神聖なる悪魔の子

らび

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12. アダムとイヴの罪状

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 ロウソクも持たずに廊下を進み、扉の前に立つ。タイルの床は素足には冷たく、常日頃からスリッパを履くようにと注意されていたのを今更になって思い出した。…また言われるんだろうな。
 そう思いながら木製の扉を、握った手の裏で二回ほど叩く。

コン、コン…

「どうぞ。」
扉越しのくぐもった声が返ってくる。
 そう、私は言われた通りにカインの部屋を訪れていた。渡したいものとは一体何なのか…。
 ガチャリ。軽い音を立てて扉が開く。私はそろりと滑り込むように、少しだけ開けたドアの隙間から部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。部屋の中は暗く、どうやら灯りはデスクに置かれた一本のロウソクだけのようだった。
「また裸足で歩いてきたな」
ほら、言われた。
「スリッパ見つからなくて…」
「はいはい、でも君の足が冷えきってしまえば痛いのは自分だろ?」
「…はい」
 仕事用のデスクに向かってキャスター付きの椅子に座る彼は、あまり見慣れないものだった。やはりメガネをかけている。
「で、渡したいものって?」
「あぁ、これだよ。」
そういいながら彼は少し椅子を後ろに引いて、デスクにあるうち一番上の小さな引き出しを開ける。そこから出てきたのは、翡翠色に塗られた小箱だった。
「こっちにおいで。」
それを持って彼はベッドの方に移動し、淵に腰掛けた。私は呼ばれるままに付いていき、彼の隣に座った。
 コトリ、と音を立てながらその箱を丁寧に開けるカイン。私もそれをのぞき込むように慎重に見つめていると、蓋が開くと同時に見えたのは蒼い綺麗な石だった。金色のチェーンに通されたそれは、ネックレスの仕様になっているらしい。
「…これは?」
「これは、当主の処女卒祝いとして代々女当主に受け継がれてきたものだ。預言者が持ってきて置いていってくれたらしい。」
「綺麗…」
「そうだね、確かにこれは美しくて希少価値の高いものなんだ。でもね、これを女当主である君が手にするってことは…もう分かるね?」
「…分かってる。覚悟はしているつもりよ。」
「俺は、それが君の本心なら構わないって思う。これは前にも言ったね?だから…これが、ラストアンサーだ。君が子供を産めば、必然的に一族のためにもなってしまう。それでも、それは君の意思だと言い切れるかい?」
「もちろん」
「それから…最初に生まれてくる子は異端児ではない。となると、当主である君は神の子ではないその子を一生その手で抱いてあげることは出来ないんだ。」
「えっ…」
「父親たちが子供を殺してしまうのは、そのせいでもある」
「カインは…」
「うん?」
「カインは殺す?」
「俺は…」
「私に赤ちゃんができたなら、父親は貴方でしょう?ならば、貴方は普通の子だからって殺すの?」
「…そんなこと、できるわけが無いじゃないか」
なきそうな声で小さくそういった彼は、存在を確かめるように私の肩をそっと抱き寄せた。
「うん、知ってた。ごめん、意地悪だったね。」
でも、改めて言葉にしてくれなくちゃ、私だって不安だから。でも貴方は私を裏切らないって知っているからこそ確認できるんだよ?
 私はそっと彼に身を寄せた。飼い主に甘える猫のようだと、我ながら思うが。カインの鼓動がよく聞こえる。それはいつものように落ち着いていて、どこか私を安心させるものだった。
「私も、例えこの腕で抱けないとしても、この手で育ててあげられなくても、幸せに生きて欲しいと思う。」
「…分かった。」
そう、カインは小さく言った。それは聞こえるか聞こえないかの僅かな音で。
「君の覚悟があるなら、俺も覚悟は決められるよ」
彼は私の頭を寄せると、唇を重ねてリップ音を立てた。ゆっくり、沈めるように押し倒される。
「いいかい、ここからはお互いに命懸けだ。どんな苦痛が君を襲うのかは計り知れない。でも…すべてに意味があることを忘れないで。」
彼は私の耳元でそう囁くと、空いている手をロウソクの日に伸ばし、素手で炎を揉み消した。
 いつだって、私を覆うのは暗闇だった。そしてそれは恐怖でしかなかったのに。今日の暗闇は、そして月の無い夜空の星は、私を蔑むことをせずにただ、見守っているように見えた。

