そうかな」
唐突に彼は言った。そして、まるでぬいぐるみを抱くように私を両腕で抱き竦めて、カインは私の後頭部に自らの額を軽くつけた。
「秘密?」
「そう、誰にも話したことのない秘密。」
どうにも様子がおかしい。いつも大人びている彼が、少し幼いような態度をとるからだろうか。
「…聞かせて?」
「うん」
彼は小さく深呼吸すると、意を決したように話し始めた。

「実は、俺には許婚がいたんだ」
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