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4. 当主の見た夢
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××××side
やっとあの娘に会えた。この時をどれだけ待ったことか。しかし、残念なことに記憶を無くしているらしい。一緒にいるカインは、私の素性を知ってかあの娘を私から頑なに遠ざけているようだ。だからこうして今も、彼はリリノアを私の手の届かないところに隠してしまっている。そうよね、危険物質をリリノアから遠ざけ、払うために貴方はいるのですものね。
…抜かりのないことで、ちっとも入れやしないじゃないの。でもいいわ、いずれリリノアも知ることになるのだから。きっとカインもそのことを知っているから、今はまだ教えたくないと思っているのね。やっぱり、しっかりした子だわ。
きっとあの子達なら、上手くやっていけるはずよ。
●●●
リリノアside
またあの白の世界に来ていた。でもどこを見てもルリアはいない。今日はいないのかな、なんて思いつつ、ふわふわとした足取りで歩き回る。
何となく、彼女は私のすべてを知っている気がして、だから私は記憶をなくす前の私について聞いてみようと思ったのだ。しかし再び会おうにも、前はどうやって会えたのか覚えてないし、どうすべきかは見当もつかない。
…カラン
「…ん?」
私がなにか蹴ったようで、空き缶を転がすような、それよりもっと重い音が辺りに波紋のように広がった。左足に独特の冷たさを感じ、そこに視線を向けた。するとそこにあったのは、見たこともないような鉄製の矢だった。どうやら本物の銀で出来ているようで、曇りひとつ無く磨かれているように光沢を放っている。どこからかあふれる光を反射したそれは、私の左目には少し眩しかった。思わず目を閉じそうになった時、何かを刻んだような凹凸が足の指先に触れた気がして、ゆっくりと屈んで拾い上げてみた。左手に持って右の手の指先でその感触をなぞるように、傷つけるように彫り込まれたその何かをみた。そこには美しい筆記体で何か文字が彫られていて、人の名前のようだった。
「持ち主かしら…?…アル、テ、ミス…?」
アルテミス、と。確かにそう刻まれている聞き覚えがある名前だが、誰だったかな…?確か前に、カインの口から聞いた気がする。
そう、女神の名前だ。狩猟の民を象って描かれる、毒の矢を持った月の女神だわ。でもどうして、彼女の矢がこんなところに落ちているの?
分からない。分からない。これもきっとなにかのメッセージなのだろうけど。ルリアが言っていた、私の境遇になにか関係があるに違いないのは分かる。でも、この矢が何を意味するのかは全く理解出来ないのよ…。
「あぁ、もう。どうしてこんな大事なこと忘れちゃったの」
行き場の無い苛立ちを、私はまた胸の奥にしまいこんだ。
●●●
「リリノア、時間だよ。そろそろ起きなさい。」
穏やかな声に呼ばれて、眠気で重い瞼をそっと持ち上げると、困ったように笑うカインの顔が見えた。相変わらず端正で美しいと思う。そんなことを思いながら呆然とする私に痺れを切らしたのか、イタズラに笑った彼は私の鼻に優しく人差し指を立てた。その手からはインクの匂いが微かに香り、あぁ、仕事してたのね、なんて思いつつ私もそっと笑い返した。傍から見れば何とも穏やかな光景なんだろうな、と思いながら。しかしそんなひと時を破るように、あのメガネの女性が入ってきた。
「失礼します、リリノア嬢、カイン様。」
私が眠っていることを想定してか、やや控えめにそう言いながら部屋の扉を開けて入ってくる女性。しかし私が起きていると気づくと、眉一つ動かさずにこちらを向いて事務的な口調で言った。
「リリノア様、お召換えの時間です。ドレスルームにお連れしますのでこちらにどうぞ。」
しかし初対面も同然の彼女に付いていくのには少し抵抗があって、許可を求めるようにカインを見る。なんだか少し彼に頼りすぎているだろうか…
「行っておいで。俺は先に会場の方に行って挨拶でも済ませておくから。」
ふわりと頭を撫でられて、言葉もなくその場をあとにする。
そこからドレスルームに着くまで、メガネの彼女は振り向きも、声をかけもして来なかった。少々冷酷なイメージを抱いたが、今の私にはその方がありがたいかな、などと思えて彼女への興味は沸かなかった。
ドレスルームに入るとすぐに、ネグリジェを脱がされて裏地用のワンピースと黒いパーティードレスを着せられた。まるで着替人形にでもなった気分になる。しかし洋風の伝統衣装のようなもので、コルセットまで着用させられると流石に普段ネグリジェの私には苦しかった。
「あの、もう少しゆるく出来ませんか?」
「申し訳ありません、これでもかなり緩めている方なのです。」
「うぅ…」
こんなの着て数時間に及ぶパーティーに参加しなければならないのか。もう既に先が思いやられる…
と、その時にふと、締め付けられたウエストよりやや上の、胸より少し下辺りに鋭い小さな痛みがピリリと走った。何か、針で刺されたような刺激である。
「あの、痛い…です」
「慣れないからでしょう、慣れれば問題ありません。」
きっとこの人に何を言っても無駄だ。そう思って口をつぐみ、カインのところに行くまで我慢しようと歯を食いしばった。
ドレスを着せられた後、簡単に化粧をされてパーティー会場に連れて行かれた。今更ではあるが、本邸であるこの洋館は、ただでさえ驚いた私の屋敷よりもはるかに広いと思う。大理石の柱を惜しまずに何箇所にも使った、白を基調としたシンプルで美しい造りになっており、私はもう言葉をなくしていた。ここは本当に現代社会なの?
