神聖なる悪魔の子

らび

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9.花園と蛇

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 私はしばらく彼の紅い瞳を見つめていた。頭の中は真っ白で、一切の思考を許さない。そんな私を少し見ていたカインは、堪えきれなくなったようにふっと笑いを漏らすと、勢いをつけて私を抱えたまま起き上がった。そして、私の目を覆う黒い包帯の結び目に手を伸ばす。
「そんなに驚かないでよ。ほら、ちょっと目を瞑って。」
大人しく言われた通りにすると、ヨレていた布がきちんと巻き直され、目元の違和感が消しさられる。
「はい、もういいよ。」
「…ありがとう。えっと、その…」
「ん?さっきの?」
「そう。…本気?」
「なんで疑うの。」
「だって私、その、呪われた異端児だし…」
そんな人間を、好き好んで伴侶にする人などいるのだろうか?私はそれを理由に否定されてきたような存在のはずである。だから怖くて、きっと感情を殺すようにどこか奥深くへとしまい込んでしまっていた。だからさっきの彼の言葉は多分…
「別にいいんじゃない?」
「なっ!」
思わず握りしめた手に力が篭もり、爪がくい込んで手のひらを刺す。ギリギリと音を立てて、加減を知らない指先は皮を引き裂いていとも簡単に肉を抉ってしまった。
 ボタボタッと音を立てて白いベッドシーツに赤黒いシミができる。
「あ~全く何やってるんだか。」
 カインは困ったように笑いながら私の両手首を片手で器用に掴む。そして、今までにないくらい強く抑えられた手首はキュッと音を立てて血流を妨げられた。そのまま頭の上の高さまで腕を上げられ、青白く変色し始めた私の両手が熱を失っていくのを感じた。
「っカイン!?」
「ちょっと大人しくしてろって…」
そう言いながら空いている方の手でベッド脇にある棚を漁る。そこから取り出されたのは小さな青い小物入れで、中には包帯やらガーゼやらの救急セットが入っていた。
「あのな、リリノア。」
血が止まった私の手をそっと放して慣れた手つきで手当しながら彼は話し始めた。
「恐らく、お前は記憶が無いから、以前の自分の境遇や周りの目を想像して思い出しているだろう。その推測は、多分あながち間違いではない。でも、俺がお前の面倒見てるのは、一族からの命令でも、生まれる前のあの場所で与えられた使命だからでもない。かといって、お前がイヴだからでも無い。どういうことかって言うと…ん~、なんて言うかな…」
今更になって傷がジリジリと痛み始める。私は目に涙すら浮かべて、自分の馬鹿さ加減を痛感しながら彼の話を聞いた。 
 カインが言葉に詰まるなんて、珍しいこともあったものだと、私は何故かいたたまれなくなって、少し俯いた。すると、手当てを終えた彼に前髪を上げられて、必然的に目を合わせるように促される。
「ただ単に、お前のことが昔から、好きだったんだよ。だから双子としてではなく、別の家系に生まれさせてもらったんだ。俺はノアと同じように、長い長い時間をかけて君と一緒に成長するんだ。それは本来、当主だけの特性でしょ?だから代々の当主は皆、孤独だった。」
髪をすくように撫でられる前髪は、はらはらと私の頬を滑って落ちる。
「俺なら、君とずっと共に生き、心から君を愛し続けられる。…まだ、信じてもらえない?」
「い、いぇ…その、」
その瞬間、またふわりと抱き寄せられて、案の定全身が力む。すごく落ち着かなくて、でも彼の腕から抜け出すことも出来ない。
「ノア」
「ひ、」
「体が覚えてるって、本当なんだね。君が抱きしめられることに慣れていないことは知っているよ。俺もその温かさは知らずに育った人間だからね。地上に逃げ出した時に、偶然アン姉さんに拾われて、初めて抱きしめられて…。その時の俺も、今のリリノアどころか嫌悪感すら感じてね。」
懐かしそうに話す彼の顔は覗くことは出来ない。しかし、耳元で囁くように静かに紡がれるその言葉は、聞いていて安心する音色を奏でている。
「でも、姉さんは俺に何かある度に抱きしめては『大丈夫だよ』なんて言うものだからしばらくして慣れてね…心地よさを覚えると、本当に安心できるんだ。だから君にも早くなれて欲しいと思って今までずっと無理矢理にでもこうしてきたんだよ。」
 目を細くして微笑む彼の笑顔が、初めて苦しく思えた。彼は既に、私のために色々なことを犠牲にせざるを得なかった。私はそれに頼るだけでなく、その記憶を無くしてしまったのだ。彼の苦労は水の泡と化してしまった。そして、その全ての元凶は私という存在が作り上げている。
 とても複雑な気分になり、どうしていいかわからず彼をそっと押し離す。
「…嫌だ、私、できないよ」
「何故?」
「だって、これ以上にカインを裏切りたくないから、」
「だから、俺は裏切られてなんか」
「違う。私は確実に貴方を裏切ってしまったの。結局自由になれていないじゃない…カインはっ」
「リリノア、落ち着い…」
「だめ!こんな酷い話ないよ…貴方は自由になりたくて逃げ出したんじゃないの!?それなのに一族からは絶対に逃れられない…それもこれも、みんな私がいるから!」
「いい加減にしろよ!」

