神聖なる悪魔の子

らび

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24. 知恵と芸術の女神

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カインside

 揺れる飛行機の中、誰も乗っていない小型旅客機の最後列の座席の間の通路に、俺はリリノアと座っていた。椅子よりも床の方が楽だと言うのでそうしたのだが、果たしてどうしたものか、彼女の呻き声は止まない。俺の膝に敷いたタオルに顔を埋めて、声を押し殺すように耐えているようだ。
 情けないことに、俺はその小さな頼りない背中を摩ってやることしか出来ない。大丈夫?なんて聞いたところで、大丈夫ではないのだから。
 陣痛には波がある。長い人は丸1日や2日かけて出産に至るそうだが、リリノアはどうなるのだろうか。既に、間隔は狭くなってきている。
「ふぅぅ…うぐぅ…」
「しっかりしろ、リリノア。もう少しだから」
あぁもう、どうしてやればいいんだ?
 俺はリリノアの肩を軽く叩き、正気を保つように促す。
「落ち着け、何も考えなくていいから、耐えるんだ」

もう少し、もう少しだ。
 俺は半ば自分に言い聞かせるようにそう言った。

●●●
アネモネside

 車に積むべきものを積み終えて、最終確認をする。余裕があれば、うちかリリノアの家に連れて帰って、落ち着いた場所で出産できるのが何よりだ。しかし、そんな悠長なことは言っていられないかもしれない。もう陣痛が来てしまっていて、破水とくれば早産は目に見えている。死産だけは免れねばとそれだけを思い、確認を終えてトランクを閉めた。

「リリノアが生まれた日を思い出すなぁ。確か、あの時のレア様も早産で、命懸けのお産だった。」

そう、あの年は、ブルードの一族で長く産婆を務めていた女性が病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだった。そこで、一族は一度自らの手で遠ざけた娘である私を頼ってきたのだった。未熟だった私の初の大仕事でもあって、こちらの心臓が止まってしまいそうだった。
 しかし、当主様のお産に立ち会えることなんて一生に一度あるかないかくらいのことだと思っていた私には夢のようで、生まれてきた赤子を母親より先にこの腕で抱き上げた時の感情は何とも表現し難いものだった。

「さて、迎えに行ってやるとするか。」

物思いに耽りながら、玄関に鍵をかける。そのまま荷物を積んだワゴン車に乗り込み、私は自宅を後にした。

ヴーッ…ヴーッ…

ポケットの中でケータイが揺れる。誰からの着信だろうと、車を発進する前に開いてみると、そこには見慣れた弟の名前が上がっていた。
 電話かよ、と思いながら片耳にイヤホンをはめ、電話に出る。そのままアクセルをゆっくりと踏み込み、空港に向けて出発した。

●●●
カインside

 あと1時間くらいで空港に到着する、というところで姉さんに電話をかけた。
『もしもし?カイン』
「あ、姉さん。あと1時間で到着する。」
『もう家を出たよ。』
「そう…で、迎えに来てもらっても、家に帰る時間は無さそうなんだ。」
俺は膝の上で悶えるリリノアの頭を支えるように手を添えた。彼女は今、声を押し殺すので精一杯のようで、何を呼びかけても返事が来なくなってしまった。
『何かあったのか』
「何って言うわけじゃなくて、陣痛の波の間隔がかなり狭くなっている。」
『子宮口は開いている?』
「そんな奥の方にあるモノが見えるかよ」
『産道のことだよバカイン。直径10cm開いていれば全開なんだ、そうなっていればいつ生まれてもおかしくない。』
「今は脚にノアがしがみついているから見えないよ。」
『…役立たず』
「はぁ!?」

●●●
××××side

 ラミアは見つかったのかしら…?
 送り出した使者からの連絡もなく、ただ刻一刻と過ぎる時間に無性に腹が立って、白い大理石のテーブルを爪の先で叩く。ガーデンテラスは今日も今日とて穏やかな光に包まれていて、時の流れを感じさせない。
「…バカアルロ、どうして連絡の一つもよこさないの!?」
連絡用の、水を張った丸いお皿をそっとのぞき込む。こんな原始的な呪いのやり方でしか連絡が取れないなんて…向こうの次元では携帯電話という便利があるというのに、ちょっとズレた世界だからって違いすぎない?

『あっ、もしもーし?』

覗いていた水面が唐突に揺れる。
「遅いわよバカ!」
『いやいやいや、頑張ってた私に開口一番それですか、ルリア様!!』
「いいからさっさと現状報告なさい!!!」
『全く…えっと、ラミアどこにも見つからないんですよ。でも、リリノア様は帰国なさったそうなので、まぁ魔の手は逃れたんじゃないですか?』
「あんた本当に馬鹿なのね。相手は真人間じゃないのよ?抜かりなく頼むわ。もう少し偵察してらっしゃい」
『はぁい』

水面が鏡面に戻る。静かな池の辺、2羽の白い水取りが音もなく着水して滑らかに泳ぎ出す。

 あぁ、私がこの脚でそちらに行って、この手で貴女を守ってあげられたなら。

●●●
カインside

 空港につくと、ストレッチャーを携えた救急隊員と思しき人間が2人ほど待っていた。
「カイン様、リリノア様でお間違いないですね?」
片方がこちらに一歩近づいてくる。
 もう下手に抱き抱える事はできないので、俺はリリノアに肩を貸す形で彼女を移動させていた。
「アネモネ様がお待ちです、どうぞこちらへ、」
「触るな」
ノアに手を伸ばしてきた1人を睨みつける。何者にも、指1本触れさせたくないと思った瞬時の行動だった。
「ストレッチャーの固定ベルトを外せ。そんな事もせずに待っていたなんて、準備の段階で手を抜きすぎではないか」
わざと目を細めて言うと、2人は怯えたように頭を垂れた。
「さっさと動いてくれ。姉さんはどこにいるんだ?出来るだけ揺らさないように移動させるんだ。」
申し訳なさそうにしていたものの、彼らも腐ってもプロだったようで、手際よく動いてくれる。