「さて、こちらが会場になっております。族長様は約1時間後にお見えになる予定です。立食式のパーティーとなっておりますので、お食事等なさってお待ちください。」
彼女は私に深く頭を下げて、自分の役目はこれで終わりです、と告げているようだった。
「ありがとうございます。」
私も礼儀としての挨拶を返した。しかし彼女の目は既に私など映すしていないようで、早く入れと言わんばかりに会場の扉を少し開いて私を促した。そこからは男性の声が主である話し声で賑わっていた。やや抵抗があるものの、カインの元へ早く帰りたい一心で、迷子になって親を探す子供の心境でその会場に体をすべらせた。
会場内はお酒やアルコールの匂いで溢れており、燕尾服やスーツを着こなした男性が大勢で立ち話や食事をしていた。皆が皆、銀色の髪と赤い目をしていて、本当に1族なんだなぁ、とか思いながらその中にカインを探した。この人数だとなかなかみつからないかとも思ったのだが、案外あっさりと見つかった。なぜなら、彼の白銀色の髪は他の男性陣よりも美しい色をしていたから。同じ一族の同じ銀髪でも、天然物であるが故に、ブロンドに近い銀色もいれば、くすんだ銀色もいて、カインほど白に近く澄んでいて光るような銀は見事にいないのだ。
そしてそれは私も同じだったようで、人をかき分けて通る私を見つけたカインが手を引いてくれた。
「やっと来たんだね。俺を探すの大変だったでしょう。」
「全然。見つけやすかった。」
「なら良かった。特にやらなきゃいけない事も無いし、挨拶もすべて済んだところだから、俺から離れるんじゃないよ。」
まるで子供を諭すような言い方に、私はさっきまで自分が迷子の子供のようだと感じていたのを思い出して可笑しくなった。
「お腹空かない?」
私に気を使ったのか、カインが私を見下ろしてそう尋ねる。別に何も、と答えようと口を開きかけた時だった。
「よーお、カインじゃねぇか。」
1人の20歳くらいの男が近付いてきた。私は咄嗟にカインの影に隠れると、彼も私を隠すように立ってくれる。ありがたい事に私の体は140cmにも満たない程度に小さいから、完全とまでは行かないがそれなりに隠れられる。
「どうも、兄さん。お元気でしたか?」
「あぁ、お陰様でな。」
なんだか雰囲気が似てるな、とか思っていたら兄弟だったのね。うん、お兄さんも優しそうな面立ちだけどカインの方が頼りあるな…なんて。のんきに考えていたのも束の間だった。
「ん?カイン、お前の後ろに誰かいるな。って、あぁ、リリノア嬢?」
バレた。まぁ、隠し通せるとは思ってなかったけどね。しかし私は少し人見知りなようで、怖くてたまらなくなってドレスの裾を握りしめた。
「あー、まぁな。そう、リリノアだ。」
カインが仕方なしにそう答えると、兄といったその男は抜が悪そうに頭をかきながらソワソワし始めた。
「そ、そうか。あ~、俺まだ挨拶行かなきゃならない人いるんだわ。じゃあ、またなー」
無理にこじつけて離れていったように見えたのは気のせいでは無かったようで。肩の力が抜けた私を見ながら、カインが私に囁いた。
「気にするんじゃないよ。あんなやつ、向こうがおかしいんだから。君は普通にしていていいんだからね。」
それは、彼が彼自身に言い聞かせているようでもあった。
「ん?ノア、靴のリボンが解けてるよ。踏まないうちに結んだほうがいい。」
「あ、ほんとだ。」
言われて見ると、靴を固定していた足首のリボンが解けている。確かに踏んでしまいそうだ、と思いながら屈み込んでリボンに手を伸ばすと。
ピリッ…
「うっ」
忘れていた針のような痛みが再び体を刺した。しかも、先ほどとは比べ物にならないくらい深く刺さったように思える。思わず変な風に力がこもって体が強張り、私はしゃがみこんで立てなくなった。
「…ノア?どうしたんだい?」
慌てて隣にかがみ込み、私の顔を覗きこむカイン。しかし、何かを伝える前にじわりと温かいものが胸の下に滲むのがわかった。そっと手を当ててゆっくりとその手を顔の前に持ってくると、真っ赤に染まっていた。
「あ、あぁ…」
「ノアッ!?どうした、何があったんだい?」
尚も小声で聞いてくる彼。ことの異常さには気づいたようだ。確かに、周囲の人間に気づかれては面倒だ。だから小さな声で話してくれるのはいい。でも、このままでは血も滴り始めているし、他の人に気づかれて大事になるのは時間の問題だ。出血のせいか、クラりと意識が揺らぐ。
