神聖なる悪魔の子

らび

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27. エウローペー

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カインside

 空港の待合室で、リリノアは不安げに俺の手を握りしめて黙っていた。
 本邸にレア様を送り届け、その足で旅に踏み出した。そして今、俺達の待つ部屋はあの場所…ノアが命を懸けた場所だった。もちろん、今日のこの場所は飛行機を待つ人々で賑わい、あの割れそうに凍りついた空気も、血生臭い現実も跡形も無く消え去っている。
「ねぇ、カイン」
「うん、どうしたの?」
「クレーテー島ってどこにあるの?」
「あぁ、ギリシャ共和国の島で、地中海に浮かんでいるんだよ。」
「大きいの?」
「まぁ、ギリシャで一番大きな島だね。」
「…またエキドナに会えるかしら?」
「どうだろうね。俺達が滞在するのは島だから。本土にいる時間は短いだろうね。」
「そっか…」
そこまで言うと、ノアはこてんと身体をこちらに預け、小さく肩を震わせたかと思うと欠伸を噛み殺していた。
「眠いの?ノア。」
「ううん、眠いわけじゃないの。」 
「無理しなくていいよ?」
「大丈夫…」
そうは言ったものの数分後には、彼女は小さな寝息を立て始めた。
「…もう少し、頼ってくれていいんだよ?」
聞いていないだろう彼女に向かって囁き、脱いであった上着を彼女の肩にかけてやった。
 飛行機に搭乗するまで、あと30分足らず。本の束の間だけれど、ノアの苦痛の記憶が薄れるなら、眠ってしまえと思ったのを、彼女は気づいていただろうか?

●●●
リリノアside

「やっと着いたね、カイン」
「長旅お疲れ様ね。」
「今回は墜落しなくてよかった…」
「毎度毎度、そんなに落ちられても困るよ。」
「でもカインがいれば運転できるでしょ?」
「俺が運転できるのって車だけなんだけど」
「えぇっ!?」
でも、前回のあの飛行機墜落事件の時は、カインは確か…操縦室に入ってパイロットと代わろうとしてたって…。
「あの時は、なんとなく出来る気がしたんだよね~」
「…そうなの」
もう言葉を失った。

 そんな会話をしながら、空港を出てタクシーを拾う。ギリシャの言葉は、いつの間にか理解できるようになっていたのだが、そんなものなのだろうか。
「お客さん、どちらまで向かわれますか?」
「クレーテー島まで行きたいんです。」
「えっ、何故飛行機を使わないんですか」
「「飛行機で行けるんですか!?」」
 私もカインも、島に行くという事は完全に船だと思っていたが、その予想は外れていたらしい。
「えぇ、いけますとも。お客さん旅行ですか?普通はツアーに組まれてる筈なんですが…」
「いいえ、尋ね人なんです。俺達は旅行できたのではありませんが…もう少し下調べをしておくべきでした。」
「それは仕方の無いことです。お急ぎで無いなら、明日の便をご予約なさってはどうでしょう?」
「そうですね、そうします。」
私たちはそのタクシーに乗ることなく、その場で頭を下げてドアを閉めた。