 翌朝目が覚めると、私の首には蒼い宝石のついたネックレスがかけられていた。

●●●
「うん、ちゃんといるねぇ。着床から三週間と2日が経過している。」
 アネモネがメガネを外しながらモニターからこちらに目を移す。私はカインの膝から頭を上げた。お腹にはよくわからない機械が当てられていて、下手に身動きは取れない。
 
 ことの始まりは今朝だった。全体的に身体がふわふわとしていて気分が悪かったこと。いつものように起こしに来たカインが、私の異常に気づいてアネモネの元に連れてきたのだ。早すぎるとは疑ったものの、彼の判断は正しかったようで。

「まぁ、二人とも普通の人間じゃないからなぁ…つわりが三週間で始まっても不思議じゃない…のか?」
 アネモネは外したメガネを軽く拭いて白衣のポケットにしまい込んだ。
「これからずっとノアはこのままなの?アン姉さん。」
「いや、何日かすれば一回落ち着く筈なんだけど…」
 そういいながらゆっくりと立ち上がったアンは、小さなホワイトボードを手に取ってなにやら図を書き始めた。
「1度説明しておこうと思ってね。異端児が産まれる仕組みについて。」
 そして何やら書き終えたアンは、私たちにそのボードを向けた。そこには、二つの大きな円が書いてあった。その円はそれぞれ縦に一本ずつ直径のような線が書き込まれていて、二つに分断されている。
「いい?子供に遺伝する親の情報は、簡単に言えば両親からそれぞれ半分ずつ情報をもらうの。半分と半分を合わせて一つ分になるでしょ?この二つの円が、それぞれ父親と母親だとして、ふたりが普通の人間ならこうなる。」
そういうと、アンは円の一つ一つのエリアに一文字ずつ「人」と書き始めた。4つの「人」を書き終えて、再び彼女が口を開く。
「こうなれば、両親からどちらの半分ずつをもらおうと、子供は人になる。分かるわね?」
私はカインにもたれかかったまま頷いた。
「でも、普通の人間とブルードの当主だとしたら…」
アンは二つの円のうち片方の円の、また片方に書かれた「人」という事を消して、代わりにその空白の半円に「神」と書いた。
「これが当主。人間と神を半分ずつ持ってる。つまり、遺伝する時に当主の情報の内でこの「神」のほうが子供に伝われば、生まれてくる子供は当主の「神」と、真人間の親の「人」の情報をもらって、二つの遺伝子を持つ次の当主…つまり、異端児になるってわけ。お分かり?」
「…なんとなく。」
私が苦笑しながらそう伝えると、アンは困ったような仕草で自身の前髪を片手でかきあげた。
「んー…ま、いいわ。でね、なんで異端児が生まれにくい…つまり、次の当主がそう簡単に生まれないかって言うと、当主の遺伝子の「神」の方が子供に遺伝することってすごく稀なのよ。どっちかっていうと、残り半分の「人」の方が遺伝して、子供は人+人の真人間になる確率が高い。」
 私とカインが同時に頷く。それを見てアンは少し微笑んでみせて、しかし次の話へと進めた。
「でも、貴方たちはちょっと特殊。」
そう言うと、今度は二つとも「人」と書かれている円のうち片方の「人」を消して、また「神」と書き換えた。同じ図が二つになったホワイトボードを見せられる。
「いい?これが、貴方達の状態。異端児が2人ね。つまり、普段のパターンに比べて神の子が生まれやすくなるのは分かるでしょう?」
私とカインは深く頷いた。しかし、カインは何かに気づいたようにはっとした様子で唾を飲んだ。
「カインは気づいたようね。まぁ、そういうこと。あなた達2人の子供には、かつて無かった可能性が秘められているの。」
「…私分からないんだけど?」
つんつん、とカインの服の裾を引っ張ってみる。すると彼は私の頭に手を乗せ、しかし何も言わなかった。何故なら、アンが説明するから。
「もし、こうなったらどうなるかしら?」
アンは赤いボードマーカーを取り出し、各円に一つずつ書き込まれた二つの「神」の字を囲む。
「あっ…」
「そう。子供にこの「神」のほうの半分が2人から遺伝したら。」