しかし、何も伝えないわけにはいかない。私は薄れていく意識の中で、必死に「針、が…刺さって…」と伝えた。
「針…?」
気が付くと、私の周りは血だまりになっていた。あぁ、大事にはしたくなかったのにな。そう思った時だった。
ピシャリ、と何か冷たい液体を頭からかぶった。それはドレスをしっとり濡らして血だまりの上に流れ落ち、血液を隠していく。香るのは葡萄とアルコールの匂い。葡萄酒だった。次の瞬間には、ガシャン、とガラスの割るような音が響いた。
「あ、ゴメンよリリノア。僕が手をすべらせたばっかりに…。立てるかい?」
カインが私に手を伸ばしている。そうか、赤い葡萄酒で血を隠し、この場から退散するために演技してくれているのか。しかし、周りはざわついて収まらない。
「なんだ?グラスが割れた気がしたが。」
「誰か落としたんじゃないのか?」
「あの蹲っているのは…」
「リリノア様?」
「でもグラス落としたのはカイン殿ではないか。」
「でもあいつ、酒飲むようなやつだったか?」
私たちに注目が集まっているのは明白だった。
そのまま肩を貸してもらってなんとか立ち上がり、出口に向かう。カインが扉を開けて振り返り、唖然として見つめる大勢の人たちに告げた。
「すみません、突然お騒がせしました。ノアも着替えを持ってきてはおりませんし、今日はこのへんで失礼させていただきます。」
丁寧に言うと、彼は頭を下げて私をそっと抱き上げた。私の状態をどこまで把握しているのか、痛くないように気を遣ってくれているのがわかった。
そのまま廊下に出てカインの部屋にまっすぐ向かい、ベッドの上に優しく下ろされた。一度刺さってしまった針(?)はまだそのままであるようで、声をだそうとすると肺が痛むのがわかる。
「ノア、ドレスを脱ぎなさい。」
「…だめっ…痛い…苦しいの」
「分かった。ゆっくり脱がせるから痛かったら言え。でも多少は我慢してくれよ?」
そう言うと彼は私の隣に座り、ゆっくりとボタンやホックを外し始めた。割れ物に触るような手つきで、それでも手際よくことを進めるもので、痛みも苦しみも悪化する様子はない。
「さて、少しでもいいから腕上がるかな?」
「うん…」
そっと腕を上げると、するりとドレスを剥がされ、白い下地のワンピースが覗く。しかしそれは既に白の無地ではなくなっていて、赤黒くなった血が滲んで、所々は薄い赤のワインのシミが出来ている。
出血が治まっている様子はなく、少しずつ遠のいていく意識が本格的に薄れ始めた。
「これは…ちょっと失礼するよ。」
そう言うとカインはワンピースの裾から手を入れて刺さっているものを抜き取った。
やはりそれは針のようなもので、縫い針よりは少し長い、医療などで使うものに見えた。その針の先端を少しなぞった彼は、その指の匂いを嗅いで目を見開いた。
「まずい…しっかりしろ、ノア。これはアルテミスの毒を薄めたものだ。意識はあるかい?」
「うん…まだ、ね…でも…」
ある、けど。もう限界のようだ。視界が霞んで景色が揺らいだ。
そしてそのまま、背後にいるカインに寄りかかるようにして身体をあずけて眠りに落ちた。
やっとあの娘に会えた。この時をどれだけ待ったことか。しかし、残念なことに記憶を無くしているらしい。一緒にいるカインは、私の素性を知ってかあの娘を私から頑なに遠ざけているようだ。だからこうして今も、彼はリリノアを私の手の届かないところに隠してしまっている。そうよね、危険物質をリリノアから遠ざけ、払うために貴方はいるのですものね。
…抜かりのないことで、ちっとも入れやしないじゃないの。でもいいわ、いずれリリノアも知ることになるのだから。きっとカインもそのことを知っているから、今はまだ教えたくないと思っているのね。やっぱり、しっかりした子だわ。
きっとあの子達なら、上手くやっていけるはずよ。
●●●
リリノアside
またあの白の世界に来ていた。でもどこを見てもルリアはいない。今日はいないのかな、なんて思いつつ、ふわふわとした足取りで歩き回る。
何となく、彼女は私のすべてを知っている気がして、だから私は記憶をなくす前の私について聞いてみようと思ったのだ。しかし再び会おうにも、前はどうやって会えたのか覚えてないし、どうすべきかは見当もつかない。
…カラン
「…ん?」