「さて、予約も済んだことだし、今夜の宿でも探すか。適当に近場のホテルで泊まれるところがあるといいんだけど…」
いつの間に換金したのか、カインの持っている財布には見慣れない紙幣が何枚も入っていた。
「私はどこでもいいよ?」
「まぁ、この辺りを当たってみよう」
 それぞれの荷物を手に取り、今度は歩いて空港を後にする。
 宿探しに、それほど時間はかからなかった。本当に近くのビジネスホテルに空きがあったので入れてもらえたのだ。窓の外を見ると、そこはもう夜の闇に包まれていて、人工の光だけがキラキラとしていて、どこか緊張が解けないままでいるのか落ち着かない。
「ここの空港の名前、アテネなのね。」
「うん。」
ベッドの上に座って窓の外を見る私の反対側に、カインも腰掛けて何かを広げる。ガサガサとした音に振り向くと、彼はこの国の新聞のような雑誌のようなものを広げていた。
「それ、どうしたの?」
「あぁ、フロントで貰ったんだよ。何か情報掴めないかなって。」
「なるほど」
彼の右肩に顎を載せて後ろからのぞき込むと、見慣れぬ言語が連ねられていて、私は単語でしか理解出来ないので話が見えなかった。しかし、カインの視線の先の文章には写真が載っていた。私と同い年くらいの少女が、楽しそうに笑っている顔写真だ。
「それ、何の記事?なんて書いてあるの?」
「…未解決誘拐事件の被害者だよ。つい最近、姿を消したらしい。」
「名前は?」
「それが書いてないんだよ。年齢は…11歳だって。貴族のお嬢さんらしいけど、あまり有名な一族ではなさそうだ。」
11歳ならば、私よりずっと年下である。なのに私が同い年くらいだと認識したのは、私が13歳くらいからあまり成長していないためだろうか。
「早く見つかるといいね。」
「あぁ。」
ふぅ、と息を吐いて後ろにバッサリと倒れる。ちょっとしたビジネスホテルのあまり高級とは言えないベッドは、高反発で私を押し返した。ぎしりと軋んで、少し硬い印象を覚える。特に何をするでもなくぼんやりと天井を見つめていると、視界の外で新聞を畳む音がした。
「ふぅーっ」
「むぐっ!?」
わざと私の上に背を預けるようにして倒れ込んできたカイン。私は押しつぶされそうになりながら必死に彼の肩をポンポンと叩いた。
「ちょ、カイン!私いるよ!」
「うん~聞こえないぃ」
「ねぇってばぁ!!!」
「分かった、分かったから」
そう言うと、ゴロっと寝返りをうって私の隣に横になる。近くにあった枕を抱き寄せて、彼はうつ伏せの自分の顎の下に敷いて抱えた。
 それを呆然と見る私は、何も考えていなくて思考は真っ白だった。
「平和だね」
「うん」
カインの素朴な一言に、私は小さく頷く。これは、まるで余生を楽しむ老人の長閑な一言にも思えるが、平和であるという事実の重さと広大さを知っている私たちにとっては口にし難い至福の言葉だった。
「さて、もう寝る時間だよ。俺は少しフロントに用があるから、先に寝ていなさい。」
そう言いながら、掛け布団を私の上に広げるカイン。私は横向きになって体を丸めた。この癖はいつになっても抜けそうにない。
「おやすみ」
そう一言残して、彼は電気を消すと部屋を後にした。
 沈黙と暗闇に包まれる小さな部屋。なにが、という訳では無いが、こういう空間には無意識に嫌悪感を抱く。自分を待っていてくれる人がいることを知って、誰もいないことの絶望感を知った。引きずり出された強引な光に包まれた世界を見て、暗闇が盲目になってしまった。私が生きる世界は、宵闇に包まれた場所だというのに。
 太陽の光は今でも好きにはなれない。目が潰されてしまいそうだから。でも、月の光は悪くない。ぼんやりと、すべてを隠しつつ少しだけ見せてくれるから、都合がいい現実逃避となる。
 暗闇になれてきた目が映すのは、誰もいない箱の中のような質素な部屋。もしこのまま、誰も…
「…バカね」
そこまで考えて、私は小さく笑えた。近頃は少し甘やかされすぎていた気がする。あの湖の底で見た幼い自分の姿。あれが本当なら、いまの私は幸せに押しつぶされてもおかしくないだろう。
 カインは、いつだって自分の抱える闇を私には見せてくれない。きっと、私の闇は…過去は知っているだろうに。ヒントもくれない。私のことでさえも。まるで、私に記憶を取り戻して欲しくないかのように。
「…え?」
そうだ。いつもそうだ。彼はどうして私のことを語らないのだろう?思い出して欲しければ、ヒントくらいあたえてしまうのでは?もしかしたら、いっそ思い出さない方がいいと思えるような壮絶な何かが…。
「…そうだよね、カインは無意味な事はしないから。おそらく、何か意味があるんだよね。」
謎の安心感に包まれて、一息ついて目を閉じる。
 いつか、返せる日が来るだろうか。
「やぁ、こんばんは。お嬢さん?」
急に耳元で響いた声が微睡みを破って神経を凍らせる。
「だ、」
「おぉっと。大人しくしててね?お嬢…いや、当主様と呼ぶべきかな?」
誰、と問う前に口を布で塞がれる。ハンカチのようなものを無理やり詰められて顎が痛い。瞬時に、何か薬でも仕込まれているのではないかと思い息を止める。
 聞いたことのないような、明るい…というか、軽すぎるノリの青年の声。誰だろう?
「自己紹介なんてしてる暇はないね。向こうに着いてからゆっくり話してやろう。とりあえず、アイツが帰ってくる前に移動ね~」
私の意思など完全無視でベラベラと話し続けるその男は、ひょいと私を乱暴に抱え上げると、いつの間にか開いていた窓に片足を掛けた。
 そうか、窓から入って…え?ここ、8階だったと思…
「誰だ!」
背後から聞こえる扉の開閉音とカインの声。ちょうど今戻ったらしい。私は思わず必死に声を上げたが、届く事は無かった。少しずつ、意識が遠くなっていく。やはり、この布には睡眠薬か何かが含まれていたらしい。強制的な眠気に持っていかれそうになる意識を保とうと、手を握りしめ掌に爪をくいこませる。古傷が開き、あっさりと血が流れた。生ぬるい、少しベタついたような感触が、ネグリジェの裾に染み込んでいった。しかし、そんな痛みでは歯が立たなかった。
 掠れていく意識の中、最後に聞いたのは見知らぬ青年の声だった。
「クレーテー島で待ってるよ、カイン」
あぁ、この人は私たちの探していた…ゼウスか。そう思うと同時に、みょうな浮遊感を伴って私は気絶した。

