青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP2 卵に潜む悪夢1 本部からの呼び出し

新たな火種

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 寒い。暗くて何も見えない。思考ははっきりとせず、ただぼんやりと暗闇を見続けていた。
 背筋を這い上るような不快感。こんなところに居たくはないのに指先一つ動かせない。
 いつもの夢だ。そう、いつもの。

(糞、またこの夢か)

 嫌なことがあった日、あるいは苦しかった日。怪我をした日、寝付けない日。
 同じ夢を繰り返し幼いころから見続けていた。
 別に何が明確な出来事が起こるわけでもない。夢だと知覚しているのに、自力で目覚めることが出来ない。ただ、何かに見られている。ずっと視線を感じている。
 殺されるでも触れられるでもない。ただ視線だけを感じ続ける。不気味で気持ちが悪い、逃げ出したくなるような不快感に全身が犯される。
 一寸先も見えないほどの闇の中、じぃっと身体を横たえ朝が来るのを待つ。
 その時間はまるで永遠のような長さに感じる。誰もいない。ただ待つ。待ち続ける。

(早く朝になってくれ、こんな気持ち悪い夢見ていたくないんだ……)

 朝が来れば、目を覚ますことがきっと出来るから。
 目を覚ましてもいいことがあるかと言われればまた別だけれど、それでもこの夢よりかはきっとマシだった。




 切れかけの街灯がチカチカとして目が痛い。夜の住宅街を一人の少年が歩いていた。
 肩までのぼさぼさの髪、長く伸ばされた前髪は目の上半分を覆い隠していた。表情は焦っており、目を四方八方にぎょろぎょろと動かし落ち着かない。
 服は少しくたびれたパーカーとジーンズ。背中にはリュックを背負っていた。猫背なのは元々なのもあるが、少年はぎゅっと何かを守るように抱きしめていた。
 周囲に人がいないか足を止め、きょろきょろと忙しなく頭を動かし確認する。どこからどう見ても挙動不審。
 しかし幸いにも時刻は夜半を過ぎており、閑静な住宅街にあるこの道をこの時間に通る人間はほぼいない。
 
(よかった、誰もいない……)

 そっと少年は胸を撫で下ろし、猫背のまま足早に再び歩き出す。誰にも見つからないようこっそりと。
 しかし、その動きは慣れていないのかとてつもなくぎこちない。それでも何とか公園へとたどり着く。
 遊具類は一昔前に危ないからとごっそり撤去されている。今も公園に残っているのはベンチと鉄棒、砂場、簡易的な滑り台だけだ。
 公園の中には数人の子供がたむろしていた。派手な金髪、髪型。最新の派手で悪趣味なファッション。見るからにガラの悪そうな連中だった。
 
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……僕ならやれる、やれるから」

 小さく息をのむように、早口で繰り返し大丈夫と呟く。まるで、自らに言い聞かせるような声音だった。
 握りしめていた右手を自らの胸の前で開く。血色の悪い掌の上にゴツ目の灰色の指輪が現れる。ずっと握っていたからか、体温が移って生暖かい。
 指輪には大粒の黒い水晶が嵌まっており、腕の部分には複雑な文様が刻まれていた。

(もしやれなかったらどうしよう。あの人が嘘をついていたら?でも、でも、やらなきゃ……どちらにせよ、僕は)

 掌にも額にもじっとりと嫌な汗をかいていた。おかげで指輪が少し湿っている。
 行くか行くまいか迷う。

「ぎゃはっ!あいつ来たぜ!おい、金持ってきたんだろうな!」

 優柔不断に迷っていると前方から下品な大声。慌てて顔を上げると公園の中心にいたいかにもガラの悪そうな少年たちがこっちに向かって歩いて来ていた。

「おい奏太、さっさと財布だせや!さっさと出さねェとどうなるかわかってんだろォ?」

 リーダー格らしき金髪の少年がわざとらしい大声をあげ、奏太と呼ばれた少年を脅す。
 気弱な奏太少年はたったそれだけでじんわりと眦に涙を浮かべ、ぶるぶると小刻みに震え始める。それを見て、少年たちはゲラゲラと夜中にあげるにはあまりにも近所迷惑な下品な笑い声をあげた。