私がなにか蹴ったようで、空き缶を転がすような、それよりもっと重い音が辺りに波紋のように広がった。左足に独特の冷たさを感じ、そこに視線を向けた。するとそこにあったのは、見たこともないような鉄製の矢だった。どうやら本物の銀で出来ているようで、曇りひとつ無く磨かれているように光沢を放っている。どこからかあふれる光を反射したそれは、私の左目には少し眩しかった。思わず目を閉じそうになった時、何かを刻んだような凹凸が足の指先に触れた気がして、ゆっくりと屈んで拾い上げてみた。左手に持って右の手の指先でその感触をなぞるように、傷つけるように彫り込まれたその何かをみた。そこには美しい筆記体で何か文字が彫られていて、人の名前のようだった。
「持ち主かしら…?…アル、テ、ミス…?」
アルテミス、と。確かにそう刻まれている聞き覚えがある名前だが、誰だったかな…?確か前に、カインの口から聞いた気がする。
そう、女神の名前だ。狩猟の民を象って描かれる、毒の矢を持った月の女神だわ。でもどうして、彼女の矢がこんなところに落ちているの?
分からない。分からない。これもきっとなにかのメッセージなのだろうけど。ルリアが言っていた、私の境遇になにか関係があるに違いないのは分かる。でも、この矢が何を意味するのかは全く理解出来ないのよ…。
「あぁ、もう。どうしてこんな大事なこと忘れちゃったの」
行き場の無い苛立ちを、私はまた胸の奥にしまいこんだ。
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「リリノア、時間だよ。そろそろ起きなさい。」
穏やかな声に呼ばれて、眠気で重い瞼をそっと持ち上げると、困ったように笑うカインの顔が見えた。相変わらず端正で美しいと思う。そんなことを思いながら呆然とする私に痺れを切らしたのか、イタズラに笑った彼は私の鼻に優しく人差し指を立てた。その手からはインクの匂いが微かに香り、あぁ、仕事してたのね、なんて思いつつ私もそっと笑い返した。傍から見れば何とも穏やかな光景なんだろうな、と思いながら。しかしそんなひと時を破るように、あのメガネの女性が入ってきた。
「失礼します、リリノア嬢、カイン様。」
私が眠っていることを想定してか、やや控えめにそう言いながら部屋の扉を開けて入ってくる女性。しかし私が起きていると気づくと、眉一つ動かさずにこちらを向いて事務的な口調で言った。
「リリノア様、お召換えの時間です。ドレスルームにお連れしますのでこちらにどうぞ。」
しかし初対面も同然の彼女に付いていくのには少し抵抗があって、許可を求めるようにカインを見る。なんだか少し彼に頼りすぎているだろうか…
「行っておいで。俺は先に会場の方に行って挨拶でも済ませておくから。」
ふわりと頭を撫でられて、言葉もなくその場をあとにする。
そこからドレスルームに着くまで、メガネの彼女は振り向きも、声をかけもして来なかった。少々冷酷なイメージを抱いたが、今の私にはその方がありがたいかな、などと思えて彼女への興味は沸かなかった。
ドレスルームに入るとすぐに、ネグリジェを脱がされて裏地用のワンピースと黒いパーティードレスを着せられた。まるで着替人形にでもなった気分になる。しかし洋風の伝統衣装のようなもので、コルセットまで着用させられると流石に普段ネグリジェの私には苦しかった。
「あの、もう少しゆるく出来ませんか?」
「申し訳ありません、これでもかなり緩めている方なのです。」
「うぅ…」
こんなの着て数時間に及ぶパーティーに参加しなければならないのか。もう既に先が思いやられる…
と、その時にふと、締め付けられたウエストよりやや上の、胸より少し下辺りに鋭い小さな痛みがピリリと走った。何か、針で刺されたような刺激である。
「あの、痛い…です」
「慣れないからでしょう、慣れれば問題ありません。」
きっとこの人に何を言っても無駄だ。そう思って口をつぐみ、カインのところに行くまで我慢しようと歯を食いしばった。
ドレスを着せられた後、簡単に化粧をされてパーティー会場に連れて行かれた。今更ではあるが、本邸であるこの洋館は、ただでさえ驚いた私の屋敷よりもはるかに広いと思う。大理石の柱を惜しまずに何箇所にも使った、白を基調としたシンプルで美しい造りになっており、私はもう言葉をなくしていた。ここは本当に現代社会なの?