●●●

 目が覚めると、天蓋のついたベッドに寝かされていた。1人には広すぎるキングサイズのそれの真ん中に、私はぽつんと横たえられていたようだ。少し頭痛がするのは、きっと薬の効果だろうか?
「目が覚めたかい?ノア様。」
わざとらしく敬称をつけて呼ばれた名前にゆるりと振り向くと、優しい朝日の差し込む窓辺に腰掛けたミルク色に近いブロンドヘアーの青年がこちらを眺めていた。
「貴方は…」
「白々しいな。察しのいい君ならもう気づいているんじゃないの?」
「…ゼウス?」
「やっぱり分かってんじゃん」
よっ、と軽く窓枠から猫のように飛び降りた彼は、しなやかな動きでこちらに歩み寄ってくる。その両手はズボンのポケットにかけられていて、細い金のネックレスをちらつかせているあたり、声のとおりにノリの軽そうな印象を受けた。
「ねぇ、ここはどこなの?カインは?私たち、貴方を探してここまで、」
「はーい、ストップ!」
「えっ、」
「おかしいなぁ、聞いていた話だと君はほぼ無口な人形だったはずなんだけど?」
「…?」
「それに、記憶を無くしてるって?」
「…はい」
「ふぅん」
ギシッと音を立てて私のいるベッドに腰掛けた彼は、自らの手首に通してあったヘアゴムをくわえてカインと同じくらいの長さのその上を無造作に括った。余計な髪が退けられたことでその赤い瞳が覗く。それは、私やカインにも劣らないくらいに紅く染まっていて、しかし紅というよりは赤く見えた。
「…あ、」
コンコン。
 私の言葉を遮るような絶妙なタイミングで部屋の扉がノックされる。どうぞ、と応えたゼウスの言葉に静かに部屋に入ってきたのは、ロングタイプの黒い簡易的なメイド服を着た少女だった。歳は、私と同じくらいだろうか。メイドがいるという事は、ここは民家ではないのだろう。そういえば、この部屋はシンプルではあるがそれなりに広く、視界に入る家具や絨毯はそこそこ高級そうなものばかりだ。ということは、どこかの屋敷なのだろうか。
「どうしたんだい?エウローペー。」
「いえ、老化を通り過ぎた時にお話し声が聞こえたので、ノア様がお目覚めならお召し物を、と思ったのです。」
「あぁ、じゃああとはよろしくね。俺は一度席を外すから。」
トン、とベッドから飛び降りると、ゼウスはひらりと部屋を出ていった。残された私たちはそれを何を思うでもなく見送った。すると、不意にエウローペーと呼ばれたその少女がこちらを見た。グレーがかったショートカットの髪を縦巻きにしていて、薄いピンク色の瞳がフランス人形を思わせる少女。初めてあったはずなのに、どこか親近感を感じるのはなぜだろう?
「リリノア様、お初にお目にかかります。改めまして、私はエウローペーと申します。貴一族の末端の末端に位置するような、ブルードと関わったことがある、程度の一族の出です。ですので、ブルードの名は長らく語ってはおりません。」
「そう、ですか。えっと、知ってるかもしれないけど…リリノアです。ブルードの現党首です。」
「存じております。では、まずはお着替えを。そのままではお風邪を召されてしまいますので。」
それからは、言葉を交わすこともなかった。いつの間にか薄い寝間着を着ていた私だったが、どうやらここに来る途中に雨に濡れて、服を洗ってくれていたのだとか。
 私は凝り固まったような体に鞭打って起き上がると、いつもの要領で渡されたネグリジェに着替えた。背中のリボンがうまく結べなかった気がするが、カインがいないので仕方がない。
…って、
「そうだわ!ねぇ貴女、カインはどこ?」
「カイン、殿ですか?」
「そう!ここはどこなの?私まだ全然理解出来ていないんですけど!」
「あぁ、お連れ様がいたとは伺っております。ここはクレーテー島、それとカイン殿は恐らく、」
バタン!
エウローペーの言葉を遮って、勢いよく部屋の扉が開いた。そこには、見慣れた姿があった。
「ノア、いるか!?」
「カイン!!!」
私は結び直そうとしたリボンを放って彼の元に駆け寄った。両手を伸ばして背の高いカインのウェストに抱きつくと、彼は更にその上から両腕を回して抱きしめてくれる。
「急に攫われたから心配したよ、大丈夫かい?」
彼は両手で私の両頬を包むようにして顔色を確かめていた。
「少し青いじゃないか。どこか具合の悪い、とこ…ろ…」
私の口をこじ開けて舌の根に親指を押し当てた彼は、私の後ろへと視線をずらして息を飲んだ。
「…その子は?」
「えうおーへー」
「あぁ、ごめん…なんだって?」
「その子はエウローペー。ここのメイドさんみたいよ。どうかしたの?」
「…ノア、覚えていないのかい?」
「えっ」
「新聞に載っていた、誘拐された少女だよ」
「…」
私はゆっくりと振り向いた。すると、キョトンとした顔でこちらを眺めている少女と目が合った。
 見覚えの合った彼女。あった事があるわけないのに、知っている気がしたのは何故か?言うまでもない。
「あっ!!!!」
大きな声こそ出なかったが、私の頭の中は十分に動転していた。

 そこにいたのは紛れもない、誘拐されたと新聞に載っていた、写真の中の可愛らしい少女だった。
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