 初めてだった、こんなに怒りを顕にした彼の姿を見たのは。いつも落ち着いていて、冷静なカインからは想像もつかない。そんな彼の声に、私は呼吸すら詰まらせてしまった。私は今、一体何を口走った?
「リリノア、どうしてそんなに信じてくれないんだ。俺が嫌いか?それなら話はつく。」
「ちが、」
「違うなら、もうそろそろ信じてくれてもいいんじゃないのかい?一方的な愛情ほど虚しく寂しいものは無い。」
「…貴方は、」
「うん?」
「貴方はそれで、本当に幸せなの?」
彼はどこまでも優しい人だから、自身にまで嘘をついているのではないかと思う時があるのだ。それに本人が気づいていなければ、それは私が追い詰めている証だ。でも。
「いいや、幸せじゃないな。」
やっぱりそうだった。それなら、
「君が俺を信じてくれないから。まだ幸せじゃない。」
穏やかにそう告げる彼は、さっきのとは別人のようで
一瞬戸惑う。
 動揺に揺れる私の肩をそっと支えるように撫でられ、ふと我に返る。
「…私なんかが、信じていいの?」
「ノアはどこまでも自虐的だなぁ。」
彼はまた困ったように笑って、いつものように私の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「分かった、信じてみる。」
「じゃあ、俺の告白も受け入れてもらえるかな?」
あ、そのこと忘れてた。
 とは言えないね。でも、見抜かれているだろうかとも思ったけど、今回はバレていない。
「…うん、もちろん。カインがそれでいいなら、ね。」
「疑ってくれるなよ」
彼はベッドからひょいと降りると、片手で私を持ち上げて、血塗れたベッドシーツを引き剥がした。
「夜までに乾くといいんだがなぁ~」
 そう言うと、彼は私を近くの椅子に下ろす。
「俺ちょっとコレ洗ってくるから、先にダイニングに行ってて。」
「分かった」
私が頷いたのを見届けると、カインは扉の向こうへと消えていった。

 私は、どこまで彼を信じていいのですか。

●●●
カインside

 つい怒鳴りつけてしまった。あれはもちろん本心だが、彼女が混乱するのも無理はない。そのことは俺が最もよく理解しているではないか。しかし、安易に決めていいことでないのも本当で、本邸の人間達に縛られた上での決断ではノア自身に何かあっても取り返しがつかない。奴らはノアを血統として重宝しているのであり、次期当主さえ残せば異論はないだろう。しかし、アネモネの話を聞く限りでは次期当主の父親は俺だ。ノアがどうかは知らないが、俺は自分の子供を差し出したところで「もうお前らに用はないから自由にしていいぞ」と言われたとしたら、そんなこと出来るはずがない。だからこそ、リリノアにもよく考えて欲しいと思ったのだ。
 そんなことを思いつつ、地下室にあるランドリールームの扉を開く。中に入ると薄暗く、洗濯洗剤の匂いがかすかに漂う。全く、こんな洒落た屋敷が現代社会によく存在してかつ使えるものだ。
「これも元を正せば俺のせいなんだけどな」
シーツを広げ、血痕のある部分だけが流しに入るように洗い場に持ち替える。血のついたものをそのまま洗濯機に入れてしまっては、白いシーツ全体に血液が薄まって染み込んでしまう。そう思って汚れた部分のみを丁寧に洗った。そしてある程度落ちたところで洋館に似合わない最新式の洗濯機にシーツを丸めて突っ込んだ。
「さて、あとは洗い終わったら干すだけか。朝ごはん何作るか、どうせノアが起きてるなら聞けばよかったな」
そんな独り言をつぶやきながらランドリールームを出ようとした時だった。