(こいつらみたいな腰ぎんちゃくに勝てないんじゃ、駄目だ……ずっと変わらないよぉ……)

 掌に握りしめていた指輪を右の中指に嵌める。

(大丈夫、僕なら出来る、今の僕なら……!今までの僕じゃないんだ、だって)

 猫背をしゃんと正す。ニヤつく子供たちは奏太の雰囲気が少し異なるものになったことに気づかない。

「んあ?なんだお前、急に姿勢なんてただし「やっちゃえ、グルズ!」

 奏太の癖に生意気だ。掴みかかろうとした少年の一人の声をかき消すように奏太が絶叫のような声をあげた。
 続いて、少年が目を見開く。ぎぎ、と音がするほどぎこちなく自らの胸部へと視線を向けた。
 少年の胸からは丸太のような毛むくじゃらの剛腕が生えていた。

「がぼごぼが、ぐぇ?」

 ごぼごぼと血泡を噴きながら、意味不明な声を上げる。

「ひえええええええ!?く、クマ!?銀二!なんでぇ!?」

 少年の身体が血だまりの中に沈む。ばしゃ、と飛沫を上げ、少年たちの靴を赤黒く汚す。丸太のような腕の持ち主は3M程もある巨大な漆黒の毛並みを持つクマだった。
 見た目こそツキノワグマに酷似しているものの、首元の輪っか模様は白色ではなく血のような赤であった。
 クマはもう片腕で血泡を噴く銀二の頭を鷲掴みにする。そのままべきょべきょと嫌な音を立てながらいともたやすく身体を上下に引き裂いた。

「に、逃げろ逃げろ逃げろっ!人食いクマだっ!」
 
 血生臭い凄惨な光景に少年たちはハっと我に返る。逃げなければ次にああなるのは自分達であるとようやく理解したのだろう。
 蜘蛛の子を散らすように逃げていく。いこうとする。

「そうだ、奏太!奏太を囮にしろッ!」

 この期に及んで尚、いじめっ子たちは残酷なことを考えていた。人を人とも思わぬ蛮族のような考えであった。
 奏太を囮にすれば、まだ安全に逃げることが出来る。そう考え一斉に少年たちは奏太の方に視線を向ける。
 きっと、奏太なら茫然自失となり突っ立っているか、怯えて震え動けなくなっているだろう。そう考えていた。

「酷いなあ君たち」

 しかし、少年たちの予想は外れた。奏太は口元を歪に歪め、嗤っていた。それこそ、恍惚とした表情で。
 先程までとはまるっきり別人のような表情。

「なんだよ、さっきまで僕の事なんてその辺に落ちてるガムくらいに思ってたくせにさ」

 奏太少年の手には指輪の他に、一冊の本があった。黒い表紙の無骨な新書。指輪をはめた中指に走るチクリとした痛み。
 それすら気にならないほど、今の奏太は高揚していた。だって、長年の恨みつらみを晴らすチャンスを得たのだから。

「やれ、グリズぅ!摺り潰せ、踏み潰せ、内臓を引きずり出せッ!生きたまま喰らえッ!」

 巨大なツキノワグマは奏太少年の猟犬であった。虐められ苦しんでいた鬱屈とした日々。
 中学校は地獄そのもの。何度自殺を考えたかわからない。そのたびに死ぬ勇気がなくて、結局踏みとどまってしまった。
 けれど、それは正解だったのだ!今、こんな力を手にしているのだから!
 爽快な気分だ。自分ではない自分が暴れる。今まで抑圧されてきた感情が昂り、吐き出される。