「さて、こちらが会場になっております。族長様は約1時間後にお見えになる予定です。立食式のパーティーとなっておりますので、お食事等なさってお待ちください。」
彼女は私に深く頭を下げて、自分の役目はこれで終わりです、と告げているようだった。
「ありがとうございます。」
私も礼儀としての挨拶を返した。しかし彼女の目は既に私など映すしていないようで、早く入れと言わんばかりに会場の扉を少し開いて私を促した。そこからは男性の声が主である話し声で賑わっていた。やや抵抗があるものの、カインの元へ早く帰りたい一心で、迷子になって親を探す子供の心境でその会場に体をすべらせた。
会場内はお酒やアルコールの匂いで溢れており、燕尾服やスーツを着こなした男性が大勢で立ち話や食事をしていた。皆が皆、銀色の髪と赤い目をしていて、本当に1族なんだなぁ、とか思いながらその中にカインを探した。この人数だとなかなかみつからないかとも思ったのだが、案外あっさりと見つかった。なぜなら、彼の白銀色の髪は他の男性陣よりも美しい色をしていたから。同じ一族の同じ銀髪でも、天然物であるが故に、ブロンドに近い銀色もいれば、くすんだ銀色もいて、カインほど白に近く澄んでいて光るような銀は見事にいないのだ。
そしてそれは私も同じだったようで、人をかき分けて通る私を見つけたカインが手を引いてくれた。
「やっと来たんだね。俺を探すの大変だったでしょう。」
「全然。見つけやすかった。」
「なら良かった。特にやらなきゃいけない事も無いし、挨拶もすべて済んだところだから、俺から離れるんじゃないよ。」
まるで子供を諭すような言い方に、私はさっきまで自分が迷子の子供のようだと感じていたのを思い出して可笑しくなった。
「お腹空かない?」
私に気を使ったのか、カインが私を見下ろしてそう尋ねる。別に何も、と答えようと口を開きかけた時だった。
「よーお、カインじゃねぇか。」
1人の20歳くらいの男が近付いてきた。私は咄嗟にカインの影に隠れると、彼も私を隠すように立ってくれる。ありがたい事に私の体は140cmにも満たない程度に小さいから、完全とまでは行かないがそれなりに隠れられる。
「どうも、兄さん。お元気でしたか?」
「あぁ、お陰様でな。」
なんだか雰囲気が似てるな、とか思っていたら兄弟だったのね。うん、お兄さんも優しそうな面立ちだけどカインの方が頼りあるな…なんて。のんきに考えていたのも束の間だった。
「ん?カイン、お前の後ろに誰かいるな。って、あぁ、リリノア嬢?」
バレた。まぁ、隠し通せるとは思ってなかったけどね。しかし私は少し人見知りなようで、怖くてたまらなくなってドレスの裾を握りしめた。
「あー、まぁな。そう、リリノアだ。」
カインが仕方なしにそう答えると、兄といったその男は抜が悪そうに頭をかきながらソワソワし始めた。
「そ、そうか。あ~、俺まだ挨拶行かなきゃならない人いるんだわ。じゃあ、またなー」
無理にこじつけて離れていったように見えたのは気のせいでは無かったようで。肩の力が抜けた私を見ながら、カインが私に囁いた。
「気にするんじゃないよ。あんなやつ、向こうがおかしいんだから。君は普通にしていていいんだからね。」
それは、彼が彼自身に言い聞かせているようでもあった。
「ん?ノア、靴のリボンが解けてるよ。踏まないうちに結んだほうがいい。」
「あ、ほんとだ。」
言われて見ると、靴を固定していた足首のリボンが解けている。確かに踏んでしまいそうだ、と思いながら屈み込んでリボンに手を伸ばすと。
ピリッ…
「うっ」
忘れていた針のような痛みが再び体を刺した。しかも、先ほどとは比べ物にならないくらい深く刺さったように思える。思わず変な風に力がこもって体が強張り、私はしゃがみこんで立てなくなった。