カランコロン…

 玄関の呼び鈴が鳴った。

●●●
リリノアside

カランコロン…

 どこかで呼び鈴が鳴った。この音は玄関だ。ということは、お客さんが来たということで。
「誰だろう?カインを呼んでこないと…あ。」
いつもお客さんが来るとカインが出てくれるのが癖になってしまっていたが、この館の主は私なのだから、私が出てもいいのではないか。
 そう思い直してダイニングルームを出て玄関に向かった。裸足だし、ネグリジェだけどいいだろうかと一瞬思ったりもしたが、何となくで朝だしいいかと思い直して玄関扉の前に立った。
「はい、どちら様ですか?」
ぎぃ、と重い音をたてて扉を細く開く。その隙間から覗くように外を見ると、まず見えたのは黒だった。
………………………………黒?
「あれっ…ひいぃっ!!!」
次に見えたのは青い青い瞳。あまりに驚いて、私はひっくり返るように後ろに倒れ込んで尻餅をついた。
「リリノア!」
私の声を聞いてか、ランドリールームから帰ってきたらしい彼が廊下の奥から私の方に駆け寄ってきた。
「っカイン、あの、人がっ」
「人…お客さんかい?」
私がこくこくと必死に頷くと、彼は細く開かれたままの扉に目をやった。それから私をまた片手で抱えるようにして立ち上がり、空いている方の手で扉を大きく開いた。内側に開かれた扉から強い朝日が差し、一瞬眩んだ目が慣れるとそこにいたのは黒い布をサリーのように巻いて顔だけをのぞかせる老婆だった。
「預言者様!?」
カインが驚きの声を上げる。預言者様って…?
「カイン、知ってるの?」
私は小さな声で彼の耳元に囁く。するとカインは何を言っているんだというような顔で一瞬私を横目に見つめてから、ああそうかと納得したように小さな声で返してくれた。
「一族の預言者様だよ。次の当主がどの神の血を引くのかとか、まぁ色々と未来予知を出来る人だよ。当主の次に重要視される、一族に一人の存在だね。」
「なるほど。」
「それで、どうして預言者様がここに?」
カインは未だ私たちの前に立ち尽くす預言者に向き直る。すると預言者は深く腰をおるとそのまま膝を床に着き、ひれ伏すようにして口を開いた。
「リリノア様、カイン様。どうか落ち着いてお聞きください。」
その声は嗄れ、失礼ながら連想するのは御伽噺の魔女だ。
「どうなさったのです、そのような体位を…」
「私めなどどうでも良いのです。それよりリリノア様をお早く森の奥の泉へお連れください。」
「森の奥の泉?」
カインが訝しげに眉をひそめる。何か知っているのだろうか。少なくとも私は知らないが…いや、覚えていないのか?
「はい、この館の後ろにある森の深く深く奥へと進んだところに、小さな泉があります。その泉は満月の夜に月光を浴びて蒼く輝きます。その泉の水で体を清め、その水を2口お飲みください。」
「なぜそんな事を?」
私達は唖然として話を聞いてしまったが、そもそもことの発端を聞いていない。私はつい横から口を出してしまったが、預言者は何も思っていないように顔を伏せたまま答えた。
「神の使者様が私に言うのです。」
預言者は、握っていた古い木の杖を握る手に力を込めてふるりと震わせ、そしていを決したように言った。
「でなければ、あなたがた様は殺されてしまいます。」
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