「子供は神そのものになるとでも言うのか!?姉さん!」
 そんなことが有り得るのだろうか?
「いや、私にもそこまでは分からないんだ」
苦笑しながらアンが言う。やはり、未だかつてなかったということは、研究のしようがなかったのだろう。
「さて、これで私の話はおしまいだよ。そして今度はひとつ聞きたいことがある。」
 アンはホワイトボードを片付けると、ゆっくりと立ち上がり私たちの方へと歩み寄った。そして私たちの目の前で立ち止まると、くっと屈んでカインの顔をのぞき込むように高さを合わせていた。
「…姉さん?」
「ん。やっぱりな。」
全く状況が掴めないままでいるカインを裏腹に、アンは何やらひとりで納得したように頷いた。そして次の瞬間にはカインの顎先を右手で乱暴に掴みあげ、間髪入れずに左手で彼の額を頭ごと押し倒すように押した。すると必然的にカインは上向きに口を開けることとなり。
 彼の口内をのぞき込んだアンは、そのまま怒り始めた。
………………………………え?
「なんでアンタって子はすぐに自傷に走るんだい!?舌の根がざっくり裂けたようじゃないか!!!しかもそのまま放置しただろう、膿がたまって腫れているだろうが!!!!!」
 ええええええええええええ!?
「ごめんらひゃい、ごめんらひゃい」
 口を開けられたまま喋りづらそうに謝るカイン。珍しく泣きそうな顔までしているが…。
「ああん!?なんて言ってるか分かるかゴラァ!」
いや、ごめんなさいって言ってますよ?というかアンさん、キャラの変わりようがハンパじゃないですよ??
「なんですぐに私のところに来なかったんだ!」
「らっへ、れぇはんおわいあら」
だって姉さん怖いから…?カインがそんなに怖がるところって見たことないけど、お姉さんには適わないのね。
「だから何言ってるか分かんねぇっての!!ったく、こっち来い!すぐに来なかったことを後悔させてやる」
怖っ!!!!!!!!!!!!えっ、今のセリフ、現代で使う場面あったんですね!?というか、多分連れていかれて治療されるんでしょうけど、治療する患者にいうセリフじゃないですよね!?
「ふはっ、大丈夫だって言ってるじゃないか!」
やっと開放されたカインが瞬時に訴える。しかし、ここまでの様子を見るに、お姉さんには勝てそうにないわね?
「こっちに、来い」 
「…はい。」
 予想的中。でもこんなに嫌がるカインなんて見たことないから、なんだか新鮮な気がする。なんというか…幼く見える?
 私がそんなことを思っていると、カインは渋々といった様子を全身で醸し出しながら立ち上がる。ていうかなんで、舌の根が裂けてるの?
「全く、何をどうしたらこんな行動に出るんだい?お前って子は。自分の舌を噛むなんて」
「…せいを…」
「あん!?」
「理性を無くしそうだったんだよ…」
理性?正気じゃなくなりそうだったってこと?
 私が状況を飲み込めずにポカンとしていると、カインが横目にチラリとこちらを見て、その瞳のように白い頬を薄く赤に染めながらすぐに目をそらした。
「あー、そういうこと。そうかぁ、お前も健全な男子に育ったものだなぁ。ほら、早く来い。」
えっ…え?
 全く理解出来ないまま、何やら納得したようなアンとともに2人は扉の向こうへ消えていった。
 私はそっと自分のお腹に手を当ててみる。この中に、私じゃないもう一つの命が入っているんだ…。そう思うと、とても不思議な気持ちになる。自分の身体の中に、自分じゃない何かがある。そして、これからお腹の中で育っていくのであろうこの子は、私の一部ではなくなる…。
 前から不思議だと思っていたのだ。腹の皮を1枚挟んだだけで、お腹の中にいる赤ちゃんは確かにそこにいるのに、まだこの世に存在しない扱いになるのだから。
「抱いてあげることは、出来ないのね。」
それでも。

 どうか、私の知らない世界で幸せに生きて。
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