「…ノア?どうしたんだい?」
慌てて隣にかがみ込み、私の顔を覗きこむカイン。しかし、何かを伝える前にじわりと温かいものが胸の下に滲むのがわかった。そっと手を当ててゆっくりとその手を顔の前に持ってくると、真っ赤に染まっていた。
「あ、あぁ…」
「ノアッ!?どうした、何があったんだい?」
尚も小声で聞いてくる彼。ことの異常さには気づいたようだ。確かに、周囲の人間に気づかれては面倒だ。だから小さな声で話してくれるのはいい。でも、このままでは血も滴り始めているし、他の人に気づかれて大事になるのは時間の問題だ。出血のせいか、クラりと意識が揺らぐ。
しかし、何も伝えないわけにはいかない。私は薄れていく意識の中で、必死に「針、が…刺さって…」と伝えた。
「針…?」
気が付くと、私の周りは血だまりになっていた。あぁ、大事にはしたくなかったのにな。そう思った時だった。
ピシャリ、と何か冷たい液体を頭からかぶった。それはドレスをしっとり濡らして血だまりの上に流れ落ち、血液を隠していく。香るのは葡萄とアルコールの匂い。葡萄酒だった。次の瞬間には、ガシャン、とガラスの割るような音が響いた。
「あ、ゴメンよリリノア。僕が手をすべらせたばっかりに…。立てるかい?」
カインが私に手を伸ばしている。そうか、赤い葡萄酒で血を隠し、この場から退散するために演技してくれているのか。しかし、周りはざわついて収まらない。
「なんだ?グラスが割れた気がしたが。」
「誰か落としたんじゃないのか?」
「あの蹲っているのは…」
「リリノア様?」
「でもグラス落としたのはカイン殿ではないか。」
「でもあいつ、酒飲むようなやつだったか?」
私たちに注目が集まっているのは明白だった。
そのまま肩を貸してもらってなんとか立ち上がり、出口に向かう。カインが扉を開けて振り返り、唖然として見つめる大勢の人たちに告げた。
「すみません、突然お騒がせしました。ノアも着替えを持ってきてはおりませんし、今日はこのへんで失礼させていただきます。」
丁寧に言うと、彼は頭を下げて私をそっと抱き上げた。私の状態をどこまで把握しているのか、痛くないように気を遣ってくれているのがわかった。
そのまま廊下に出てカインの部屋にまっすぐ向かい、ベッドの上に優しく下ろされた。一度刺さってしまった針(?)はまだそのままであるようで、声をだそうとすると肺が痛むのがわかる。
「ノア、ドレスを脱ぎなさい。」
「…だめっ…痛い…苦しいの」
「分かった。ゆっくり脱がせるから痛かったら言え。でも多少は我慢してくれよ?」
そう言うと彼は私の隣に座り、ゆっくりとボタンやホックを外し始めた。割れ物に触るような手つきで、それでも手際よくことを進めるもので、痛みも苦しみも悪化する様子はない。
「さて、少しでもいいから腕上がるかな?」
「うん…」
そっと腕を上げると、するりとドレスを剥がされ、白い下地のワンピースが覗く。しかしそれは既に白の無地ではなくなっていて、赤黒くなった血が滲んで、所々は薄い赤のワインのシミが出来ている。
出血が治まっている様子はなく、少しずつ遠のいていく意識が本格的に薄れ始めた。
「これは…ちょっと失礼するよ。」
そう言うとカインはワンピースの裾から手を入れて刺さっているものを抜き取った。
やはりそれは針のようなもので、縫い針よりは少し長い、医療などで使うものに見えた。その針の先端を少しなぞった彼は、その指の匂いを嗅いで目を見開いた。
「まずい…しっかりしろ、ノア。これはアルテミスの毒を薄めたものだ。意識はあるかい?」
「うん…まだ、ね…でも…」
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