「アネモネ様はロビー待合室でお待ちです。そちらへ向かいましょう」
「分かった、誘導しろ」
激しく揺れることのないように注意しながら駆け足で移動する。緊急用の通路を通らせてもらい、近道に近道を重ねてアンのもとへ出た。
「姉さん!」
「カイン!ノアの容態は!?」
「まだ大丈夫だ、出来るだけ横にならせて重力には逆らわせてきたから」
「よし、いい判断だ。」
アンはストレッチャーに横向きに寝かせられたリリノアの脚の方に周り、彼女のワンピースを太股まで捲り上げ、上にある脚を持ち上げた。
「もう10センチは開いているじゃないか。連れて帰っている時間は無い、ここで産ませよう」
「ここで!?」
「じゃあカイン、お前はそこに座れ。脚を開いて座って、間にノアを挟んで固定してやれ。」
「えっ!?」
「本当は頑丈な肘掛のついた椅子があればいいんだが、ベンチシートしかないんだよ。だからお前が支えろ」
「お、おう」
言われたとおりに座ると、アンはノアを抱え上げて俺の元に連れてきて、座椅子に座らせるようにノアの背中を預けてきた。脇からノアを抱えるように体勢を整えると、荒い息とともに声を漏らしている彼女の頭をアンはぽんぽんと撫でた。
「いい子だね、リリノア。普通の妊婦は陣痛の痛みを叫ばずに耐えるなんて至難の技なんだよ?でももう我慢しなくていいよ。もう少しだ、頑張れ」

 未だかつて聞いたことの無いような、空気を割るような甲高い声があたりに響き渡る。まだ若すぎる幼い少女の悲鳴は嫌に生々しく、産む者に命の重みを刻みつけ、思い知らせているように見えた。
「よし、もう力んでいいぞノア!頭が出るよ~、ゆっくりゆっくり!」
聞こえているのか聞こえないのか、ノアは息も吸うのもやっとのように涙を流しながら叫び続けた。そして彼女の身体が大きく仰け反り、苦痛が最高潮に達した。と、その時。

「産まれたよ!」
一瞬の静けさを残して産声が響く。
アンは取り上げた赤子を手早くバスタオルに包むと、隣に用意してあったバスケットに寝かせた。
「元気な、女の子だよ。」
静かにアンはそう告げる。ノアは脱力しきって呼吸だけを荒らげていた。
「カイン、まだ終わってない。後産がくるはずなんだけど…」
アンが挟みのような形状の器具と懐中電灯を使って中をのぞき込んでいるようだった。その表情には未だ焦りが浮かんでいる。
「…なぜ出てこないんだ」
 それから数分待っても残された胎盤が出てくる様子はない。このままだと、子宮内に残った物が腐り始めてしまう。
「やっぱり産道が狭すぎたんだ…奥で詰まっている可能性がある。仕方ない、掻き出すぞ」
「掻き、え!?」
「暴れるかもしれないからしっかり抑えていろよ」
理解出来ないうちに、アンはいつの間にかバールのような器具に持ち替え、それを慎重に、先ほど子供が通ってきた道へと差し込んでいく。
 何かを感じ取ったらしいノアは、朦朧として細く目を開けたが、その表情は一瞬で苦痛へと舞い戻った。
「なに、をしてい、るの…?痛い、違う…さっきとは、違…痛いっ…やぁっ…痛いよ、やだっ…!」
少しずつ、脱力しきっていた彼女の四肢に力がこもっていくのが分かる。それと同時に、急激に体温が上がっていき、ノアの頬は真っ赤に染まっていた。
「発熱してる…姉さん急いで!」
「くそっ、早く出てこい!」
 鈍く、肉を引っ掻くような音が微かに聞こえる。その度にノアは暴れ、叫び、涙と汗で首筋までを汚していた。
 ズルズルと音を立てて何かが流れ出てくる。
「出たかっ!?…」
「…」
血まみれになった金属製のその器具を一度抜き取って、自然と全てが流れ出るのを待つ。しかし、明らかに少な過ぎた。
「ダメか…ノア、もう1回だ!」
「いやだぁっ!離して、もうやだ!」
いつも冷静で、大人に見えた彼女は今、どこまでも幼い子供のように再び暴れ始める。しかし逃げることなど出来ない。

 リリノアの叫び声はその後も続き、空港のフロアーが静けさに包まれたのは、朝日が登りかけた頃だった。まるで拷問の様だった処置は無事に終わり、彼女自身は眠ったのか気絶したのか、全てが終わった瞬間に一瞬で気を失った。広い待合室の中、血生臭さと赤ん坊の泣き声だけが、妙に生々しく残っていた。

●●●
リリノアside

 真っ白な世界の中で、いつかの優しい声が私を包んでいた。どこからでもなく、私の頭の中に響くその声は、確かにこう言っていた気がするのだけれども…。幻聴かな?だって、私は。

『おめでとう、新たなる生命の誕生よ。今ここに、知恵と芸術の女神アテナの誕生をお祝いします。』

 ふと、右足の指先に柔らかな何かが触れた。ゆっくりとそちらを見ると、薄い茶色と濃い茶色の縞模様をした、少し大きな鳥の羽根が落ちていた。

「メンフクロウの…羽根?」

 これは、何を意味するのだろう。
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