「ァぉうるるぅるゥる”ゥ”!」

 クマが月夜に吠える。奏太こそが今この場の惨劇を引き起こした犯人であることに少年たちはようやく気付いた。

「助け、助けてェ”ごばげほごぼっ」

 全力で蜘蛛の子を散らすように逃げる子供達。それをまるで炉端の花を積むかのような気軽さでグリズは手折っていく。
 どちゅ、ごき、ぶちゅ。吐き気を催すほど軽快な音と少年たちの悲鳴が静かな公園、閑静な住宅街に響き渡った。
 しかし、この場でそれに気づくものは一人もいない。指輪によって結界が張られているからだ。
 そんな惨劇の中、一人だけ生き残った子供が目の前で震えていた。奏太と同じくらいの子供だ。

「た、たすけてくだしゃ」

 股を濡らし、ぶるぶると震える哀れな子供。こいつは奏太を特に念入りに、陰湿にいじめていたやつだった。
 何となくグリズに命令を出し、叩き潰すのを寸前で止めさせる。

「助けて?僕がどれだけ助けてって言っても助けてくれなかったのに?」

 どもりながら子供に問う。声音には憎悪やら悲しみやら喜びやら様々な感情が内包されていた。

「な、なんでもしましゅ、も、もう二度としません、あなた様の前にもあらわれませ、せせん!」

 奏太以上に歯の根をがちがち言わせながら言葉を噛みつつ命乞いをする子供。
 そんな子供に奏太はカバンの中から何かを取り出し、子供に向けて放り投げた。

「はへ?」

 間抜けな声で首を傾げる子供。足元にころころと転がってきたのは卵のようだった。
 銀紙に包まれた卵。銀紙は色とりどりの華やかな絵が描かれている。イースターか何かだろうか?

「面白いことを言うんだね。でもこれを食ったら考えてやるよ。チョコエッグ。昔流行っただろ?ああ、僕らの生まれる結構前だっけ」

 食べるよう促す奏太に対し、子供は何度か卵と子供の顔を見比べた。
 奏太が放ったのは卵型のチョコの中に小さいフィギュアのオマケが入っている食玩だ。昔流行ったもので最近はあまり見なくなったもの。

「グリズ」

 痺れを切らした奏太がグリズの名前を呼ぶ。
 その声にびくりと子供は体を震わせ、食べなければどちらにせよ無残に殺されることを悟った。震えて力の入らない手でなんとか銀紙を取り除き、チョコを口の中に突っ込む。
 もごもごと咀嚼する。恐怖のあまり味なんて感じるわけもない。中には食玩も入っている。小さなフィギュアが二つ。リアルな蜂と蚯蚓だった。
 食べきって、一息つく。

「帰っていいよ」

 奏太が笑う。口角が不自然に上がった歪な笑み。
 子供は訳が分からない、といった様子で首を傾げつつ、しきりにグリズが襲ってこないか怯えながらも転びかけつつ走り出す。
 しかし、走り出す速度はどんどん遅くなり、子供の表情は虚ろなものへと変わっていく。
 奏太はゆったりとそのあとを追うように歩く。まるで、何かを待っているかのように。
 十分程度、子供は虚ろなままあてどなくさ迷い歩く。そして突如震えだす。

「あが、あがが、あがががががががががががが」

 吠えるように、泣き叫ぶように子供が野太い声を発する。
 それと同時に全身からめきめきと骨のきしむ音がし、子供の身体が真っ二つにさけ、変異していく。その姿は蜂と蚯蚓というよりほかなく、人間だったころの面影は最早どこにもない。
 僅かばかり残った人間のままの部位。物言わぬ死体となった部分だ。

「なんだ、二つの魔物になるなんてお得じゃん。おまけみたいにカスが残ってるけど」

 笑う。笑う、哂う、嗤う。
 奏太少年を止めてくれる人間は、誰一人としていなかった。

 
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